Showing posts with label 大学院留学. Show all posts
Showing posts with label 大学院留学. Show all posts

September 27, 2021

留学相談のもどかしさ

 私みたいな人間にも進路相談に来てくれる奇特な人がいて、アメリカの社会学博士云々について質問してくれるのは嬉しい。

一応、来てくれた人の当時の所属などは記録してて(結果的に出願したかどうか気になるので)、先日一つ相談を終えた後に見返したら、今まで相談に来てくれた人は全員男性だった。私自身、東大にいたから後輩も男性が多いのはしょうがないところもあり、さもありなんではあるのだが、周りの日本から留学してる人を見ても、男性が多い。アメリカの博士課程にいるのは男性よりも女性の方が多いので、この傾向は非常に珍しい。お隣の中韓台湾の留学生を見ていると、男女は等しいくらいだと思う。

上の話はそれ自体重要な問題ではあるけれど、今回書くのは違う内容。

進路相談で聞かれたことにそのまま答えればいいのかもしれないが、質問に対する答えは、だいたいケースバイケース、みたいになってしまう。正直、日本から留学する人はケース数が少なすぎて全体的な傾向など語れる気がしない(でも、聞く側としてはyes/noで答えて欲しいんだろうなと思うと、もどかしくもなる)。

典型的な例は、学部からストレートで行けるのか、修士を日本でした方がいいと思うか、という話。

経済学などに比べ日本の社会学修士はコースワークがしっかりしているとは言えず、別にアメリカのコースワークを真似ているわけでもない。従って、そこで良い成績を取ったからアメリカの博士に合格するチャンスが増えるわけではないと思う。一方で、自分自身は日本で修士をやれてよかったと思っている。例えば、私自身日本を対象にした研究をしているので、日本にいる時期に学会や研究会などを通じてネットワークを作れたことなどが挙げられる(もちろん、学部から修士にかけてこういったネットワークを築けたのは自分が東大にいて、指導教員が大きな科研を動かしてたという事情もあるので、これもあくまで一事例に過ぎない)。

学部から直接は理論的には可能だけど、数が少ない。でもこれはそもそも学部から出願する人が少ないからかもしれなくて、受かりにくいのかはよく分からない。

以上まとめると、ケースバイケース。こうした典型的な質問というのは、だいたいいつも聞かれて、上記のような長ったらしい説明をするので、だんだん自分の方も飽きてくるところがある。突き詰めると、「〜〜したら合格に有利/不利」という大学受験と同じようなロジックの質問がくると少し困る。もちろんそういった戦略的な部分は大切だと思うけれど、博士課程も後半になってくると、一番重要なのは、何を研究したいのか、そしてその研究を誰のもとで、どのような環境でしたいのか、これに尽きると思うようになってくる。

そこをまずfixさせた後に出願校を絞ったり、具体的な戦略を考えるという順番がストレートな気がするけれど、関心が定まっていない人は逆から始めたがる傾向があるような気がしている。関心が定まっていない場合には相談に来てほしくないと言っているわけではない。そのステージであれば、もう少し違った質問もできるだろうとは思う。例えば、ウィスコンシンやプリンストンの研究環境はどうなのか、東大と比べてどこがいいか、悪いか、そういう話ならできるし、おそらくそれは進路を考える際には無駄な情報にはならないと思う。残念ながら、そういう質問が来ることはほとんどない。

スコア的にプリンストンやハーバードに入れるチャンスがあっても、そういう人はごまんといるので差異化にはならない(し、私みたいにスコアが全然足りなくても変な理由で来てしまう人もいる、多分)。他の人が真似できないアプリケーションとは、結局自分が大学院で何がしたいか、それがどうして重要で面白いのか、自分がその問題を解けるポテンシャルを持っているかを論理的・説得的に示すことだと思うので、関心が定まっていない人には、本当に表面的な、ケースバイケース的なアドバイスをするほかない。

英語の勉強をしておくに越したことはないけど、あまり焦らず、ひとまず何を研究したいのか、それに時間を費やすことを優先した方が良いのではないかと思う。もちろん、出願前の人にとっては戦略的な部分に目がいってしまうのもわかるので、自分の考えは選抜を終えた人間ができる偉そうなコメントの類かもしれない。

進路相談で表面的なことを言ってお茶を濁すだけでもいいのだが、上記のような本音じみた話をしてしまうと、結果的にdiscourageしてしまうこともあるようで、そこは反省している。そして、反省しているうちに、自分もadmission経験も古くなり意味がなくなるか、あるいはアメリカの研究大学に就職できていれば、そちら視点の感想を垂れ流すようになるかもしれない。

May 18, 2021

「大学院出願を考えている」の生存者バイアス

ときたま日本の方からアメリカの博士課程進学について相談を受けることがある。ありがたいことだとは思いつつも、博士課程進学にはリスクもあるので、迷っている人の背中を押す気にもなれず、のらりくらりと避けてしまうこともあるのだが、心の中では、日本から進学する人が増えて、日本研究を盛り上げてほしいと思うことは多い。

まだ相談を受け始めて数年なので、確からしい傾向は見えないが、「大学院出願を考えている」とコンタクトしてくる人の多くは、実際には出願に至っていないことに気づいた。いくつか仮説があるだろう。

素直な仮説は、大学院出願は大変だ、という説である。一回あたり馬鹿にならない費用のTOEFLやGREのスコアが伸びずメンタル的にくることもあるだろうし、周りに出願する人が多い環境ではないと孤独な受験勉強は負担が大きい。私も準備をしているとき、特に浪人に等しい一年を過ごしていたとき、この時間を研究に使えないことの機会費用が小さくないことに苛立っていた。どこかで出願さえ見合わないリスキーな投資だと考えれば、相談してきた人のうち多くが出願に至らないのは、理解できる。

素直ではない仮説は、相談に来るグループが何かしら特徴を持っていて、それが出願を阻害しているという説である。考えてみると、そもそも出願を決めている人は、相談にすらこない(例:自分)。相談に来るというのは、出願しようか悩んでいるから相談に来るのかもしれない。もし相談に来る人ほど相談にこない人に比べて出願しにくいということであれば、これは(逆?)生存者バイアスと言ってもいいかもしれない。

これまでの経験上、出願を考えている段階の人の悩みというのは、日本に残る/アメリカに行くことのメリット・デメリット、修士を日本でこなしたほうがいいのか、出願までにどういった準備をするべきか、といった割と分類可能な程度には均質的な気がしており、1対1で相談するにしても話すことは似ている。

そのため、広くリーチアウトする意味でも、留学講演会、みたいな機会があればいいのかもしれない。大きく「アメリカの大学院に進学する」の中に社会学の人がポツンと入ることはあるが、経済学のようにもっと社会学として組織的にやったほうがいいのかもしれない、といっても需要はそこまでない気がする。月に一通くらい来るメールでの相談をもって、潜在的にどれくらい関心がある人がいるのか、予想することは難しい。

March 2, 2021

大学院進学のパラドックス

友人と話してて、一橋の田中拓道先生のホームページに、「大学院進学のリスク」について書いてあることに気づきました。https://www.soc.hit-u.ac.jp/~takujit/graduate_school.html

なかなか業界全体で大学院進学、特に博士課程進学にリスクがありますよ、とはいえないところもあるので、こうやって研究室を持つ先生が個人として発信してくださるのは、進学を考える人にとっても助けになると思います(田中先生は政治学領域を念頭に書かれていますが、現状は社会学でも多かれ少なかれ同じだと思います)。

このページを見て、先日博士課程に進学しようか考えている人の相談を受けたことを思い出しました。私は今まで進学しようと決めた人の話を聞くことはありましたが、考え中の人の相談は初めてだった気がします。

私は基本的に、進学しようと決めた人には精一杯のアドバイスをしようという立場でいます。一方で、まだ決めかねている人にはメリット・デメリット双方を踏まえて話をしなくてはいけません。昔の自分であれば、アメリカの博士留学にはメリットが大きいと思っていたので、おそらくメリットの方を強調したでしょう。しかし、最近のアメリカの社会学博士課程は、卒業してからの競争が激しくなるばかりなのに、入学するのがますます難しくなってきている雰囲気があります。そういう状況を見て、正直進学したいと決めた人以外には何も言えないのが、現時点での私の考えです。

これと関連して、先日アメリカの院生がつぶやいてて本当にそうだなと思ったのは、「将来やりたいことが博士号がなければできない場合は進学するべきだが、そうじゃない場合は進学せずに目標を実現する方策を考えた方がいい」というものです。文脈としては、アメリカの社会学では(例として)racial justiceやcriminal justiceの実現に貢献したくて博士課程に入ってくる人も多いという事情があります。そして、そういったことはnon-profitの領域に入っても十分できることです。自分のやりたいことが、博士号がなければ、あるいは博士課程でのトレーニングがなければできないことなのか、きちんと考えてから出願すべきなのは、確かにそうだろうと思います。

少し矛盾することを言うようですが、博士課程中に本人のやりたいことは頻繁に変わります。さらに言えば、本人の関心を変えることが博士課程プログラムの肝でもあります。昔、メンターの先生の一人(DGS、大学院プログラムディレクター)が「博士課程に入った学生の研究関心を変えられなかったらそのプログラムは失敗だ」といってたのはよく覚えています。やりたいことが決まっている人が多い一方で、博士課程も教育制度の一つであるわけなので、学生のやりたいことが入る前後で変わらなければ、そのプログラムは学生を教育できたことにならないのです。実際、入学前から関心が変わる人はごまんといますし、理念としてはそうあるべきでしょう。

このように、大学院教育の一応の建前(理想)としては「大枠の関心を決めて入ってくれればよくて、最初の2年で頭の中をシェイクした後にテーマを決めてくれればいいよ」なのですが、にしては入学するまでの基準が厳しくなりすぎてるきらいがあり、なんとなくこれがやりたい、ではとても入学できるものではなくなっているのも事実です。実際、選抜する側も、将来のポテンシャルに加えて、現場でどれくらいその学生がクリティカルにものを考え、それを実証できるかを重視している気がします。

やりたいことが決まってないと進学を勧められないのに、入ってからはやりたいことを変えることが推奨される。この二つの側面を強調しすぎると、なんだかパラドクスが生じているように見えます。実際には、選抜する側は「いいバランス」を求めていて、狭すぎる関心の学生は逆に取りづらいのではないかと思っています。矛盾しているように見えてしまうのは、やはり入学のハードルが高くなっているからなのではないかなと考えていますが、隣の芝は赤く見えるもので、アメリカ国内のエリート大学を出てもプレドクが必須になっているような経済学に比べれば、まだ入るまでに3年、みたいな状況ではありませんが、そういう状況に近づきつつある気がします。

February 20, 2021

ちょっと留学の話

コロナでしばらくそういうお話は来てませんでしたが、日本からアメリカの社会学博士課程への留学を考えている人から連絡をもらい、思ったことをつらつら書きます。

日本の大学で、学部なり修士から定期的にアメリカに学生を送り込んでるところは、いわゆる実績関係、社会学の言葉でいう制度的連結みたいなものがインフォーマルに形成されてます。それは教授がアメリカの研究者と強いコネがあるとか、国際会議や雑誌などで学生のポテンシャルが観察可能な形になっていたり、様々です。そうした制度的な基盤が弱い分野は、個人でアプローチすることになります。

社会学はこの制度的な基盤がない分野に該当します。定期的にアメリカの博士に学生を送り出している学部や研究科もないですし、院生の頃から国際学会で報告、英語の雑誌に論文掲載、という事例は稀です。

したがって、個人として努力をする部分が大きくなりますが、その中できるアプローチの一つは、学部の時に北米の大学に交換留学して、アプライしたい専門と近い先生のRAなどをして、推薦状をお願いする、できれば複数、あたりです。もちろん推薦状目当てで先生探しなんて味気ないことを勧めるつもりはなく、自分の直感に従って、もっと話してみたいと思った先生にコンタクトすれば、向こうも悪い気はしないでしょう。

留学のチャンスを逃した/もう帰ってきてしまった、みたいなケースはどうしましょう。例えば海外の研究機関が開催しているサマースクールに出てみるのは一案かもしれません。ただ、サマースクールの期間くらいじゃ推薦状を書こうと思う教員も少ないでしょうから、そこで知り合った先生などにアタックして、共同研究に入れてもらう、そこで実力を見せて、何かお願いする、そうしたアプローチもあるかもしれません。

社会学だと、今プリンストン大学にいるユーシエ教授がミシガン大学時代に北京大とサマースクールを長くやってました。彼が呼んできた有名な先生の目に留まった学部生は、アメリカに来てみなよとプッシュされます、推薦状も書いてもらってたのかもしれません。そういうメカニズムがあると、日本から留学する人も目に見えて増えるだろうなと思います。

そうやって中国からアメリカの博士課程に来た人が、何人も若手スターになっています。日本の大学にいる学生だって、それくらいのポテンシャルはあるでしょう。足りないのは、制度的なメカニズムです。

いつか東大-プリンストンでサマースクールみたいなことができれば良いなと思いますが、私の在学中に始まっているのか、それともまだだいぶ先になるのかはわかりません。理想としてアイデアがあっても、制度的な障壁は低くないのかなと思います。

August 10, 2020

博士課程2年目の振り返り(後半)

後半では春学期、および夏休みについて振り返っておこうと思います。

博士課程2年目の振り返り(前半)

春学期はご存知のようにパンデミック下で授業がオンラインになったり、予想していた日々とは大きく違うものになったわけですが、この振り返りではできるだけパンデミックの話をするのではなく、春学期を過ごす中でどうコロナウイルスに影響されてきたのかを書きたいと思います。

年末年始の一時帰国からアメリカに戻ってきたのが1月19日、そこからシカゴの知人の家にお邪魔して、プリンストンに戻りました。当時はすでに武漢でコロナウイルスが発生し、どこかの国の大統領が武漢ウイルスなどと呼んだせいもあり、空気としてはアジア系への差別が問題になっていた気がします。アメリカに戻って翌週に、現代中国センター(CCC)が主宰する新年会パーティがCCCのディレクター(私の指導教員の指導教員)宅で行われたのですが、確かにこのタイミングで中国から帰港したかもしれない人がいるところに行くのはどうなのだろうか、まあ多分大丈夫だろう、と半分楽天的に思ったことを覚えています。

コースワーク

帰国してから2週間、2月の初旬から春学期が始まりまった。コースワークとして現代社会学理論、先学期に引き続きエンピリカルセミナー、疫学、それと学期の後半から指導教員の家族社会学のセミナーを受講した。

現代社会学理論の授業は、古典に比べると先生の好みがはっきり出るタイプの授業で、話を聞く限り、批判的人種理論を読むところや、ハーバーマスを読むところ、色々あるみたいです。今回授業をもってくれたのは、フーコディアンの先生だったので、フーコーやグラムシといった権力論の話が多かったです、ポストモダンですね。加えて、イランの専門家でもある先生は、Julian Goなどのポストコロニアルの文献もたくさん入れられていました。

この授業は実りがあったかと言われると、正直難しいところがあります。特に、フーコー以降のポスト構造主義シリーズでは毎回「シンパシーは感じるけれど、私はこの視点を生かしてどうやって人口学的な研究をすればいいのだろうか」という感想を持ちました。いくら歴史的文脈が大切と言われても、実証主義的な研究伝統に立つ社会階層の研究者でさえ近代化論を信じてる人はいないはずで、多かれ少なかれ今の社会学者はコンテクストの重要性に気づいていると思います。もちろん、そうしたベースにはポスト構造主義の知的潮流があるのかもしれませんが、実際に原作を読むことで、自分の研究にフィードバックがあるのかと言われると、難しかったです。

エンピリカルセミナーは先学期と同じなので省略。書き上げたペーパーはこの1ヶ月で修正して、明日投稿する予定。

疫学の前に、half termの家族社会学。ロックダウンが始まった後半からの授業だったので、最初から最後までzoomで、なかなか新体験だった。お互い色々難しいところはあったと思うが、家族社会学(というよりも人口学)の重要文献をフォローできたので、これをもとに10月の試験を受ける予定である。

色々とドラマチックだったのは、疫学の授業だった。授業を持つ先生は社会学部には所属しておらず、人口学研究所および公共政策学部に所属している。この人もなかなかユニークで、博士課程を出てから、基本的にずっとプリンストンの人口学研究所で研究してきた、うちの研究所の長老的な存在である。

生きる歴史といった感じの人で、アメリカ人口学の黎明期にある研究者とは同僚だった経験があり、プリンストンを出た多くの人口学者とのネットワークを持っている(コロナ関係で論文をシェアした時も、この著者は私の学生だった、と言われたことは数知れず)。海外での調査経験が豊富な点もユニークで、これまでグアテマラや台湾で実地調査に関わっている。日本に関しても1990年代に婚姻上の地位と死亡率に関する一連の論文を出版しており、色々あって指導教員と彼女と私の3人で、そのアップデートの論文を書いている。

25年以上前に出た論文について、ついこないだ書いたように明快に説明する姿をみて、この人だけ時間の流れ方が違うのではないかと思ったことも少なくない。典型的なニューヨーカーで、授業の最初では自分の話し方が早いことに注意を喚起する(多分昔は今よりも早口だったのだろう)。授業で引用する新聞記事は95%はNYTで、ここまで生粋のニューヨーカーも、今時珍しいのではないか。余談だが、村上春樹の「やがて哀しき外国語」でプリンストンの教員が毎日NYTをとっていることに対して村上はスノビズムの気をみてとっているが、彼女は村上春樹がプリンストンにいた時も教員だったので、村上がみていた教員の一人は彼女だったのかもしれない。かなりシニアの研究者だが、まだまだアクティブなので、すくなくとも私が卒業するまでは退職しないでほしいと思いつつ、一緒に楽しく研究している。

疫学の授業を取り始めた時には、廊下やキッチンで、やや気まずいスモールトークを何回かしたぐらいで、それ以外にコンタクトはあまりなかったのだが、コロナ以降は特に、一番頻繁に話している人かもしれない。「人」というのは、教員や友人などを含めてで、私が日常的に連絡し合う全ての人の中で、一番話している気がする。その事情は夏休みのところで話すことにする。

疫学の授業は公共政策大学院と人口学研究所の博士課程用の合併コースで、プリンストンでは私にとって初めてのレクチャースタイルの授業だった。彼女の授業では多分20年前くらいから作り始めて毎年微修正をしている老舗の鰻屋のタレみたいなスライドが使われ、古さは感じないが、とにかく「整っている」ものだった。よく手入れされた家具といった方がいいかも知れない。5年間同じ授業をしても、ここまで適度な情報量で話の流れもいいスライドは作れないだろう。本人は完全に中身を暗記してるので、ドラマのシーンを見ているくらい流暢に授業が進んでいく。この授業、10年でも作れないかも知れない、そう思って私は勝手に20年もののスライドと呼んでいた。学生からの質問も即座に答える。そりゃ20年やってるので質問は出尽くしてるのだろう。それでもたまに今まで指摘されなかった質問があると、一言「ナイス」と付け加えてメモをしているので、おそらく来年のスライドではその点は解決しているはずだ。

この授業では疫学の教科書に準拠する形で、疫学のイントロについてレビューを行う。既知のことも多かったが、社会学や人口学をやっていて、なぜ疫学の人はそう考えるんだろうと判然としなかったところがわかったのは一つの収穫だった。例えば疫学ではオッズ比が多用される。この授業でも何度もオッズ比をつかったので、オッズ比が「オッズの比」であることがよくわかった。これだけだと、何をいっているのかわからないかも知れないが、社会移動のオッズ比の概念を学ぶより先に、疫学のオッズ比をexcess rateと比較しながら学ぶ方が概念を掴みやすい気がした。

