December 30, 2018

論文掲載

この度、論文が二本掲載されました。Uchikoshi and Mogi(2018)では、近年増加している婚前妊娠(できちゃった結婚)の人口学的な帰結を問うています。近年の日本では、第一子に占める婚前妊娠の割合が4分の1にも達し、こうした従来では非典型とされた家族形成行動をあゆむカップルにおいて、それ以外のカップルに比べて出生力などでみた人口学的なアウトカムが異なるかが関心を集めています。分析の結果、婚前妊娠カップルは、それ以外のカップルに比べて有意に第二子出生をしやすいことがわかりました。

Fujihara and Uchikoshi(2018)は日本の学歴同類婚のトレンドとパターンについて検討した論文です。学歴同類婚とは、文字どおり夫婦の学歴が似かよる傾向を指し、社会の開放性から、次世代への格差の連鎖といった点まで、社会階層に広く帰結をもたらす現象です。就業構造基本調査と国民生活基礎調査を使用した分析の結果、日本の学歴同類婚はアメリカなどとは異なり継続的に減少していること、及びそのパターンはジェンダー非対称的(女性の学歴上昇婚傾向が強い)であることがわかりました。
いずれの論文もオープンアクセスとなっております。ご関心があるかたは、ぜひご笑覧ください。

Uchikoshi, Fumiya and Ryohei Mogi. 2018. “Order Matters: The Effect of Premarital Pregnancy on Second Childbearing in Japan” Demographic Research 39: 1305-1330. doi: doi.org/10.4054/DemRes.2018.39.48

Fujihara, Sho and Fumiya Uchikoshi. 2018. “Declining Association with Persistent GenderAsymmetric Structure: Patterns and Trends in Educational Assortative Marriage in Japan.” Research in Social Stratification and Mobility. doi: doi.org/10.1016/j.rssm.2018.12.001

December 25, 2018

Assortative mating, preference, opportunity structure

It is well known that assortative mating is influenced by preference and opportunity structure. The latter is often translated into marginal distribution in log-linear modeling, and log-linear modeling is often criticized by its inability to account for the effect of opportunity. Harmonic mean model is an alternative approach that explicitly distinguishes between preference and opportunity, but it doesn't assume both of them are interacted. Recent studies, however, suggest that the effect of preference on assortative mating depends on opportunity structure. Also, changes in opportunity affect assortative mating through shifting preference (mediation). A good example is the reversal of the gender gap in education makes men increasingly seek to marry highly educated women. Any methods that can disentangle these relationships?

December 24, 2018

帰国時の予定(2018年12ー2019年1月)

12月24日(アメリカ)
9:54 マディソン発
11:55 シカゴ発

12月25日(日本)
16:20 成田着

12月27日
6:41 バス
09:00 Hさんと朝食
10:00-13:00 計量社会学研究会
13:00 Mくんと昼食
15:00 Mとお茶
17:00 Mさんと論文執筆ミーティング
19:00~ 学部同期と夕食

12月28日
12:30~14:30 奨学財団によるパーティー(渋谷)
14:30-19:00 駒場、下北、杉並、吉祥寺を散策、靴が欲しい。
候補:いせや、タレカツ
19:30~ 松尾先生との夕食

12月29日
本郷、御茶ノ水、神保町周辺を散策
候補:こくわがた、織恩、ねむ瑠、川菜館

1月9日
13:30 大学院ゼミ
19:00 飲み会

1月10日
10:00-12:00 二次分析
15:00- 小西先生
18:00 豊島寮同窓会
候補:ときわ食堂、ぼんご

1月11日
10:00 研究室訪問
12:00 余田さん
15:30 Uとお茶
19:00 IHS同窓会

1月12日
誰かと会う
19:00 京論壇同窓会

1月14日(日本)
17:05 成田空港発

1月14日(アメリカ)
13:45 シカゴ着

・Asicsのビジネスシューズ
・メガネ
・サランラップ
・創味シャンタン
・スマブラ
・お土産用のお茶
・いらないスーツ
・お茶(緑茶・烏龍茶)
・目のケア(目薬、アイマスク)
・日本でしか買えない書籍、及び小説をいくつか。
・論文管理を更新する
・エージェントベースドの勉強
・髪を切る
・同類婚文献のまとめ
・ログリニアモデルのまとめ
・会いたい人に聞きたいことをメモしておく

December 23, 2018

博士課程1学期目

この1週間、時間ができたので今学期までに書き上げたいと思っていた論文をずっと書いていた。おかげで、体調が悪いというか、今日は何もする気が起きない。代わりに、今学期を振り返っておきたいと思う。

8月後半からの4ヶ月は、本当に変化の激しい日々だった。毎日誰かしら新しい人と出会い、新しい考えに触れ、学び、時間はあっという間に過ぎて行った。それらをいくつかの単語にまとめれば、コースワーク、研究、ジョブトーク、メンタルヘルス、アイデンティティなどになる。時系列で追っていくには、これらが互いに深く結びついているので難しい。したがって、一つずつ懐古的に振り返っておく。

コースワーク
博士課程の学生として、コースワークは当たり前にこなさなければいけない。今学期は、統計学、人口学方法論(形式人口学)、人口学大学院セミナーを履修した。加えて、単位としては博士課程に入学したコーホートで一緒に受けるプロセミナー(professional developmentの側面が強い)、及び所属する人口学研究所のセミナーを二つ履修した。

私もまだ区別がうまくできないのだが、アメリカではインタラクティブに学ぶ機会を全てセミナーと括れてしまう気がする。日本でいう「ゼミ」もセミナーだし、外部のスピーカーを招いて報告してもらい、議論するのもセミナーである。ただ、各々のセミナーの性格は異なっていて、ゼミに近い大学院セミナーと呼ばれるものはこちらが文献を読んで、議論し、最後にタームペーパーを書くという意味では、もっともコースワークに準拠している。これに対して、外部のスピーカーを招く研究所のセミナーはブラウンバックと呼ばれることもあり、オーディエンスは学生に限らず誰にでも開かれており、最先端の研究について皆で議論し合う機会になっている。また、外部から来たスピーカーは、大抵1ー2日大学に滞在し、セミナーでのトーク以外にも、招聘した研究所や学部のファカルティ(教員)との面談やディナー、あるいは院生とのランチを共にする。おそらく、ファカルティとのディナーではより突っ込んだ話をするだろうし、その先生が現在の所属先に対してなんらかの不満を抱えている場合には、将来的にオファーを出そうとするのかもしれない。院生は、外部のスピーカーと積極的にコンタクトを取ることを勧められている。もちろん、コネを作るという意味もあるだろうが、トークに来る先生の研究は、その分野の最先端であることが多いので、学生に対して新しい研究と触れ合う機会を提供しているものと思われる。このように、アメリカの大学院は日頃から外部の研究者とのインタラクションが多く、非常に流動性に満ちている。

早速脱線してしまったが、研究所のセミナーはコースワークと研究、並びにprofessional developmentが分け難く結びついていることの好例だろう。私が人口学研究所に所属しているので、セミナーに出ることを通じて単位も履修している。その意味では、これらのセミナーは教育の機会として提供されているが、新しい研究に触れるという意味では、自分の研究に対するフィードバックの役割もあるし、スピーカーとの個人的な話の中で、どういった就活の戦略をすれば良いかなどについてアドバイスをもらうのはPDの側面が強い。

