August 5, 2019

学歴からみる「死の格差」

社会学における社会階層論では、ある人口において社会経済的地位(socio-economic status, SES)によって資源へのアクセスが不均等に分配されていると考え、この規定要因や帰結について問います。SESの代表的な指標には学歴や職業などがあり、これ以外にも人種やジェンダーによる格差も研究対象とします。非常にざっくりとした説明になりますが、人口学的な関心に立つと、ある人口(population)レベルで見たときに、関心のある変数の分布や、下位集団による違い、その時間的な変遷に注目します。社会階層論ではSES同士の関連や、集団間の違いなどに関心があるため、社会階層論的な人口学(あるいは人口学的な社会階層論)では、ある集団をSESなどでサブグループに分けたときに、注目するアウトカムにどれだけ差があり、それがどのように規定されているのかに関心があると言えるでしょう。強調すべきは個人のアウトカム自体に関心があるのではなく、あくまで人口単位で見たときのアウトカムの分布に関心がある点ですが、これは本題からそれるので省略します。population perspectiveは、具体的にはどのような政策を取っていくかと考えるときには、非常に重要な視点です。

さて、簡単に言ってしまえば格差の帰結を問う社会階層論ですが、人生の終着地点である死にも社会階層による寿命や死亡年齢の分散(後述)といった格差があります。死は、これまでSESの違いによって蓄積してきた格差が最も如実に出ると言ってよいでしょう。アメリカにおける社会階層的な視点に立った死亡研究の嚆矢はエヴェリン・キタガワとフィリップ・ハウザーによるDifferential Mortality in the United Statesです。これ以降、社会階層と死亡の関連が、アメリカでは社会学、人口学、疫学、経済学など様々な分野の研究者によって進められています(注1)。

私は死亡研究の素人ですが、プレリムの一環で死亡研究の論文をこれでもか、これでもかと読む中で、2015年に一つのブレークスルーがあったと理解するに足りました。ノーベル経済学賞を受賞したAngus Deaton氏がAnne Case氏との共著で書いたRising morbidity and mortality in midlife among white non-Hispanic Americans in the 21st centuryでは、アメリカにおける非大卒・非ヒスパニック系白人の中年層の死亡率が上昇していることを指摘しています。

この論文は一言で言うと「バズ」りました。その後に出てきた死亡格差研究のほぼ全てがこの論文を引用しているといっても大げさではないでしょう。何がこの論文をそこまで引用させているかと言うと、「一部のアメリカ人の死亡率が上昇している」という非常にショッキングな事実です。

アメリカの平均余命(時点ごとにみた1人の人間が一生に生きる期待年数)は他の高所得国に比べると低いですが、それでも上昇し続けてきました。例えば、1900年時点の平均余命は全人口で47.3歳でしたが、1980年では73.7、2000年で76.8、2015年で78.8歳となっています。平均余命の伸びは20世紀前半は急激でしたが、後半になると緩やかになります。これは、死亡の構成要因が変化したことが背景にあります。平均余命は乳児や幼い子どもの死亡率が減少すると一気に伸びる特徴を持っているのですが、20世紀前半で減少した死因は子どもが感染しやすい感染症でした。これに対して、20世紀後半の死因の多くは慢性疾患(chronic disease)、つまり脳卒中やガンといった、発症までに生活習慣が関わる病気になり、これらは人生の後半において生じる病気のため、これらの死因が改善したとしても余命の伸びは緩やかになります。

このように、先行研究の多くは平均余命に注目して社会階層の格差を検討してきたのですが、Case and Deaton(2015)の一つのイノベーションは、年齢別死亡率に注目する、というものでした。平均余命自体は年齢別の死亡率から算出されるので、どの研究も必ず計算するわけですが、先行研究では死因別・年齢別の死亡率を、下位集団に着目してみるアプローチは取られていなかったのだろうと思います。具体的にどの死因が増加しているかと言うと、ドラッグやアルコール中国、あるいは自殺、アルコール摂取に起因する肝臓の病といったもので、Case and Deatonでは絶望死(death of despair)と名付けています。特に、アメリカではオピオイド(アヘン)の医療目的での使用が2000年代から広がり、この過剰摂取による中毒死が激増しています。この「絶望死」による死亡率の上昇は中年の非ヒスパニック系白人、特に非大卒層に特徴的にみられています。年齢別死亡率が上昇しても、それ以外の年齢の死亡率が減少すれば平均余命は伸びるわけですが。2016年にアメリカでは統計を取り始めてから「初めて」平均余命が減少したことが、大きなニュースになりました。アメリカでは人種による平均余命の格差が大きく、特に黒人層の平均余命は短いのですが、白人層の余命が縮んだ結果、両者の格差が減少するという事態になっています。高所得国において余命が縮小するという現象は異常です。