話を戻すと、疫学でオッズ比が多用されるのは、サンプルがアウトカムに基づいて選択されるケース・コントロール法がよく用いられるためである。人口学者からするとなぜサンプリングをしないんだと思ってしまうが、ある症例がそこまで頻繁に生じない場合は、ケース・コントロール法の相対的なメリットも増してくる。これは一つの例だが、数字一つの解釈とっても、疫学的な解釈と社会学、人口学的な解釈は異なるので、私にはそういった点が非常に楽しかった。

例年であれば、先生も微修正したスライドをいつものように流して、試験をしてレポートの採点をすれば良かったのだろう、ところがしかし、タイミングよく(わるく?)コロナウイルスによるパンデミックと授業のタイミングが完全に一致してしまったので、授業は3/4程度がこれまでの内容、残り1/4がコロナウイルスを事例に教科書の内容を応用する展開に変わった。コロナウイルスほど疫学の授業の題材に適切な(というとあまりコレクトではないが)事例もないだろう。感染症のモデリングの話では、日進月歩で進むコロナウイルスの再生産指数がどのように計算されるのかの説明があったし、その指数のインプリケーション、あるいは他の感染症との比較などの解説があり、これは疫学の授業なのか、コロナウイルスへの理解を深める特別授業なのか区別がつかなくなってきた。

後半の社会疫学のパートに入る頃にはアメリカでもロックダウンが始まり、徐々にコロナウイルスとSES、人種の関係がクローズアップされるようになり、またもやコロナウイルスが絶好の事例となってしまった。そんなこんなで、授業が終わる頃には疫学の知識だけではなく、コロナウイルスの情報についてもかなり詳しくなっていた。

パンデミック下で、これは非常に助かった。というのも、ツイッターなどを当時見ていると、本当かどうかわからない情報もたくさん流れていたし、良くも悪くもコロナ関連の論文が量産されていたので、自分一人では何がとるべき情報なのか、判断がつかなかったかも知れない。この疫学の授業を取りながらコロナウイルスについての理解を深めていけたのは、予想外ではあるが一生の財産になるだろうと思う。

そうやってオンラインに移行してからも私は授業を楽しんでいて、発言も結構していたからか、上に書いた共著にも誘ってもらったし、夏休みにコロナウイルス関連で一緒に研究をすることにもなった。

夏休み 

5月後半に学期が終わり、夏休みに入った。当初の予定では(笑ってしまうが)イタリアやフィンランドの学会に行く予定だったのが、もう全ておじゃんになってしまったのは、いう必要もないだろう。一時帰国も考えたし、周りの友人たちも結構帰っていたが、私は実家に高齢の祖母がいることもあって躊躇していたら、いつの間にか便がほとんどなくなり、チケットも高騰したのであきらめた。7月10日に大学のアパートに引っ越すことになっていたので、タイミング的にもその前後の帰国は難しかった。ルームメイトも色々あって最初から探し直す羽目になったのだが、最終的に同じ学部の友人と住むことになり、今までで一番ルームメイトとよく話していて、引っ越してから1ヶ月が経とうとしているが、メンタルヘルスはかなり安定した気がしている。

夏休みに入って、いくつか新しいことを始めた。一つはポッドキャスト「となりの研究室」。途中、中だるみする時もあったが、ちょうど第6回の収録を公開した。趣旨作りには苦労したが、結局友人から初めて研究者仲間を紹介してもらい、ご自身の研究生活についてざっくり伺うというゆるゆるポッドキャストになった。結果としては、こういう大義名分めいたものがない方が続くのかも知れない。回り回って、第6回と第7回のゲストは同じ年に東大に入学した全く知らない人になって、世の中の狭さを感じている。

もう一つは東アジアの人口と社会階層に関する学生セミナー。もともと、指導教員が指導教員の指導教員(ややこしい)と一緒に夏にこのテーマで学会を開こうとしていたのだが、コロナで中止になったため、オンラインエフォートになった。zoomセミナーは月に一回、シニアの研究者が報告する形式になったのだが、私から学生・ポスドクを対象にしたセミナーの提案をさせてもらった。こちらは隔週開催。学生メインとはいえ、英語でセミナーのオーガナイズをするのは初めてだったので、色々学ばさせてもらっている。

論文も書いていた。4月初めに依頼原稿のような形の連絡をいただき、日本語はしばらく書かないつもりだったが、お世話になっている学会の話なので受けることにした。締め切りまで何もしないのも嫌だったので、4月から初めて、7月末に1本書き上げた。近く一橋経済研究所のワーキングペーパーとして公開される性別職域分離とスキルの関係についての論文。先に書いたようにgenomeのペーパーは提出間近。3月に投稿した専攻分離の論文はR&Rになったので現在改稿中。地熱論文も査読が戻ってきて来週には提出。第二著者として入った人口学系ジャーナルに出した論文はすでに修正して再提出。だいたい夏に終わらせたかったものは終えている。

最後に、疫学の先生とのプロジェクト。これも事の発端はCOVID。夏休みというのは学部生にとってはインターンの時期なのだが、こういう状況でインターンは不可能になっているので、先生が所属するヘルスに関する研究所から予算をとって、学生主体でプロジェクトを提案してもらって、夏の間に一緒に研究するプロジェクトを立ち上げた。私も、学生の選考に多少関わって、今では二つのプロジェクトを走らせている。自分がRAとして雇われていれば給料が出るのだろうが、今回私はRAというよりはco-PIみたいになっている。こう書くとタダ働きさせられているようにも見えるが(確かに学生が書けないコードとかは書いているが)、先生はどちらかというと私に学生を指導する経験をチャンスとして与えたかったのかも知れない(し、私がいる事で先生の負担も減るというのは間違い無くあっただろうと思う)。実際、初めてアメリカの学部生に「アドバイス」をする立場になると、学ぶことも多い。

なにより、ほぼ毎週1度のペースでミーティングをしているのだが、これが私生活も含めてペースメーカーになってくれたので非常に助かった。たるみがちな夏休み、かつWFHでなかなかモチベーションが上がらない時期もあるのは事実だが、こうやって定期的に人と話せる機会を持てる事で、最低限生活リズムを整えて研究することができているので、それだけでも感謝している。

August 9, 2020

博士課程2年目の振り返り(前半)

奨学金をいただいている財団に毎学期報告書を書くのですが、それを少し編集したものをこれまでブログに載せてきました。今見ると、一年目はやけに初々しかったと思います。

博士課程1年目秋学期の振り返り

博士課程1年目春学期の振り返り

2年目の秋学期も振り返りをしていたのですが、どうやらブログにするのを忘れていたみたいです。9月に春学期の報告書を提出しなくてはいけないので、秋学期分と一緒に、忘れぬうちにメモがてら、ここに書いておこうと思います。長くなったので秋学期編ということで後半はまた書きます。

博士課程2年目秋学期の振り返り

“Are you interested in moving to Princeton too?”

この一言が私の人生を大きく変えた。日本ほどの蒸し暑さはないが、それでも強い日差しが差し込む8月の中旬、私は指導教員から以上のメッセージで始まるメールをもらった。彼が移籍することは以前から聞かされていたが、プリンストンは転学生を基本的に受け入れていないため、私が転学できる可能性はないと聞かされていた。

幸い、実験などを通じて教授と密にコンタクトする必要のある分野に比べれば、私の研究はメンターと物理的に離れていてもできる類のものなので、対面のミーティングができなくなるという懸念を除けば、大きなデメリットはなかった。

いま、正直に振り返ると、そう思い込もうとしていたのかもしれない。メンターと一緒に研究がしたくて渡米したので、最初聞いたときはショックだったと思う。アメリカの大学は人の移動が多いので仕方ないこととはいえ、1年目から指導教員を失うことは想定外だった(今後、大学院留学を検討される方は、アメリカの博士課程にはこういったリスクがある点をご承知ください)。

しかし、である。数週間以内に新学期も始まろうかという時に、プリンストンへの転学ができそうだ、というメールをもらい、私はしばらく途方に暮れてしまった。文字通り「今」決めなければ、転学のチャンスはもうない。1週間以内に決断し、2週間以内に出願し、3週間以内に引っ越す。これが条件だった。

最初は混乱していたが、数時間経った頃には転学することをほぼ決めていた。最大の優先事項は指導教員と近くで研究することであり、現実的にどれだけ転学が大変だろうと、選択肢が提示された以上、それを選ばない理由はなかった。

もう一つ付け加えるとすれば、単純に新しい環境に身を置くことが楽しそうだという直感があった。ウィスコンシンとプリンストン、ともにアメリカの社会学トップスクールであり、全米でも名の知れた人口学研究所をもちながら、一方は中西部の州立大、もう一方は東部のアイビーリーグ、強みとする研究分野も異なる。留学生という身分の自分が5―6年の博士課程の間に、ウィスコンシンとは対象的なもう一つの研究機関に身を置けることは、エキサイティングな経験になるに違いない、という直感に私は従い、次の日には転学の準備を始めていた。

実際に転学の準備に入ってみると、本来は1年かけるべき作業を、たった3週間でやっているわけで、苦労の連続だった(出願自体はフォーマルなものだった)。転学に慣れている機関であればスムーズにできたのかも知れないが、先のように今回の転学はやや異例なことで、決まったロードマップなどはなかった。後でわかったことだが、プリンストンの社会学部のスタッフの人に聞いても、彼らが働き始めてから−−それは人によって異なり13年だったり32年だったりするのだが−−、社会学部に院生が転学してきたことはないという。詰まるところ、転学のプロセスについて全てを知っている人は存在せず、大学院と学部の間で断片的な情報を持つ人が互いに必ずしも整合しない考えを持って私に話しかけてくる事態につながる。

猟奇的ともいえる転学の狂騒は、プリンストンでの最初の学期が終わる頃に、ようやく終結した。秋学期は、諸事情により、1年生の必修の理論の授業(classical sociological theory)と2年生必修のempirical seminar(修論相当の2nd year paperを書くためのセミナー)だけをとることになった。ウィスコンシンで理論の授業は2年生の時に履修するのが標準的だったため、単位のトランスファーはできなかった(正確には単位の互換という制度はなく、これまで履修した授業のトランスクリプトを提出したら、プリンストンの社会学部からこの授業は必修だけど取らなくて良いという紙ペラをもらっただけだった。繰り返すように基本的に転学が想定されていないので、対応もシステマティックとは言いがたい)。

これらの授業に加えて、ファカルティを知るために1年生必修のプロセミナーを聴講した。実質二つだけの授業は少なく、本当は人口学や政治学の授業もとりたかったのだが、プリンストンの社会学では2年生の時にティーチングをすることになり、予定を変更したのだった。

このティーチングは、しかしながら、実際にはできなかった。大学院(graduate school)はあくまで私を1年生(G1)として扱っていて、大学院のポリシーでは1年目の学生はティーチングができないことになっている。どうやら、大学院と学部の間でミスコミュニケーションがあった様子だった。TAは4セッションやる予定で4時間相当、講義が2時間相当、講義のためのリーディングや採点などの事務作業を考えると、優に週10時間は取られる予定だったので、急遽時間に余裕ができた。しかしながら、振り返ると授業が少なくて助かったというのが正直なところだった。後述するように、理論とempirical seminarはともに予習の量が多く、プリンストンの新しい環境に慣れる必要もあったので、ある程度時間に余裕があることで適応することができたと思う。

コースワーク

(1)古典社会学理論

「理論」というのは分野によって意味するところがことなるが、社会学における「理論」とは複数のサブ分野の人が共通に備えておくべき認識のフレームくらいの意味合いが強い。1年生必修のこの授業では、ウェーバー、デュルケムといった社会学の古典、彼らの知的源流であるカントやスペンサー、さらにはマルクス、ジンメル、シュッツといったヨーロッパの古典理論家、トクヴィル、デュボイス、最終的には機能主義としてパーソンズとマートンまでカバーされた。授業を教えてくれた先生は法社会学の専門家で、学部のバーナードカレッジでアメリカ社会学の大物だったロバート・K・マートンの指導を受け、シカゴ大学でアーサー・スティンチコムの指導を受けた人で、彼らも我々からすると「古典」に近いのだが、彼女は生きたアメリカの古典的な社会学者と接している人だった。

アメリカの授業らしく、毎週300ページ近くの文献がアサインされるのだが、理論的な文献の読み方はアメリカと日本で大きく異なる。日本では、どちらかというとこれらの理論家の言っていることを内在的に理解する、具体的には自分がウェーバーだったらこういう場合にどう考えるか、くらいに「憑依」することが一つの理想として考えられている(と理論的な研究を専門にしない自分は見ている、学説史といったほうがいいかもしれない)。このように日本では理論を「使う」側面よりも、理論家を「理解する」、彼らが何を考えていたかを明らかにするという色が強い。一方で、アメリカではそうした内在的な理解よりも、理論のエッセンスを掴み、自分で使うことに重点が置かれる。そのため、セミナーでも一言一句の理解よりも全体を俯瞰した議論が行われる。

この理論に対する考え方の違いは、読み方の違いにも直結する。日本での理論を読む授業は、「文献購読」といった方が適切で、1冊の本を1学期かけて読むことは珍しくない。各章を担当する学生をはじめに割り振り、担当の章がきた時にその学生は「レジュメ」を書き(中には10ページくらいの「レジュメ」を用意する人もいる)、レジュメに従って、章の内容を正確に理解することに重点が置かれる。これに対してアメリカ(というよりプリンストン、がここでは適切だが、この手のコースワークは日米とも比較的どの大学でも似通っていると推測する)では、日本で1学期に読む量に相当しかねない文献を1週間分としてアサインする。その代わり、教員は学生がその300ページを全て読んでくることは想定していない。あくまで要点を掴み、その理論家の何がオリジナルな部分で、回を重ねていけば、これまでカバーした理論とどう違うのか、似てるのか、理論家のバックグラウンドを多少踏まえながら、最終的に学生全員が、授業でカバーした理論のサマリーを自分の中に植え付けられるくらいを目指している。社会学の古典理論はほぼヨーロッパ(の男性)なので、ドイツ語やフランス語が原典の本は少なくない。日本では翻訳を読むときでも「学説史の専門」の人は原典をチェックすることもあるが、中身を精緻に理解するよりもサマリーを掴むことが重視されるアメリカでは「本当は原著を読めた方がいい」という雰囲気は存在しない(もちろん、理論を教える教員はドイツ語やフランス語のどちらか(あるいはどちらも)を読める人もいる)。

この授業で印象的だったのは、教員が「古典」とされる理論をこれまでと同じように読むのではなく、時代的な背景も踏まえながら社会学では必ずしも「古典」とはみなされてこなかった著者の本をリーディングに含めて、これまでの社会学理論像を相対的にみる機会を提供してくれたことだった。二つ例を紹介しよう。まずはデュボイス。アメリカで最初の社会学部ができたのはシカゴ学派で有名なシカゴ大学というのが「定説」なのだが、実際にはW. E. B. デュボイスという社会学者がアトランタ大学に作ったのが最初である。黒人ゲットーの研究から始まりアメリカにおける人種差別の構造について研究していたデュボイスの業績は,近年になるまで社会学では軽視されてきた。現在のアメリカは、デュボイス・ルネッサンスともいうべき状況になっており、彼の理論は批判的人種理論などに展開しており、デュボイスを理論の授業で読むのは珍しいことではなくなっている。

もう一人はかなりマイナーだと思うが、ハリエット・マルティノー(Harriet Martineau)である。彼女の著作はアメリカの回でトクヴィルと一緒に読んだ。トクヴィルの「アメリカンデモクラシー」を読んだ方はわかると思うが、彼は当時のアメリカ社会を民主的で結社による社会統合が進んだ、ヨーロッパが追うべき一種の理想として描いている。そういう主張のトクヴィルにとって、アメリカ社会の大きな謎は奴隷制だったことは想像に難くない。彼は当時すでに奴隷制を廃止していた北部と維持していた南部を比較しているが、こうした違いが生じている理由を、白人にとってどちらが利に資するかという点から論じている。彼の奴隷制に対する書き振りは、なぜ作ってはいけないものをわざわざ作ってしまったんだと言わんばかりで、白人視点であり、黒人奴隷の経験を描いた箇所はない。これに対してイギリスの社会運動家であったマルティノーという人物も,ほぼ同時期のアメリカを旅していたが、二人の著作を比べると、彼らが同じ社会を見ているとは思えなくなる。マルティノーのアメリカ評価はトクヴィルとは逆で、アメリカ民主主義の理想と奴隷制の存在という現実の矛盾を鋭くついており、奴隷制を支持する論拠を批判的に検討している。さらに彼女は女性の政治的地位の低さについても言及しており、両者を比較することで、トクヴィルのみたアメリカは、白人男性にとってのアメリカであり、その限りにおいては理想だったことがよくわかる。

(2)エンピリカルセミナー

この授業、計量分析の論文を1本書くという説明だったので、それならそこまで大変ではないかと考えていたのだが、実際には「因果推論」の論文を書くというのが目的だった。担当の先生はダルトン・コンリーという、彼もまた非常にユニークな教授で(*)、社会学にゲノムの分析を持ち込んだ代表的な研究者の一人である。社会学だけではなく、教授になってから生物学の博士号もとっていて、色々と規格外。

授業では、自分の関心のある分野でcausal identificationをすることも目標に、これまでの先行研究を批判的に読んだ上で、識別戦略を提示することを強く求められた。ここまで強硬に因果推論を求めるのには最初驚いた。重要なことは、これは必修の授業であり、学生の中にはエスノグラファーや質的研究をメインにしている人もいるという点である。

社会学でも因果推論はみんなできておくべき必須のツールになっており、これを選択ではなく必修で受けさせるのに教育的な意味があるのだろう。これはまだ漠然とした印象でしかないが、マディソンもプリンストンもそれぞれ強みがあるが、プリンストンの強みは「どのようなバックグラウンドを持っていたとしても一定程度のアウトプットが自分で無理なくできるようにする」ための授業が整っているところにあるかもしれない。正確には、最低限のことは必修で教えるので、そのあとは自分の好きな研究をしてください、といったスタンスといったほうがいいだろう。その意味では、マディソンの方が学生のいいところを伸ばす教育をしている印象で、こちらの方をより教育的とみることもできるかもしれない。

私の研究は因果推論とはかなり遠いところにあるが、できる限りチャレンジはしてみた。顛末としては、同類婚に関心がある一方で、自分の書きたい論文でガチガチの因果推論をすることはかなり難しかったので、彼の専門であるゲノムを組み合わせて,学歴同類婚とゲノムの関連を見ることにした。「関連」であることには違いないが、population levelでみればゲノムはランダムに分布しているので、多少は「効果」の話ができることになった。しかし実際には、ゲノムはランダムに分布しているわけではなく、似たもの同士の同類婚が起こっているので、その想定は間違っている。random matingを仮定しているのにassortative matingの分析をするのは、今考えるとちょっとした矛盾に思えてきた。このように行動遺伝学にとって同類婚のメカニズムは非常に重要で、今後は自分の関心に引き付けてゲノムの研究を続けたいと思っている。

教員としてのダルトンのユニークさは、以下のような点にも現れている。授業の最初の方で雑誌のフォローをしてもいいが、最近はどんどんプレプリントが社会学でも盛んになっているので、NBERやSocArXivをフォローするようアドバイスしてくれた。後半に入ると、分析に入る前にpre-analysis planを作ってそれを公開するように、仮説を複数用意する場合にはmultiple hypothesis testingなのでペナルティを与えるように、など彼の専門に近い行動遺伝学における「常識」を(教育目的で)「押し付けて」くれたのには感謝している(本当に感謝している)。

こうしたアドバイスをする彼の考えの背景には、サイエンスとしての社会学の質を高めていこうという教育的配慮があることは強く感じたが、同時に受講生による途中経過の報告へのコメントを聞いていると(1スライドにつき3つくらい質問・コメントするので1人が発表を終える頃には1時間ほど経っている)、あくまでこのペーパーは社会学のジャーナルに出すので社会学的な意義は何なのかを強く求めてきて、クラシカルな社会学者としての顔も持っている人だった。