メインで履修している3科目はテストやレポートがあるという意味で、日本でもよくある授業である。興味深いことに、私は社会学部に所属しているが、今学期は社会学らしい授業を一つも履修していないし、来学期も履修しない予定である。これは、私が人口学研究所に所属していることと関係する。アメリカでは、伝統的に人口学が社会学者によって発展してきた経緯があり、社会学部と人口学の距離が非常に近い。アメリカでは人口学部もあり、自らをピュアな人口学者として定義している人もいるが、そういう人は割合としてはかなり少なく、アメリカ人口学会は社会学者や経済学者が中心になって運営されている。ウィスコンシンの人口学研究所(CDE)も、かつては社会学の下にあったが、学際的な研究教育体制を築くため、10数年前に独立したと聞いている。ちなみに、CDEは全米でもっとも遅く社会学部から独立した人口学研究所として知られており、このことはウィスコンシンにおいて社会学部と人口学の関係が非常に密接だったことを物語る。

独立したものの、現在でも社会学部と研究所の関係は深く、多くのファカルティの研究者が研究所にも所属しており、その中心を担っている。社会学部のカリキュラムにもそれは反映されており、minor in demographyやjoint degreeといった制度はないが、もし研究所に所属する場合は、博士課程の修了要件として社会学部が開講する人口学の必修科目を収める必要がある。ウィスコンシンの社会学部は、人口学的なアプローチによる研究では全米でも指折りの業績があるが、私はそのような環境で、社会学よりも人口学に比重のおいたコースワークを先に済ませている。1年目から人口学を履修する必要は必ずしもないが、最初のプレリムを人口学にしようと決めており、そのためにはあらかじめコースワークを履修しておくのが得策であると考えているからである。

といっても、全く社会学から縁遠い生活をしていたわけではない。コースワークの中で最も面白かったのは、人口学の大学院セミナーであった。最初は、古典のマルサスから始まり、人口転換の議論などをリーディングとして消化していったのだが、後半に入るにつれ、既存の人口学の研究の限界を指摘するような批判的な文献を多く読むようになった。人口学者の最大の関心は正確な数え上げ(counting)と人口予測にあるが、これらの背後にある想定を、社会学などの他分野の先行研究と合わせて読むことで、批判的に再検討する文献を読んだ。例えば、我々は人種を個人の属性として固定的なものと捉えがちであるが、実際にはセンサスや社会調査で収集されている人種とは、個人のracial identificationであり、要するに個人がどのようなraceに自分を帰属させているかという問題になる。個人のアイデンティティとして人種が定義される以上、それは流動的に変化しうる。人口学者は人種というカテゴリの不変性を想定しているが、社会学的な視点に立てばアイデンティティは社会的な状況に照らし合わされて変化しうる。また、人口学のみならず、低出生という「社会問題」は長く政策的な関心を呼んでいるが、近年になって一社会のジェンダー平等の進展が低出生を解決するという命題が人口学者から提起されるようになった。一見すると、ジェンダー平等が達成されると、夫の家事育児時間が増え、妻の出生意欲が増し、子どもが増えるというストーリーは理想的に聞こえるかもしれない。しかし、この理論の背景には、すでにジェンダー平等が達成されており、低出生国の中でも比較的出生力が高いとスウェーデンに代表される北欧諸国が他の社会が目指すべき「目標」になっている。社会の発展に伴ってジェンダー平等が進展すると考える点で、これは一種の収斂理論であるといってよいだろう。この理論は、近代化によって社会が一様に、線形的に変わりうるとするようなイデオロギーと何が違うのだろうか?実際には一時点の各社会のばらつきがあるに過ぎないのに、それを歴史的な発展になぞられる考え方はreading history sidewayとして批判されている。人口学は政策と非常に距離が近いために、こうした収斂理論の亜種のような理論を批判なく受け入れてしまう傾向があるのかもしれない。そうした研究に対して、社会学の批判的な視点が重要になるということを、今学期学んだ。日本では、人口学を体系的に学ぶことがそもそも難しい(それが私が日本を飛び出した理由の一つである)が、仮に海外に出て人口学を学べたとしても、今学期受講したような人口学に対する批判的な視点を養うようなプログラムが提供されていることは多くないのではないかと考えている。そういう意味で、私はこの大学に進学できて非常に良かったと思っている。

研究
学生としての本分は授業を履修して単位を取ることかもしれないが、実際には博士課程は研究者の養成機関であり、在学中から研究に勤しむことも重要である。特に、アメリカの社会学では近年になって、就職する際に最低1本査読付きの論文を持っていることが推奨されるようになったことを聞く。こうした状況の中で、院生はマーケットに出る前に最低一本、できれば複数のパブを持ち、就活することを目指している。この状況では、できるだけ長く大学院に在学した方がパブを稼げるので、院生の在学期間も長期化している。
とはいえ、一年目から論文を書く必要はないと考えられていることも事実である。コースワークと研究を両立することは容易ではないからだ、研究に時間を取られて単位を逃したら元も子もない。そもそも一年目から関心が定まっている人も多くないだろうし、在学中に関心が変わることについて、多くの教員は寛容であり、当たり前に起こると考えている。多くの社会学の院生にとって、少なくともうちの学部では、最初の投稿論文は修論が元になることが多い。修論を書いてから、研究者としてのファイティングポーズを取り、ラウンドに出るわけである。もちろん、その前に指導教員の研究をRAとして手伝いながら、学会で報告させてもらったり、論文に共著者として名前を載せてもらうこともある。

ここで個人的な事例になるが、私の場合には上記のような慣例は全く当てはまらなかった。それはすでに修士論文を書いてきたということもあるし、何よりそうした修士論文などを元にすでに論文を投稿していたからだった。結果として、今年は英語で2本、日本語も合わせれば5本の論文が出版及び掲載決定となった。

数だけ聞けば生産的にみえるかもしれないが、アメリカのマーケットで評価されるのは、英語のみである。また、英語の査読付きでも、(特にテニュアを取るまでの若い間は)トップジャーナルないしそれに準ずるような中堅以上のジャーナルに論文を載せることが推奨されている。別に自分が出したいところに出せばいいじゃないかと考えられるかもしれないが、ジョブマーケットではジャーナルのランクも重要になる。私が今回出版した2本の論文は、トップジャーナルではないが、その分野の研究者(人口学・階層論)の間ではよく読まれるものであり、テニュアをとった教員もよく載せているジャーナルなので、悪い評価にはならないだろう。それでも、最低限の業績といったところで、これからトップジャーナルに載せることが就活を有利にするために必要な作業になると考えている。現在の目標として、とりあえず毎年2本は中堅以上のジャーナルに掲載したい。そうすれば就活する頃には10本あるので、さすがに食いっぱぐれない気がする。また、そのうち2本はトップジャーナルに載せたい。とりあえずトップジャーナルから投稿してみることを勧められるので、ガチャに当たることを願うばかりだ。もちろん、10本、数として必ず載せようというのが具体的な目標ではなく、そのつもりで研究をしようということである。

