February 24, 2018

反実仮想の進路選択

当たり障りのあることを、当たり障りのないようにいうことは、意外と難しいなと思うのですが、朝日新聞記者の三浦さんが書かれた「五色の虹」を読みながら、本当のことを書かなければ、当たり障りのあることを書いてもいいのだと思いました。

というわけで、最近、考えていることを反実仮想的に書いてみます。

最近、様々な事情で、自分の進路について考えることがあるのですが、今振り返ると「こういう選択もあったのではないか」という考えはあります。私自身を、一種の反面教師に見立てて、「反実仮想」的な進路を考えると、何点か思い浮かぶことがあります。

例えば、学部時代にアメリカの研究大学に交換留学する。私は20歳になるまで海外に行ったこともなく、地方出身で親も高卒だったので、学部から海外に行くという考えは、全くなかったです。しかし、様々な過程を省略すると、駒場の語学クラスにKがいたという偶然と、駒場の教養教育を軸とする学風の影響を受けて、学部の時に英語圏に交換留学したいという気持ちが、おぼろげながら、芽生えてきました。

当時、といっても、2010年から2011年というと、もう7-8年前にもなりますが、当時を思い返すと、グローバル人材という言葉が駒場のキャンパスを闊歩し始めた時期でもありました。高校の教科書で「グローバル化」という言葉は習ったわけですが、それは、人と人の移動が盛んになって、国家間の関係がより相互依存的になる、であったり、モノや情報が国境を通じて流通する、そんな社会現象の記述をするための言葉の一つでした。

しかし、大学に入り始めると、どうやら、「グローバルな人」がいるらしいということが、わかってきます。私の世代でいうと、代表的なのは学部からハーバードに進学して、当時すでに様々なメディアから取材を受けていた小林亮介さん、ちょっと上の世代だと、同じく学部から北京大学に留学して、日中関係に関する評論活動を始めていた、加藤嘉一さんなどです。もちろん、若くからメディアに取り上げられる大学生や、いわゆる「若者の代表」に近い人はいるわけですが、彼ら全体と異なる「グローバルな人」の持っている、若くして競争的な環境に身を置きながら自己を研鑽している姿、のようなものが、意図的なのかメディアの誇張なのかはわかりませんが、カッコいいものとして、巷に流布していた時期だったような記憶があります。

そんな時代の空気のようなものもあり、加えて周りの友人にもめぐまれ、留学をしたい、という気持ちが徐々に芽生えてくるのですが、まず考えたのが、先ほども書いた、学部時代に英語圏に交換留学することでした。当時の駒場には(今もギリギリ制度としては残っていますが)、AIKOMという制度があり、学部後期課程の進学先として教養学部を進学した上でこの留学制度を利用して、アメリカのミシガン大学に行きたいと考えていました。現在はプリンストンに移籍しましたが、当時のミシガン大学には階層研究で有名なユー・シー教授がいたので、あわよくば彼のRAなんかができれば。。。と企んでいたんですね。

しかし、残念ながら、私は進振りの点数が足りなかったので、第一希望の相関社会科学専攻に進学できず、文学部の社会学専修に進学することになりました。結果的に文学部の交換留学制度を利用して行ったマンチェスター大学で色々と学ぶことができ、現在の研究テーマの着想を得たので、それはそれで良かったのですが、交換留学は、私が反実仮想的に考える、進路のターニングポイントでした。

次に考えたのが、英語圏の大学院で修士号を取得するというものでした。結果からいうと、この計画は、現実のものとはなりませんでした。というのも、私は周りの先生方の勧めや、今の自分では実力不足だろうという(それはそれで根拠のない)判断から、修士は日本で、というか東大で取ろうと決めたのでした。

今、少し後悔しているのは、結果的に東大に進学するにしても、もっと海外の修士課程進学のための情報収集をするべきだったなあ、ということです。修士課程は、基本自腹なので、授業料や生活費がネックになるのですが、当時は修士号取得に対して奨学金がもらえるという発想がありませんでした。しかし、実際には結構な数の財団が、修士や博士に限らず、大学院留学に対する奨学金を提供しています。修士課程に進学して得られたものも大きかったですが(これについては後日書きたいと思います)、今でも少し、あの時ああしていれば、と考えることはあります。

ただ、このように自分の進路を反実仮想的に考えてみても、私がそもそも海外で勉強してみたいと考えた事の発端が、駒場に進学して、Kに出会い、好きなように授業をとっていいとする駒場の教育方針のおかげで、見聞を広められたことにあるので、正直、学部から海外という選択肢は全く考えられません。というか、東大以外の大学に進学していたら、今は普通に会社員をしていた可能性さえあるのです。

半分、回想じみてますが、大学に行きにくいとされる(典型的には私のような)出身階層の人間にとってみれば、入試を突破すれば比較的低コストでよい教育を受けられ、人的なネットワークも形成できる、東大のような環境がもたらすメリットは大きいのではないかと思います。高校の時点から、海外の大学に進学することが現実的な選択肢として考える事のできる方については、思い切って、多勢に流れず、海外の大学に行ってみるのもありなのだろうと思います。しかしながら、そういう選択肢が現実的ではない層の人もいることも事実です。私はそのあたりの出身なので、東大から得られた恩恵は、相対的に大きかったと思います。


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