*プリンストンの方がどうしてもシニアの教員が多く、彼らはゲームの「ラスボス」感がある。一癖も二癖もある人ばかりだ。これに対してウィスコンシンのファカルティは若手の人も多く、どちらかというと一緒にラスボスを倒してくれる仲間に近いかもしれない。

July 20, 2020

留学覚書ノート

たまにこういうのも書きます。アメリカの社会学には日本からの留学生は本当少ないので、ランキングとか関係なくどこでもいいから、どんどん来て欲しいわけですが(もちろん、ランキングはそのプログラムが持つリソースと相関するので、ある程度重要ですが)。

留学のメリット、自分の強みを伸ばせる、アメリカの研究者とつながりやすい、色々と考えられますが、コースワークの違い一つとっても受けてきた教育を相対的に考えられるかと思います。例えば必修の理論の授業で、グラムシやドゥボイス、ポスコロの理論家がカバーされましたが、日本だと扱った授業を受けたことはなかったです。

社会学の理論でなぜポスコロが読まれることがあるのか、社会学の古典では西洋の近代化を扱いますが、例えばウェーバーは西洋資本主義の発展と切り離せない植民地の話はしません。アメリカで古典の見直しが進む一方で、日本の理論の授業は、そういったアップデートを含んでいるのか、わかりません。日米双方の理論の授業を受けることで、なぜ理論の文献のカバー範囲が異なるのか、考えることができます。そんなことは自分の研究に必要ないかもしれませんが、もしかしたら大切になってくるかもしれません。

January 26, 2020

インターセッション

プリンストンに戻ってきて1週間ほど経ちました。しばらく時差ボケで午後8時に寝て午前3時に起きる生活だったのですが、ようやく戻りつつあります。ただ、このスケジュールは集中力が落ちる夜を睡眠にあてられるので、意外と効率的なのではないかと思っています。

しばらく、もうずっと論文を書いてました。ここ数日は落ち着いてきて、久々にストレスが少ない日々です。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、日本よりもプリンストンにいるときのほうが研究には集中できます。もちろん、研究するためのインフラがすでにセットされているという側面はありますが、プリンストンにいると、本当に研究しかすることがないので、余計なことに時間が取られて研究ができない、みたいな歯がゆい思いをすることがほとんどありません。自宅からオフィスまで自転車で10分で、本当にスーッといけちゃいます。人がいないんですよね。ノーストレス。

ストレスなく研究に集中できていると言えば、ウィスコンシンにいた時は、冬がとてつもなく寒かったので、冬になると帰宅の時間を早めたり、買い物の回数を減らして一度にまとめて買うようにしたり、色々と生活に自由が効かなくなります。それはそれで冬の醍醐味と見る向きもあるかもしれませんが、プリンストンというか、東海岸の冬は中西部に比べると大したことはなく、今でも自転車で通学できていますし、防寒具をつければ朝にジョギングもできます。季節によって生活スタイルを変える必要がないというのは、個人的にはありがたいです。

今日はプールに入ろうかと思い、日曜ですがオフィスに行きました(ジムと自宅の間にオフィスがあるので)。午後2時から4時間くらい作業して、ジムに向かったのですが、intersession(学期の間)で午後4時には閉まっており、徒労に終わりました。確かに、キャンパスを歩ってても学部生らしき人の姿はチラホラしかみないので、開ける必要もないのかもしれません。明日からの平日は、intersessionといっても午後8時まで開いているみたいなので、再チャレンジしようと思います。

なんの作業をしていたのかというと、ちょっと授業の課題で書いているペーパーで使うデータの使用にIRBが必要だったので、申請書を書いていました。なにぶん(実は)初めての仕事だったので、何を書けばいいか当惑するところもあり、何かテンプレみたいなものがないかと思い、社会学部のイントラネットのページをちまちまみていたのですが、そこに2008年くらいまでの入試のデータもあり、興味本位で資料をのぞいてみました(口外するなとは書いてないので、ここにさらっと書くくらいはいいでしょう)。その頃までの合格率は9%くらいでした。今はもっと競争が激しくなってるのではないかと思ったのですが、学部のホームページには、6%と書いてあるので、確かに難化しているみたいですね。もっとも、競争率の激化はアメリカの博士課程、少なくとも社会学に関してはどこでもそうだと思います。昔よりも、社会学に応募する人が増えたんですね。それにしても、倍率約20倍というのは、運ゲーに近いものを感じます。

ちなみに、時たま日本からアメリカの大学院にいつか留学しようと、というかできればしたいと、思っている人の話を、噂やツイッターで目にしたりするのですが、そこで第一に言及されるのは、やはりというか、英語です。確かに、日本の人がアメリカの博士課程に出願するときに、英語の成績はネックになっているとは思うのですが、そういう言説には「英語ができれば私は受かる資格があるんだ」というニュアンスを感じます(穿ってますかね?)。

間違っていないとは思うのですが、特に社会学に関しては、最近、日本とアメリカにおけるフレーミングというか、依拠する先行研究に大きな違いがあるという点が、意外とおざなりにされているのではないかと感じます。日本の社会学では日本の社会が前提で、アメリカではアメリカの社会が前提になっている、というのは、すでに気付いているというか、私が日々格闘しているところではあるのですが、今回の気づきはもう少しメタなレベルです。

一言で言うと、日本の社会学には、知的な蓄積が大きいところがあるのかもしれません。最初はヨーロッパやアメリカからの理論の輸入をしてましたし、今でも輸入がメインで輸出をしていないと批判を食らうことはあるわけですが、それでも日本の社会学は独自の発展をしている傾向が、他の国の社会学よりも、強いのではないかという気がします。独自の知的蓄積があることは、それ自体としては大切にすべきものだと思うのですが、日本の大学院で受けるトレーニングは、単に日本社会を前提とした社会学ではなく、日本の社会学の知的伝統に根ざしたトレーニングになるので、もしかすると、すんなりアメリカの社会学のフレームワークを受容するのが難しいのではないだろうか?と感じることが増えました。

「いや、私だって英語の文献読んで引用してますよ」、と言う人の声が聞こえてきそうですが、私が言っているのは、何を引用しているかというカバレッジの違いに加えて、どう引用しているかの蓄積が違うというもので、同じ欧米の文献でも、日本とアメリカの社会学ではどのような研究のトレンドが潮流としてあり、その中でどう文献が読まれているかという、暗黙知みたいなものが違う、というものです。

例えば、アメリカの博士課程を終えた人が、研究者を養成するような学部に就職して、そこで自分が受けたトレーニングをそのまま再現すれば、移植はできるのかもしれませんが、そういった機会が皆無とは言わないまでも、日本ではかなり少ないのではないか、それは良くも悪くも、日本でトレーニングを受けた人による教育がドミナントだからなのではないか、という気がします。たかだか教育の違いじゃないかと思われるかもしれませんが、アメリカの博士課程のステートメントを書くときに、やはりコンテクスト的には、アメリカの文献を基にしたものの中で評価されるので、仮にアメリカの大学院への留学を考えている人にとっては、日本で受けたトレーニングがダイレクトに結びつかないという懸念があります。

そういう意味で、日本から出願する人は、英語の不利に加えて、アメリカ的なフレームで教育を受けていない不利の二つがあるかもしれません。これら二重の不利に加えて、最近は中国への関心も高まっていて、東アジアの中での日本への関心は昔に比べると落ちていると考えられるので、三重苦かもしれません。日本の大学院は、日本で学位をとる人を育てるのが主目的でしょうから、別に海外の大学院の予備校になる必要はない訳ですが、一定数海外での学位を取って戻ってくる人を受け入れるのも大切だと思うので、例えばアメリカの大学でテニュアを取っている先生に夏の間に集中講義をしてもらって、アメリカスタイルの大学院セミナーで鍛えてもらう、というのは一つの手かもしれません(すでに、私のアドバイザーはやっている訳ですが)。

単に、英語ができるできないであれば、話は簡単なのかもしれません。しかし、博士課程への競争率が激しくなる状況では、アメリカの社会学のコンテキストを踏まえたステートメントを書けることは、ますます重要になってくるかもしれません。私も、個人的にはアメリカの社会学でもっと日本を研究してくれる人が増えて欲しいと思っているのですが、現実的に越えるべきハードルは多いなと感じています。

January 14, 2020

「ハード・アカデミズムの時代」再読

再読して気づいたのだが、高山先生が「ハード・アカデミズムの時代」で予想した未来の日本は2020年だった。あの本では、新聞には高校ごとの東大合格者数が載らなくなり、日本の国立大学は半分になり、欧米の大学の予備校になる、と予想した訳だが、現実はそこまで変化していない、しかし確実に変化している。


これらは「最悪のシナリオ」に基づいた予測らしいので、外れるのは織り込み済み、といったところかもしれない。しかし、変化の程度は違っても方向性は予測した通りで、これを20年以上前に書いたのは驚く。予測のズレは、グローバル化の中で変化するとされた制度が、コアな部分では残ってるからだろうか。例えば雇用関係一つとっても、確かに非正規雇用は増えたが、正規雇用は減ってない。日本的雇用のコアな部分は縮小しつつ維持されているというのが、ひとまずの共通理解だろう。制度は意外としぶといのだ。

さて、この本では、これまで蓄積されてきた先行研究に基づき、創造力のある一部の研究者によってなされる研究志向の学術活動を「ハード・アカデミズム」と名付ける一方、教育や啓蒙活動といった新しい知の産出に直接携わらない活動を「ソフト・アカデミズム」と名付け、今後の日本の大学は研究重視のハード・アカデミズム型大学と、教育重視のソフト・アカデミズム型大学に分かれていくと予想している。ハード・アカデミズム型大学では、創造力のある研究を奨励するために、徹底的な業績主義が取り入れられるようになり、優秀な研究者をめぐって海外の大学と競争を繰り広げる必要が出てくると予測する。

確かに、高山先生が予想したように、1990年代に比べると、2010年代の大学はより競争原理を取り入れるようになったと言えるだろう。しかし、運営費交付金が毎年1%削減されるようになって、国立大学の多くは疲弊しているのが多くの研究者の印象ではないだろうか。10年前に就職した人はともかく、今の院生は10年後の日本アカデミアが研究志向の研究者にとってよくなることはない数多くの証拠を持っているはずだ。

しかし、私の所属する社会学分野では、まだ日本で博士号を取ろうと考えている人が多い印象があり、これは直感的には理解しにくい部分がある。もちろん、人は様々な理由で移動したり、移動しなかったりするので、残る人もいれば、海外に出る人も出てくるだろう。しかし、全体としてみれば、留学する人が増えてもいいはずなのに、と思うことがある(これから博士号を取ろうとしている世代は移行期間という感じで、今ほど日本のアカデミアの将来については不透明だったので仕方ない部分はある)。

私も、5年くらい前になるだろうか、アメリカへの大学院留学を考えてたときに、指導教員ではない先生から、日本で修士号を取ってないと日本で就職できないと冷やかされたことを、よく覚えている(これはもちろん、親切な助言である)。しかし、今では日本で就職するためだけに日本の修士の2年間を経るほど、日本の就職市場は魅力的ではないように見える。もちろん、日本で修士をやったことで現在の研究関心ができたので、その意味では日本での修士時代は非常に有意義だった。

実際のところ、いま修士課程ぐらいにいるみなさんは、もう気づいているのではないだろうか、日本の未来のアカデミアが、少なくともこれからよくなることはないだろう、ということを。

もし予言の自己成就の理論が当てはまるとすれば、そろそろ始まるフェーズかもしれません。この場合、予言の自己成就は以下のようなプロセスを辿ります。

  1. まず、上記のように、日本のアカデミアが悪くなると、予想込みで思い込む。これは予想であって構わないです。というか個人の不確かな予想がこの理論の核です。
  2. 次に、個人がその信念に基づき行動します。具体的には、アメリカや他の英語圏で博士号を取るとしましょう。
  3. そうすると、日本よりも海外に就職することが現実的かつ魅力的になり、実際に海外の研究機関で就職するようになります。
  4. こういう人々が一定数に達すると、日本に競争力のある研究者がいなくなり、日本のアカデミアが本当に廃れるという帰結が生じる。

ちなみに、このロジックには「日本の学位では海外に就職できない」という大前提がありますが、これは日本の博士号が他の国の博士号に比べて水準が低い研究でも取れる、ことを意味しません。日本の社会学における博士論文の水準は、むしろ他の国の大学が求める水準よりも高いといっていいでしょうが、日本の社会学では英語で論文を書くことへのインセンティブが非常に小さいので英語で論文を書かない傾向が強い上に、あくまでこれら日本で書かれた論文は日本語圏(=日本)の社会学でしか評価されないのです。したがって、日本語で論文を書いている限り、海外で就職するチャンスはほぼありません。

もちろん、こうした予言の自己成就がなくとも、問答無用で日本のアカデミアが廃れていくかもしれません。むしろ、現在の状況を見てても、日本から「流出」する人がいてもいなくても、日本の研究環境が良くなる見通しはないというのが、正直なところではないでしょうか。少なくとも、将来の日本では、今よりは研究重視のポジションは減り、教育重視のポジションが多数になる気がします(正確には、契約上は研究もできるが、時間や資源の制約から、事実上それが無理なポジションが増える)。

ただ一部で研究できるポジションは残るはずです。ある程度業績があれば就職はできると思うので、日本に残るのは間違っているわけではないかもしれません。しかし、研究したい場合は違う可能性も追える選択肢を取っておくべきな気がします。この論理で行くと、本当に海外で就職した方がいいのは、予想込みで日本の研究トラックに就職できるか微妙なカットオフラインの人たち(含む私)な気がしますが、そのあたりの人がどう考えているのかは、予想が難しいです。

多分これが起きれば変わるんじゃないかというのは、人事評価で英語査読付き(+一定の水準を持った雑誌に限る)をメインにすることです。これが実現すれば、ドラスティックに変わります、多分。仮にそうなると、私はこれまで10本の査読付き、ないし招待論文を書いてきましたが、一気に業績が2本に減ることになります。やばいですね。韓国はそういった評価らしいですが。経済学では、すでに英語論文を重視した評価だと思いますが、社会学にはどうでしょうかねえ。翻訳できない何かに対して価値を見出す人は反対すると思います(し、私も、社会学の性格上、その価値は認めますが)。

心理学は文学部の中にあっても完全にノルムが違うし、結構(ポスドクなどで)留学行くみたいなので、経済学モデルよりも心理学モデルの方が、社会学の目指す人材育成かもしれません。ただ心理学が日本で研究してる人でもトップジャーナル載せてる人はそれなりにいるのは、多分研究している内容にあまり国境がないんでしょうけど、社会学というのは、アメリカなら基本アメリカの社会が前提で、日本事例はアメリカ社会を前提とした理論にcontributeしなくては評価されないのに加えて、日本では「日本社会の社会学」が重視されていて、二重の意味で国境をまたぐことが難しいんでしょう。これは、私が日々格闘している分断です。

だいぶ話がそれましたが、「ハード・アカデミズムの時代」の前半部分の先生の留学経験、実際に海外の大学院に入ってみてハッと気づくこともあり、これから(トップ校の博士課程プログラムに)留学しようと考えている人たちには半分脅迫めいた、しかし半分非常に正確な経験を教えてくれる気がします。

例えば、本を読む限り、イェールの歴史学部は同じコーホート間でも結構競争意識が強かった気がしますが、社会学(特にウィスコンシン)では、もう少し学生間の連帯は強い気がします。博士課程の時として冷酷な競争主義は、創造性のある研究を生み出す一つの対価なのかもしれませんが、博士課程がストレスフルなのは周知の事実です(私もストレスがすごいからか、白髪が目に見えて増えましたし、最近はぬいぐるみをよく集めてます)。博士課程の院生のメンタルヘルスは簡単に悪化するので、最近のアメリカの大学ではこうしたことを防ぐための、公式・非公式の様々なメカニズムが導入されている気がします。

PhD life is so stressful that I’ve got this...

December 30, 2019

アメリカ大学院出願覚書:多様化する博士課程までの経由地

この時期は暇になったアメリカの博士課程にいる院生が日本語で大学院留学の手引きとかを書くシーズンでもあります。私も昔そんなのを書いた記憶がありますが、入学後いまいち的を得ているわけでもないなと思い直し、消したかもしれません(覚えてない)。再び日本語でそういった記事を見たのと、アメリカでウィスコンシンとプリンストンという二つの環境に身を置いたことで、博士課程に来るような人はどういう人なのかについて、多少違った見方ができるようになった気がするので、覚書として書いておきます。

経済学の人の手引きを読むと、アメリカのトッププログラムに入るためには、東大の修士課程に入り、いわゆるコア科目で優秀な成績を収めることが重要というメッセージを感じます。

同じ社会科学でも経済学と違い社会学では、修士のコースワークの成績がアメリカの博士課程での能力のシグナルにはなりにくい気がします。例えば、質の人が統計の成績良かろうが悪かろうが関係ありません。社会学では、その人にしかできない研究テーマのオリジナリティの方が、高く評価される傾向にある気がします。ダイヤの原石を採用して、あとは自分たちで教育する方針なのでしょうか。

ちなみに、社会学では日本のコースワークは大概翻訳不可能で(言語的にも、実際の内容的にも)、日本で修士をこなすメリットは、相対的に薄いです。これは、アメリカの社会学と日本の社会学が、言語によって大きく関心や教育が異なっていることが背景にあると思います。その点、経済学では日本の大学院はアメリカPhDの予備校らしいので、ストレートに翻訳できるのかもしれません。これはいいことなのかどうか、私にはよくわかりません。

推薦状も同様に重要ですが、日本の大学出てるとここも不利になりやすいです(アメリカの教員がその実績を知っている研究者が少ない)。そういう意味で、研究の問いの新規性、それを博士課程のうちにどうやって実現するかのプロポーザルの重要性は相対的に大きいと思います。これは、ややもすると逆説的に聞こえるかもしれませんね。アジアからくる留学生はどこの馬の骨かわからないので(それはアメリカの非エリート大学でも同じかもしれませんが)、ちゃんと数字に残るようなGREや成績が重要なのではないかと思われるかもしれませんが、その辺りは必要条件のところもあれば、あまり気にしないところもあるので、まちまちな気がします(あってよいものではありますが)。私は、社会学の入試で一番重要なのは、プロポーザルだと思います。その次に推薦状ですかね。

ちなみに、プリンストンの同期の半分以上が、学部卒業後にシンクタンクやコンサルで働いた経験を持っています。ある人に言わせると、そこで自分の研究をどう実現可能なものにするか、ちゃんとプロポーザルを書くスキルを身につけられたのが合格につながったと言ってました。この点、日本の修士よりも、コンサルなどの民間で経験積むのは一つのアプローチだと思います。なぜかはわかりませんが(もちろん、コンサルに行くような人は、鼻からそういった思考ができる人がoverrepresentされてる側面はあるでしょうが)、コンサルに行くと、ロジカルなシンキングが身に付く気がします(実際に経験したことがないので、半信半疑なところがありますが)。

あるいは、単に合格の可能性を高めたいということであれば、日本の修士にいるよりも、アジアなら香港科技大、あるいはアメリカの社会政策とか東アジア研究にはマスターがあるので、そこで所定のコースワークを済ませ、教授にいい推薦状を書いてもらうのが、相対的に近道かもしれません。オックスフォードやLSEの修士も一つですね。周りの社会学部にいる留学生も、こうした海外の修士課程を経てきた人は多いです。

