August 9, 2019

自分の学歴同類婚研究の途中経過のざっくりとしたまとめ

投稿したのはもうだいぶ前になるのですが、公募特集の機会をいただき、『社会学評論』に論文が掲載されました。

打越文弥,2019.「夫婦の離婚からみる学歴結合の帰結:NFRJ-S01・SSM2015を用いたイベントヒストリー分析」『社会学評論』70(1) 10-26.

学歴同類婚や人口学に関心のある方はぜひご笑覧(この言葉を見るたび笑うのですが)ください。ただJ-stageに公開されるのはだいぶ先なので、読みたくても簡単には読めないんですけどね、笑うしかないですね。そもそも今回の雑誌は日本の実家に届いているので私も読めません(笑)

さて、これまで出版されてる論文で5本ほど学歴同類婚を検討してきたのですが、査読で最低限質保障がされていると考え、データや手法の違いを棚に上げて少し大げさにいうと、

・同類婚のオッズは減少(Fujihara and Uchikoshi 2019, 他の研究でも指摘されており、かなり頑健)
・未婚化も進んでいるが、両者は共変関係で因果ではない(打越 2018a
・妻下降婚の夫婦は離婚しやすさは最近は確認されない(打越 2019)

これらから学歴で結婚をみる意義が減っていることが示唆される一方
・高学歴カップルの収入は高い傾向(ただし妻がフルタイムの場合)(打越 2018b
・親が同類婚していると子どもも同類婚しやすい(打越 2016

ということで、階層的な格差に注目すると、まだ学歴でみたカップルの組み合わせという視点は有力な気がしています。

同類婚のパターンやその後の離婚といった家族人口学的な変数と絡めると、そもそも結婚や離婚の意味合いが変わってきていることもあり、解釈しにくい部分もあります。

学歴同類婚がその後の格差に与える影響・プロセスについてはまだわかっていないことも多いので、引き続き研究していく予定です。

同類婚が格差に与える影響(実際はそこまで単純に語れるものではないのですが、研究群としては存在します)というのは、なかなか介入しにくいので、その点について自分で考えることはたまにあります。つまり、もし高学歴同類婚カップルが他のカップルに比べて子どもに教育投資をする傾向があったとすれば(実際にあるのですが)、子どもの教育機会に格差が生じることになるので、こういった機会の格差は縮小した方がいいと考える人が多いと思います。しかし、夫婦の結婚や出生といった事象は建前としては個人の自由選択のもとに生じているので、介入しにくいわけです。介入できないものから生じる格差をなぜ研究するのかと聞かれると、少し困ることがあります。確かにその指摘は一理あり、介入できないものを検討したところで、その知見はどれだけ格差の縮小に生かされるのか、というものです。

私は最近少し開き直って、介入できないから研究する意義があると考えるようにしています。そこまで単純に考える人はいないと思うのですが、介入できるものに全て介入すれば(例えばひとり親の子どもの教育的な不利が確認されるとして、ひとり親家庭に対してそういった不利を縮小させるようなプログラムを実施するとか)格差は縮小しそうですが、格差が全て消えて無くなるということはないのかなと考えています。個人は自分の意思で(それもどうか怪しい部分はありますが)配偶者を選び、何人子どもを産むかを考えて、子どもにどれだけの学歴をつけてほしいかを考えて(時には考えずに)教育投資をしたりするので、やはりそういう部分の格差は動かしにくい気がします。私の関心の一つを言語化すると、介入できないものが介入できるものに比べてどれだけ重要なのかを数量化して議論すること、といえるかもしれません。もちろん、間接的な介入(出生で言えば、女性の就業継続を支援することで、出生率をあげる一連のpronatalist policy)もあるとおもうので、その可能性を考えることも必要かもしれません。

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