論文に対しては、日本にいた時は闇雲に査読付き論文に出したいという気持ちが先行し、次第に投稿している論文がないと不安になってくる体質になってしまった。結果的に多くの論文を書けている要因はいくつかあるが(例えば、共著者の存在)、私はタイムマネジメントが得意なわけでは必ずしもなく、1週間や月単位で目標を定めることはあるが、1日にやることは得てして当日まで固まっていないことも多い。もし、他の人より論文を書くペースが早いとすれば、大きな理由の一つは、論文のハードルを高く設定していないことだろう。最初は、論文というものは何かしら大きな命題を唱えたり、先行研究を元に仮説を検証するものかと思っていた時期がある。こういう発想は必ずしも間違っておらず、長く読まれる論文というものやはり大きな主張をしている。しかし、研究者の論文が全てこのような論文であることは稀だろう。多くの研究者の業績は、社会学で言えば10年でgoogle scholarで20-30回引用されればいいくらいの論文が大半である。こうした論文の価値が低いかというと、そういうわけでは全くない。もちろん、本当に意義を疑うような論文もあるかもしれないが、多くの論文は、問いがシンプルであり、かつ非常にスペシフィックである。誰もやったことのない研究として新規性を打ち出すのだから、当たり前と言えば当たり前だが、その主張のインプリケーションが広い場合に、論文は分野を超えて多くの読者に読まれるのだと思っている。

したがって、初めから大きな主張をしようとせず、問いを分節化し、何が先行研究で見落とされてきたことなのか、何をアップデートするべきなのかを考えている。一つでもそれが見つかって、かつ相応の時間や資源的な制約の中で結果が出るのであれば、論文を書く。方法に自信がなかったり、違う分野の研究者の助言を募りたい時には共著者を見つける。そこまで難しくはない。論文ではせいぜいわかったことをシンプルに1-2つ書けば査読には通る(その「わかったこと」がなんらかの基準に照らし合わせて「新しく」なければいけないが)。ある程度数を稼ぐためには、こうした割り切りも必要だろうと思う。あとは、計画的でなくても良いので、常に論文を書いたり、分析を進めたり、文献を探したり、執筆途中の論文を常にアクティブにしておくことが必要だろう。ストレスになるかもしれないが、別に毎日全ての論文について考えるというわけではない、1ヶ月でいえば、最低2ー3日はその論文について上記のどれかに当てはまるような作業をして、共著者がいれば数ヶ月に一度しっかりミーティングをし、原稿を書き、再びミーティングをして詰め合わせ、学会や他の同僚の助言をもらい改稿し、またミーティングをして原稿を完成させ、投稿し、もしR&Rをもらえれば上記の作業を繰り返すように改稿する。そうしていれば、3-4ヶ月のスパンで論文を1本投稿し、1年に1-2本は出版できるだろう。常にアクティブな論文を複数持っておくことが重要である。査読によっては非常に時間がかかることもある。先日RSSMから出た論文は最初の査読が帰ってくるまで8ヶ月を要した。8ヶ月の間、その論文の結果を待っているだけではもったいない。8ヶ月あれば、2本は投稿し、2本は執筆中のステータスにできるだろう。常に問いを考え、アイデアとしてまとめ、人のアドバイスをもらいながら文章に残しておく作業が重要だと思う。

このように、私は論文を書くこと自体はそこまで難しくないのではないかと考えている。もちろん、英語で論文を書くためには、ライティングのスキルを身につける必要はあるが、最低限の教育を受けたら、ひたすら書いてコメントをもらう。そういう作業を1ー2年繰り返していれば、書くこと自体は苦ではなくなる。問題は、書いた論文が雑誌に載るかという問題であり、更に言えばトップジャーナルに載るかという問題である。私がアメリカに来た目的の一つは、この点と関係する。一つのargumentをロジカルに提示すれば論文にはなるが、今どのような研究が求められていて、主張をサポートするためにはどのような素材や方法が支持されていて、どのような研究に「意義」があると思われているのかは、実は社会的に決定されている部分も大きい。日本社会を対象とする場合には、単に日本の事例を検討してこういうことがわかりました、だけではアメリカのジャーナルには載りにくいだろう。残念ながら、アメリカの社会学はアメリカを前提に成立しているので、日本を対象にしたところで「なんでわざわざ日本なの?」と聞かれるのが関の山だからだ。これはtipsになるかもしれないが、私は自分の研究が日本から示唆を得て成立していることを前提に、日本の事例が当該分野の研究に対してどのようなpotential implicationをもたらすかを常に考えている。これは、誰も明示的に教えてくれないし、「アメリカでアメリカ以外の研究対象を選ぶ人のための研究入門」みたいな教科書があればよいが、そんなものは存在しない。しかし、この発想は必須である。詳細は省略するが、要するにアメリカだけを見ていては理論的な議論の重要な部分を見落としてたりするんじゃないでしょうか?という気持ちで私は論文を書いている。これが、日本を事例に研究を続けたいと考えているドメスティックな志向と、社会学や人口学一般の理論の上に貢献をしたいと考えているアカデミックな志向の妥協点になっている。ウィスコンシンに来て、この妥協点の上に立ちながら、どういう問いをRQとして提示するか、その問いを提示するまでにどういった先行研究を持ち出せばいいか、といった点に関しては、ファカルティや同僚から非常に大きな示唆を得ており、ここに来て良かったと考えている。私の日本を事例にした階層論や人口学に対する研究の姿勢は若干歪んでいるというか、素直に社会学部の教育を受けて出来上がるものでもないので、なかなか一言で言うのが難しい。ただ、今のような考えに至った経緯については後悔していないし、現在はこういうハイブリッドな考え方は、日本で教育を受け、研究している研究者とも異なり、アメリカで教育を受け、研究している研究者とも異なる、自分のオリジナリティだと思うようになっている。自分の考えに近いのは今の指導教員であり、彼はアメリカ人だが、日本に長く滞在し、基本的に全ての論文は日本を事例にしているが、アメリカのトップスクールでテニュアを取り評価を得ている。日本の事例を取り上げる際に陥ってしまう地域的な固有性を強調する志向を「脱文脈化」させつつ、アメリカを中心としてできて来た先行研究の知見自体も「脱文脈化」ないし「再文脈化」させる作業は、大変なことも多いがやりがいも感じる。

振り返ると、1学期目からこうした「妥協」をしているのは、何度か学会発表や査読、ないしインフォーマルな機会で自分の研究を英語圏の研究者に提示する機会を経て、(少々残念ではあるが)自分がやりたい研究が、相手が求めている研究と一致しない(=査読に通らない、評価されない)こともあるということを学んだからである。ただ、これは単に残念という言葉で片付けるには勿体無い。日本の文脈を共有していない読者に対して、社会学や人口学の一般的な理論の上に立って日本の事例を紹介する過程を通じて、著者自身が当初意図していなかったような、事例研究を飛び越えた意義を見つけることができるからである。この「英語論文の発見的作用」ともいうべき役割に気づくと、論文執筆は、単純に「今、日本がどうなっているのか」を明らかにすること以上の知的刺激に満ちた冒険になる。段々、私の考えが歪んでいることが伝わってきただろうか。私は自分が「妥協」をしているとは思っているものの、その妥協に対して積極的な意義を見出している。