また、早くからリサーチの経験を積んでおくことは有利ではあるので、社会学からも今後は(アメリカの)大学のRA、プレドクポジション()を経由して博士に入るルートは増えるかもしれません。昔よりも博士課程に入るための競争は熾烈になっているらしく、そうやって差をつけるのでしょうか。このルートは、日本の人はビザ的に不利ですが検討してみてもいいかもしれません。

追記:後輩から以下のようなプレドク(というかフェローシップ)も紹介してもらいました。
Stanford Law School Empirical Research Fellowship

総合すると、博士課程に行くルートは母国の修士を経由する以外にもたくさんあります。コンサルで経験積むもあり、海外の修士に行くも一つ、シンクタンクも一つ、色々です。昔よりも競争が激しくなっている分、博士課程に行くルートは多様化しているかもしれません。

ただ、実は、できることなら学部からアメリカに行ってしまうのが、アメリカの博士課程に行くには最短であるのは、間違いないところです。ウィスコンシンは非英語圏の学部・修士を出た留学生らしい留学生も結構いましたが、プリンストンではほぼいません。基本アメリカか英語圏の学部BAをとってます。

もちろん、これらのルートの一つに、日本での修士は間違いなく選択肢として考えるべきでしょう。というのも、自分の場合、日本で修士までやったからこそ、アメリカでは自分くらいしかできない研究ができると思っているからです。

このように、色んなルートがあっていいと思います。問題は、多様化する経由地の情報が、あまり共有はされてないことかもしれません。情報の欠如はもったいないですね。まあ、日本からアメリカの博士課程に行きたいと考えている人が他の分野に比べると圧倒的に少ない気がするので、単に需要がないのかもしれません。

あとがき

かなり恥ずかしい気もしますが、昔、書いた記事を貼っておきます。社会学では木原盾さん(ブラウン大学社会学部博士課程)のUnder the Canopy、政治学だと向山直佑さん(オックスフォード大学国際関係学部博士課程)の紅茶の味噌煮込み、経済学だと菊池信之介さん(MIT経済学部博士課程)のホームページで、それぞれ大学院留学の手引きについての情報が得られます。便利な時代ですね。なぜかこの手の留学手引きは私の観測範囲にバイアスがあるのかわかりませんが、皆さん男性なんですよね。






May 20, 2019

博士課程1年目春学期の振り返り

奨学金をいただいている財団向けに作成した今学期の振り返りを兼ねた報告書になる予定の文章です。以前書いたものを適宜編集しています。

博士課程1年目の春学期(2学期目)も基本的にはコースワークをこなす日々だった。今学期履修したのは社会学部で開講されている統計学、人口学の大学院セミナーと形式人口学、および人口学研究所が開いているセミナー二つ、そして政治科学部の質的調査法だった。以下、この順にコースワークの振り返りから始め、最後に研究について今考えていること、何をやっているかを簡単に書いている。

コースワーク(1):統計学

まず統計の授業だが、先学期は今学期と違う先生が線形回帰までを教えてくれ、今学期は社会学の因果推論ではよく知られた先生が因果推論をメインに講義を担当してくれた。先学期はSoc361で、今学期がSoc362になる。番号でわかる方にはわかるかもしれないが、この授業は学部生も履修することのできる授業である。ただし、社会学博士課程の必修になっているほか(一定の条件を満たすとwaiveは可能)、隣接領域(社会福祉、教育政策、教育心理など)の院生も多く取っていた。したがって、学部生にとっては恐らく難易度はかなり高い授業だと思われる。私も一学期間とってみて、レベル的には700番台(院生向けの授業の中級?)くらいだなと感じた。

因果推論と一口に言っても奥が深いが、この授業では観察データから因果効果をestimate(推定)する方法(傾向スコアなど)、及び因果効果をidentify(同定?)する方法(RDD, IVなど)の双方がカバーされていて、因果推論の世界は一通りカバーされていた印象である。ただ、時折effect heterogeneityの話を急に深く踏み込んだり、先生の最近の関心であるネットワークにおける因果効果の例が出てくるなど、応用的な話もあり、全体としては中級と上級の間くらいのラインアップだった。

この授業の特筆すべき特徴は、DAGと呼ばれるグラフィカルに因果推論にアプローチする方法がほぼ全ての授業で紹介されている点である。後半の授業になると、例えばDIDの回であれば、最初にエコノメチックな紹介をした後、これをDAGで表現するとどうなるかという、マニアックといえばマニアックな世界に入る構成になっていた。DAGのメリットは多くあるが、理論の中で考える変数間の関係性をcausal, cofounding, colliderの三つに分けることで、どのようなモデルを自分が想定しているのか、またその想定のもと変数を条件づけていくとどこでまずいことが起こるか(具体的にはcolliderを条件づけることによるendogenous selection bias)を、非常に分かりやすく可視化してくれる点にあると考えている。また、DAGのpath modelで表される変数間の関係性はそのまま分析する人が想定する理論(data generating process)へと直結するため、potential outcome modelを想定した上で、理論と実際のモデリングの世界を架橋してくれる道具でもある点が非常に有益である。

私は授業を取る前に、因果推論に対してはエコノメや最近では政治学の人がかなり時間をかけて取り組んでいるテーマで、そういう人たちは(当たり前といえば当たり前だが)、実験的な環境における因果効果を理想とした上で、どう現実を実験の環境に近づけるかという思考で研究をしているという印象を持っていた。そういうこともあり、この授業の先生も、観察データからいかに因果効果を導くかに関心があり、ともすればそれ以外の記述的な研究の価値をあまり評価していないのではないかと思っていた節があった。

この授業を取った嬉しい誤算の一つは、先生がそうした因果推論至上主義(またの名を因果推論警察、私はそんな言葉を使ったりはしませんが)の流れにいる人では必ずしもなかったということだった。どちらかというと、因果推論の力を認めつつも、その短所も同時に指摘することで、従来主流だったアプローチが必ずしも意味をなさないわけではないと示唆することが多かったように思う。

どれだけエコノメの授業で強調されるのかは分からないが(ある程度は強調されるとは思うが)、どの因果推論のアプローチも、外的妥当性の問題を抱えている。例えばIVやRDDを使った推定はlocal average treatment effectになるため、その因果効果がどれだけ一般化できるのかについてはわからないところが多々ある。傾向スコアも、まずは観察される変数でバランスできているのかという問題と、マッチングに関してはマッチされなかった集団を分析から除くことでどれだけ求められる因果効果が集団全体に適用可能なのかも分からない。そもそも実験的なアプローチについても、対象となる集団の代表性については問題とならないため、因果効果を求めても外的妥当性の問題はなお残る。

この授業を取るまでは、固定効果なども含めてエコノメから発展してきたこれらの手法は非常に強力で、やはりどの研究者もこうしたアプローチを分析に取り込むべきなのだろうかと考えていたこともあった。授業をとってみて変わった点は、当たり前に聞こえるかもしれないが、因果推論的なアプローチを取るかは研究上の問いによるというものである。
何かしらの手法を駆使して因果効果を求めることが適切な問いである場合もあるだろうが(特に介入が可能な政策効果などの場合)、外的妥当性が議論のコアになるような問題については、必ずしもこのアプローチを取る必要はないと考えている。なにより、社会学あるいは人口学的な志向を持つ社会学的な研究では、この外的妥当性の考えに、大きな比重を置いているという印象を持っている。

代表性を気にしなければ、依拠するサンプルが何だろうと因果効果を求めて一つの貢献になるのかもしれない。しかし、一旦外的妥当性を気にし始めると、その分析が想定している母集団とは一体何なのかという疑問が解決しない限り、その研究を評価することが難しくなる。少なくとも人口学、あるいは人口学的な志向を持って研究している社会学の人にとっては、想定する母集団がまずあり、その集団において何が起こっているかを理解しようと考える傾向が強い(と私は勝手に感じている)ので、まずは集団の明確な定義が必要になる。また、社会制度や規範の変化に伴って学歴と結婚、年齢と性別役割意識の関係は変わったのか、あるいはそれらの関係は国ごとに異なるのか、という構成的な(constitutive)問いを立てることも多いため、こういう研究の場合でも、対象とする母集団が明確になっていないと、どの集団とどの集団を比較しているのかよくわからなくなってくる。

以上述べたような問いに関心がある場合は、ひとまず因果推論的な考えは棚に上げて記述的にみてみることも大切かなと、改めて考え直している。もちろん、例えば学歴と結婚の関係が1960年代と2000年代で変わった場合、可能性としては(1)学歴の結婚に対する因果効果が本当に変わった、という説と(2)学歴と結婚の間にある交絡要因が変わったという説の少なくとも二つが考えられるが、こういった時点間で因果関係が変わっていることに対して、因果推論の人はどのようにアプローチするのか、私はまだ(どれくらい意義があるかも含めて)よく分かっていない。なぜかというと、これまで授業やそれ以外の機会で読んできた因果推論の文献は、ある特定の集団を対象にした時の因果効果に言及することがほとんどで、その関係が他の集団、あるいは同じ集団でも異なる時点で異なることに関心を向ける研究は知らないからである。

一般に、まずはassociationがあるかを確認して、それが本当にcausalなのかを確かめようというステップで因果推論の利点が紹介されることが多いように感じるのだが、上記のような問いはまさしくassociationalな問いで、数えきれない交絡があると考えられる。そういう現象に対して、どうやってcausalな問いを組みこんでいくか、そもそもそういう問いにどれだけ意味があるのかは、今後考えていく必要があるだろう。少し踏み込んで言えば、今までassociationからcausationへという、両者は架橋できるという意味を含んだ言葉で回収されてきたassociationalな問いの一部は、実はconstitutionalな問いといったほうが適切なのであって、constitutionalな問いとcausalな問いを架橋することは一見すると簡単そうに思えて、実はかなり距離があって難しいのではないかというものだ。先の例を使うと、「学歴と結婚の関係はこの50年間で変わったのか」という問いと、「学歴が結婚に対して与える因果効果はどれくらいか」という問いの二つは、似ているように見えて、実は翻訳が不可能なのではないか、と言うことができる。そういう点について改めて考える機会を与えてくれた今学期の統計の授業だった。

コースワーク(2):人口学
次に人口学である。人口学に関連する授業は多い。先学期の振り返りでも述べたが、私は社会学部の博士課程に在籍するとともに、社会学部と関係の深い人口学研究所にもトレイニーとして所属している。本来、研究所と学部は独立のはずだが、なぜか本学では人口学研究所に所属すると社会学部から要求されるコースワークのrequirementが増える。具体的には学部の指定する授業と、人口学研究所の主催するセミナーに出席することが義務付けられる。

したがって、今学期もそのノルマに従うことになった。月曜日には先学期と引き続きpopulation and societyという名前の文献購読のセミナーに出る。火曜日と木曜日の午前中は形式人口学(人口学方法論)の授業、火曜日はその授業が終わった後に人口学研究所が主催するセミナー(外部のスピーカーを呼んで報告をしてもらう形式)。水曜日にはもう一つの人口学研究所の主催するトレーニングセミナーに出た。

先学期は月曜日の文献購読セミナーが最もついていくのが辛かったことは前回の振り返りで述べたが、今学期は新しく上級生が数人加わった以外は、講師・学生とも同じラインナップで、この授業をいかに負担なくこなせるかが課題だった。結論から言えば、多少の慣れと工夫のおかげで前回よりも負担なく終えることができた。

「慣れ」からいえば、メンバーも前回と同じだったので、緊張感も前回ほどはなく、自分の思ったことをすぐ言える雰囲気にはなっていた。また、わからないときにどう言う表現を使えばいいのか、いい意味での「ごまかし」に関するスキルも他の学生を見ながら会得していけた気がしている。

今学期の文献購読セミナーでは多少の「工夫」もしてみた。まず文献を読み過ぎないことである。もちろん、時間が許す限り文献を丁寧に読み込むことは重要だが、アメリカの博士課程教育で課される文献の数は日本に比べると明らかに多く、後述する政治学の質的調査法もとった今学期は文献購読のセミナーを二つとることになり、先学期よりも読まなくてはいけない文献が倍以上になった。丁寧に読んでいては読み終わらないのだ。ではどうするかというと、論文の要点を素早く掴むスキルを身につける必要がある。さらに、時間をかけすぎると他の課題を済ませる余裕がなくなるので、今学期はこの日までに読み終わり質問をポストする(この文献購読のセミナーでは前日までに文献を読んで浮かんできた疑問点をウェブポータルにポストすることになっていた)、ポストしたら当日までは文献を読み返さないというポリシーを取ることにした。こうすることで、期日までにアサインされた論文を読みきらなくてはいけない動機が生まれるし、終えてからは他の課題に集中できる。

こういった「工夫」は丁寧に文献を購読してこそ研究と考える見方からすると「邪道」に思われるかもしれない。私も、論文を読むときは要点だけではなく細部まで理解する必要があると考えていた。その考えはまだ捨ててはいないが、(どこまで一般化できるかわからないが、少なくとも社会学では)アメリカの大学院での教育では個々の論文の論点よりも、アサインされた論文に共通するテーマや対立する観点、比較してより深く理解できる先行研究における課題などに重点が当てられる。訓詁学的に論文を丁寧に読み込む作業よりも(もちろんそういった作業は自分の論文を執筆するときには必要になるだろうが)全体の流れの中に文献を位置付けて体系的に議論する力の方が優先されるのだろうと現在は考えている。重要なのは、これらは対立するものではなく、場面によって使い分けるべきスキルである点だ。よくアメリカの教育では文献が大量に課され、「スキミング」のスキルが必要になるとされるが、別にそのスキミング能力を身につけること自体が文献を大量に課す目的なのではなく、数多くの文献から特定の論文がなぜアサインされ、アサインされた論文間の関係性を把握した上で全体の議論を掴むことが目的なのかもしれないと今は考えている。結果的にそうした全体の流れをつかむ力は論文を書く際のliterature reviewに通じるのだろう。

そういうわけで、人口学の文献購読セミナーについては前回よりもかなり負担なくこなすことができたので、その点はコースワークを通じて得ることのできた収穫なのではないかと考えている。もう一つの文献購読セミナーは政治学部の質的調査法でこれは色々と別の難しさがあったのだが、その点については後述する。

人口学の方法論、形式人口学については先学期が基礎、今学期が応用となっていて、先生も違う人になった。指導教員いわく、本学の応用形式人口学は人口学部を持つ他の大学(バークリーなど)のプログラムと競える水準にあると言われ、期待半分、ついていけるのか不安半分の気持ちで受講した。指定された教科書は形式人口学の世界では定番中の定番とも言えるペンシルバニア大学のPreston教授らが書いたDemographyという本で、基本的にはこの本に準拠して授業が進んでいった。

この本については、日本にいた時からその評判を聞いていたので、以前勉強会で読み通したことがあったのだが、その当時は何をいっているのかよくわからないところばかりだった。もちろん、今学期授業を受けてみてもまだわからないところはあるのだが、講師の先生の解説もあり理解度は非常に深まった。特に形式人口学にはいくつかの人口モデルがあるのだが、stable populationに関するモデルのコアな部分を掴めたのは非常に大きな経験だった。また、人口予測のモデルについても学んだのだが、このモデルの応用例で、私が自分の研究で取り組みたかった人口学的な観点から社会階層・社会移動を分析するモデルを扱ってくれたのは非常にありがたかった。

この授業の特徴は、ほぼ毎週のように課題が出るのだが、(1)統計ソフトウェアのRのggplotと呼ばれるvisualizationのツールを使って(2)課題をできるだけ可視化して提出することが推奨された。もちろん、最初はエクセルを使って死亡率を計算して、といった風にできるのだが、人口予測のシミュレーションなどに入り出すと統計ソフトを使用する必要が出てくる。この授業ではRのプログラミングなどは教えてくれなかったので、毎回課題に取り組むときはみんなで協力して知恵を振り絞った。興味深いことに必要に駆られると人は学び始めるもので、私はRと並んで社会科学ではよく使用されるstataを研究では使用しているのだが、この授業でon the jobにRのトレーニングを受けた(というかほぼ自学自習をした)結果、Rの方が時と場合によっては使いやすいと感じるまでになったのは大きな収穫だった。

社会学に限らず、社会科学ではdata visualizationの重要性が指摘されるようになっており、近年これに関する教科書も相次いで出版されている。私も学期中に人口学研究所の支援を受けて参加したアメリカ人口学会では、学会に先立ってdata vizのワークショップが開催されており、これに参加した。この形式人口学の授業は2年おきに開講されているが、今回が初めてRを本格的に導入しdata vizを強調した年だったので、そこまでオーガナイズされてはいなかったがdata vizのエッセンスをつかむことはできたので、今後はこのスキルを伸ばしていきたい。

最後に、今学期の裏テーマである「批判的人口学」について。critical demographyは本学の界隈ではホットなトピックになりつつある。既存の人口学的研究はbroken down by sex and ageというスローガンに代表されるように、性別と年齢に分けた上で死亡率や女性の出生などについてみることが一般的だった。こういった分析ではsexは所与のものとして考えられ、出生は女性が行うもの、としてみなされるわけだが、社会学やジェンダー研究によってその想定が必ずしも適用できるものではなくなってきている。sexual identifyはどの時点でも固定ではなく、変わりうるものであり、同様にrace/ethnicityについても近年の研究では自らのracial identityに揺らぎがある現象(racial fluidity)が注目を集めている。社会学的な観点に立てば、こうした個人の社会的なアイデンティティは社会的に構築される面もあるため、これまでの人口学が扱ってきたようなそれらを所与のものとする仮定は批判の対象となる。

批判的人口学というのは、社会学で重視され、議論されてきたこうした個人のアイデンティティを人口学が所与の変数として扱ってきたことを反省し、sex/gender、race/ethnicity、あるいはそれらのintersection、さらにレイシズムといった集合的な現象をどのように人口学的な分析に組み込むかというもので、文献購読セミナーでは時折議論する機会があった。形式人口学では伝統的な方法に則ったアプローチが紹介されるにとどまったが、講師の先生は今後これまでの人口学が自明としてきた想定を批判的に再検討した上で、新しい方法的アプローチを開発する必要性についてはオープンだった。このテーマについては自分の中でも勉強が不足しているが、今後考えていきたいテーマとして強く印象に残っている。

コースワーク(3):質的調査法
今学期受けたコースワークの振り返りの最後は質的調査法である。今回取った授業は政治学部の大学院セミナーとして開講されているもので、社会学部のそれではなかった。社会学部の授業でも質的調査法と題するものはあるし、他の学部にも存在するが、政治学の授業を選んだのは(1)スケジュール的に取れそうな唯一の授業だった(2)指導教員が院生のメーリングリストでシェアしてくれた、という非常にいい加減な理由なのだが、政治学の質的調査法の方が過程追跡などの歴史的なアプローチを重視していると考えており、自分の関心分野ではこうしたアプローチが取られることもあるので、社会学よりも相性がいいかもしれないと考えた,という理由もある。

とはいえ、そもそもの話から始めれば、質的調査法の授業を取る必要はない。弊学のコースワークでは質的調査法は必修ではないからである。これに対して、統計は先述のように複数の授業が必修として設定されている。社会学や政治学では時折、分析対象への方法的なアプローチとして「量」と「質」という(かなり不毛な)対立がある。この対立が不毛な理由はいくつもあるが、非学術的な理由によって対立が深くなっているのも、その不毛さに拍車をかけている。

