先日、プリンストン大学の博士課程を終え、Ph.D. in Sociologyをもらいました。この1年を振り返ると、就活で世界中を飛び回り、就活後は引き続き残された研究と引っ越しの準備に追われ、疾風怒濤という言葉で形容したくなる日々を過ごしていました。
学部生だった2010年頃に、(淡く)大学院に進学しようと決めてから、博士号取得は目標の一つだったわけですが、思いの外、時間がかかってしまったと思います。学部時代に交換留学で留年をし、日本で修士2年、博士1年半を過ごし、アメリカの博士課程に入ったのは2018年、すでに28歳になる年でした。学部卒業後に何年かギャップを置くアメリカの基準では、特別遅くもないと思いますが、学部同期の多くがすでに教職についている中で、自分は博士課程の修了が最も遅くなり、回り道をしていることに対して、焦りというか、歯がゆさみたいなものは、正直ありました。形式的な資格なのに、博士号があるとないとでは、できることの幅が違います。博士課程の最後の数年間は、博士課程をすぐ終わらせたいという思いを強くしていました。
それでは博士号を取得したから気分が晴れやかかというと、必ずしもそうではありません。結局のところ、独立した研究者となっても、まだ何も得ていないわけです。ハーバードの2年ポスドクのオファーを取ったことは後悔していませんが、ポスドクを挟むことで、教授職としてのキャリアのスタートが更に遅れることを全く気にしていないかというと、嘘になります。
ハーバードでポスドクを2年したからといって、アメリカで安定したキャリアを歩める保証はありません。これから、再びジョブマーケットに出て、競争の日々が始まります。そういう競争に参加するためには、競争の先に待っている未来が今よりも明るいという期待が必要です。たしかにそういう期待はあります。アメリカの研究大学で職を得ることができれば、充実した環境で研究に集中できることでしょう。しかしそういう期待が現実のものになるかは、正直わからないわけです。実現する可能性が判然としない未来がいつか来ると思いつつ、目の前の研究に集中することは、必ずしも容易ではありません。
博士課程を終えて今後のキャリアを見通してみる時、いつまでリスクを取り続けるのか、自分にとってベストなプランが様々な理由で実現しない可能性が少しでも上がった時、それでもリスクを取り続けられるのか。リスクを取ることで、将来自分がやりたい研究ができるのか、リスクを取り続けることの代償として、自分がやりたい研究をできていないのではないか。「どのあたり」で、リスクを取ることから距離をとるのか。
立ち止まる時間が出来てしまうと、そういうことを考えてしまうのです。なので、今の自分は研究で忙しい日々を過ごすことで、そうした雑念から離れて、結果的に吉報が来るのを待つのが良いのではないかと思います。隠れていた不安が吹き出す、修了式が終わってからの時間は、あまり気分が落ち着くものではありません。
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