ジョブトーク
アメリカに来て最もエキサイティングな経験として強く印象に残っているのがジョブトークであり、これは日本では目にすることがないイベントである。就活の慣行は分野によって異なるので、はじめにアメリカの社会学に関して確認しておく。まず、学部や研究所がポジションの募集を始める。ここで、分野を限らないオープンなものから、特定の分野に絞った公募をすることもある。また、social justiceとも関連するが、多様性を考慮してアカデミアでunderrepresentedされてきたマイノリティを優先的に雇用したり、学部の特段の必要性を満たすためのtarget of opportunity(ToO)といった制度もある。最近では、大学が主導して学際的な分野を作るための公募もあり、この場合は各ポジションに分野名が付され、そのポジションに採用された場合には所定の学部に所属しつつ、学際的なポジションにおける仕事もこなすcluster hireと呼ばれる制度もある。

このように、ポジションの募集自体は様々なメカニズムから成立するが、一度募集が始まれば、基本的にプロセスは似通っている。まずは書類選考。応募者はライティングサンプルやシラバスのサンプル、並びに履歴書や推薦状を用意して提出する。そこから、面接に呼ばれるのは1-3人ほど。非常に狭き門である。また、面接(フライアウト)も非常に過酷で、2ー3日の滞在中、プライベートな時間はほぼないといってよい。朝からファカルティの教員との朝食、ファカルティの車に乗って学部に行き、いくつかの個人面談、そしてメインイベントのジョブトーク、終了後に院生とのランチ、再び教員との個人面談、そして教員とのディナーといった予定が続く。cluster hireのように複数の分野にまたがる公募の場合には、二回ジョブトークをすることもある。人生で何度も経験したい類のものではない。しかし、ジョブトークは非常にエキサイティングなイベントである。まず、候補者は自分の就職がかかっているので、本当に自信のある研究を、何度も練習してプレゼンする。ファカルティも、仮に候補者を採用した場合、最低テニュアを取れるまで投資をしなくてはいけないし、テニュアを取れないような教員は(テニュア審査までに投資した分が戻ってこないため)採用したくないので、非常に慎重に審査する。特に、assistant professorのような若手を対象とした公募の際には、現在の業績だけではなく、その人がテニュアを取れるか、という意味で研究のポテンシャルという不確実なものを評価しなくてはいけないので、慎重さは極まる。表向きはみんなフランクで笑顔に満ちているが、これは表向きのパフォーマンスといったところで、複数の候補者から誰が学部に採用されるべきか、みんな真剣に考えている。学生たちも、将来ジョブトークの場に立つことを目標にしているわけで、生きた教材を直接目にできるられる機会は非常に恵まれているし、話から伝え聞くよりも勉強になることは多い。トップスクールに採用される候補者はトップスクールの出身者であることが多いのにはいくつか考えられる要因があるが、その一つはトップスクールの方が教員のポジションが相対的に多く、ジョブトークが頻繁に行われる。出してくる候補者も非常に優秀な人が多く、早くから就職活動について意識的になれることもあるだろう。

幸運なことに、今年は複数のジョブトークが行われ、一年目から多くのトークを目にすることができた。ToOが1つ、cluster hireが3つあり、うち社会学部が主催したトークが5つあり、合計6つのジョブトークに参加した。その中でも、候補者とのランチに5つ参加して、候補者の人たちから、色々と本音を聞くことができた。その中でも最も興味深かったのが、現代韓国研究のcluster hireであり、このポジションの最終候補者は全員社会学者だったので、3人のトークを聞くことができた。興味深いことに、このポジションは「現代韓国社会」を「質的な方法」で研究している人を採用するという、今後数十年アメリカでも見られないようなユニークな公募であった。また、最終候補者も全員が韓国人の女性研究者であり、様々な要因があらかじめ揃っており、いくつかの点について比較をすることができた。トークやランチに参加した院生はフィードバックを送ることが推奨されており、日本を対象に研究している自分にとっても、現代韓国研究の先生は関心が近い可能性が高く、慎重に、1日かけてフィードバックを作成した。自分なりに誰を採用したいかは考え、文章に残した。もちろん、自分の考えが決定に影響するわけはないのだが、仮に採用する側になってみて考えると、誰を採用するべきかという思考で録画されたジョブトークを何度も聞くことになり、得るものは非常に多かった。今回のジョブトークを振り返って、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切であることを感じた。先ほどの問題に戻るが、「なんで韓国なの?」「それって韓国だけでしか見られないんじゃないの、どういう意味があるの?」といった、それだけ見れば馬鹿げたようなものである。しかし、一歩進んで、その事例から社会学一般にどういったインプリケーションがあるのかを考えるという意味では、やはりなぜその問いが韓国を対象にしていて、そこから何が導き出されたのかを考える必要はあるだろう。もちろん、別に韓国に限ったことではなく日本でも台湾でも、ひいてはアメリカを事例にしても、なお考える必要のある点である。

メンタルヘルス
言葉としては知っていたが、大きく考えを改めるに至ったのがメンタルヘルスである。院生は鬱になりやすい。それは事実として知っている。要因として、業績主義のプレッシャー、教員との開放的でいるとは言えない関係、経済的な不安、熾烈な競争、色々とあることも知っている。それは日米で共通だろう。異なるのは、メンタルヘルスに対する考え方と、その考えに基づく取り組みである。日本時代にいた研究室では、メンタルヘルスを悪くすることはどちらかというと、個人が陥りがちな病気といった印象が近く、誰にでもなってしまう可能性があるが、なった場合はカウンセリングに行ったり、多少研究をストップしてみたりといったことしか想像していなかった。もちろん、私の知らないところで色々と取り組みがあったのかもしれないが、あまり公にはなっていなかったと思うし、そういう意識は共有されていたとは言い難い。

これに対して、うちの学部では、院生自治会に当たるSGSAという組織の下にメンタルヘルスとウェルネスに関する専門のセクションがあり、何人かの院生がメンタルヘルスを悪化させないような予防策を検討している。一言で言ってしまえば、メンタルヘルスが悪化する原因は、研究というプレッシャーを一人で抱え込んでしまうことにあり、そう言った状態に陥らないようにピア(同僚)によるサポートが必要になる。自治会では、研究に直接関係ないようねピア・ネットワークを構築できるような機会を提供している。例として、ポットラックや、Mindfulnessを維持するためのワークショップなどである。こうしたイベント以外でも、学生個人々々のメンタルヘルスに対する理解は深く、個人が陥る病気ではなく、メンタルヘルスを悪化させるような社会的な要因があり、それに対して介入できる(と明確にいうわけではないが)という意識があると感じた。他のプログラムや学部でどういう取り組みがされているのかはわからないが、うちの社会学部では、多くの院生が大学院生活は孤独で辛く、それをみんなでサポートしていくことが必要であるという意識が強い気がした。