典型的な要因は「お金」である。計量アプローチの研究はファンディングと結びつきやすい。弊学部に関していえば、人口学研究所がRAなどを供給する巨大な組織となっているが、この研究所は名前の通り人口学者が在籍しているが、彼らは基本的には計量的なアプローチで対象に迫る(もちろん、批判的人口学のように質的アプローチによる人口学的研究も存在するが、マイナーである)。そのため、計量的な分析に関心があり、スキルがある人の方がRAのポジションを得るのには有利で、反対に質的調査をするような人には十分なファンディングの機会がないため、彼らはティーチングを行うことが多い(と考えられている)。学生同士で量と質によるイデオロギー上の対立は(表面的には)ないのだが、学生にとってファンディングの機会は死活問題なので、潜在的に量/質によって機会格差があり、それは不満の温床になっているかもしれない。教員同士では(噂で聞く限りは)量と質の対立はよりリアルに存在するらしく、教員採用をめぐっては量の人は量の人を好み、質の人は質を好むという対立があるらしい(実際に確認できる類のものではないのでわからない)。当たり前といえば当たり前と思う人もいるかもしれないが、別に全ての研究が量と質に二分できるわけでもなく、同じサブスタンティブな関心を共有する人同士で量の人もいれば質の人もいる領域はあるわけなので、個人的にはこのような対立を煽るようなことはしたくない。

量と質が本質的に違うという想定は個人的には嘘だと思っているのだが、そういう誤解が広がる原因は教育にもある。コースワークの編成上、「量」の人は「質」の方法を勉強しない傾向が本学では強いので、「量」の人は質的研究で何ができるのか・できないのかに関して誤解をしており、その結果「質よりも量の方が〜〜」といった本当に意味が不明な比較をすることがある。以上のような理由と、本学に関しては「質」の人は「量」の勉強をしなくてはいけないのに、「量」の人は「質」を勉強する必要がないというのは端的にいってアンフェアだと思ったので、今回履修することにした。

さて、授業の方であるが、大学院セミナーなので基本的に毎回文献が大量にアサインされてそれを元に議論、というスタイルである。先学期は人口学の大学院セミナーだけで手一杯で、今学期はそれに加えてもう一つセミナーを取ろうというのだから、最初から無理があった。実際、指定された文献を読み終わらないこともよくあり、十分消化できたかと言われると難しい。質的調査法や政治学を学んでいる人であればすでに読んでいるか、あるいは関心の近い論文もあるだろうが、そのいずれにも当てはまらない自分にとってはアサインされる文献はどれも自分の研究とは縁遠いものであり、こうした文献にアプローチするのは大変だった。

カバーされたのは質的調査の考えを把握するにあたり重要になる基礎的な内容(存在論、認識論,概念、実証主義・解釈主義、ケース、一般化)などから始まり、その後具体的な手法(参与観察、インタビュー、エスノグラフィ、過程追跡と経路依存、アーカイブ)について、具体的な研究と方法論的な論文で理解し、最後に倫理的な事項にも触れた。政治学の授業ではあったが、何回か社会学の文献がアサインされることもあり、多少は親近感を覚えたが、それでも自分では読まないような論文ばかりだった。

そういうわけで、毎回が新しい発見であると同時に、果たしてこれらの論文を読んで,どのように自分の研究にフィードバックできるのか、悩むことも多かった。まだ納得する結論は出せていないが、最低限、質的アプローチのロジックを理解した上で,そうしたロジックが計量的なアプローチに対して優れているとか、劣っているという発想はやめ、どういった事象を理解したい時に、どういった方法を使うべきなのか、という軸で量・質という区分にこだわらずに適切な方法を取捨選択するべきだろう、という月並みといえば月並みな考えに至った。

ただ、この考えでも量と質による優劣があるという発想にはならなくとも、両者が至る真理には溝があり、違うものを見ているという結論になってしまうかもしれない。果たして、本当にそうなのだろうか。これについては、社会学者のMario SmallのHow many cases do I need?という論文がアサインされた時に得た知見がとても役に立っている。
この論文は、質的調査法で指定された文献だけではなく、今年読んだ論文の中でも最も面白いものの一つだったことを覚えている。Smallはアメリカで著名なエスノグラファーであり、都市社会学などで多くの業績を残している。彼は最初に、都市の貧困や階層研究では量・質双方の研究が参入していることを指摘する。これらの分野では、量の人から質の研究に対してコメントがくるため、質の人も統計的な用語に従い「代表性」がないサンプルがいかに「バイアス」含みかを気にする。

しかし、彼に言わせれば,そういう議論は不毛なのだという。まず、量の人が質の人に対する投かける「代表性」は完全に量のロジックにおける「代表性」である。つまり、分析の対象とする集団が一体何を代表しているのかを、サンプリングのロジックで正当化する際の「代表性」である。この考え方は計量的なアプローチを取る人にとってはほぼ唯一の「代表性」のロジックとして受け入られており、先述したように、外的妥当性を重視する人口学者にとっても非常に重要な基準である。

しかし、Smallによれば、計量分析における「代表性」を質的研究に当てはめることは不毛であり、質的研究は一体何を経験的に明らかにしようとしているのかをマンチェスター学派の研究を引用しつつ論じている。その内容は、量と質では依拠する推論の方法が異なり、その推論から導かれる経験的な知見も違うというもので、そこまで新しいものではない。しかし、私が重要だと思ったのはその「推論」の内容で、Smallはマンチェスター大学におけるネットワーク研究の中興の祖ともいうべきClyde Mitchellの論文を引用しつつ、二つの推論の方法を紹介している。一つが「統計的な推論」であり、統計的なアプローチを使って外的な妥当性に関して言及するのはまさしくこの統計的なロジックが用いられる場面になる。もう一つは「論理的な推論」であり、これはある分析枠組みの中で二つ以上の特徴を結びつけることを指す。過程追跡は探偵的な作業に例えられることがあるが、こうした証拠に基づいて事件の推論をするのはまさしく「論理的な推論」に当たる。
ここで重要なのは、計量的なアプローチは「統計的な推論」だけではなく「論理的な推論」も行なっているという点である。変数間に関係性があることを統計的に確かめることはでき、それによって統計的な推論から導かれる仮説はテストされるが、なぜその変数同士に関連があるか、そのメカニズムを想定するのは論理に依存する。これに対して、質的なアプローチでは統計的な推論がなく、主として論理的な推論に依拠して仮説がテストされている。

強調するべきは、「統計的な推論」ができないために質的調査は劣っているという発想は誤りであるというものだ。統計的な推論を用いた研究においても、論理的な推論がなければ統計分析の結果は空虚なものに終わってしまうからである。量・質とも本質的に重要なのは「どのようにして世界が成り立っているのか」に関する理論であり、その理論から導かれる論理的な推論である。したがって、質的調査に対して計量アプローチの研究者が「ケース数が足りない」というのは、質的調査にも統計的な推論が用いられるべきという誤った想定に基づいている。

私がこの論文、あるいは授業での他のリーティングを通じて読み取ったことは、量と質は(実証主義的アプローチを取る限りは)最終的に論理的なロジックに依拠して問いを検証しているのだから、その限りにおいては両者は同じ経験的な研究として議論されるべきだろうというものである。量と質が対立しているというのはかなりミスリーディングな議論で、強調すべきは実証主義的な世界観と解釈主義的な世界観なのではないか、という気もする。もっとも、この二つの立場も同じ研究者の中に並存し、明らかにしたい問いによって実証主義的に考えるか、解釈主義的に考えるかは分かれるだろう。例えば,人口学でもある人種や性別を所与のものとして実証主義的に分析することはあるが,人々が人種をどのようにidentifyしていて、その意味づけにはどういう根拠があるのかを探るアプローチも、実証主義的な研究と同様に重要だと考えている。

この論点に関連させると、質的調査法という授業そのものに編成上の難しさがある気も多少している。というのも、この授業では実証主義的なアプローチと解釈主義的なアプローチによる二つの質的調査法の世界がカバーされていて、私からすると量と質の対立は擬似問題であって、メソドロジカルに存在する本質的になり「得る」違いは実証主義的な世界観と解釈主義的な世界観だと考えているからである(「得る」と書いたのは、私の理解では例えば関係主義的な理論はその両者の対立を乗り越えようとする取り組みだと考えており、実際に対立するのかはまだわからないためだ)。

研究
先学期の研究上の振り返りの1文目は「学生としての本分は授業を履修して単位を取ることかもしれないが、実際には博士課程は研究者の養成機関であり、在学中から研究に勤しむことも重要である」だった。この考えに変わりはないが、文献購読のセミナーを一つ追加した今学期は、予習量が明らかに増えたので研究に配分できる時間は少なくなった。とはいえ、様々な「工夫」はしたので平日の時間の大半はコースワークに時間を使っていたが、休日を中心に多少ではあるが、研究時間も確保した。とはいっても、1日に2時間研究できれば大成功で、全く研究できない日も1週間の半分くらいあったのが現実である。
論文を投稿しなくてはいけないのは自明なのだが、どのような論文をどのようにして書くべきなのかについては2点、考えが変わった。1点目は雑誌のランクである。先学期の振り返りを見ると、ひとまず中堅以上を目指しながら、将来的にトップジャーナルに載せられたらいいくらいに考えていたが、あまり悠長なことは言えなくなってきた。様々な事情で、トップジャーナルに載るような論文に全力を注ぐことにインセンティブが与えられているのがアメリカの博士課程プログラムで、私の場合はすでにパブリケーションがあるため、これから書く論文については、基本的にトップジャーナルに載るようなものを優先することになる。逆に言うと、萌芽的には面白いがトップジャーナルには載らなそうな研究には時間が割けなくなる。どうしてこういうメカニズムで世界が動いているのか、私もまだ掴みかねているところはあるが、論文は基本的にトップジャーナルから出していくのであって、出す以上はそのジャーナルに載せられるようなクオリティを目指す必要がある。もちろんトップ誌に載せたからといってその論文が優れているかはわからないので、実際はジャーナルの名前に左右されることなく論文の質を評価できるのが理想なのだが、アメリカの社会学ではジャーナルのランクが質のプロキシとしての役割を担っている(あるいはそう期待されている)ので、合理的に考えるとトップ誌に載せられるような論文を書く努力をすることになる。もしかすると、アメリカの社会学はサブフィールドが多様なので、そういうフラッグシップを頂点とする階層性を前提としないと人事評価がしにくいのかもしれないし、あるいはある人事に対してその公募でとろうとする分野の人が採用をリードするのではなく、多くの分野の人から納得してもらえるような人を採用しなくてはいけないのかもしれない。個人的には後者のような気がしている。例えば、日本の人事では(特に講座制の影響が根強いところであれば)学史の先生を採用しようとなった時にその分野に最も詳しいのは学史の先生たちなので(当たり前だが)、その人たちが最終的にイエスといえば他の教員はそれを支持するのかもしれない。トップジャーナル志向というのは当たり前に聞こえるかもしれないが、奇妙な価値観である。

2点目は自分の研究スタイルというか、日本を対象にすることとの距離感である。先学期の時点では日本研究者としてのアイデンティティを持ちつつ、日本を事例にした研究をすることで既存研究の理論的な空隙を埋めよう、というモチベーションだった気がしている。もちろん、今でも日本をケースにして博論を書きたいと思っているし、それをより広いオーディエンスにアプローチできるような研究にしたいと考えているが、多少出発点が変わった。この点は、人口学の大学院セミナーで議論をリードしてくれた講師の先生の影響が大きい。彼女は毎回の議論において、アサインされた文献が想定している暗黙の仮定が何かを非常に重視している。私がその授業、および彼女の研究に対する姿勢から感じ取ったのは、新しい価値ある研究というのは、既存研究がそうして確かめることなく棚上げにしていた想定を批判的に再検討し、経験的な研究であればそれをデータで示すことなのかなと考えている。もちろん、そういう論理で事例を選んで分析をしていっても、結果的に先学期のように「先行研究の想定は日本では当てはまらないので、日本の事例検討することで理論をアップデートする」という主張と大して変わらない知見になるのかもしれないが、もう少し先行研究をレビューしていく過程で論理的に導ける暗黙の想定に対してクリティカルになってもいいのかなと考えている。常に変化する社会を対象とする社会科学では、そうした想定は一部の社会や時代においては妥当なものとして支持されるのだが、場所や時間が変わると妥当ではなくなる。私がこの発想で最近取り組んでいる研究は二つあり、一つは学歴に関するもの、もう一つは家族形成に関するものである。前者については、教育社会学の研究などでは近年、高等教育の中の異質性が拡大していることに着目する議論がある。日本の例で言えば、日本の四大進学率の上昇に寄与したのは私立大学で、さらに言えば以前は短大や専門学校だったような一般にはそこまで威信が高くない層による学校の設立が大きい。そのため、昔の大卒と今の大卒ではアベレージで見た時に意味する中身が変わってくるのだが、私が専門にする学歴同類婚の分野では大卒層を均質的に扱ってきた。私が最近取り組んでいるプロジェクトでは、そういう想定がもはや妥当ではなく、実際にデータを用いて検証すると威信や選抜度の高いと考えられる大学出身の人の方が、選抜度の低い大学出身の人よりも、自分と同じような学歴の人と結婚しやすいことがわかった。

後者については、アメリカの家族人口学における家族形成、特にユニオン形成に関する先行研究をレビューしていて生じた疑問に基づいている。アメリカでは1970年代以降に結婚率が減少し、その代わりに同棲が増えたのだが、この中で何故結婚する人が減ったのかというretreat from marriageと呼ばれる現象が盛んに議論された。詳細は割愛するが、そこでの議論の中心は人は何故結婚しなくなったのか、であり結婚ではないカテゴリは全て非結婚として残余的に扱われてきた。しかし、結婚しない人の中も多様である。その中で増加傾向にあったのが同棲で、もう一つの先行研究では何故同棲が増えているのかに着目した説明をしている。どちらも重要な研究なのだが、どちらも結婚や同棲以外の減少を残余的に扱っているほか、後者は同棲と結婚を対立的に捉えている。しかし、日本的なコンテクストを踏まえると、同棲はそこまで増えていないし、同棲が結婚に代わる新たなライフスタイルとして定着しているわけでもない。結婚からの減退は高所得国全般で生じているが、結婚率が減少すると同棲が増えるわけではない。したがって、両者は代替的なものではない。代わりに、日本や韓国などでは結婚せずパートナーも持たない人が増えている。私の関心の一つはもともと一つだったのだが、アメリカの人に話してもいまいち理解してくれなかった。それは何故か、今はアメリカの家族人口学ではユニオン形成、あるいはその後の出産・子どもへの教育投資を通じた世代間移動に関心があり、そもそもユニオンを形成しない人は関心の外にあったのではないかと考えている。私が明らかにしたいのは、結婚と同棲が必ずしも代替的な関係にあるわけではなく、ある社会的な文脈では同棲ではなくパートナーを持たないソロの人が増えるのであって、それは多かれ少なかれどの社会でも増えているだろう、というものだ。この研究も、既存研究がパートナーのいない独身者を残余的に扱ってきたことを批判的に再検討しているところから始まり、結果的に日本を事例として選択している。ひいては、そういったソロの人たちはある種のスティグマを付されていると思う。例えば、大都市とは違い中西部のような地方都市では、いっぱしの大人にはパートナーがいるだろうという強い期待があるのを感じるし、さらにいえば独身の人はパーソナリティ上何か問題があるので独身のままではないのか、という偏見がある気もする。それは偏見であり、かつ人口学的・社会学的に考えると今後はますますソロの人が増えるのだから、そういう声なきマイノリティだった層がすでにマイノリティではなくなりつつあることを指摘して、社会的に流布している偏見が偏見であることを明らかにできればいいなと考えている。最後の点については、どういう研究をするのが「役に立つのか」、そもそも「役に立つとは何か」という古くて新しい問題と関係するが、この点についても考えることが多いものの、明確な答えは出ていない。しかしながら、おそらく今よりももっと社会学者はパブリックな議論にコミットしていくべきだし、社会を外から眺めているという想定は捨てる必要はないが、社会の中にいる以上、ある価値を前提にして社会を変えていく役割を担うべきだろうと考えている。


December 23, 2018

博士課程1学期目

この1週間、時間ができたので今学期までに書き上げたいと思っていた論文をずっと書いていた。おかげで、体調が悪いというか、今日は何もする気が起きない。代わりに、今学期を振り返っておきたいと思う。

8月後半からの4ヶ月は、本当に変化の激しい日々だった。毎日誰かしら新しい人と出会い、新しい考えに触れ、学び、時間はあっという間に過ぎて行った。それらをいくつかの単語にまとめれば、コースワーク、研究、ジョブトーク、メンタルヘルス、アイデンティティなどになる。時系列で追っていくには、これらが互いに深く結びついているので難しい。したがって、一つずつ懐古的に振り返っておく。

コースワーク
博士課程の学生として、コースワークは当たり前にこなさなければいけない。今学期は、統計学、人口学方法論(形式人口学)、人口学大学院セミナーを履修した。加えて、単位としては博士課程に入学したコーホートで一緒に受けるプロセミナー(professional developmentの側面が強い)、及び所属する人口学研究所のセミナーを二つ履修した。

私もまだ区別がうまくできないのだが、アメリカではインタラクティブに学ぶ機会を全てセミナーと括れてしまう気がする。日本でいう「ゼミ」もセミナーだし、外部のスピーカーを招いて報告してもらい、議論するのもセミナーである。ただ、各々のセミナーの性格は異なっていて、ゼミに近い大学院セミナーと呼ばれるものはこちらが文献を読んで、議論し、最後にタームペーパーを書くという意味では、もっともコースワークに準拠している。これに対して、外部のスピーカーを招く研究所のセミナーはブラウンバックと呼ばれることもあり、オーディエンスは学生に限らず誰にでも開かれており、最先端の研究について皆で議論し合う機会になっている。また、外部から来たスピーカーは、大抵1ー2日大学に滞在し、セミナーでのトーク以外にも、招聘した研究所や学部のファカルティ(教員)との面談やディナー、あるいは院生とのランチを共にする。おそらく、ファカルティとのディナーではより突っ込んだ話をするだろうし、その先生が現在の所属先に対してなんらかの不満を抱えている場合には、将来的にオファーを出そうとするのかもしれない。院生は、外部のスピーカーと積極的にコンタクトを取ることを勧められている。もちろん、コネを作るという意味もあるだろうが、トークに来る先生の研究は、その分野の最先端であることが多いので、学生に対して新しい研究と触れ合う機会を提供しているものと思われる。このように、アメリカの大学院は日頃から外部の研究者とのインタラクションが多く、非常に流動性に満ちている。

早速脱線してしまったが、研究所のセミナーはコースワークと研究、並びにprofessional developmentが分け難く結びついていることの好例だろう。私が人口学研究所に所属しているので、セミナーに出ることを通じて単位も履修している。その意味では、これらのセミナーは教育の機会として提供されているが、新しい研究に触れるという意味では、自分の研究に対するフィードバックの役割もあるし、スピーカーとの個人的な話の中で、どういった就活の戦略をすれば良いかなどについてアドバイスをもらうのはPDの側面が強い。

メインで履修している3科目はテストやレポートがあるという意味で、日本でもよくある授業である。興味深いことに、私は社会学部に所属しているが、今学期は社会学らしい授業を一つも履修していないし、来学期も履修しない予定である。これは、私が人口学研究所に所属していることと関係する。アメリカでは、伝統的に人口学が社会学者によって発展してきた経緯があり、社会学部と人口学の距離が非常に近い。アメリカでは人口学部もあり、自らをピュアな人口学者として定義している人もいるが、そういう人は割合としてはかなり少なく、アメリカ人口学会は社会学者や経済学者が中心になって運営されている。ウィスコンシンの人口学研究所(CDE)も、かつては社会学の下にあったが、学際的な研究教育体制を築くため、10数年前に独立したと聞いている。ちなみに、CDEは全米でもっとも遅く社会学部から独立した人口学研究所として知られており、このことはウィスコンシンにおいて社会学部と人口学の関係が非常に密接だったことを物語る。

