母校(高校)の生徒さんがアメリカに海外研修にいかれるということで、(アメリカにいるので)一言くださいと言われ、指定された日時にライブで参加することが難しかったので録画をしたのですが、果たして役に立ったのだろうか、よくわかりません。
昔からこの手の「先輩からの経験」的なイベントにいくら参加しても特に何かを得たという記憶がなく、今回話す側に回って手探りでした。結果的に、客観的な事実と少し外れた話、最後に外観してみた感想、みたいな構成になります。高校時代、大学時代、大学院時代、そしてアメリカへ(ドラクエか)。まあ話自体に中身がなくても、こういう人がいると知って将来の選択肢が広がってくれればいいんでしょうかね。繰り返すように自分はこういう話から何かを得た経験がないので、自信がありませんが。
しかし高校の頃からアメリカに研修旅行に行って「意識を高める」活動を提供しているのには、頭が下がります。留学も低年齢化しているのだろうと思いますが、高校在学当時の私にはアメリカに留学する、といった考えはミリもなかったので、多分興味も示さなかったでしょうし、そもそも数十万もする費用なんて親が出してくれなかったでしょう。私は大学に行ってからこういった「意識が高くなる経験」に恵まれることになりましたが、もし留学への競争が低年齢化して、高校の時からスタートしないと手遅れ、みたいな社会だと(韓国とかが既にそうなっていると思いますが)、私は今頃アメリカにいないかもしれません。物事は全てたらればですね。
それで基本的に現在の自分を肯定するような語りになってしまうので(本当はあのときこうしてればよかったみたいな話をした方がいいのかもしれませんが)、そういう語りをしている自分を見るとひどく痛々しい気持ちになります。どんだけ自分大好きなんよ?みたいな。アメリカにいるというのも、やはりアメリカの大学院の方が日本よりもいいみたいな話になりがちで、本当は単純にそんな紋切り型の回答もできないんだよねと思いつつ、別に先輩からの体験談は留学におけるメリット・デメリットを話す場でもないかなと思ったり。
これに限らず、最近は少し年齢が下の後輩に対して、客観的にはメンタリング、主観的にはただの雑談と愚痴の混ぜ合わせをすることが増えてきました。学部まで日本で、大学院からアメリカで博士号を取り、一応アイビーリーグの大学の中でキャリアを過ごしているというプロフィールは、日本の社会学では比較的珍しいので、ある程度自分の経験をシェアすることは理にかなっているのかなと思いますが、いかんせん自分みたいなキャリアが珍しい分、自分の意見が全体を代表しないようにも気をつけています。
実際に経験したからわかること、というのはそれがどれくらい一般化可能かはおいておくとして、役に立たないようで役に立つように見えて、しかし実は役に立たないところがあります。例えば、アイビーリーグにいる人が持ちがちな、アメリカの学歴エリート仕草。この3年くらいプリンストンとハーバードの狭いサークルで、スピーカーの発表を聞いてから、そのままの流れでフォーマルなディナーをとる、みたいなイベントに参加させられています。そこだと、最初はアカデミックに真面目な話を聞き、気の利いたコメントをするわけです。
「気の利いた」という部分は重要で、そのあとにディナーやランチの機会が待っているので、トークはそのための話題提供くらいの機能なのです。したがって、誰もガチガチの議論は望んでいません。それでも、あ、この人よくわかってるな、みたいな気の利いたコメントをして、少し牙だけ見せておく、そういうことがあります(別にそこまで意識的にはやっていないのかもしれませんが)。そしてディナーになると、ひたすら社交。スモールトークから入って、共通の友人やバックグラウンドを見つけ、当たり障りのないキャリアや昨今の社会情勢について話して、気分良く帰ります。
つまり、本気になりすぎてはいけないのです。社交に資する範囲で真面目に話すというのが、私の思うアメリカの学歴エリート仕草です。自分を誇示しすぎてもダメ、相手を持ち上げすぎてもダメ、相手の研究に本気でコメントしてもダメ、何事もほどほどが称揚される、そういう価値観です。もっと突っ込んだ話は、仲良くなって日を改めて、というカルチャーといってもいいかもしれません。役に立つのか、立たないのか、わかりませんよね。でも、そういう場面に何度も遭遇することによって、人は社会化するのです。
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