まとめ:ハイブリッドなアイデンティティ?
まとめれば、今学期は非常に濃密に、瞬く間に過ぎ去っていった。その中で私の価値観も日々めまぐるしく変わっていった。まさしく疾風怒濤(Sturm und Drang)である。思えば、この数年は変化が欲しかった。東大に入学し、今後も自分の人生に影響を与えてくれるような人たちに出会えたことは貴重だったが、東大という環境に少し身を長く置きすぎていたと感じていた。マディソンに来て、日々様々な考え方に触れ、少し幅も出て来た気がする。その意味で、私の博士課程留学の1学期目は非常に充実していたが、このような考えに至ったのも、日本での経験がもとになっていることは間違いない。仮に、日本で修士や博士をせずに直接アメリカに来た場合と、一定程度研究者としての生活を始めてからくるのとでは、同じものを目にしても、異なる解釈に至るだろう。私はいまだに、自分の研究や考え方が、日本時代の経験に強く影響されていることを感じている。その中で、なぜ二つの社会で、こうまで異なる考え方をするのか、あるいはしないのかについて思いを巡らすことも多い。大げさにいってしまえば、私は自分自身の経験を対象とした比較社会学的な研究をしているかもしれない。こうした比較を通じて、私自身、少しずつではあるが、日本で育った研究者としてのアイデンティティに加えて、アメリカの(中西部という)土地に生活しつつ、社会学PhDで教育を受け、研究をしていることによって形成されるアイデンティティの二つがハイブリッドに混ざり合っていくのを感じている。当初、私は日本時代の経験を置き去りにして、アメリカの価値観に完全に適応してしまうことを恐れていたというか、そうならないようにしていこうと思っていたフシがあるが、鼻からそういう可能性は存在していなかった。両方の社会において軸足を置いて研究している以上、私の研究者としてのアイデンティティはハイブリッドなものにならざるを得ないのだ。

もちろん、その比較から、何か本質めいたものを見出すつもりもないし、できもしないが、2つの異なる環境にどっぷり身を浸かることで、多少捻じ曲がった、それでも異なる角度から見ればユニークなアイデンティティが形成されているのではないかと思う。そういう意味で、東大での経験も、マディソンでの日々も、同様に私の人生を豊かにしてくれているのではないかと考えている。ここに至るまで紆余曲折はあったが、今を楽しみ、これからも研究を楽しみながら進めていき、いくつかの人生の目標を実現したいと考えている。
人口学研究所の看板

今学期の我がオフィス

December 22, 2018

Paper published

My paper coauthored with Sho Fujihara (UTokyo) has been published (online first) in Research in Social Stratification and Mobility. This paper is about educational assortative marriage, which is my favorite topic. Results show that assortative marriage by education has declined from 1950 to 1979 (birth cohorts) in Japan, but gender asymmetric structure has not changed. If you are interested in assortative mating or categorical data modeling, please read it.

By the way, for some reason I needed to look back on a submission history for my RSSM paper, so here is what I know.

Submitted: Aug 8, 2017
Paper sent for review: Sep 8
First R&R: Jun 19, 2018 (!!)
Revision submitted: Aug 18
Second R&R: Oct 8
Revision submitted: Nov 15
Accepted: Dec 20

What I learned from this publication: Hold your horses, but always be prepared. Peer review process takes a long time, sometimes longer than you'd hope (10 months!). Also, results come suddenly, and sometimes we are allowed to have only two months for revision.

December 17, 2018

Paper published

Uchikoshi, Fumiya and Ryohei Mogi. 2018. “Order Matters: The Effect of Premarital Pregnancy on Second Childbearing in Japan” Demographic Research

Paper is out in Demographic Research. Applying a life-course approach, I examined a consequence of premarital pregnancy on subsequent fertility in Japan. Results show that this is related to increasing risk of second childbearing. I have more than 20 comments on this paper since I came to Madison, but this is still my work.


December 14, 2018

12月13日

今日は久しぶりにじっくり論文を書くことができて楽しかった。

明日のジョブトークに備え、候補者の論文を読む。トークやランチに参加した院生はthoughtsを送ることが推奨されてるので、自分なりに誰を採用したいかは考えた。もちろん自分の考えが決定に影響するわけはないけど、仮に採用する側になってみて考えると、得るものは多い。やはり、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切。

今回のようなアメリカ以外の特定の地域に絞った研究の場合は特に。社会学では、ある特定の地域の専門家であることを強調すると、地域研究者として分類され、就活上デメリットになる可能性もあるけど、その地域のスペシャリストだからこそ、地域を飛び越えた知見を導出することが期待されるのだと思う。

December 12, 2018

社会階層研究の進め方

命題を知る
・LZ
・FJH
・MMI
・Rational choice
・Diverging destinies
・Educational credentialism
・College as a great equalizer
・Assortative mating - preference or constraints?

命題の前提を確かめる
・メカニズムは?どの社会でも通じるのか?→疑問が浮かべば比較する
・いつ?→古ければアップデートできる
・男性だけ?女性も含む?
・白人だけ?マイノリティも含む?

データの性質を確かめる
・クロスセクショナル?
・パネルデータ?
・key variableの操作化は十分?
・セレクションバイアスはないか?



December 10, 2018

12月10日-3度目のジョブトーク

いつのまにか今年が終わろうとしている。渡米してから4ヶ月近くである。
今日は若干の頭痛があり、あまりはかどらなかった。テスト勉強のため土日も大学に来ていたが、正直疲れている。

朝は人口学の授業、続いて遅れてジョブトーク、候補者とのランチ、統計のラボ、その後人口学のレポート。ラボでは、residualのvarianceがnormalかどうかと、homoskedasticityの仮定の違い、あとはsuppresorがmediatorにもconfounderにもなりうるというのが収穫だった。とはいえ眠い。

今日のトークはサンプルをかなり特徴的なグループに絞った割には、そのレバレッジを活かしきれていない印象だった。それゆえ研究のインプリケーションが分からないというコメントが多かった。知見が韓国における何かを典型的に示しているのか、あるいは他の社会にも通じるのか、あたりが欲しかった。

しかし、ジョブトークのレベルの高さというか、真剣さ、スケジュールの大変さには下を巻く。学会報告はできるし、論文も投稿→掲載もできるだろうけど、ジョブトーク周りのイベントを乗り越え就職する自信は現時点ではない。起床→ファカルティと朝食→ファカルティの車でホテル発→ファカルティと1:1面接×3→ジョブトーク→院生とランチ→再び1:1面接×3→ファカルティとディナーみたいな日程。果たして、こんなに大変なジョブトークをくぐり抜けて就職することができるのだろうか。それとも、そもそも呼ばれないのだろうか。

今日の候補者は社会学プログラムのトップ30にギリギリ入る州立大の出身者の人だったが、院生とのランチではR1の大学に就職することと、それ以外の大学に就職することの協会を明確に分けていた。あるいは、その人の大学では5年間のファンディングがあるが、1年目はグレーダー、2ー3年目はTA、4年目からはインストラクターとしてのティーチングが基本らしく、フェローシップやRAはないらしい。話をしながら感じたのは、どことなく、その人の大学はR1には入るだろうが、シンボリックにはトップ30に入るそれ以外の大学と、トップ30外の大学の間に位置付けている気がした。全く話が噛み合わなかったわけではないのだが、どちらかという研究の話よりも、大学間の違いをすり合わせている間にランチが終わってしまった感じがある。今回の韓国研究の候補者二人を比べると、最初に来た人の方が、うちの大学とカルチャーというか、研究環境が相対的に近いような気がした。州立と私立という違いがあれど、何かが近かった気がした。まだうまく言語化はできない。