独立したものの、現在でも社会学部と研究所の関係は深く、多くのファカルティの研究者が研究所にも所属しており、その中心を担っている。社会学部のカリキュラムにもそれは反映されており、minor in demographyやjoint degreeといった制度はないが、もし研究所に所属する場合は、博士課程の修了要件として社会学部が開講する人口学の必修科目を収める必要がある。ウィスコンシンの社会学部は、人口学的なアプローチによる研究では全米でも指折りの業績があるが、私はそのような環境で、社会学よりも人口学に比重のおいたコースワークを先に済ませている。1年目から人口学を履修する必要は必ずしもないが、最初のプレリムを人口学にしようと決めており、そのためにはあらかじめコースワークを履修しておくのが得策であると考えているからである。

といっても、全く社会学から縁遠い生活をしていたわけではない。コースワークの中で最も面白かったのは、人口学の大学院セミナーであった。最初は、古典のマルサスから始まり、人口転換の議論などをリーディングとして消化していったのだが、後半に入るにつれ、既存の人口学の研究の限界を指摘するような批判的な文献を多く読むようになった。人口学者の最大の関心は正確な数え上げ(counting)と人口予測にあるが、これらの背後にある想定を、社会学などの他分野の先行研究と合わせて読むことで、批判的に再検討する文献を読んだ。例えば、我々は人種を個人の属性として固定的なものと捉えがちであるが、実際にはセンサスや社会調査で収集されている人種とは、個人のracial identificationであり、要するに個人がどのようなraceに自分を帰属させているかという問題になる。個人のアイデンティティとして人種が定義される以上、それは流動的に変化しうる。人口学者は人種というカテゴリの不変性を想定しているが、社会学的な視点に立てばアイデンティティは社会的な状況に照らし合わされて変化しうる。また、人口学のみならず、低出生という「社会問題」は長く政策的な関心を呼んでいるが、近年になって一社会のジェンダー平等の進展が低出生を解決するという命題が人口学者から提起されるようになった。一見すると、ジェンダー平等が達成されると、夫の家事育児時間が増え、妻の出生意欲が増し、子どもが増えるというストーリーは理想的に聞こえるかもしれない。しかし、この理論の背景には、すでにジェンダー平等が達成されており、低出生国の中でも比較的出生力が高いとスウェーデンに代表される北欧諸国が他の社会が目指すべき「目標」になっている。社会の発展に伴ってジェンダー平等が進展すると考える点で、これは一種の収斂理論であるといってよいだろう。この理論は、近代化によって社会が一様に、線形的に変わりうるとするようなイデオロギーと何が違うのだろうか?実際には一時点の各社会のばらつきがあるに過ぎないのに、それを歴史的な発展になぞられる考え方はreading history sidewayとして批判されている。人口学は政策と非常に距離が近いために、こうした収斂理論の亜種のような理論を批判なく受け入れてしまう傾向があるのかもしれない。そうした研究に対して、社会学の批判的な視点が重要になるということを、今学期学んだ。日本では、人口学を体系的に学ぶことがそもそも難しい(それが私が日本を飛び出した理由の一つである)が、仮に海外に出て人口学を学べたとしても、今学期受講したような人口学に対する批判的な視点を養うようなプログラムが提供されていることは多くないのではないかと考えている。そういう意味で、私はこの大学に進学できて非常に良かったと思っている。

研究
学生としての本分は授業を履修して単位を取ることかもしれないが、実際には博士課程は研究者の養成機関であり、在学中から研究に勤しむことも重要である。特に、アメリカの社会学では近年になって、就職する際に最低1本査読付きの論文を持っていることが推奨されるようになったことを聞く。こうした状況の中で、院生はマーケットに出る前に最低一本、できれば複数のパブを持ち、就活することを目指している。この状況では、できるだけ長く大学院に在学した方がパブを稼げるので、院生の在学期間も長期化している。
とはいえ、一年目から論文を書く必要はないと考えられていることも事実である。コースワークと研究を両立することは容易ではないからだ、研究に時間を取られて単位を逃したら元も子もない。そもそも一年目から関心が定まっている人も多くないだろうし、在学中に関心が変わることについて、多くの教員は寛容であり、当たり前に起こると考えている。多くの社会学の院生にとって、少なくともうちの学部では、最初の投稿論文は修論が元になることが多い。修論を書いてから、研究者としてのファイティングポーズを取り、ラウンドに出るわけである。もちろん、その前に指導教員の研究をRAとして手伝いながら、学会で報告させてもらったり、論文に共著者として名前を載せてもらうこともある。

ここで個人的な事例になるが、私の場合には上記のような慣例は全く当てはまらなかった。それはすでに修士論文を書いてきたということもあるし、何よりそうした修士論文などを元にすでに論文を投稿していたからだった。結果として、今年は英語で2本、日本語も合わせれば5本の論文が出版及び掲載決定となった。

数だけ聞けば生産的にみえるかもしれないが、アメリカのマーケットで評価されるのは、英語のみである。また、英語の査読付きでも、(特にテニュアを取るまでの若い間は)トップジャーナルないしそれに準ずるような中堅以上のジャーナルに論文を載せることが推奨されている。別に自分が出したいところに出せばいいじゃないかと考えられるかもしれないが、ジョブマーケットではジャーナルのランクも重要になる。私が今回出版した2本の論文は、トップジャーナルではないが、その分野の研究者(人口学・階層論)の間ではよく読まれるものであり、テニュアをとった教員もよく載せているジャーナルなので、悪い評価にはならないだろう。それでも、最低限の業績といったところで、これからトップジャーナルに載せることが就活を有利にするために必要な作業になると考えている。現在の目標として、とりあえず毎年2本は中堅以上のジャーナルに掲載したい。そうすれば就活する頃には10本あるので、さすがに食いっぱぐれない気がする。また、そのうち2本はトップジャーナルに載せたい。とりあえずトップジャーナルから投稿してみることを勧められるので、ガチャに当たることを願うばかりだ。もちろん、10本、数として必ず載せようというのが具体的な目標ではなく、そのつもりで研究をしようということである。

論文に対しては、日本にいた時は闇雲に査読付き論文に出したいという気持ちが先行し、次第に投稿している論文がないと不安になってくる体質になってしまった。結果的に多くの論文を書けている要因はいくつかあるが(例えば、共著者の存在)、私はタイムマネジメントが得意なわけでは必ずしもなく、1週間や月単位で目標を定めることはあるが、1日にやることは得てして当日まで固まっていないことも多い。もし、他の人より論文を書くペースが早いとすれば、大きな理由の一つは、論文のハードルを高く設定していないことだろう。最初は、論文というものは何かしら大きな命題を唱えたり、先行研究を元に仮説を検証するものかと思っていた時期がある。こういう発想は必ずしも間違っておらず、長く読まれる論文というものやはり大きな主張をしている。しかし、研究者の論文が全てこのような論文であることは稀だろう。多くの研究者の業績は、社会学で言えば10年でgoogle scholarで20-30回引用されればいいくらいの論文が大半である。こうした論文の価値が低いかというと、そういうわけでは全くない。もちろん、本当に意義を疑うような論文もあるかもしれないが、多くの論文は、問いがシンプルであり、かつ非常にスペシフィックである。誰もやったことのない研究として新規性を打ち出すのだから、当たり前と言えば当たり前だが、その主張のインプリケーションが広い場合に、論文は分野を超えて多くの読者に読まれるのだと思っている。

したがって、初めから大きな主張をしようとせず、問いを分節化し、何が先行研究で見落とされてきたことなのか、何をアップデートするべきなのかを考えている。一つでもそれが見つかって、かつ相応の時間や資源的な制約の中で結果が出るのであれば、論文を書く。方法に自信がなかったり、違う分野の研究者の助言を募りたい時には共著者を見つける。そこまで難しくはない。論文ではせいぜいわかったことをシンプルに1-2つ書けば査読には通る(その「わかったこと」がなんらかの基準に照らし合わせて「新しく」なければいけないが)。ある程度数を稼ぐためには、こうした割り切りも必要だろうと思う。あとは、計画的でなくても良いので、常に論文を書いたり、分析を進めたり、文献を探したり、執筆途中の論文を常にアクティブにしておくことが必要だろう。ストレスになるかもしれないが、別に毎日全ての論文について考えるというわけではない、1ヶ月でいえば、最低2ー3日はその論文について上記のどれかに当てはまるような作業をして、共著者がいれば数ヶ月に一度しっかりミーティングをし、原稿を書き、再びミーティングをして詰め合わせ、学会や他の同僚の助言をもらい改稿し、またミーティングをして原稿を完成させ、投稿し、もしR&Rをもらえれば上記の作業を繰り返すように改稿する。そうしていれば、3-4ヶ月のスパンで論文を1本投稿し、1年に1-2本は出版できるだろう。常にアクティブな論文を複数持っておくことが重要である。査読によっては非常に時間がかかることもある。先日RSSMから出た論文は最初の査読が帰ってくるまで8ヶ月を要した。8ヶ月の間、その論文の結果を待っているだけではもったいない。8ヶ月あれば、2本は投稿し、2本は執筆中のステータスにできるだろう。常に問いを考え、アイデアとしてまとめ、人のアドバイスをもらいながら文章に残しておく作業が重要だと思う。

このように、私は論文を書くこと自体はそこまで難しくないのではないかと考えている。もちろん、英語で論文を書くためには、ライティングのスキルを身につける必要はあるが、最低限の教育を受けたら、ひたすら書いてコメントをもらう。そういう作業を1ー2年繰り返していれば、書くこと自体は苦ではなくなる。問題は、書いた論文が雑誌に載るかという問題であり、更に言えばトップジャーナルに載るかという問題である。私がアメリカに来た目的の一つは、この点と関係する。一つのargumentをロジカルに提示すれば論文にはなるが、今どのような研究が求められていて、主張をサポートするためにはどのような素材や方法が支持されていて、どのような研究に「意義」があると思われているのかは、実は社会的に決定されている部分も大きい。日本社会を対象とする場合には、単に日本の事例を検討してこういうことがわかりました、だけではアメリカのジャーナルには載りにくいだろう。残念ながら、アメリカの社会学はアメリカを前提に成立しているので、日本を対象にしたところで「なんでわざわざ日本なの?」と聞かれるのが関の山だからだ。これはtipsになるかもしれないが、私は自分の研究が日本から示唆を得て成立していることを前提に、日本の事例が当該分野の研究に対してどのようなpotential implicationをもたらすかを常に考えている。これは、誰も明示的に教えてくれないし、「アメリカでアメリカ以外の研究対象を選ぶ人のための研究入門」みたいな教科書があればよいが、そんなものは存在しない。しかし、この発想は必須である。詳細は省略するが、要するにアメリカだけを見ていては理論的な議論の重要な部分を見落としてたりするんじゃないでしょうか?という気持ちで私は論文を書いている。これが、日本を事例に研究を続けたいと考えているドメスティックな志向と、社会学や人口学一般の理論の上に貢献をしたいと考えているアカデミックな志向の妥協点になっている。ウィスコンシンに来て、この妥協点の上に立ちながら、どういう問いをRQとして提示するか、その問いを提示するまでにどういった先行研究を持ち出せばいいか、といった点に関しては、ファカルティや同僚から非常に大きな示唆を得ており、ここに来て良かったと考えている。私の日本を事例にした階層論や人口学に対する研究の姿勢は若干歪んでいるというか、素直に社会学部の教育を受けて出来上がるものでもないので、なかなか一言で言うのが難しい。ただ、今のような考えに至った経緯については後悔していないし、現在はこういうハイブリッドな考え方は、日本で教育を受け、研究している研究者とも異なり、アメリカで教育を受け、研究している研究者とも異なる、自分のオリジナリティだと思うようになっている。自分の考えに近いのは今の指導教員であり、彼はアメリカ人だが、日本に長く滞在し、基本的に全ての論文は日本を事例にしているが、アメリカのトップスクールでテニュアを取り評価を得ている。日本の事例を取り上げる際に陥ってしまう地域的な固有性を強調する志向を「脱文脈化」させつつ、アメリカを中心としてできて来た先行研究の知見自体も「脱文脈化」ないし「再文脈化」させる作業は、大変なことも多いがやりがいも感じる。

振り返ると、1学期目からこうした「妥協」をしているのは、何度か学会発表や査読、ないしインフォーマルな機会で自分の研究を英語圏の研究者に提示する機会を経て、(少々残念ではあるが)自分がやりたい研究が、相手が求めている研究と一致しない(=査読に通らない、評価されない)こともあるということを学んだからである。ただ、これは単に残念という言葉で片付けるには勿体無い。日本の文脈を共有していない読者に対して、社会学や人口学の一般的な理論の上に立って日本の事例を紹介する過程を通じて、著者自身が当初意図していなかったような、事例研究を飛び越えた意義を見つけることができるからである。この「英語論文の発見的作用」ともいうべき役割に気づくと、論文執筆は、単純に「今、日本がどうなっているのか」を明らかにすること以上の知的刺激に満ちた冒険になる。段々、私の考えが歪んでいることが伝わってきただろうか。私は自分が「妥協」をしているとは思っているものの、その妥協に対して積極的な意義を見出している。

ジョブトーク
アメリカに来て最もエキサイティングな経験として強く印象に残っているのがジョブトークであり、これは日本では目にすることがないイベントである。就活の慣行は分野によって異なるので、はじめにアメリカの社会学に関して確認しておく。まず、学部や研究所がポジションの募集を始める。ここで、分野を限らないオープンなものから、特定の分野に絞った公募をすることもある。また、social justiceとも関連するが、多様性を考慮してアカデミアでunderrepresentedされてきたマイノリティを優先的に雇用したり、学部の特段の必要性を満たすためのtarget of opportunity(ToO)といった制度もある。最近では、大学が主導して学際的な分野を作るための公募もあり、この場合は各ポジションに分野名が付され、そのポジションに採用された場合には所定の学部に所属しつつ、学際的なポジションにおける仕事もこなすcluster hireと呼ばれる制度もある。

このように、ポジションの募集自体は様々なメカニズムから成立するが、一度募集が始まれば、基本的にプロセスは似通っている。まずは書類選考。応募者はライティングサンプルやシラバスのサンプル、並びに履歴書や推薦状を用意して提出する。そこから、面接に呼ばれるのは1-3人ほど。非常に狭き門である。また、面接(フライアウト)も非常に過酷で、2ー3日の滞在中、プライベートな時間はほぼないといってよい。朝からファカルティの教員との朝食、ファカルティの車に乗って学部に行き、いくつかの個人面談、そしてメインイベントのジョブトーク、終了後に院生とのランチ、再び教員との個人面談、そして教員とのディナーといった予定が続く。cluster hireのように複数の分野にまたがる公募の場合には、二回ジョブトークをすることもある。人生で何度も経験したい類のものではない。しかし、ジョブトークは非常にエキサイティングなイベントである。まず、候補者は自分の就職がかかっているので、本当に自信のある研究を、何度も練習してプレゼンする。ファカルティも、仮に候補者を採用した場合、最低テニュアを取れるまで投資をしなくてはいけないし、テニュアを取れないような教員は(テニュア審査までに投資した分が戻ってこないため)採用したくないので、非常に慎重に審査する。特に、assistant professorのような若手を対象とした公募の際には、現在の業績だけではなく、その人がテニュアを取れるか、という意味で研究のポテンシャルという不確実なものを評価しなくてはいけないので、慎重さは極まる。表向きはみんなフランクで笑顔に満ちているが、これは表向きのパフォーマンスといったところで、複数の候補者から誰が学部に採用されるべきか、みんな真剣に考えている。学生たちも、将来ジョブトークの場に立つことを目標にしているわけで、生きた教材を直接目にできるられる機会は非常に恵まれているし、話から伝え聞くよりも勉強になることは多い。トップスクールに採用される候補者はトップスクールの出身者であることが多いのにはいくつか考えられる要因があるが、その一つはトップスクールの方が教員のポジションが相対的に多く、ジョブトークが頻繁に行われる。出してくる候補者も非常に優秀な人が多く、早くから就職活動について意識的になれることもあるだろう。

幸運なことに、今年は複数のジョブトークが行われ、一年目から多くのトークを目にすることができた。ToOが1つ、cluster hireが3つあり、うち社会学部が主催したトークが5つあり、合計6つのジョブトークに参加した。その中でも、候補者とのランチに5つ参加して、候補者の人たちから、色々と本音を聞くことができた。その中でも最も興味深かったのが、現代韓国研究のcluster hireであり、このポジションの最終候補者は全員社会学者だったので、3人のトークを聞くことができた。興味深いことに、このポジションは「現代韓国社会」を「質的な方法」で研究している人を採用するという、今後数十年アメリカでも見られないようなユニークな公募であった。また、最終候補者も全員が韓国人の女性研究者であり、様々な要因があらかじめ揃っており、いくつかの点について比較をすることができた。トークやランチに参加した院生はフィードバックを送ることが推奨されており、日本を対象に研究している自分にとっても、現代韓国研究の先生は関心が近い可能性が高く、慎重に、1日かけてフィードバックを作成した。自分なりに誰を採用したいかは考え、文章に残した。もちろん、自分の考えが決定に影響するわけはないのだが、仮に採用する側になってみて考えると、誰を採用するべきかという思考で録画されたジョブトークを何度も聞くことになり、得るものは非常に多かった。今回のジョブトークを振り返って、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切であることを感じた。先ほどの問題に戻るが、「なんで韓国なの?」「それって韓国だけでしか見られないんじゃないの、どういう意味があるの?」といった、それだけ見れば馬鹿げたようなものである。しかし、一歩進んで、その事例から社会学一般にどういったインプリケーションがあるのかを考えるという意味では、やはりなぜその問いが韓国を対象にしていて、そこから何が導き出されたのかを考える必要はあるだろう。もちろん、別に韓国に限ったことではなく日本でも台湾でも、ひいてはアメリカを事例にしても、なお考える必要のある点である。

メンタルヘルス
言葉としては知っていたが、大きく考えを改めるに至ったのがメンタルヘルスである。院生は鬱になりやすい。それは事実として知っている。要因として、業績主義のプレッシャー、教員との開放的でいるとは言えない関係、経済的な不安、熾烈な競争、色々とあることも知っている。それは日米で共通だろう。異なるのは、メンタルヘルスに対する考え方と、その考えに基づく取り組みである。日本時代にいた研究室では、メンタルヘルスを悪くすることはどちらかというと、個人が陥りがちな病気といった印象が近く、誰にでもなってしまう可能性があるが、なった場合はカウンセリングに行ったり、多少研究をストップしてみたりといったことしか想像していなかった。もちろん、私の知らないところで色々と取り組みがあったのかもしれないが、あまり公にはなっていなかったと思うし、そういう意識は共有されていたとは言い難い。

これに対して、うちの学部では、院生自治会に当たるSGSAという組織の下にメンタルヘルスとウェルネスに関する専門のセクションがあり、何人かの院生がメンタルヘルスを悪化させないような予防策を検討している。一言で言ってしまえば、メンタルヘルスが悪化する原因は、研究というプレッシャーを一人で抱え込んでしまうことにあり、そう言った状態に陥らないようにピア(同僚)によるサポートが必要になる。自治会では、研究に直接関係ないようねピア・ネットワークを構築できるような機会を提供している。例として、ポットラックや、Mindfulnessを維持するためのワークショップなどである。こうしたイベント以外でも、学生個人々々のメンタルヘルスに対する理解は深く、個人が陥る病気ではなく、メンタルヘルスを悪化させるような社会的な要因があり、それに対して介入できる(と明確にいうわけではないが)という意識があると感じた。他のプログラムや学部でどういう取り組みがされているのかはわからないが、うちの社会学部では、多くの院生が大学院生活は孤独で辛く、それをみんなでサポートしていくことが必要であるという意識が強い気がした。

