奨学金をいただいている財団に毎学期報告書を書くのですが、それを少し編集したものをこれまでブログに載せてきました。今見ると、一年目はやけに初々しかったと思います。
博士課程1年目秋学期の振り返り
博士課程1年目春学期の振り返り
2年目の秋学期も振り返りをしていたのですが、どうやらブログにするのを忘れていたみたいです。9月に春学期の報告書を提出しなくてはいけないので、秋学期分と一緒に、忘れぬうちにメモがてら、ここに書いておこうと思います。長くなったので秋学期編ということで後半はまた書きます。
博士課程2年目秋学期の振り返り
“Are you interested in moving to Princeton too?”
この一言が私の人生を大きく変えた。日本ほどの蒸し暑さはないが、それでも強い日差しが差し込む8月の中旬、私は指導教員から以上のメッセージで始まるメールをもらった。彼が移籍することは以前から聞かされていたが、プリンストンは転学生を基本的に受け入れていないため、私が転学できる可能性はないと聞かされていた。
幸い、実験などを通じて教授と密にコンタクトする必要のある分野に比べれば、私の研究はメンターと物理的に離れていてもできる類のものなので、対面のミーティングができなくなるという懸念を除けば、大きなデメリットはなかった。
いま、正直に振り返ると、そう思い込もうとしていたのかもしれない。メンターと一緒に研究がしたくて渡米したので、最初聞いたときはショックだったと思う。アメリカの大学は人の移動が多いので仕方ないこととはいえ、1年目から指導教員を失うことは想定外だった(今後、大学院留学を検討される方は、アメリカの博士課程にはこういったリスクがある点をご承知ください)。
しかし、である。数週間以内に新学期も始まろうかという時に、プリンストンへの転学ができそうだ、というメールをもらい、私はしばらく途方に暮れてしまった。文字通り「今」決めなければ、転学のチャンスはもうない。1週間以内に決断し、2週間以内に出願し、3週間以内に引っ越す。これが条件だった。
最初は混乱していたが、数時間経った頃には転学することをほぼ決めていた。最大の優先事項は指導教員と近くで研究することであり、現実的にどれだけ転学が大変だろうと、選択肢が提示された以上、それを選ばない理由はなかった。
もう一つ付け加えるとすれば、単純に新しい環境に身を置くことが楽しそうだという直感があった。ウィスコンシンとプリンストン、ともにアメリカの社会学トップスクールであり、全米でも名の知れた人口学研究所をもちながら、一方は中西部の州立大、もう一方は東部のアイビーリーグ、強みとする研究分野も異なる。留学生という身分の自分が5―6年の博士課程の間に、ウィスコンシンとは対象的なもう一つの研究機関に身を置けることは、エキサイティングな経験になるに違いない、という直感に私は従い、次の日には転学の準備を始めていた。
実際に転学の準備に入ってみると、本来は1年かけるべき作業を、たった3週間でやっているわけで、苦労の連続だった(出願自体はフォーマルなものだった)。転学に慣れている機関であればスムーズにできたのかも知れないが、先のように今回の転学はやや異例なことで、決まったロードマップなどはなかった。後でわかったことだが、プリンストンの社会学部のスタッフの人に聞いても、彼らが働き始めてから−−それは人によって異なり13年だったり32年だったりするのだが−−、社会学部に院生が転学してきたことはないという。詰まるところ、転学のプロセスについて全てを知っている人は存在せず、大学院と学部の間で断片的な情報を持つ人が互いに必ずしも整合しない考えを持って私に話しかけてくる事態につながる。
猟奇的ともいえる転学の狂騒は、プリンストンでの最初の学期が終わる頃に、ようやく終結した。秋学期は、諸事情により、1年生の必修の理論の授業(classical sociological theory)と2年生必修のempirical seminar(修論相当の2nd year paperを書くためのセミナー)だけをとることになった。ウィスコンシンで理論の授業は2年生の時に履修するのが標準的だったため、単位のトランスファーはできなかった(正確には単位の互換という制度はなく、これまで履修した授業のトランスクリプトを提出したら、プリンストンの社会学部からこの授業は必修だけど取らなくて良いという紙ペラをもらっただけだった。繰り返すように基本的に転学が想定されていないので、対応もシステマティックとは言いがたい)。
これらの授業に加えて、ファカルティを知るために1年生必修のプロセミナーを聴講した。実質二つだけの授業は少なく、本当は人口学や政治学の授業もとりたかったのだが、プリンストンの社会学では2年生の時にティーチングをすることになり、予定を変更したのだった。