December 7, 2018

12月7日-再びジョブトーク

9時から人口学大学院セミナーの最終回。前回終わりきらなかった部分を議論してから、レポートの進捗確認。後ろが詰まっていた(ジョブトーク)ので、最後に報告した自分は言葉足らずのままに終わってしまったけど、ジョブトークのためにあまり集中できなかったので結果オーライかもしれない。タームペーパーの進捗確認はテーマが似ている人同士がペアになって互いの論文にコメントし合うというもので、ユニークだった。かなり楽観的な評価だが、割と先生は自分のレポートを買ってくれるのではないかと思う。人口学セミナーの最初の方で、classificationと国勢調査の関係についてのリーディングを読んだので、それに寄せて職業分類についてのレポートを書いていた。

そのあと、ジョブトーク。今回は前回よりもファカルティの先生がいた。議論もまずまず。集合的沸騰まではいかなったけど、今回の枠に応募している人の中では、多分盛り上がった方に分類されるのではないかと思う(他の候補者は来週だが)。

その後、院生とのランチ。今回はランチで話したことを口外しないという約束はなかったので、多少の雑感を書いておく。

今回のキャンディデートの人は様々な意味で興味深かった。現代韓国を対象に、ジェンダーと不平等を軸に質的調査をしている人だが、分析のアプローチは違えど、関心が非常に近いので、将来の自分を重ね合わせてしまう。ジョブトーク含め、どの質問にも的確に答え、自分の考えを付け加えるという意味では、隙がなかった。ただ、他の候補の人に比べると、多少回答が冗長だったかもしれない。もちろん、それは知識があることを示しているかもしれないが、まあ個人の好みの幅かもしれない。

次に、候補者の指導教員が自分が一緒に研究したいと思っていた人で、その意味でも重ね合わせることになった。違いが手法にあると言ったが、候補者の関心はよりジェンダーやcultural normの方にあり、私はもっと人口学的なアウトカムに関心があるので、完全にはかぶらない。

話を聞くうちに、ジェンダーと質的手法がメインの関心というか、「武器」なのだなと思った。どう言った授業を院生向けに考えているかという質問に対しては、はっきりとジェンダーの授業と質的手法の授業と答えていた。特に、後者は従来のような授業ではなく、ビックデータ時代に質的方法は何をできるかという観点でやりたいということで、発想の柔らかさを感じた。また、質的な人口学の研究もしているということもあり、人口学の授業を量質両方の先生が一緒に教えるというアイデアは面白いなと思った。

いろんな意味で、日本と韓国は似ている。自分が似たような家族環境で韓国に生まれたら、どうなっていただろうか、と考えることもある。この一見すると似過ぎているとも言える社会をどう比較するのか、比較することで何が見えてくるのか、自分と考え方や研究関心が似ている人を見ながら、今後の研究についても考える時間になった。また、アジア系の男性で計量やる人は英語能力に問題を抱え、数と対話しているので(鶏と卵)、結局母国に帰る傾向にある、と正直に言ってくれてよかった。

December 6, 2018

12月5日-ジョブトーク

今日はジョブトークがあった。cluster hireという、大学が先導してある特定分野の教員をまとめて募集するというもので、今回はreproductive health。ジョブトークの前にキャンディデートの人とランチ。採用後にはpopulation healthとsocial work、およびgender studiesも兼任するらしく、それらの学部の学生も少し来ていた。

ジョブトークの方だが、時間が少しイレギュラーなこともあってか、教員の数が少なかったのは少し残念だった。トークは勉強になったが、全体的にこれまでのジョブトークやコロキウムトークに比べると盛り上がりに欠ける印象だった。本当に凄い発表というものは、分野外の先生に対しても響き、彼らもポテンシャルのあるコメントを残す。今日はそういう教員がそもそもいなかったのが残念だった。もしかすると、cluster hireは余り学部がイニシアチブを取れないのかもしれない。とはいえ、もっと来て欲しかった。

12月4日-demsem, networking, 学会

今日のdemsemのスピーカーはスタンフォードのbio-demographerの人で、序盤で疫学における因果推論のconsistencyの重要性を指摘していた。たぶん統計で習う一致性とは異なり、同じ100ドルが健康に与える影響でも、収入による100ドルとくじによる100ドルが同じ、という想定らしい。

socio-genomicsが流行っているアメリカの社会学では、bio-demographyのトレーニングを受けた人の活躍の幅は広がりそうである。うちの学部では2日に1回はマット・デスモンドという単語を聞くが、同じ頻度でpolygenic scoreやGWASという単語も飛び交う。それくらい流行っている。毎度のことながら、批判的人種理論と社会ゲノミクスの研究者が同居するのは不思議としていいようがない。

ミシガン大で来年の6月に開かれる社会ゲノミクスのワークショップはさすがに自分の研究に使う段階ではないので行かないけど、来年のアメリカ人口学会で1日で終わるワークショップがあるので、それは行こうと思う(というか登録した)。今日の報告者の人も、個人のgenotype統制して信頼区間めっちゃ縮めたそうだったので、遺伝自体に関心がなくとも、推定の精度を高めたいという目的で使用したいと考える人は多いだろう。

人口学のセミナーでも、普通にmethylationという単語が出てくる。辞書で検索してメチル化か〜と納得するふりはできても、そもそもメチル化が何か全く分からないから、こういうワークショップで勉強するのが手っ取り早いだろう。

余談だが、今日のスピーカーの人は、Robert Wood Johnson Foundation Health & Society Scholarとしてセミナーのオーガナイザーの先生と同じ時期にポスドクやっていたみたいで、社会学と人口学のトレーニングを受けた後にこういう人とオフィスをシェアできるのはポスドク経験として有益だなと思った。

続いて、プロセミナーでは、前半で公共社会学、後半でネットワーキングについて。公共社会学にも色々と定義はあるが、従来のcommunity organizingと余り変わらないことをやっている人もいる他、自分の研究を一般の人にもわかりやすく伝えていこうとするpublic writingは、自分でもできる実践なのかなと思った。

後半では、今学期にリタイヤするファカルティの大御所の先生。アメリカ社会学会の副会長まで務めた有名なジェンダー研究者。ASAやPAAと言った大きな学会では人と話す機会が少ないので、自分の知っている研究者が参加する小さな学会(ジェンダー研究の場合にはSWS, society for women in sociology)から始めることが重要といっていた(start with small conference)。また、(分野にもよると思うが)自分の研究が必ずしも伝統的な社会学の領域に収まらない場合には、これとは別に地域学会などの分野横断的な学会に参加することがいいということだった(networking outside the sociology)。また、学会とは別に1ー2年に1回の頻度で開催される本当に小さな、数十人規模のカンファレンスにも足を運んでみることもできる(panels at small conferences, special purpose conference)。

これらの学会活動とは別に、大きな学会は大抵セクションごとに分かれているので、そのセクションの学生代表(student representative)ないしnewsletter editorになると、必然的にその分野の先生、特にセクションの代表に選出されるような有名な人と知り合いになれる点が指摘されていた(working with people elected as a leader)。ただし、前者は仕事量が多すぎることがデメリットらしく、コスパよくネットワーキングをするのであれば後者のエディターが良いということだった。