まとめ:ハイブリッドなアイデンティティ?
まとめれば、今学期は非常に濃密に、瞬く間に過ぎ去っていった。その中で私の価値観も日々めまぐるしく変わっていった。まさしく疾風怒濤(Sturm und Drang)である。思えば、この数年は変化が欲しかった。東大に入学し、今後も自分の人生に影響を与えてくれるような人たちに出会えたことは貴重だったが、東大という環境に少し身を長く置きすぎていたと感じていた。マディソンに来て、日々様々な考え方に触れ、少し幅も出て来た気がする。その意味で、私の博士課程留学の1学期目は非常に充実していたが、このような考えに至ったのも、日本での経験がもとになっていることは間違いない。仮に、日本で修士や博士をせずに直接アメリカに来た場合と、一定程度研究者としての生活を始めてからくるのとでは、同じものを目にしても、異なる解釈に至るだろう。私はいまだに、自分の研究や考え方が、日本時代の経験に強く影響されていることを感じている。その中で、なぜ二つの社会で、こうまで異なる考え方をするのか、あるいはしないのかについて思いを巡らすことも多い。大げさにいってしまえば、私は自分自身の経験を対象とした比較社会学的な研究をしているかもしれない。こうした比較を通じて、私自身、少しずつではあるが、日本で育った研究者としてのアイデンティティに加えて、アメリカの(中西部という)土地に生活しつつ、社会学PhDで教育を受け、研究をしていることによって形成されるアイデンティティの二つがハイブリッドに混ざり合っていくのを感じている。当初、私は日本時代の経験を置き去りにして、アメリカの価値観に完全に適応してしまうことを恐れていたというか、そうならないようにしていこうと思っていたフシがあるが、鼻からそういう可能性は存在していなかった。両方の社会において軸足を置いて研究している以上、私の研究者としてのアイデンティティはハイブリッドなものにならざるを得ないのだ。

もちろん、その比較から、何か本質めいたものを見出すつもりもないし、できもしないが、2つの異なる環境にどっぷり身を浸かることで、多少捻じ曲がった、それでも異なる角度から見ればユニークなアイデンティティが形成されているのではないかと思う。そういう意味で、東大での経験も、マディソンでの日々も、同様に私の人生を豊かにしてくれているのではないかと考えている。ここに至るまで紆余曲折はあったが、今を楽しみ、これからも研究を楽しみながら進めていき、いくつかの人生の目標を実現したいと考えている。
人口学研究所の看板

今学期の我がオフィス

March 31, 2018

US News大学院ランキング(社会学)2017年版

RankSchool nameScore
1
Harvard University 
4.7
1
Princeton University 
4.7
1
University of California-Berkeley 
4.7
1
University of Michigan-Ann Arbor 
4.7
5
Stanford University 
4.6
6
University of North Carolina-Chapel Hill 
4.5
6
University of Wisconsin-Madison 
4.5
8
University of California-Los Angeles 
4.4
8
University of Chicago 
4.4
10
Northwestern University 
4.3
11
Columbia University 
4.2
11
New York University 
4.2
11
University of Texas-Austin 
4.2
15
Duke University 
4.1
15
Indiana University-Bloomington 
4.1
17
Cornell University 
4.0
17
Ohio State University 
4.0
17
Pennsylvania State University-University Park 
4.0
17
University of Minnesota-Twin City 
4.0
17
University of Washington 
4.0
22
Yale University 
3.9
23
University of California-Irvine 
3.8
24
Brown University 
3.7
24
University of Arizona 
3.7
24
University of Maryland-College Park 
3.7
27
Johns Hopkins University 
3.6
28
CUNY Graduate School and University Center 
3.5
28
Rutgers, The State University of New Jersey-New Brunswick 
3.5
30
University of California-Davis 
3.4
30
University of Massachusetts-Amherst 
3.4

アメリカ社会学PhD出願記録(5)「反実仮想」の留学プラン

アメリカ社会学PhD出願記録の最後の記事として、「こうすればよかったなあ」という誰得な反実仮想を垂れ流しています。

***後悔、先に立たず?***

すでに、一昨年来の出願について、いくつかの論点に分けて述べてきました。お分かりいただけるように、私は2017年から2018年にかけて、大学院浪人のようなことをしていました。英語の試験の成績も奮わない方だったので、正直、アメリカの社会学PhDに出願される方に(そういう考えを持つ、日本の方がそもそもどれだけいるのか、という問題はありますが)、何か積極的な、助言めいたものを示すことはできません。

ただし、今振り返ると「こういう選択もあったのではないか(そうすれば、今よりも「苦労」せずに留学できるようになったのではないか)」という考えはあります。私自身を、一種の反面教師に見立てて、「反実仮想」的な留学プランを考えると、何点か思い浮かぶことがあります。

***後悔ではなく、反省!***

仮想的な話の前に、断っておきますと、私自身は、若干遠回りはしていると思いますが、現在までの進路の軌跡(trajectory)を悲観的に見ているわけでは全くありません。

学部から直接海外の大学院に進学しようと考えたこともありましたが、日本で2年間、修士課程に在籍したことで、得られたものは少なくありませんでした(同時に、失った機会があることも事実ですが、それ自体が既に反実仮想の世界の話です)。あるいは、何もストレートに進学するばかりが、ベストな選択では無いと考えています。

とはいえ、繰り返しになりますが「こういう道もあったのではないかなあ」と考えることも稀ではなく、今回の記事は自分の進路を回顧的に振り返ってみたときの、反省に基づくものです。

(1)学部時代にアメリカの研究大学に交換留学する。

私は、大学に来るまで海外に行ったこともなく、地方出身で、親も高卒同士だったものですから、学部入学時点で留学しようという気持ちは微塵もなかったです。しかしながら、幼い頃から英語教育をインテンシブに受けてきた人が、偶然、語学の同じクラス(文三ドイツ語16組)だったことや、友人の紹介で入った「意識の高い」とされる駒場のゼミ、あるいは負けず劣らず「意識の高い」とされる学生団体に、様々な縁で入る機会に恵まれ、自然と海外で学ぶ、英語圏に留学することが現実的な選択肢として浮上してきました。

結果的に、私は学部4年時(2013年)にイギリスのマンチェスター大学に文学部の協定で交換留学するわけですが、当初はアメリカの学部に交換留学をしに行きたいと考えていました。

具体的には、ミシガン大学アナーバー校という、計量社会学のメッカみたいなところに行きたかったのです。しかし、ミシガン大学に留学するためには、当時は学部後期課程の進学先として教養学部を進学した上で駒場の留学制度(Abroad in Komaba, AIKOM)を利用する必要がありました。残念ながら、私は進振りの点数が足りなかったので、第一希望の相関社会科学専攻に進学できず、文学部の社会学専修に進学することになったのです(*1)。

マンチェスター大学は、ネットワーク分析や文化社会学、あるいは階級分析で有名な先生がおられ、私自身勉強になることも多かったですし、そこで思いついた研究テーマが、今でも研究関心の基礎にあります。したがって、イギリスを選択したことを後悔していることは全くありません。

その一方で、ミシガン大学に交換留学して、当時社会学部に在籍していたユー・シー教授(現在はプリンストン大学に在籍)のRAなんかができていれば、ストレートにアメリカ社会学PhDに進学できたのではないだろうか。そう考えることはまだ、あります。

なぜ、このような妄想と仮想の区別が難しいようなことを思うかというと、若干の根拠があります。というのも、アメリカの大学院入試では、推薦状が重要とされることがあり、できればその分野の、著名な先生から、優秀な学生だと認められれば、トップスクールに合格する見込みが上がるとされているからです。

それ以外にも、アメリカのPhDに進むのであれば、アメリカの学部に交換留学する方が、様々な意味で「素直な」選択だったと思います。私はその一方で、どうせアメリカに行くのであれば、学部ではヨーロッパを見ておきたいと思い、マンチェスターを選択することになりました。

(*1)なお現在、AIKOMの制度は全額の交換留学に吸収されることになっており、その前後でミシガン大学への交換留学も無くなっています。昔は、AIKOMのページをみて留学を考えたことが何度もありましたが、そのページも無くなっているようで、寂しいです。

(2)修士課程はアメリカの大学院に進学する。

この点に関しては、修士課程に進学して以降、特に修論を書き上げる前後に、出願を始めた時期から考え始めました。

すでに述べたように、学部生の時には、学部から直接、アメリカのPhDに出願しようと考えていたこともあったのですが、周りの先生方の勧めや、今の自分では実力不足だろうという(それはそれで根拠のない)判断から、修士は日本で、というか東大で取ろうと決めたのでした。

しかし、徐々に、同じ修士号でも、日本よりも、アメリカ、あるいは英語圏でとった修士号の方が、アメリカ社会学PhDの進学のためには有用なのではないかと考えることが出てきました。これも、先の理由と似ていますが、近年では、コロンビア大学のQMSSニューヨーク大学のAQRで、1年で計量社会(科)学の修士号を取ることのできるプログラムができています。そして、その卒業生の一部は、アメリカ社会学のPhDに進学しています。

また伝統的には、シカゴ大学のMAPSS(MA Program in Social Sciences)や、LSEの修士からアメリカのPhDに進学する人というのは、少なくありませんでした。あるいは、中国人の学生の中には、英語圏として香港大香港科技大(*2)のマスターをとってからアメリカ社会学PhDに進学する人もいます。人口学が学べるMPAやMPPの学位を取る人もいます(例えば、プリンストン大学のMPAプログラムでは、人口学研究所(OPR)との連携でCertificate in Demographyを取得することができます)。

いずれの大学も、アメリカでPhDをとり、現役の社会学部のファカルティ、あるいは近年までファカルティにいた人が指導してくれるので、日本にいるよりも、比較的、推薦状は強いのではないかと思います。英語の業績もつけることができるかもしれません。

詳しい統計は知りませんが、留学生のステータスでアメリカ社会学のPhDに進学する人の中で、北京大学中国人民大学で非常に優れた成績をとってストレートで進む人もいますが、少なくない人は英語圏の大学院で修士号をとってから、アメリカPhDに進学しており、そのルートは確立していると思います。それに比べると、国内の学部・修士を経ることの、メリットは一体なんだろうか、、、と考えることはありました。

もちろん、この手の話は「隣の家の芝は青い」ということわざ(?)を引っ張ってくるまでもなく、自分が享受できていない環境を羨望しているものです。私なりに、東大で修士号をとった、積極的な点を考えてみると、二つあります。

一つは、学部以来、お世話になっている先生の指導のもと、研究ができたり、あるいは科研のプロジェクトに関わらせてもらったりしたことがあると思います。

もう一つは、私は英語の成績が低く、その不利を奨学金(フルブライト)への選抜で挽回できたのではないかと考えることがあるため、国内の教育機関に在籍しているからこそ得られる奨学金へのアクセス可能性は、実は日本に残ることのメリットなのではないかと考えることはあります。

このように「たられば」は尽きないわけですが、私から一つだけ、あげることができるとすれば、学部を日本で出た後に(*3)、日本で修士を取るのか、英語圏で修士を取るのか、あるいはストレートでPhDに進学するのか、それらの(実力的、財源的な)実現可能性と、得られるメリット、あるいはデメリットを真剣に考えた上で、後悔しない選択をすることだと思います(といっても、多くの人は後悔するのかもしれませんが)。

比較をしなかった後の後悔と、比較をした上でとった選択肢の後悔だと、どっちが納得できるものでしょうか。みみっちい話かもしれませんが、ひとの悩みというのは、そういうもので尽きないのではないかと思うこともあります(反省と言いつつ、やはり後悔しているような気がしてきました)。

(*2)香港科技大(HKUST)のウェブページを見ると、MPhil in Social Scienceを終えた学生のPhDの進路(PhD Obtained From / Currently Underway At)と、現在のポジション(Current Position and Organization)がわかります。後者は、Placementということでアメリカの社会学部のページにも書かれてたりしますが、前者の「どこのPhDに進んだのか」というのは、HKUSTの修士号が海外PhD進学のための踏み石(stepping stone)として機能していることを示唆しているでしょう。

(*3)私は、日本の学部教育の水準は、コスパ的にはよいと思いますし、そもそも駒場の教養教育を根幹とする学風がなければ、留学をしようとは考えていなかったと思います。

(3)国際学会で報告する。

最後はごく簡単に、日本でも、海外にいても、できることです。ずばり、国際学会で報告しましょう。メリットはいくつもある一方、デメリットはほとんどないので、積極的に報告するべきです。

同じ社会科学でも、経済学、あるいは心理学は比較的ボーダーレスなのではないかと思うのですが、他の社会科学、こと社会学においては「誰に発表するか」が「何を発表するか」に強く影響すると思います。日本の学会は、基本的に日本の社会を研究されている人の集まりです。そうでなくても、基本的に日本の大学でトレーニングを受け、教育研究をしている人の集まりなので、日本の学術コミュニティで暗黙裡のうちに前提とされているプロトコルのようなものがあります。

それ自体は、研究を円滑にする意味では、よいのですが、社会学の面白さは、当該社会の常識を、常識とせずに考えていくところにあります。海外で日本の事例を報告すると、「なんで日本はそうなの」と、そもそもの前提が共有されないことが、ままあります。

そのギャップ自体が研究の出発点になることはありますし、そのギャップを多少なりとも説明できないと、海外の研究者にとって、日本の事例を研究する意義を理解してもらえません。

文脈の違い、と言ってしまえば簡単ですが、これを日常的に意識しながら研究することは、容易ではありません。自分が日本人(あるいは主に日本で育った経験を持つから)であり、オーディエンスは日本人であることが仮定されているからです。

試しに、国際学会に行ってみましょう。オーディエンスが誰なのか、想定できません。逆にいうと、誰がオーディエンスであっても、わかってくれるような報告に仕立てるインセンティブが働きます。私は、この点を非常にポジティブに捉えています。自分の研究を相対的に捉え直すチャンスだからです。

国際学会で報告することは、「なぜ日本を対象とするのか」「なぜ日本人ではないオーディエンスに向けて、報告をする必要があるのか」を否応無く考えさせてくれる、格好の機会です。そしてこれらは、ほぼそのまま海外の大学院に出願する際に書くステートメントにおいて重要になる論点(「なぜ日本を対象とするのか」「なぜ日本ではない国で研究するのか」)も応用できます。

以上より私は、海外の、特にアメリカのPhDに出願される方には、少なくとも一回、できれば二回以上、当該分野で知名度のある学会(階層論であればISA RC28、人口学でいえばPAA, IUSSP)やアメリカで開催される社会学会で報告することを強く勧めたいと思います。海外の学会は、ほぼフルペーパーが要求されることが常なので、ライティングサンプルを書くためのステップにもなると考えられます。また、海外の学会に報告がアクセプトされること自体が、ある程度の選抜を経ているので、自分の実力をCVに書き込めるチャンスでもあります。

唯一、ネックになるのは、国際学会に行くための費用かもしれません。これについては、報告予定の学会でトラベルグラントを用意している場合もありますし、私は所属している日本人口学会が加盟するコンソーシアム的組織から渡航補助をいただけました。海外学会での報告に助成を出している学会は、ないようで実は割とあるので、チェックしてみてください。

私の実質的に初めての国際学会参加といえるものが、2017年に南アフリカで開催されたIUSSP(国際人口学会)でした。その時の所感は別のブログにまとめています。

アメリカ社会学PhD出願記録(4)TOEFL/IELTSとGREのスコア

アメリカ社会学PhD出願記録の4回目は、英語の試験(GRE/TOEFL/IELTS)についてこの一年の対策(反省?)を記しておきたいと思います。

***英語に自信がある方には関係ありません***

これらの試験は、高いに越したことはありません。GREの場合、トップスクールにもなると、GREのVとQの合計点が320点が平均というところもあり(参考:https://www.coloradocollege.edu/dotAsset/be00c34c-5b8c-4097-97b9-4855574b8a3b.pdf)、足切りに合う場合も稀ではないと聞きます。

TOEFL/IELTSの場合、ウィスコンシン大学マディソン校のようにiBT105点以下の学生を採用することはめったにないことを明言しているプログラムもあれば、UCアーバインのように、財政的な支援を受ける(実質的にはTAをするための最低水準だと思われます)ためには、iBTのスピーキングで26点以上を取ることが義務付けられている場合もあります。

***英語ができるに越したことはない、けど...***

このように、英語のスコアは高いに越したことはありません。しかし、日本ではこれらの試験に特化した予備校が少ない一方で、中国や韓国の学生たちは、予備校や無料のウェブサイトを活用してネイティブ並みのスコアを獲得していきます。

このような状況になると、英語のスコアで相対的に苦労する日本人には不利です。現に私も、TOEFLを何度受けても、第一志望のウィスコンシン大学が要求する105点には達しませんでした。

こうなってくると、そもそも出願資料が読まれない可能性があり、出願自体が無意味になってしまいます。私がとった苦肉の策は決して褒められるものでもありませんが、研究との二足のわらじを履いており、英語の勉強に時間を投資できなかった状況では、出来る限りの事をしたつもりです。

***私がとった苦肉の策***

(1)IELTSのスコアを提出する
TOEFLのスコアが足りないおそれのある大学、そしてIELTSを受け入れている大学については、思い切ってIELTSの成績も送付しました。これを思いついたのが、11月の初めで、申し込んだのが11月11日、試験日が12月2・3日。

この時点で、1日締め切りのUT-Austinなどには間に合わなかったのですが、試験の結果が筆記テストの13日後、すなわち12月15日に出るので、日本とアメリカの時差を利用して、15日に出た成績をすぐアプリケーションに反映して、英検に証明書送付を申請してシュゥゥゥーッ!!と送りました。

ただ、合格をもらった3校+補欠1校のうち、IELTSのスコアを送ったのはウィスコンシン大学マディソン校のみだったので、IELTSスコアが鍵になって合格したのかについては、正直よくわかりません。

(2)あえて合計点の低いGREのスコアを提出する。
何を言ってるのかわかりませんよね。私は、GREのverbalがとにかく苦手で、一応単語集やMagooshを利用していたのですが、それでもverbalのスコアは初回に受けたのが最高点でした。しかし、初回はquantのスコアが低かったので、合計点で見れば3回目に受けたものが高かったのですが、その回のverbalは150点を下回っていました。

verbalが150点を下回っていると、その時点で足切りを喰らうかもしれないという友人のアドバイスに従い、今年は合計点が低いけれどverbalが150点を上回っている初回のスコアを送付しました。ライティングのスコアも初回は低かったのですが、もうこれでダメならどうにでもなれという気分で、提出したのを覚えています。

以上の対策?は、そもそも英語の試験で高いスコアを取れていれば取る必要のないものなので、これから受験される方は、早い時期から対策をして、高得点を取ってください

アメリカ社会学PhD出願記録(3)ライティングサンプル

アメリカ社会学PhD出願記録の3回目は、ライティングサンプルについて書きます。

***なぜアメリカの大学院のSoPは「緩い」のか***

アメリカの社会学PhD出願では、出願時点で研究が進んでいることは、必ずしも前提とはされず、イギリスの大学院に比べても研究計画は「緩い」もので構わないと考えられます。

一度、日本の大学院入試を受けられた方はわかると思いますが、研究計画をA4用紙2〜3枚程度に、ぎっしり書いたのではないでしょうか。使用するデータや、細かいリサーチクエスチョン、先行研究の詳細なレビューをされた方もいるかもしれません。アメリカでも、シカゴ大学などはこうした詳細な研究計画を要求してくることがあるのですが、多くの大学院では、Statement of Purposeのところに「こういうことを検討したい」程度で済ませることができます。分析に用いるデータが本当にあるのかどうかは、その時点ではあまり重要ではありません。

日本やイギリスに比べて、アメリカの大学院の研究計画が「緩い」のは、現時点の計画性よりも、個人のポテンシャルを評価する傾向にあるからだと考えています。まだ社会学を学んだことのない学生も出願してくるため、社会学の既存研究に対する知識を前提とした詳細な研究計画よりも、その個人がもっているアイデア自体に焦点を当てているのでしょう。

