アカデミアは無償労働の玉手箱みたいなところがあり、サービスという名の下、金銭的対価のない仕事が大量に降ってくる業界です。私の元指導教員は、いつも誰かのテニュアレターを書いていました。シニアではない私もいっぱしの「サービス」はしていて、その最たる例は査読です。業界で定評のあるジャーナルであれば、投稿したことがなくとも基本的に断らずに査読するようにしていますが、最近は負担が増えてきたので、そろそろ断ろうかと思っています。
目に見える対価が発生しない業界なので、ビジネスライクになることが難しく、代わりにウェットな人間関係の中で互酬性の規範が発生しやすくなります。要するに、X先生には昔お世話になったので、その周りにいるYさんからのお願いは断らない、みたいな世界観です。
私も最低限は社会化されているので、村の掟には従います。したがって、知り合いの紹介によって生じる「仕事」は基本的に断らないようにしています(サービスはこの業界では仕事なので、知り合いの研究者からの依頼は「仕事」の一つです)。
人からの紹介に社会的な統制機能があることを知ってかはわかりませんが、先生の紹介で日本から学部生の方がわざわざボストンまで私を訪ねに来てくれる機会に、最近何度か恵まれました(正確には、私を訪ねにボストンまで来たわけは全くなく、ボストンまで来たついでに現地にいる人間として私に会いに来たという表現が適切)。
ご足労いただいたので、こちらも時間を作って会いますが、蓋を開けてみると聞かれるのは「どうやって英語を勉強されたのですか」「アメリカの博士課程に入るのは難しいですか」「そもそもなんで留学されたんですか」などです。
口が開いたまま答えに窮してしまうのは、私の心が狭いからなのでしょうか。やはり、ここは威勢の良い留学一年目の私に気分だけでも戻って、なにか気の利いたことを言えばよいのでしょうか。あるいはこれはアイスブレーク的な質問で、本質めいた質問はあとから来るのでしょうか。
個人的には、こういった質問は、大学を卒業してしばらく経った人に「大学に入るためにどうやって勉強したのですか」と聞くようなものだと思います。私もまだ若く見られていることに感謝すべきなのかもしれません。きっと私も若いときにはされた側からすれば「なんで今の私にそんなこと聞くの」と思われるような質問を数え切れないほどしたと思うので、因果応報なのかもしれませんが、これから一見して目的がわからない面会の連絡は断ったほうがいいのかもしれないなと思い始めました。
とはいっても、向こうからしたら特にメリットのないインタビューをたくさんしているわけでもあるので、こういうのも何かしらの還元だと思って引き受けたほうがいいのかもしれません。年を取れば自然とこうした連絡はなくなると思いますが。