新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
グーグルカレンダー見て、今月の予定を確認したところ
1月7日 金 髙ゼミ論考第二次締め切り 朝まで生志水家
1月8日 土 川人学責パート長会議
1月12日 水 フレスタ会議
1月13日 木 論考読み合わせ
1月14日 金午後 東博ツアー(未定)
1月15日 土 渡辺読書会(ヘミングウェイ「日はまた昇る」)
1月16日 日 川人新年会
1月26日 水 英一試験
1月29日 土 バイト(終日)
3連休で積み残したものを消化しないとまずいですね、試験も近いし。
今年こそは弁当男子になります。
帰省中にロフトで良いもの見つけた。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/gourmet/5573/6.html
最近はやっている(らしい)シリコンスチーマー ルクエ社製
簡単においしく蒸し料理ができるが売り文句。
まだパスタしかゆでてないけど(そのまま妥当値の小さいレンジじゃ回りきらない容器に入れなくちゃいけなくてあんまりうまくゆでられなかった、これを機にパスタを半分に折ることにし成功!)なんか弁当男子になれる、気がする、あくまで気がする。
形からはいる人間なので、弁当箱も新しく買い直しました。
肉じゃがとか蒸しケーキのレシピの簡単さ見て笑ってましたね今日は。
☆☆☆
帰省中に読んだ本(まだ読んでいるものも)
センセイの鞄 川上弘美
夜の公園 川上弘美
人間の条件 H・アーレント
公共性の構造転換 J・ハーバーマス
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
今は小説で「泳ぐのに安全でも適切でもありません 江國香織」、学術書でアーレントとハーバーマス、アーレント難しすぎて何言ってるのか不明。
以下小説をレビュー
センセイの鞄 川上弘美
川人ゼミでお世話になったOBの人に勧められて読んだ。高校時代の恩師とはとうてい言えないほどにしか記憶がない国語教師に偶然20年ぶりに会っちゃった39の女と優しい国語教師、センセイとの淡い恋のお話。
言ってるほどエグくない、世代間ギャップかこれは。まあいつか自分が世帯持ちになって叶わぬ恋とか目の前にしちゃったら考えてしまうんでしょうか。
センセイは一切求めてこない、あくまで教え子を暖かく見守るスタンスに徹する、ですます口調で。それがすごく優しくて、酒の席で隣にいるのは彼でもなく父でもなく、むしろおじいちゃんのような。
キャラ設定として、主人公の女に言い寄ってくる同級生の立ち位置が微妙、女への応対は大人なんだけど、なんかあどけなさが残る、中途半端なのが嫌み無くていいんだけどね。
夜の公園 川上弘美
川上弘美もういっちょ。こっちの方がエグい。とりあえず関係が複雑。そんで訳わかんないタイミングで訳わかんない理由から心中しようとしたり。シンプルじゃないだけに一つの場面を複数人の視点で語らせているが、その割には重厚感がない、のっぺりした印象。
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
もう一回読み直そうとは思う。英一に刺激された。
おもしろかったですよ、タダ最近のミステリ作家の作品が放つようなスリルにはかけましたが。短編集だけに切迫感がない、正確にはあるんだろうけど追いつけない。
まああれですよね、国、時代が違い、使う小物や情報を得る手段、交通手段、ほぼ全てが今生きている人とはかけ離れているからどうしても客観的に見ちゃうんでしょう。一言単語言われただけでその当時の人はいろんな想像をかき立てられるんだろうな、だから読み直そうって言うか。
映画も二本見た。
東京物語 1953年 監督 小津安二郎
広島にすむ老夫婦が東京に住む子供たちと会うために上京、手厚いとは言えない扱いを受けて寂しさを感じる夫婦だが、子供は成長すると冷たくなるものと割り切って帰郷。しかしその最中に妻が倒れ、もう一人の息子が住む大阪で回復するが、広島に戻ると急逝してしまう。
俗によく言われる高度経済成長と核家族化、そして高齢化の問題を感じさせる。教科書に核家族の傾向が強まるとか言われてもいまいちぴんと来てなかったんですが、登場人物の体験を通して、心理的に腑に落ちた。両親を迷惑そのものとは思って無くても、それぞれ自分のやりたいことがあって、そっちを優先させてしまう、それだけのことなんだけど、外から見てるものにとっては冷たく感じられてしまう。戦争で次男である夫を失った未亡人を原節子が演じているが、彼女が老夫婦、つまり義理の両親に一番優しいって言う皮肉。
母の危篤を知り息子娘は広島に帰省するが、母の死後すぐ形見にこれが欲しいと言う長女を彼女は非難する。でも長女だって母が助からないって聞いたときには涙を流す。よくあると言えばよくある光景だけど、この作品50年代かあって思うと、むげにに扱われて死んでいく団塊の世代だって自分たちの両親を同じように扱ってたのかも知れない。
結局家族って擬似的なものなんだなあと。
作品としてそういう風潮が問題だとか言ってるわけじゃなく、そういう生き方にならざるを得ないよねっていう。だから当時の人からの共感は得られたんだろうと思う。
アメリ 2001年
アメリはアメリです。こう言うのが可愛いって思える価値観って果たしてこの生涯のうちで持てるんだろうか。いたずらは好きだけど、他人のいたずらって結構ばからしく思える 笑
アリスがいまいち好きになれない人にとってはアメリもアリスと同じ印象を持つ。眠いのでこれくらいにして。
