August 3, 2019

プレリム

終わった。英語で言うと、I did it, I did it!という気分で、何を終えたかといえばプレリムである。アメリカの博士課程プログラムでは、いくつかの名前のバリエーションはあるが、進級するための試験が課されている。経済学や疫学は多くの人が同じ試験を受けるみたいだが、社会学ではサブ分野の多様性を反映して、試験科目も多い。例えば、ウィスコンシン大学マディソン校の社会学部には、26個の科目がある。博士候補になるためには、このうち2つの試験を受けて、パスしなくてはいけない(注1)。うち10科目がgroup 1で、残り16科目がgroup 2になっている。2つの科目のうち、最低一つはgroup 1から選ばなくてはいけない。このgroupの違いはやや恣意的だが(最近の「ホワイト国」みたいに)、前者の方が家族や組織、社会階層といった比較的「メジャー」な分野だと言われている。

私は人口学研究所にも所属していて、トレーニングの一環として人口学の試験を受けることが勧められるため、これに従った。実際のところ、この1年履修していた科目のほぼ全ては人口学関連だったので、この科目以外に選択する余地はなかった。

日本では、人口学というと社会学とは別の分野であり、研究者間のオーバーラップも少ない印象を受ける(一部の社会人口学者は社会学会にもコミットしている)。一方で、アメリカでは諸々の歴史的背景や、研究ファンディングの構造で、人口学と社会学の距離は非常に近い。そのため、社会学部の中で人口学を専攻する、という形で教育を受ける人は、実に多い。

さて、何を勉強したかであるが、一言で言えば大量だった。たくさんの論文を読まなければいけないことは知っていたが、想像以上だった。試験直前に作ったリーディングリストでは、343本の論文・および本の章が入っている(一部重複あり)。この数だけ聞けば、果たしてこいつは全部読んでいるのか?と疑問に思われる方もいるかもしれない。お答えとしては全部しっかり読んでいるわけではない。だいたいがスキムだ。大学院セミナーの演習で読んだ文献はかなり深くまで読み込んだものはあるが、全体の半分もないだろう。あくまで、343の論文全てを詳細に暗記することではなく、これらの文献を駆使して、研究トピックごとのレビューができることが重要なのである。

参考:Demography and Ecology Preliminary Exam Reading List

試験では、これらのリーディングをもとに、4つのエッセイを書くことになる。人口学のサブ分野の分類も流派があるかもしれないが、最もざっくりした「大分類」だと、死亡、出生、移動、方法の4つになる。これは、ある集団の人口の変化を求めたい時に(Δ=P(t1)-P(t2))、その要素が死亡、出生、移動の三つに起因するとみることもできるし、単に人口を構成する要素を抽象化するとこの三つになるから、と考えることもできる。これらの要素に関連する現象(出生であれば結婚)を含めると、試験は以下の四つのセクションからなり、各セクションに2つ問題が課され、うち1つを選択することになる。
  1. Mortality, Health, and Aging
  2. Fertility and Family Formation
  3. Migration and Population Distribution
  4. Demographic Methods
なぜこのように文献の数が多くなるのかと言うと、試験のためのリーディングリスト自体は指定されていないからだ。他のプログラムでは、事前にアドバイザーの先生にリストを提出して、そのリストから問題が作られる場合もあると聞いたが、ウィスコンシンではそういう形をとっていない。したがって、読んだ文献が全く活かされないこともあるし、後述のように、そもそもカバーしきれていない問題が出ることもある。とはいっても、過去の問題は公開されているし、先輩たちが作ってきたアウトラインやハンドブックも共有されているので、コアな部分では何を読めばいいのかは、おおよそ共有されている。それでも、プレリムの問題は出題者によって異なるので、例えばシニアの教員が引退して若手の教員が入ると、問題の傾向はかなり変わる。また、近年までプレリムは午前3時間、午後3時間の6時間の試験形式だったが(英語が母語ではない人は午前午後とも30分追加)、人口学では率先して3日間のテイクホーム形式に変わっている。そのため、問われる問題も暗記を前提にしたものよりも、ある論文から出発して、どういった議論が展開しているのか、といった大きなものになっている。

先学期の時点では、プレリムの準備にだいたい1ヶ月かければいいだろうと考えていた。短いと思われる方もいるかもしれないが、文献の一部は大学院セミナーでカバーしてきたので、間に合うだろうと考えていた節がある。7月初旬にアメリカに戻ってきて、そこからはずっとプレリムの勉強に費やした。文字通り、ずっとである。特に最後の数日間はメールもろくに返さず(まだ返していないものもある)、SNSのアカウントも停止して、試験に集中した。プレリムでしか経験できないことはいくつもあるが、そのうちの一つは「論文しか読まなくていい時間」に正当性が与えられることだろう。研究者は新しい研究をしなくてはいけないので、通常は論文を書きながら関連する論文を読み、その合間に関心に基づく別の研究をフォローすることが多い。そのため、アウトプットしながらインプットをしている。これに対してプレリムの期間は、インプットすることしか求められない。その代わり、自分の専門ではない分野についても、一定の知識が求められる。343の論文の多さは、ある分野を深くフォローするというよりも、人口学という大きな傘の下にある分野を網羅的に理解するために、それだけの数になっている。