なぜ非ヒスパニック系白人、特に非大卒層における死亡率が上昇しているのか。多くの研究がその要因を検討しているのが現段階です。Case and Deatonは経済格差の拡大を指摘しています。精神的なストレスの増大に原因を求める研究もあります(Goldman et al. 2018)が、Crimmins and Zhang(2019)のレビュー論文によれば、まだこの研究は発展途上ということです。

こうした文脈の中で、人口学のトップジャーナルであるDemographyにSassonという人口学者がある論文を掲載しました(Sasson 2016)。この論文では、性別、学歴別、人種別の平均余命の変化を検討しているのですが、以上3つの指標でわけた16の集団でみると、ほぼ全てのグループで平均余命は1990年から2010年の間に拡大しているのですが、ある2つの集団だけが平均余命が減少していました。それは、Case and Deatonの論文とも似ていますが、非ヒスパニック系白人で教育年数12年以下(高校中退)の男性と女性です。特に、女性においては25歳まで生きた場合の平均余命が20年の間に3年ほど縮小しているという、衝撃的な結果です。

この論文もCase and Deatonほどではないにしても「バズ」っているのですが、批判が集まっています。2017年に人口学の若手スターであるHendiがこの論文における1つの決定的な弱点と、1つの方法的な課題を指摘しました(Hendi 2017)。

前者については、この論文はDual Data-Source Biasを抱えているというものです(なんかかっこいい名前)。このバイアスは何かというと、分子と分母の間で異なる二つのデータを使用することによって生じるバイアスのことを指します。アメリカではvital statisticsで学歴を聞いているため、Sassonの論文では分子(死亡)にはvital statsを使い、分母(曝露人口)にセンサスデータを使っているのですが、Hendiの批判は二つの調査では学歴の定義にズレがあるというものでした。センサスでは、self-reportで学歴が聞かれるのですが、vital statisticsの死亡統計では、死人が自分の学歴を答えることはできないので(死人に口無し)、知人や家族といった自分ではない誰かが死んだ人の学歴を記入します。Hendiによると、両者の間で学歴のミスマッチが生じ、これが小さくない値(学歴によって異なりますが、およそ20-40%で、さらに時点によってもミスマッチ率が異なる)であることが指摘されています。そのため、学歴別の死亡率が一体何を示しているのかわからないのです。本人が間違った学歴を答えているかもしれないし(例えば高校を卒業していないのに卒業していると答えるとか)、周りの知人が本人の学歴について誤解している可能性もあります。バイアス自体が悪いわけではなく、ここではあくまで学歴間の差に関心があるため分母と分子で聞き方が統一されていればいいのですが、その聞き方が異なるデータを使ってしまうと、出てきた値が信頼できるものではなくなってしまうと、Hendiは指摘するわけです。学歴は性別や人種に比べるとこうしたミスレポートが生じやすいため、学歴格差を前面に押し出したSassonの論文は批判されてしまいました。

これに対して、Hendiは死亡がリンクしているサーベイデータ(the National Health Interview Survey, NHIS)を使って(そのため分子と分母の学歴の定義が一緒)Sassonの分析のreplication(25歳時点の平均余命の学歴、人種、性別差)を試みているのですが、結論としてはSassonは余命の学歴差の拡大を過剰に見積もっていて、結果的に人種間の格差が縮小しているという点も、誤っていると指摘しました。

これに対して、Sassonも後日リプライを用意します(Sasson 2017)。このリプライでは、Hendiの使っているデータの方が信用できないという、これもまたエグい批判をしています。Sassonの批判はNHISは二つのエラーを抱えているというものです。

一つがsystematic errorです。NHISはnon-institutionalized citizensを対象としています。日本でいうと、施設に入っていない市民ということになりますが、具体的にはケア施設や、収監されていない人が対象になっています。そのため、人口全体に比べると相対的に「健康」な人しか含まれていないので、余命が高めに算出されます。これでも学歴差は求まるといえば求まるわけですが、どういう人が収監されやすいかと考えると、学歴にランダムに収監は生じないので、やはりバイアスはあるわけです。収監されていない低学歴層は、収監されている人も含めた低学歴層に比べると特に「健康」であると考えられるので、学歴差が過少に見積もられるということでしょう。

もう一つが、ランダムエラーです。要するに、NHISはサンプルサイズがそこまで(といってもセンサスに比べると)大きくないため、信頼区間が大きく出てしまい、集団間の差が統計的に有意なものか判断できないとします。さらに、SassonはできるだけmisreportによるDual Data-Source Biasが生じないようにいくつかの学歴をマージしていると主張しています。

Sassonのリプライを持って一応論争は幕を閉じたのですが、これがつい2年前の出来事です。on-goingで日々新しい研究が出てきているので、この記事も数年後には古いものになるでしょう。