このティーチングは、しかしながら、実際にはできなかった。大学院(graduate school)はあくまで私を1年生(G1)として扱っていて、大学院のポリシーでは1年目の学生はティーチングができないことになっている。どうやら、大学院と学部の間でミスコミュニケーションがあった様子だった。TAは4セッションやる予定で4時間相当、講義が2時間相当、講義のためのリーディングや採点などの事務作業を考えると、優に週10時間は取られる予定だったので、急遽時間に余裕ができた。しかしながら、振り返ると授業が少なくて助かったというのが正直なところだった。後述するように、理論とempirical seminarはともに予習の量が多く、プリンストンの新しい環境に慣れる必要もあったので、ある程度時間に余裕があることで適応することができたと思う。
コースワーク
(1)古典社会学理論
「理論」というのは分野によって意味するところがことなるが、社会学における「理論」とは複数のサブ分野の人が共通に備えておくべき認識のフレームくらいの意味合いが強い。1年生必修のこの授業では、ウェーバー、デュルケムといった社会学の古典、彼らの知的源流であるカントやスペンサー、さらにはマルクス、ジンメル、シュッツといったヨーロッパの古典理論家、トクヴィル、デュボイス、最終的には機能主義としてパーソンズとマートンまでカバーされた。授業を教えてくれた先生は法社会学の専門家で、学部のバーナードカレッジでアメリカ社会学の大物だったロバート・K・マートンの指導を受け、シカゴ大学でアーサー・スティンチコムの指導を受けた人で、彼らも我々からすると「古典」に近いのだが、彼女は生きたアメリカの古典的な社会学者と接している人だった。
アメリカの授業らしく、毎週300ページ近くの文献がアサインされるのだが、理論的な文献の読み方はアメリカと日本で大きく異なる。日本では、どちらかというとこれらの理論家の言っていることを内在的に理解する、具体的には自分がウェーバーだったらこういう場合にどう考えるか、くらいに「憑依」することが一つの理想として考えられている(と理論的な研究を専門にしない自分は見ている、学説史といったほうがいいかもしれない)。このように日本では理論を「使う」側面よりも、理論家を「理解する」、彼らが何を考えていたかを明らかにするという色が強い。一方で、アメリカではそうした内在的な理解よりも、理論のエッセンスを掴み、自分で使うことに重点が置かれる。そのため、セミナーでも一言一句の理解よりも全体を俯瞰した議論が行われる。
この理論に対する考え方の違いは、読み方の違いにも直結する。日本での理論を読む授業は、「文献購読」といった方が適切で、1冊の本を1学期かけて読むことは珍しくない。各章を担当する学生をはじめに割り振り、担当の章がきた時にその学生は「レジュメ」を書き(中には10ページくらいの「レジュメ」を用意する人もいる)、レジュメに従って、章の内容を正確に理解することに重点が置かれる。これに対してアメリカ(というよりプリンストン、がここでは適切だが、この手のコースワークは日米とも比較的どの大学でも似通っていると推測する)では、日本で1学期に読む量に相当しかねない文献を1週間分としてアサインする。その代わり、教員は学生がその300ページを全て読んでくることは想定していない。あくまで要点を掴み、その理論家の何がオリジナルな部分で、回を重ねていけば、これまでカバーした理論とどう違うのか、似てるのか、理論家のバックグラウンドを多少踏まえながら、最終的に学生全員が、授業でカバーした理論のサマリーを自分の中に植え付けられるくらいを目指している。社会学の古典理論はほぼヨーロッパ(の男性)なので、ドイツ語やフランス語が原典の本は少なくない。日本では翻訳を読むときでも「学説史の専門」の人は原典をチェックすることもあるが、中身を精緻に理解するよりもサマリーを掴むことが重視されるアメリカでは「本当は原著を読めた方がいい」という雰囲気は存在しない(もちろん、理論を教える教員はドイツ語やフランス語のどちらか(あるいはどちらも)を読める人もいる)。
この授業で印象的だったのは、教員が「古典」とされる理論をこれまでと同じように読むのではなく、時代的な背景も踏まえながら社会学では必ずしも「古典」とはみなされてこなかった著者の本をリーディングに含めて、これまでの社会学理論像を相対的にみる機会を提供してくれたことだった。二つ例を紹介しよう。まずはデュボイス。アメリカで最初の社会学部ができたのはシカゴ学派で有名なシカゴ大学というのが「定説」なのだが、実際にはW. E. B. デュボイスという社会学者がアトランタ大学に作ったのが最初である。黒人ゲットーの研究から始まりアメリカにおける人種差別の構造について研究していたデュボイスの業績は,近年になるまで社会学では軽視されてきた。現在のアメリカは、デュボイス・ルネッサンスともいうべき状況になっており、彼の理論は批判的人種理論などに展開しており、デュボイスを理論の授業で読むのは珍しいことではなくなっている。