そういう意味で、プレリムはかなり貴重な体験である。強制的に論文しか読めない時間を作られる。学部生の頃は、論文を読む時間は十分あったが、最低限必要な知識がなかったので非効率だったし、全体像を掴むこともできなかった。逆に、これからキャリアを積み重ねると、サバティカルの期間を除けば、ここまでインプットに集中できる時間はないと思う。時間もあり、レビューを始めるための最低限の知識も持っているという意味で、大学院生の時期はインプットの最適なのだろう。毎日、論文を読んで、同じ試験を受ける同期と勉強会で議論し、知らなかったことを新たに知るプロセスは知的刺激に満ちていた。

ここまで、大層なことを書いてきた。これだけ論文を読んだのだから、試験も簡単にパスできるだろうと思われる方もいるかもしれない。実際、私も似たような問題が出るのだろうと思っていた。悲しいかな、実際の試験で課された問題の中には、ほとんどカバーしていなかったものが含まれていた(試験のエッセイで引用した論文はこちら)。具体的には、女性の労働と出生に関する問題で、低出生に関するレビュー論文で確かに触れていたが、あくまで低出生の規定要因の一つくらいにしか考えていなかったので、アウトラインも作っていなかった。問題も独特で、マクロレベルで見たときには高所得国における女性の労働参加と出生率の関係は1980年代を境に負から正の関係に転じているのだが(図参照)、ミクロレベルで見ると必ずしもこの関係は支持されないことがある。確かに言われてみるとそうなのだが、このレベルによる結果の違いをそこまで問題視したことはなかった(注2)。試験問題では、この違いに対して先行研究はどのように応答してきたのか、あるいはそれらの研究の欠点は何かというもので、この問題に関しては、試験中に新しく論文を読んで、考える他なかった。一応それなりのエッセイは書けたが、完全に予想外の問題だったので、もっと時間をかけて論文を読みたかったのが正直なところである。

というわけで、上に挙げたようなハプニングもあったが、3日間の試験を終えた。火曜日の9時前に問題がメールで送られてきて、そこからきっかり72時間。同期の中には最終日に徹夜をした人もいたみたいで、これには驚いた。自分はもう徹夜ができる年齢ではないので、最終日も寝た。とはいっても、最後まで確認していたら3時になり、提出してから寝たが、まだテンションが高かったみたいでほとんど眠れず、朝の7時に起きてしまい、そこから少しいじって再提出した。それから昼の打ち上げに参加して帰宅。眠くて仕方なかったので3時間くらい寝てしまった。プレリムは得難い経験の連続だが、やはり試験自体はもう受けたい類のものではない。3日目は目処が立ったので少しだれたが、最初の2日目の集中力と強度はセンター試験を思い出した。

ともあれ、大きなイベントが終わったので、週末はゆっくりすることにする。これから本当の夏休み、と言いたいところだが、再来週に学会があるので、月曜日からまたオフィスに行く予定。今月は学会以外にも私用で他の街に行く予定なので、それが夏休み代わりになることを期待している。




注1:ちなみに、試験自体は落ちても受け直すことができる。他のプラグラムでは何回落ちてしまったら強制退学、という仕組みになっているところもあるみたいだが、少なくともうちは試験に落ちることと退学はリンクされていない。失敗できる回数については諸説あるが、同じ科目を2回続けて失敗すると違う科目を受けることを勧められるとか、3回までは失敗してもいいとか、学生の間でもよくわかっていないことの一つ。ただ、在学年限が決まっているので、無限に落ちることはできないのは確かだろう。


注2:回答を作る過程で、自分でもマクロレベルで見たときの女性の労働参加と出生率の関係の変化を示したグラフを作ろうと思い立ち(そんな必要はないのだが)、OECDやILOのウェブサイトからデータを探していたのだが、この過程で長年疑問だった「トルコ問題」が解決した。この問題は何かというと、OECDの中には(そもそもなぜOECDに限定するのか、という問題もあるが)トルコも含まれるのだが、これまで女性の労働参加と出生率の関係を検討してきた研究では、トルコは除外されていた。トルコは女性の労働参加率が低く出生が高いので、近年の労働参加が進んでいるほど出生率が高いという(その関係性の変化についてはジェンダー革命理論などが説明している)トレンドでは外れ値になる。実際、トルコを含めると関係性が正にならないことが多々あり、これは東大の赤川先生が「子どもが減って何が悪いか!」で鋭く指摘されたことでもある。私はなぜトルコがいつも除外されているのか、疑問に思っていたのだが、OECDのデータを見ていると、1970年代のトルコの女性の労働参加率のデータは存在していなかった。そのため、1970年代から2000年代における関係性の変化を示したいときには、トルコを含めることはできないのだった。もちろん、トルコの統計データベースなどに当たれば、生産年齢人口に占める女性の労働参加率は出せるのかもしれない。ただし、これまでの研究では、トルコは単にデータを得るのが面倒なので除外されてきたのか、外れ値だから除外されたのかはわからない。ちなみに、私はこうした1時点の複数の国を並べて趨勢的なことをいう(人口学の理論にありがちな)考えには否定的なのだが、一方で「大きな物語」をつくるためには、国レベルのデータを使わざる得ないところもあり、難しい。自分ではこうした理論は作りたいとは思わないが、ジェンダー革命理論なども含めて、こうした理論をもっと経験的に頑健な方法で確かめていきたいとは考えている。人口学を学び始めた当初は、人口学には理論がないような気がしていたのだが、実際には理論だらけである。また、そうした理論の多くはPopulation Councilが発行しているPopulation and Development Reviewで展開している。プレリムの勉強を始めるまでPDRの論文は最低限しか読んでこなかったが、実際にはこの雑誌が人口学の理論的な潮流を作っている唯一の雑誌であるといってもよいので、人口学に関心のある方はフォローしてみることをお勧めする。

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