February 25, 2019

2月25日

最近は課題に追われてとにかく忙しい。毎週のリーディング(大学院セミナー2つ)と統計と人口学のpsetに加えて、今週は月曜に人口学セミナーのファシリテーター、水曜に人口学セミナーのレスポンスシートの締め切り、木曜から金曜にかけて学会報告の締め切り。この週末はスライドの準備に追われていた。人口学セミナーでは、スライドなしでファシリテートをすることもできるが、いつもコメントしてくれる先生がゲストの先生の授業を持つことになったのでいないこともあって、あまりリスキーな選択は取りたくなかった。ゲストの先生はよく知っている人だけど、セミナーで一緒になるのは初めてだったので、不確定要素が大きかったというところ。

リーディングでは先週と打って変わって、家族社会学、人口学の古典ということで、Goode, Becker, OppenheiemrそしてRugglesのPAA会長講演を読んだ。ゲストの先生(クリスティン)の話も聞きながら、思ったことをいくつか。

私の博論では、日米比較をしたいと考えていたのだが、人口学のセミナーに出ていると、アメリカの中でもsubpopulationの人口学的行動は多様なので、一括りに「アメリカ」特来ることが難しいと感じる。昔よりも難しくなっているような気がするのは以下の二つの理由からである。一つは、例えば家族形成をとってみれば実際に事態はより複雑化している。もう一つは、昔はアメリカを一つで括ることを許容していた規範のようなものが崩れている。例えば、今日の議論ではアメリカにおける核家族規範はracializedされたものであるという話があり、要するに都市部にいる白人の家庭が一種の理想になっていた。この命題自体は理解できるが、こうした考えが研究者レベルでも大まかにいえば信じられていた時代は、例えば核家族のパターンについて日米で比較することは少なくとも容易だったのではないだろうか。研究者自体も規範から逃れられないことは事実だが、そうした規範が相対化されている時代においては、アメリカを一つで語ることは難しくなっている。

これとは全く関係ないが、もう一つ頭に残ったのは、クリスティンが意外とGoodeの命題の影響力を重視していた点だった。Goodeは単純に産業化社会において核家族が適合的だとする機能主義的な命題を出して、世界が夫婦制家族のもとに収斂するみたいな単純なこといっておらず(そう読めるところもあるが)、イデオロギーの存在がなければここまで核家族は広まらなかっただろうと主張している。この部分をもってきて、クリスティンはGoodeの理論は後のSDTの枠組みにも影響を与えたと考えていて、なるほどなと思った。彼女の論文は非常に人口学的なのだが、発想というか、やはり理論的なトレーニングは社会学なのだなと思った。この、手法的には人口学しか用いないが、理論的なバックには社会学があるという社会学者とも人口学者ともいえない独特な研究者がかなりの数いることは、アメリカの社会学における非常にユニークな点だと考えている。

2週間後に春休みなので、それを目指して頑張る。早く家族に会いたい。

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