自分のケースに当てはめてみると、地域学会としてassociation for asian studiesには入っていたが、確か年会費を払っていなくて大会になっていたかもしれない。でも、メールニュースはまだもらっているので、機会があれば参加してみようかなと思う。分野別の小規模学会としては、すでにRC28にコミットしているので良い。メインの所属はPAAだと思うが、ASAとどれくらい関わっていくかは今後の考慮事項。考えているセクションは、IPM, Population, Family、どれも研究と関連が深いので、エディターは考えてみるかもしれない。

また、大規模な学会ではネットワーキングが難しいというのは学会側も承知しているようで、ASAの場合にはround tableがthe best session for networkingとして用意されている他、PAAでも(30 bucksかかるが)mentoring lunch が用意されている。

PAAのregistrationとworkshop登録を終わらせて、旅程を変更した。日程を確認すると、ポスター報告が11日に3件入っていて絶句した(自分で報告するのは2つ)。PAAの暫定的なスケジュールは公開されている。

December 4, 2018

12月3日(続き)

人口予測で書き連ねてしまったので、続き。

昼食をとって、統計のラボの時間まで人口学の課題を進める。ラボではmissing dataに関する説明。TAの先輩がベイズ統計の授業をとっているらしく、先生よりだいぶわかりやすく詳細だった。この日からスタンディグデスクを導入してみたが、当たり前かもしれないが立っていると眠くならない。さらに、頭が疲れる前に足が疲れるので、疲れすぎないタイミングで適度に休憩できる。普段よりだいぶ集中的に取り組めた気がする。

その後、統計の勉強会までに人口学セミナーのレポート作り。今日終わらせようと思っているところまではできたので、多少は満足。

PAAからメールが来てワークショップ一覧が送られて来たが、その前にregistrationをする必要がある。いつになれば研究所はお金を出してくれるのか、それとも参加費は自腹ないのか、よく分からないのでメールしないといけない。聞くところによると、700ドル一律支給らしいので、これに参加費が含まれているとうすれば結構ギリギリかもしれない。何を隠そう、州立大学なので。

帰宅するとStratification in higher educationが届いていた、日本でもご存知の方は多いのではないだろうか?私もShavitの名前は知っていたが、編者の一人のGamoranは兵学に最近までいた教育社会学の専門家だった。彼の後任は統計を教えているEricで、彼も寄稿している。全員調べたわけではないが、Shavit, Gamoran, EricそれにParkさんもいるので、ウィスコンシンネットワークは強い。なぜこの本を注文したのかは忘れたが(だいたい本が届くくらいの時期には注文した同期の半分は忘れている)、高学歴化と同類婚の論文について考えているところだったので、参考になる記述があった。行き詰まった時はアナロジーで他の研究から示唆を得るというのは、誰かが言っていた気がする。ここ数年で初めて、書いている論文がない状態なので、そろそろ取り掛かりたい。ASAに出したいが、間に合わない場合はバックアップを用意している。と考えていると、多分間に合わないのだが。

ということで、気分の落ち込みからは多少回復し、研究について少し前向きに考えられるようになった。すぐ忘れるので、自分の記録はこまめにつけとかないといけない気がする。

12月3日(人口予測)

今年もそろそろ終わりかけようとしている。師走の忙しさは期末試験とレポートから始まるとはよく言ったもので、感謝祭後に生活リズムが狂ったのを許してはくれない。というか、冬休みが間近にあるのに感謝祭で1週間休む合理的な理由が見つからない。来年は、1週間日本に帰ってやりたいくらいである。

ここ数日、というか1週間近く、太陽を拝めない日々が続き気が狂いそうだったが、人の慣れは怖いもので、今日はまた曇っているかくらいの気持ちで大学に登校した。

1限は形式人口学、いよいよpopulation projectionに入ってきた。相変わらずRowlandの教科書を使って、実習や宿題が課される。この教科書、たまに誤記があったりするが、味気ない形式人口学の世界に現実味を加えようとしている点では、入門書としては最適だろう。自分が人口学を教えることがあれば、この教科書を指定したい。他にもいい教科書はあるが、次点として挙がるPollardはほぼ絶版しているので入手しにくい。定番のPrestonやWachterのEDMは初心者には高難度である。Rowland -> Preston -> Wachterが順番としては良いのではないだろうか。1年くらいかければ習得はできるだろう。

今日の授業では、projectionにおけるいくつかの想定が紹介される中で、Ron Leeの以下の論文が紹介されていた。
Lee. 2004. Quantifying Our Ignorance: Stochastic Forecasts of Population and Public Budgets. PDR.
この論文では将来人口の予測をする際の不確実性にどのように対処するかについて論じているが、その中でセンサス局と社会保障局(SSA)の人口予測の仮定が異なっていることを指摘している。具体的には、センサス局では高出生、低死亡、高移動を仮定している一方で、SSAでは高出生と高死亡・移動を仮定している。前者の想定によれば、人口成長が最も進みやすくなるが、後者の想定に従えばold-age dependency ratio(生産年齢人口あたりの65歳以上人口)が最も低くなり、人口成長は安定的になりやすい、すなわち将来の社会保障費用を予測しやすい。こう言った行政の予測では、high, middle, lowのシナリオが用意されることが多いが、筆者によればこれらシナリオを用意するアプローチは確率を考慮していないとする。そして、これらの想定の妥当性は明確ではなく、人口成長を強調したいセンサス局・OADRが低くなるように見せたいSSAの思惑があるのではないかと疑われても仕方がない。

日本では、社人研以外に人口予測をしているのか分からないので、こう言った比較ができるかは怪しいが、社人研がどう言った想定に基づいて人口予測をしているのかは気になるところである。これと関連して、数年前にバズったいわゆる「増田レポート」を思い出した。

このレポートでは、社人研の推定を元に自治体別に20ー39歳の女性人口を予測した結果、2010年から2040年の30年間でこの年齢に属する女性人口が半減する自治体が全体の2割を超える、という提言をしている。これは報告書の主張の一つで、自治体間を移動するnet migration rateは「2005~2010 年の性別・年齢階級別の率が2020 年にかけて概ね 1/2 程度に縮小する」とされているが、後半では人口移動が縮小しないシナリオに基づいて予測をしており、「消滅可能性の高い」自治体の割合は全体の半分になるという。

「増田レポート」でググったところ、基本的に言及されているのは後者の結果だった。まあ、消滅可能性の高い自治体が全体の半分に上るというのはインパクトが強いので分からなくもないが、この二つのシナリオからわかることは、人口サイズが相対的に小さくなる自治体レベルでは、「移動」の程度をどのように仮定するかによって推定の結果が大きく異なることである。

人口移動が収束する場合と、しない場合、どちらが現実的な想定なのだろうか。収束するという仮定は、なぜそうなるのかの説明が全くないので、よく分からない。とはいえ、最近の政府の政策を見ていると、明らかに人口移動を鈍化させる、言い換えれば東京への移動を抑制する方向にシフトしている。収束しない、つまり人口移動の程度が現在と同じ水準で持続する場合の方が現実的に聞こえるが、かなり保守的な想定だろう。自治体レベルの人口予測においては移動が占める要因が大きいことを考えれば、確率的な計算に基づいて確率区間を示した方が良いように思える。