***ライティングサンプル=研究能力を示す資料***

ただし、その人の研究能力が全く見られていないかというとそうではありません。アメリカの社会学PhDでは、ほぼ例外なくライティングサンプルを要求されます。このライティングサンプルは、直接、PhDで検討する問いに関連している必要はなく、社会学の論文である必要もありません(もちろん、社会学的な論文で、自身の関心に近いものがより望ましいでしょう)。

私は、ライティングサンプルも、昨年度とは大幅に変更しています。昨年度は、日本語の査読付き論文を英語に直したものを提出しました。個人的には、最初に掲載した査読付き論文ということもあり、多少は自信はあったのですが、今振り返ると、以下の点が弱点だったと考えています。

・分析がわかりづらい
内容は、夫婦の地位が同じ同類婚(homogamy)が世代間で連鎖するかを検討したものでしたが、こうした問いを提起する研究自体がそれほど多くありません。また、用いている手法も、ログリニアモデルという、社会学では比較的使用されるものですが、一般的な回帰系の分析とは手続きが違うため、用いたことのある人ではないとわかりにくいと考えられます。

・日本語から英語に直した
すでに出版された日本語の論文を英語に直していたため、論理展開などがフォローしにくかったのではないかと思います。

・研究の意義がアメリカの先生に伝わりにくい
あくまで日本の事例を、日本の読者向けに書いたものだったために、この論文が、どのような普遍的な意義があるのか、主張しにくかったと思います。社会学では、国際比較ではない場合、基本的に当該社会の事例のみである程度の普遍性を持つことが仮定されているように思います。したがって、北米の先生向けに、北米の議論を提示すること自体は、特に疑問を持たれないのですが、日本の事例を検討する際には「なぜ日本を(わざわざアメリカではなく)見る必要があるのか」という疑問を持たれることがあるのではないかと考えています。

以上の点を踏まえ、今年は、全く新しい論文を、英語で一から書き始めました。工夫した点は、(1)問いをシンプルにした(手法もシンプルにした)、(2)英語で書き始めた、(3)日本的な文脈を踏まえて、日本でも人口学で言われている命題が当てはまるかに焦点を当てた。(3)についてですが、要約すると、日本ではその制度的な文脈のために、欧米で提唱されている命題が当てはまらないと考えられてきたのですが、欧米とは違う側面に着目すれば、その命題は多少当てはまるのではないかということを主張したものです。

アメリカ社会学PhD出願記録(2)Statement of Purpose

アメリカ社会学PhD出願記録の2回目は、出願書類の中でもっとも大切だと考えられるStatement of Purposeについて書きます。

***SoP=研究計画書+α***

Statement of Purpose、略してSoPなどと言ったりしますが、これの書き方は、北米の大学院独特だと思います。大学によってバリエーションはありますが、大まかには、(1)自分が博士課程で明らかにしたい問いは何か、それがなぜ重要か、(2)その問いを検討するために、出願校がどれだけ適しているのか、(3)なぜその問いを思いついたのか、という博士課程で検討する大きなリサーチクエスチョンと、それに絡めて、ファカルティにいる先生、あるいは研究環境全体とのフィットを述べることが必要です。これに加えて、(4)これまでの研究業績、(5)受賞している奨学金など、自分が相対的に優れた学生であることを述べることもできます。あるいは(6)TOEFL/GRE、成績の点数が低い場合に、その事情(言い訳)を述べることもできます。

北米のStatementの特徴の一つは、パーソナル・ヒストリーに類する部分を述べることが認められる点です。これは(3)なぜその問いを思いついたのかと絡めることができます。例えば、私は親の離婚を経験しており、そこから家族形成が不平等を生み出す過程に関心を持ったのですが、そうしたことを述べるわけです。アメリカでは、マイノリティを積極的に採用しようとする考えもあるため、こうしたパーソナルな部分が重要になるのだと思います。

ただし、あくまで重要なのは、大学院で検討する問いが、いかに検討に値するものであるかを説明することです。私の昨年のSoPは、パーソナルな部分から書き始めてしまい、最初に「この学生はこれがやりたいんだ」というのが伝わりにくかったと反省しています。また、アメリカでは親の離婚は普通であり、離婚それ自体が格差を生むわけではないという点を、アメリカで社会学PhDをとった知人に言われ、日米の文脈の違いに配慮した書き方を試みる必要を感じました。

***社会学のアプリケーションにおける留意点?***

また、私は日本社会を検討しているのですが、なぜ日本社会を検討しているのかを述べることも必要です。具体的には、日本社会を検討することが、どうして、どのように理論的に重要なのかということになります。

やはり出願先はアメリカになるので、アメリカではなくなぜ日本かを説明することは重要になると思います。こうした、どの社会(文脈)を選択するかという視点は、社会学や人類学では重要になるかもしれませんし、政治学(比較政治?)も、各国の政治を検討するには考慮する必要があると思われます。

***百聞は一読にしかず、ということで***

先述の知人からのアドバイスを受け、私はSoPを大幅に変更しました。比較のため、2016-2017年に出願したSoPの冒頭と、2017-2018年に出願したSoPの冒頭の両方を抜粋します。

<2016-2017年>では、最初に「大学第一世代」であることと「家族形成上の不安定」を経験したと書き始め、最初から自分が相対的に不利な出身背景であったことを強調しています。[2]-[3]では、なぜ社会学に関心を持ったかを、これも大学入学時のパーソナルな部分に結びつけています。ようやく[4]に入って、何を検討したいかを書き始めるという構成になっています。

出願資料をレビューした経験のある方にお話を伺ったことがあるのですが、その時に言われたことで印象的だったのは、「担当者は一人で100枚近くのSoPを読むことになっていて、そこまで真剣に、隈なく読んでいるわけではない」ということでした。最初の数段落を読んで、ピンと来なければ、その後を読むこともないのかもしれません。私の昨年のSoPの弱点は、採点者の目に止まるような、言い換えれば「大学院で何を明らかにしたいのか」が最初に書かれていなかったことだったと、思います。

これに対して、2017-2018年のSoPでは、第2段落以降を大幅に変えました。[2]では、研究関心の発端が、社会学における既存研究のギャップにあることを述べています(My proposed research stems from my general interest in a gap in the sociological literature on family adaptation to demographic change)。具体的には、社会学(人口学)では階層によって家族形成の安定性が二極化している、という命題めいたものが提唱されているのですが、それが主としてアメリカのみの知見に由来することを述べています。その上で、この命題の適用可能性を広げるために、他の社会を検討する必要を述べています。

さらに、[3]で具体的に「強い家族」レジーム、すなわち結婚と出生の関連が強かったり、福祉が私的に提供されている国における一連の制度のことを指すのですが、それらの文脈を検討したいと述べます。なぜ「強い家族」レジームの社会を検討することが必要なのか。それは、レジームによって、階層間の安定性の違いが異なって生じてくる可能性があるからです(These institutional contexts are expected to show a different dimension of a diverging pattern of family behaviors.)。

そして[4]では、こうした家族形成行動の違いが、格差を縮小するのか(reduce)あるいは再生産するのか(reproduce)を問いかけた上で、既存研究は、格差をはかる指標として、特定のイベントに着目していたが、本研究では、複数の家族イベントの軌跡(trajectory)に着目するというライフコース・アプローチに従って検討すると述べることで、既存研究との差異化を図りました。パーソナルな部分は[5]-[6]と中盤に移しました。

両者を比較すると、今年のSoPの方が「こいつは何を明らかにしたいのか」が端的にわかると思います。この点に気をつけてSoPを書いたのが、多少は評価につながったのではないかと考えています(あくまで自己評価ですが)。

<2016-2017年>
[1] As an individual who is a first-generation college student and experienced family instability, my academic goal is to be a sociologist who studies the impact of family formation on the creation of intergenerational inequality. At the same time, as a person who was born and educated in Japan, which suffers from chronic population decline and demographic transition, I aim to focus on the effects of these demographic changes in marital sorting in contemporary Japan through a quantitative analysis of survey data on social stratification.

[2] My interest in sociology dates back to my years studying in college. When I started to study at the University of Tokyo, I realized that my classmates are mostly from advantageous families. Although we passed highly competitive examinations regardless of whether or not we are from wealthy or intellectual backgrounds, it was considerably difficult to find friends who are first-generation college students and experienced parental divorce similar to myself.

[3] As a result, these experiences changed my views on education as a source of upward social mobility and I realized it was critical to learn social sciences to understand the issues on inequality. Therefore, I have decided to pursue sociology because of its focus on providing critical perspectives on the social problems through theoretical attempts and empirical tools, which resonate with my deep academic passion.

[4] This realization induced me to ask how privileged families maintain or strengthen their advantages over time. In particular, I would like to research…(以下続く)

<2017-2018年>
[1] Sociology provides us with analytical perspectives, through the use of theoretical and empirical tools, that allow us to address social problems so that we can understand the different ways in which people react to social change, depending on the social context. My academic goal is to be a sociologist who studies diverging family behaviors and their impact on the creation of social inequality. I aim to focus on the role of family, and the effects of demographic change throughout one's life, using quantitative analysis of survey data from Japan and the United States.

[2] My proposed research stems from my general interest in a gap in the sociological literature on family adaptation to demographic change. Sociologists understand that family formation is increasingly stable among highly-educated couples, and that the opposite is the case among the less educated -- `diverging destinies', as coined by McLanahan (2004). However, the evidence for the argument is mainly from the United States. A study of an individual case makes it difficult to discuss the generalizability of the thesis. This suggests the following question: how, and why, might the impact of diverging family behaviors, between the lesser- and higher-educated, appear differently, depending on social context?

[3] I am particularly interested -- shaped by my upbringing in Japan -- in diverging trends of family behavior in so-called `strong family' countries, such as Japan and South Korea (East Asia), and Italy and Spain (Southern Europe), where welfare is privately provided by family members, and the male breadwinner model is the norm, in both the public and private spheres. These institutional contexts are expected to show a different dimension of a diverging pattern of family behaviors. For example, rather than forming unstable unions, as observed in the United States, lesser-educated men are the least likely to find a partner in the marriage market in Japan. In addition, intergenerational relationships often function to support the financially-disadvantage single mother after divorce in Japan, where joint custody is uncommon, unlike in the United States.

[4] Do these different patterns in family behaviors observed in Japan reduce, or reproduce, patterns of social inequality? Although McLanahan and Jacobsen (2015) attempted to update the evidence, and extend the argument to other developed countries, whilst Raymo and Iwasawa (2017) examined the Japanese case, past studies of education and union formation, including those mentioned, examined only single events such as marriage or divorce, rather than modeling how education is associated with life course trajectories. Alternatively, by adopting a `life course approach', I aim to empirically show whether certain partnership patterns are more likely to be consistently associated with education than others, and if these family behaviors shape subsequent inequality throughout the course of a life. Specifically, I will examine: (1) the probability of union formation, and spouse pairing patterns in the marriage market; (2) whether non-normative childbearing both in Japan and the U.S. is comparable; (3) the impact of these demographic behaviors on family dissolution; and attempt to show (4) whether these life course trajectories have an impact on the children's development.

[5] I started to think about the role of family in the creation of inequality when I entered one of the most selective and prestigious universities in Japan, the University of Tokyo. On one hand, it did not take long for me to realize that my classmates mostly came from advantaged families, and it was difficult to find friends who were first-generation college students who had also experienced parental divorce, as I had growing up. On the other hand, however, it was also the case that I grew up in a household with a mother who got divorced in her late twenties, but who had instrumental and emotional support, provided by my grandmother and other relatives who lived near our home.

[6] The experience in my own upbringing changed my views on education as a source of upward social mobility. Also, today I understand that this intergenerational support that my family received is actually not a common way to react to socio-economic hardship after divorce. Rather, this is often characterized as evidence of the presence of familialism in East Asian nations. In order to understand how and why institutional contexts affect familial adaptation to social change differently, it is critical to examine the thesis from a comparative perspective.

アメリカ社会学PhD出願記録(1)外部奨学金

アメリカ社会学PhD出願記録の最初として、奨学金について記したいと思います。

***奨学金の額ではなく選抜を経た事実が大切***

昨年出願した時には、外部奨学金には応募していませんでした。なぜかというと、アメリカの社会学PhDは基本Fellowship、あるいはRA/TA業務を通じて、授業料や医療費が免除されると聞いており、奨学金を持っていることが、合格に直結するわけではないと考えていたからです。実際、今年合格した大学とのやりとりで、奨学金を持っているかと、合格に値するかを判断するのは独立という説明を受けました。

私は、現在も外部奨学金を持っている、つまり授業料を払う能力があることが、合格に繋がるとは考えていません。しかしながら、外部奨学金に受かっていることが、一つのシグナルとして機能することはありうると思っています。

シグナルというのは、「奨学金を獲得している学生は一定の選抜を経てきている(ため、そこそこ優秀だろう)」という予想を裏付ける証拠のようなものです。外部奨学金をもっているということは、すでに選抜を経てきているため、仮にアプリケーションの他の部分が弱くても、多少はその不利をカバーできるのではないかと考えています。

ただし、どのような奨学金でもシグナルに希望するかは、わかりません。どちらかというと、アメリカの大学の先生たちに知られていない奨学金に受かっていたとしても、特に反応はないのではないかと予想しています。どれだけの選抜を経てきたのか、予測が立てられないからです。

***フルブライト奨学金に出してみましょう***

では、具体的に、日本人学生がアクセス可能な奨学金のうち、シグナルとして機能するものは何でしょうか。私は、フルブライト奨学金だと考えています。なぜなら、大学のアプリケーションのページに、「Award and Fellowships」のような項目があり、該当する賞を受賞している場合、チェックすることがあります。そのような項目があれば、必ずフルブライト奨学金はMcNair scholarと同じように、リストにあります。

私は昨年度、幸いなことに、日米教育委員会を通じてフルブライト奨学金に推薦いただいたのですが、奨学金に出願した時には、正直そこまで影響があるとは考えていませんでした。しかし、出願後に、大学とのやりとりをしていると、「フルブライト奨学金に受かっているようだが、具体的に期間と額を教えて欲しい」というメールを複数の大学からもらいました(もう一つ内定していた奨学金については、そのようなことは聞かれませんでした)。もしかすると、フルブライターを採用することで、金銭以外の何らかのメリットが大学にあるのかもしれませんが、詳しくはわかりません。少なくとも日本人が考えているよりも、アメリカの大学院の先生にはフルブライトは認知されており、それが注目に値するものであることは確かなようです。

アメリカ社会学PhD出願記録

執筆時点(平成30年4月)で私は東京大学大学院の博士課程に在籍しながら、日本学術振興会の特別研究員(DC2)として研究をすることになっておりますが、昨年度はアメリカの社会学博士課程にも出願していました。

前回(2016年)は9校出願して全てリジェクトされたのですが、今回(2017年)は現在までに、11校のうち3校からオファーをいただくことができました。出願したのは14校でしたが、大方、結果がわかったところで、3校については結果がわかる前に辞退させていただきました(*1)。

進学先は、かねてから第一志望だったUniversity of Wisconsin-Madisonになります。

***学振との関係について***

以前から、留学の準備は進めていましたが、もし日本で博士号を取ることになった場合には、学振(研究費)があるかないかでだいぶ研究の方向性が変わってきます。そのため、昨年度は、大学院出願と並行して学振の準備も進めていました。

学振から内定をいただいた際には、まだ出願の結果は分かっておらず、オファーをいただいたのは、年が明けた1月末でした。

私なりに考えた結果、アメリカの博士課程に合格した場合でも、留学開始までにいただける研究費を使いながら、日本でできる研究を受け入れ教員の指導のもとで進めたいと考えました。したがって、4月から8月までは学振のフェローシップをいただき、その研究費で研究をする予定ですが、9月からはDC2を中途辞退して、所属を移す予定です。

***何かのお役に立てばと思い、体験記を残します***

さて、昨年、全落ちだった私が今年は3校からオファーをいただけたのはどうしてでしょうか。もちろん、昨年と出願者のプールが変わっているので、厳密な推論をすることはできません。あるいは、昨年出願した大学院はどれもトップ20以内の難関校だった一方(*2)(*3)、今年はランク30位以内の大学にも出願しており、今年になって出したプログラムに複数合格しています。

しかしながら、私の本年度の出願に出した書類のうち、変わったものもあれば、そうでないものもあります。あくまで、不確かな推論に基づきますが、私なりに「もしかしたら今年これを工夫したのがよかったのではないか」という主観的な考えを、ここに記しておきます。

昨年と主に変わった点は、(1)外部奨学金をとったこと、(2)Statement of Purposeを大幅に書き直したこと、(3)ライティングサンプルを書き直したことの三つです。及び、(4)TOEFL/IELTSとGREのスコアについても、多少工夫をしました。最後に、「こうする道もあったのではないだろうか」という一種、反実仮想的な進路についても、記事にしています。

それぞれについて、別途記事にまとめていますので、興味がある方はご参照ください。残念ながら、アメリカの社会学を学べる大学院に進学される日本の方は非常に少ないと思います。それは、他の国(主として韓国・中国)に比べて少ないという意味でもそうですし、日本の隣接分野(主として経済学・政治学)に比べても少ないでしょう。私自身、留学を志した時、周りに相談できるのが実質的に駒場の同じクラスで一足先にアメリカに留学していた友人しかいなかったため、何をどうすればいいのか、もう少し情報が欲しかったというのが正直なところです。

そもそもの問題として、アメリカの大学院に進学したい日本の社会学系の学部生・院生がどれだけいるのか、甚だ疑問なところではあります。それでも、毎年一定程度、日本からアメリカの社会学系博士課程プログラムに進学する流れができればよいと思いますし、何より、将来的に留学したいと考えている方に、これらの記事が少しでも役に立つことができれば、これに勝る喜びはありません。






***反面教師ではない「優秀な」人たち***

私の強みは、多少の研究経験があるだけで、特に英語の試験の成績などについては、社会学で出願した学生の中でも、間違いなく平均以下、合格者の中では底辺に近い位置にいることは確かだろうと思います。したがって、出願まで余裕がある方は、きちんと計画的に出願を進められた、私からすると「優秀」な友人のブログを参照されるとよいだろうと思います。海外大学院出願といっても、その内実は分野ごとに異なりますが、彼らの立てた「戦略」は、どの分野の人にとっても有益なものだと思います。

木原盾さん(ブラウン大学社会学部博士課程)のブログ

向山直佑さん(オックスフォード大学国際関係学部博士課程)のブログ

改装後の東京大学総合図書館(留学とは特に関連なし)

(*1)合格した3校はUniversity of Wisconsin-Madison, University of Texas at Austin, University of Marylandです。University of California-Los Angelesについては補欠、Pennsylvania State Universityには呼ばれましたが不合格となりました。
(*2)このランキングは、US Newsが算出しているアメリカの大学院ランキングの社会学版のものです。このランキングは、更新されるごとに前回のものが公開されなくなるので、30位までのプログラムについては別の記事に残しておきます。ちなみに、このランキングは2017年に発表されたものであり、2013年のランキングでは、UW-Madisonのスコアは4.7、ランキングも1位になっているように、年によって順位は変動します。UW-Madisonは、この10年のプレースメント(PhD修了学生の就職)があまりふるわなかったとされており、この点がスコアの減少に影響したのではないかと考えています。また、UW-Madisonの学生に聞いたところ、2013年と2017年の調査の間に、社会学部におられた階層論の大家Rob Hauser先生が退職されたことが背景にあるのではないかという指摘ももらいました。
(*3)スコアの算出方法については、社会科学・人文学ではピアレビューに基づいています。
参考URL:
https://www.usnews.com/education/best-graduate-schools/articles/social-sciences-and-humanities-schools-methodology?int=a85c09