本年もよろしくお願いします。
グーグルカレンダー見て、今月の予定を確認したところ
1月7日 金 髙ゼミ論考第二次締め切り 朝まで生志水家
1月8日 土 川人学責パート長会議
1月12日 水 フレスタ会議
1月13日 木 論考読み合わせ
1月14日 金午後 東博ツアー(未定)
1月15日 土 渡辺読書会(ヘミングウェイ「日はまた昇る」)
1月16日 日 川人新年会
1月26日 水 英一試験
1月29日 土 バイト(終日)
3連休で積み残したものを消化しないとまずいですね、試験も近いし。
今年こそは弁当男子になります。
帰省中にロフトで良いもの見つけた。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/gourmet/5573/6.html
最近はやっている(らしい)シリコンスチーマー ルクエ社製
簡単においしく蒸し料理ができるが売り文句。
まだパスタしかゆでてないけど(そのまま妥当値の小さいレンジじゃ回りきらない容器に入れなくちゃいけなくてあんまりうまくゆでられなかった、これを機にパスタを半分に折ることにし成功!)なんか弁当男子になれる、気がする、あくまで気がする。
形からはいる人間なので、弁当箱も新しく買い直しました。
肉じゃがとか蒸しケーキのレシピの簡単さ見て笑ってましたね今日は。
☆☆☆
帰省中に読んだ本(まだ読んでいるものも)
センセイの鞄 川上弘美
夜の公園 川上弘美
人間の条件 H・アーレント
公共性の構造転換 J・ハーバーマス
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
今は小説で「泳ぐのに安全でも適切でもありません 江國香織」、学術書でアーレントとハーバーマス、アーレント難しすぎて何言ってるのか不明。
以下小説をレビュー
センセイの鞄 川上弘美
川人ゼミでお世話になったOBの人に勧められて読んだ。高校時代の恩師とはとうてい言えないほどにしか記憶がない国語教師に偶然20年ぶりに会っちゃった39の女と優しい国語教師、センセイとの淡い恋のお話。
言ってるほどエグくない、世代間ギャップかこれは。まあいつか自分が世帯持ちになって叶わぬ恋とか目の前にしちゃったら考えてしまうんでしょうか。
センセイは一切求めてこない、あくまで教え子を暖かく見守るスタンスに徹する、ですます口調で。それがすごく優しくて、酒の席で隣にいるのは彼でもなく父でもなく、むしろおじいちゃんのような。
キャラ設定として、主人公の女に言い寄ってくる同級生の立ち位置が微妙、女への応対は大人なんだけど、なんかあどけなさが残る、中途半端なのが嫌み無くていいんだけどね。
夜の公園 川上弘美
川上弘美もういっちょ。こっちの方がエグい。とりあえず関係が複雑。そんで訳わかんないタイミングで訳わかんない理由から心中しようとしたり。シンプルじゃないだけに一つの場面を複数人の視点で語らせているが、その割には重厚感がない、のっぺりした印象。
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
もう一回読み直そうとは思う。英一に刺激された。
おもしろかったですよ、タダ最近のミステリ作家の作品が放つようなスリルにはかけましたが。短編集だけに切迫感がない、正確にはあるんだろうけど追いつけない。
まああれですよね、国、時代が違い、使う小物や情報を得る手段、交通手段、ほぼ全てが今生きている人とはかけ離れているからどうしても客観的に見ちゃうんでしょう。一言単語言われただけでその当時の人はいろんな想像をかき立てられるんだろうな、だから読み直そうって言うか。
映画も二本見た。
東京物語 1953年 監督 小津安二郎
広島にすむ老夫婦が東京に住む子供たちと会うために上京、手厚いとは言えない扱いを受けて寂しさを感じる夫婦だが、子供は成長すると冷たくなるものと割り切って帰郷。しかしその最中に妻が倒れ、もう一人の息子が住む大阪で回復するが、広島に戻ると急逝してしまう。
俗によく言われる高度経済成長と核家族化、そして高齢化の問題を感じさせる。教科書に核家族の傾向が強まるとか言われてもいまいちぴんと来てなかったんですが、登場人物の体験を通して、心理的に腑に落ちた。両親を迷惑そのものとは思って無くても、それぞれ自分のやりたいことがあって、そっちを優先させてしまう、それだけのことなんだけど、外から見てるものにとっては冷たく感じられてしまう。戦争で次男である夫を失った未亡人を原節子が演じているが、彼女が老夫婦、つまり義理の両親に一番優しいって言う皮肉。
母の危篤を知り息子娘は広島に帰省するが、母の死後すぐ形見にこれが欲しいと言う長女を彼女は非難する。でも長女だって母が助からないって聞いたときには涙を流す。よくあると言えばよくある光景だけど、この作品50年代かあって思うと、むげにに扱われて死んでいく団塊の世代だって自分たちの両親を同じように扱ってたのかも知れない。
結局家族って擬似的なものなんだなあと。
作品としてそういう風潮が問題だとか言ってるわけじゃなく、そういう生き方にならざるを得ないよねっていう。だから当時の人からの共感は得られたんだろうと思う。
アメリ 2001年
アメリはアメリです。こう言うのが可愛いって思える価値観って果たしてこの生涯のうちで持てるんだろうか。いたずらは好きだけど、他人のいたずらって結構ばからしく思える 笑
アリスがいまいち好きになれない人にとってはアメリもアリスと同じ印象を持つ。眠いのでこれくらいにして。