時間があればこういったアプローチで将来の地域別人口推計はできると思うので(すでにやられているかもしれませんが)、政府の言っていることに人口学的な方法でいちゃもんをつけたい方はぜひトライしてみてはいかがでしょうか。

December 2, 2018

12月第1-2週の予定

3日(月)
09:30-12:00 demtech
12:30-13:20 demtechのレポート
13:20-15:30 lab session
15:30-15:45 demtechのレポート(続)-分析結果までは終わる。
15:55-17:45 人口学セミナーレポート
18:00-19:00 統計の宿題
19:00- 統計の勉強会
4日(火)
10:00-12:10 人口学セミナーレポート
12:15-13:30 Demsem
14:00-14:30 Universal design workshop
14:30-15:45 Soc 361
16:00-18:00 Proseminar
18:00-20:00 統計の課題、PAAの登録、メールの返信
5日(水)
9:30-??:?? MA thesis defense
8:30-9:00 jobtalkerの論文を読む
9:00-9:25 メール
9:30-10:05 同類婚の分析
11:30-12:40 Job-talker lunch
13:00-13:45 Mental health workshop
14:00-15:15 CDHA
15:30-17:00 Job talk
17:00-18:00 人口学のレポート
19:00- 統計の勉強会
6日(木)
7:00-9:00 査読修正、レポート、二日間の振り返り、地熱(全て終了!)
11:00-14:00 同類婚の分析
14:30-15:45 Soc 361
16:00-20:00 971の用意・統計の勉強・ジョブトーカーへの質問を考える・論文へのコメント
7日(金)
09:30-12:00 Soc971
12:00 Job talk
14:00-15:15 Job-talker lunch
8日(土)
16:30-Proseminar dinner

週末以降の予定
×DR論文の校正
×評論論文の校正
×テスト勉強
・demtechの復習
・同類婚の分析
×SSNの提出
×香港
×人口学のレポートを進める
×地熱

10日(月)
09:30-12:00 demtech
10:30- Job talk
12:00-13:15 Job-talker lunch
11日(火)
12:15-13:30 Demsem
14:30-15:45 Soc361 exam
16:00-18:00 proseminar
12日(水)
14:00-15:15 CDHA seminar
13日(木)
14:00-16:00 SGSA meeting
14日(金)
12:00 Job talk
13:30 Grad student potluck
14:00-15:10 Jobtalker lunch
Soc674 report due
15日(土)
15:00 CDE party

12月2日

ここ最近、全く日差しが空から顔を見せない日々が続き、日照時間や寒さの問題よりも、陽を浴びられないことによるストレスが大きいです。

今日は若干早め(それでも9時とか)に起きて、11時に大学へ。スタンディングデスク用のアジャスターを導入して、比較的集中して作業できました。主に形式人口学の課題、共著論文の修正、来週のジョブトークの人の論文、自分の研究など。あとは、人口学のレポート。

December 1, 2018

今学期の反省

今学期を振り返ると、最初の数ヶ月は慣れるのに精一杯だったように思います。それから、少し慣れて、集中的に勉強できたんですが、感謝祭の間に緊張の糸が途切れてしまった、結果的に最後は少しだらけてしまいました。

最初の数回の授業は、どういう感じで授業が進むのかもわからず、慣れるまで予想より時間がかかった印象があります。基本的には、授業中でも積極的に発言することには寛容で、割と自分の理解が追いついていない時に、もう一回言ってくれます?みたいな発言もみんなよくしていました。could you repeat again?と言いたい時もあったんですが、どこか怖気付いてしまいそういった発言できず。やっぱり、日本の教育経験をひきずっているのかもしれません。

学期が始まって数週間後にはPAAのアブスト締め切りがあり、勉強と研究の両立が非常に難しいなと思ったのがこの時期でした。あまり予習ができなかったこともあり、反省すべき点として残っています。

人口学の大学院セミナーでは、文献4ー5つを基にインテンシブに少人数で議論する形がとられ、これが一番ストレスフルでした。やはり、発言するまでにまだバリアを感じます。自分で英語でどう発言するかを考えている間に時間が経ってしまったり、あとは質問の意図がよくわからなかったりするときは多いです。ただ、後者はネイティブの学生もわからない場合もあるので、そういう時には、彼らはどういう意味なの?と聞けるのですが、自分の場合は、理解できていないのが自分だけなのではないかと考えてしまうことから抜け出せず、この点も反省点です。

やはり、恥ずかしがらずに積極的にコミュニケーションする必要性を痛感しました。これは授業街にも当てはまり、インフォーマルな会話が研究にとっていかに重要かを感じます。気分がいいときは自分でも声をかけられるのですが、眠かったり、気分がすぐれないときは怖気付いてしまうので、やはり体調を整えることも大切なのかなと思います。

単位を取り、試験をパスするだけなら、おそらくそこまで難しくないのではないかと思うのですが、よりアクティブに学んでいこうとする時には、まだまだ乗り越えなければいけない壁があるなと感じた一学期でした。

12月

いよいよ年の瀬ですね。12月25日に帰国して、3週間程度滞在します。会いたい人、食べたいものがたくさんで困ります。

授業らしい授業は終わったので、残すは大小のレポートです。授業が終わったので、研究にシフトしたい気持ちもありますが、今学期勉強したことを振り返りたくもあり、またnetflixでドラマ見たい気もあり、時間は足りないです。

How to get away with murderというロースクールを舞台にしたスリラーを見ているのですが、4シーズン60エピソードを集中的に見たら多少リスニングが向上したような気がしました。このドラマはダイバーシティに配慮していて、アメリカに来るまではあまり聞き慣れることのなかった黒人英語も多く聞くことができるので、慣れるためには役に立っています。

多少心境や対人関係の変化もありますが、やはり気を抜かずに勉強することが大切だなと感じました。今日の人口学セミナーは、いつものようなメモはせず、しかも前日ほとんど眠れなかったので(感謝祭以降から生活リズムが崩れがち)、今学期一番発言できなかったかもしれません。やっぱり恥ずかしいというか、もったいない気持ちがあるので、来学期のセミナーの授業はちゃんと予習してメモを残そうと思います。

日本に帰国したら食べたいもの・行きたい店・買いたいもの

日本というか東京だった。大学院時代によくいってた店が多い。さすがに数日の東京滞在で全ては回れなさそうなので、多少絞る必要がありそう。

本郷
・こくわがた
・山手
・織恩
・ねむ瑠
・赤門ラーメン
根津
・車屋
巣鴨・大塚
・ときわ食堂
・ぼんご
吉祥寺
・いせや
・タレカツ
御茶ノ水
・川菜館

・Asicsのビジネスシューズ
・メガネ
・サランラップ
・創味シャンタン
・スマブラ
・お土産用のお茶
・いらないスーツ
・お茶(緑茶・烏龍茶)
・目のケア(目薬、アイマスク)
・日本でしか買えない書籍、及び小説をいくつか。
・論文管理を更新する
・エージェントベースドの勉強
・髪を切る
・会いたい人に聞きたいことをメモしておく