February 2, 2019

2月1日

大寒波で授業が休校になったりで、授業2周目が終わったのだが、全く疲労感がない。休みになった日を研究に使って、その分は多少疲れた気はするが、まだコースワーク気分に浸りきれていないのが勿体無い気分。

午前は学生自治会のミーティングがあった。テーマが決まっている学会発表やセミナーに比べるとアジェンダごとにアイデアを出し合う自治会のミーティングにはまだ上手く入っていけていない。例えば相手がある提案をしたときに、その提案に賛成することもあれば、代案を出すこともあるし、その代案に対して、でもこうなんじゃない?みたいに再返答が来ることは会議であると思うのだが、どの場面でどういう発言をしていけばいいのか、観察していると自分が発言する隙がなくなっている。特に、発言に対して疑問を提示するときにmicroaggressionにならないかには注意する必要があり、たとえ非ネイティブといえども、場をわきまえていない発言はそう認識される可能性があるかもしれないので、言葉のデリバリーには最大限配慮する必要がある。権力関係はそういうのが一見すると何もないように見えるところでも状況次第で発生することがあるのでセンシティブになる必要がある。同様に中立的に思える発言でも状況次第で価値判断の濃いものに取られる可能性は常にある。

どうも水曜日に深夜まで論文を書いていたのが響いているようで、調子が良くない。あまりやる気がしないし、オフィスにいても来週の形式人口学の課題で質問が来ることもあり、なかなか集中できなかった。悪循環というか、寝ていないで作業が進まないとイライラするし、そこに声をかけられると余計作業が進まなくなることにまごついてしまう。よく寝ているときは自分の作業も、質問にも、バランスよく対応できるのに、寝ていないとそれが難しい。当たり前だが、生活リズムを崩してはいけない。

昼からはfamily inequality meeting。偶然にも世代間関係に関する報告が二つだった。研究会の前に、ある学生がこの研究会があまりconfortableではないという趣旨の発言をしていて、その理由を聞いていると、納得することも多かった。言葉にするのは難しいが、どうやって複数の人間が集まって考えを共有して深めあう場を、インクルーシブにしていけるのかという点なのかなと思う。例えば、頭ごなしに相手の報告を否定することは言語道断だが、なぜこの分析手法にしているのか意味がわからないという趣旨の発言を多少オブラートに包むことは散見されるし、それが本人が求めているコメントならいいのだが、本人としては現在ある研究のjudgmentをされるのではなく、もっとimproveするためにはどういった方向性が考えられるのかというアドバイスを求めていることもある。相手が何を求めていて、その求めに対してどういう風に自分の考えをnavigateしていくのかという判断をしながら報告を聞かなくてはいけないので、なかなか頭を使うところである。

その後また作業をして、研究会メンバーでディナー。今回は先生が家に前いてくれた。研究会には家族人口学の他の先生もいるので、小さなホリデーパーティーの模様を呈していた。いくまでは招いてくれてありがたいなという気持ちだったのだが、行く最中と帰るときの車で、わざわざ家に招いてもらって手料理を振舞われたらいたたまれないという話があり、そこまでは考えていなかった。確かに15人も家に来ると、誰が料理を作るのだろう、先生、先生の奥さん?答えはケータリングだったので、安心していた。アメリカというと、ホームパーティーが盛んという印象があるが、懸念としてあったのはもし先生の奥さんがディナーを作る場合は、会ってもいない人に作るのでそれは申し訳ないだろうということだった。色々と腑に落ちた。別にアメリカに限らないだろうが、信頼の置ける既知の友人には手厚く振る舞い、振舞われたら恩返しをするというカルチャーなのかなと思った。

パーティー自体はとても楽しかった(猫が可愛かった)。最中で、久しぶりにあった先輩の院生と話していて、パブの話になった。私はすでに二つパブがあるからプレッシャーはないよねみたいなことをいわれて、確かにそうかもしれないが、別の一面ではトップジャーナルを狙うように勧められているので、次からはトップジャーナルを狙えるような論文に時間を割いていかなければいけないという別のプレッシャーがあるという話をした。まあ私の場合は、本当にアメリカの生活に適応できるのかという別の不安があり、もっと自分のスタイルを変えなければいけないなと思っているこの頃なので、研究以外の部分も頑張らないといけない気がする。

何か悪いことをしたわけではないが、まだまだ頑張らねばいけないなと思った1日であり、1週間だった。多分、傍観者としてできるだけ人との関わりを絶って、日本の研究を指導教員としていても、論文はある程度掲載できると思うし、博士号も取れると思うが、果たしてそれがアメリカに来た理由なのかと考えると、それは違う。もっと研究の話をしたいし、するべきなのだ。スモールトークも多少は必要だけど、相手が何を考えていて、それに対して自分がどういう考えを持っているのかを表明しないことには透明人間のまま過ごしてしまうという淡い危機感を覚えた。

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