少し寄り道してしまいましたが、Hendiの二つ目の批判を述べていませんでした。個人的には、こちらの批判の方がより根本的で、社会階層研究の人も興味を持つのではないかと思います。その批判とは、学歴分布の変化に伴うselectivityの変化というものです。

平均余命は、periodレベルで求めます。これは合計特殊出生率の算出とも似ているのですが、例えば2010年の平均余命というのは、2010年の年齢別の人口を取ってきた上で(1年間の間にも人は死ぬので、2010年のちょうど真ん中の時点の人口、mid-year populationを取ってくるのが理想です)、年齢別の死亡率(age specific mortality rate)を算出します。例えば、2010年時点で40-44歳だった人が100人いるとして、このうち2人が死ぬと、死亡確率は2/100になります(死亡率rateと死亡確率probabilityは異なり、前者から後者に変換するのですが、両者の違いに興味がある人は形式人口学の世界に入ってください)。このように求めていくと、年齢別の死亡確率が求まるのですが、ここで、2010年時点の人口を、ある年に生まれたコーホートがこの確率に従うと考えるのを、synthetic cohortといいます。2010年に生きている人は、同じ年には生まれていないわけですが、仮に同じ年に生まれていたとしたら、と考えるわけです。その上で0歳の時の人口を仮想的に設定して(通常100,000)、この10万の人たちが最終的に全員死ぬまでの変遷を作るのが生命表(life table)という手法です。

生命表の話が長くなりましたが、この「平均余命はsynthetic cohortによって求まるperiod estimatesである」という点は重要です。特に学歴間の死亡格差という文脈では超重要になります。なぜなら、2010年時点で70歳の人の「高卒未満」と2010年時点で30歳の人における「高卒未満」の意味合いは、多くの社会では全く異なるからです。ここにHendiが強調するcompositional shiftによるselectivityの変化があります。

ちょっとおかしく聞こえるかもしれませんが、学校教育を終える頃に死ぬ人はあまりいません。大多数がもっと後に死にます。そのため、2010年時点の「高卒未満」の平均余命というのは、相対的にネガティブなセレクションがなかった高齢者と、現在のように強いネガティブ・セレクションが働いている若年・中年層によって構成されているのです。さらに、1990年における「高卒未満」の方が、全体としてこのネガティブ・セレクションは弱かったと言えるでしょう(前者の時点で死亡がよく起こるような年齢の人が20歳前後の時は、まだ高校修了率が高くなかった)。そのため、1990年における「高卒未満」と2010年における「高卒未満」の平均余命を比較して、高卒未満の余命が減少しているといっても、それは同じ集団を比べているのか?という問題が生じるのです。

こうした問題は学歴分布の下位20%といった相対的な学歴を考慮すれば生じないのですが、名目的な学歴分類に従って時点ごとの余命などを比較したりすると、もしその間に教育拡大を経験した集団が入ると、全体としてみれば余命は改善しているのに、セレクティビティのことなる年齢集団が混ざった学歴の余命が縮まっているように見えることがあります(Dowd and Hamoudi 2014)。これをLagged Selection Biasといいます。そのため、そもそもの問題として学歴間の余命の格差は拡大しているのか、していないのかは、こうしたbiasも含んだ上での推定になっているということです。

ちなみに、日本ではvital statisticsで学歴が尋ねられていないので、学歴別の死亡率や余命を出すことはできません。ただ、いくつかの仮定をおけば、学歴の死亡格差を見ることができます。例えば、今月の雑誌「統計」では、非国際移動・非学歴上昇・誤差なしを仮定して、国勢調査が10年おきに聞く学歴から、10年生存確率を出していました。これによると、2000年の男性70-74歳の10年後(2010年)生存確率は、高卒で75.6%、大卒以上で86.8%ということです。この年齢層で国際移動、学歴上昇は少ないと考えられるので、日本でも学歴による差があるのだろうと思われます。

教育社会学や社会階層の研究者は、教育拡大の帰結などを問うことが多いのですが、学歴からみる「死の格差」においても、分布の変化(教育拡大)は重要なインプリケーションを持っているのです。

注1:余談ですが、私は最近までエヴェリン・キタガワは日系アメリカ人だと思っていたのですが、これは誤りでした。彼女はポルトガル系アメリカ人なのですが、シカゴで日本生まれの宗教学者ジョセフ・キタガワ氏と結婚して名字を変えたようです。ちなみに、私は最近のニュースでジャニー・キタガワとエベリン・キタガワの関係性を疑ったことがあるのですが、夫のキタガワ氏の名字は喜多川ではなく北川でした。さらにちなむと、ハウザーは社会階層論の大家ロバート・ハウザー(ウィスコンシン大学名誉教授)の叔父です。

No comments:

Post a Comment