もう一人はかなりマイナーだと思うが、ハリエット・マルティノー(Harriet Martineau)である。彼女の著作はアメリカの回でトクヴィルと一緒に読んだ。トクヴィルの「アメリカンデモクラシー」を読んだ方はわかると思うが、彼は当時のアメリカ社会を民主的で結社による社会統合が進んだ、ヨーロッパが追うべき一種の理想として描いている。そういう主張のトクヴィルにとって、アメリカ社会の大きな謎は奴隷制だったことは想像に難くない。彼は当時すでに奴隷制を廃止していた北部と維持していた南部を比較しているが、こうした違いが生じている理由を、白人にとってどちらが利に資するかという点から論じている。彼の奴隷制に対する書き振りは、なぜ作ってはいけないものをわざわざ作ってしまったんだと言わんばかりで、白人視点であり、黒人奴隷の経験を描いた箇所はない。これに対してイギリスの社会運動家であったマルティノーという人物も,ほぼ同時期のアメリカを旅していたが、二人の著作を比べると、彼らが同じ社会を見ているとは思えなくなる。マルティノーのアメリカ評価はトクヴィルとは逆で、アメリカ民主主義の理想と奴隷制の存在という現実の矛盾を鋭くついており、奴隷制を支持する論拠を批判的に検討している。さらに彼女は女性の政治的地位の低さについても言及しており、両者を比較することで、トクヴィルのみたアメリカは、白人男性にとってのアメリカであり、その限りにおいては理想だったことがよくわかる。
(2)エンピリカルセミナー
この授業、計量分析の論文を1本書くという説明だったので、それならそこまで大変ではないかと考えていたのだが、実際には「因果推論」の論文を書くというのが目的だった。担当の先生はダルトン・コンリーという、彼もまた非常にユニークな教授で(*)、社会学にゲノムの分析を持ち込んだ代表的な研究者の一人である。社会学だけではなく、教授になってから生物学の博士号もとっていて、色々と規格外。
授業では、自分の関心のある分野でcausal identificationをすることも目標に、これまでの先行研究を批判的に読んだ上で、識別戦略を提示することを強く求められた。ここまで強硬に因果推論を求めるのには最初驚いた。重要なことは、これは必修の授業であり、学生の中にはエスノグラファーや質的研究をメインにしている人もいるという点である。
社会学でも因果推論はみんなできておくべき必須のツールになっており、これを選択ではなく必修で受けさせるのに教育的な意味があるのだろう。これはまだ漠然とした印象でしかないが、マディソンもプリンストンもそれぞれ強みがあるが、プリンストンの強みは「どのようなバックグラウンドを持っていたとしても一定程度のアウトプットが自分で無理なくできるようにする」ための授業が整っているところにあるかもしれない。正確には、最低限のことは必修で教えるので、そのあとは自分の好きな研究をしてください、といったスタンスといったほうがいいだろう。その意味では、マディソンの方が学生のいいところを伸ばす教育をしている印象で、こちらの方をより教育的とみることもできるかもしれない。
私の研究は因果推論とはかなり遠いところにあるが、できる限りチャレンジはしてみた。顛末としては、同類婚に関心がある一方で、自分の書きたい論文でガチガチの因果推論をすることはかなり難しかったので、彼の専門であるゲノムを組み合わせて,学歴同類婚とゲノムの関連を見ることにした。「関連」であることには違いないが、population levelでみればゲノムはランダムに分布しているので、多少は「効果」の話ができることになった。しかし実際には、ゲノムはランダムに分布しているわけではなく、似たもの同士の同類婚が起こっているので、その想定は間違っている。random matingを仮定しているのにassortative matingの分析をするのは、今考えるとちょっとした矛盾に思えてきた。このように行動遺伝学にとって同類婚のメカニズムは非常に重要で、今後は自分の関心に引き付けてゲノムの研究を続けたいと思っている。
教員としてのダルトンのユニークさは、以下のような点にも現れている。授業の最初の方で雑誌のフォローをしてもいいが、最近はどんどんプレプリントが社会学でも盛んになっているので、NBERやSocArXivをフォローするようアドバイスしてくれた。後半に入ると、分析に入る前にpre-analysis planを作ってそれを公開するように、仮説を複数用意する場合にはmultiple hypothesis testingなのでペナルティを与えるように、など彼の専門に近い行動遺伝学における「常識」を(教育目的で)「押し付けて」くれたのには感謝している(本当に感謝している)。
こうしたアドバイスをする彼の考えの背景には、サイエンスとしての社会学の質を高めていこうという教育的配慮があることは強く感じたが、同時に受講生による途中経過の報告へのコメントを聞いていると(1スライドにつき3つくらい質問・コメントするので1人が発表を終える頃には1時間ほど経っている)、あくまでこのペーパーは社会学のジャーナルに出すので社会学的な意義は何なのかを強く求めてきて、クラシカルな社会学者としての顔も持っている人だった。
*プリンストンの方がどうしてもシニアの教員が多く、彼らはゲームの「ラスボス」感がある。一癖も二癖もある人ばかりだ。これに対してウィスコンシンのファカルティは若手の人も多く、どちらかというと一緒にラスボスを倒してくれる仲間に近いかもしれない。