January 23, 2014

ソシャネ論文 (5/107)


Marsden, P. V. 1990. “Network Data and Measurement.” Annual Review of Sociology 435–63.

    この論文では、ネットワーク分析における測定方法とデータの正確性についての検討がなされている。後者のクオリティの問題に入る前に、筆者はまずネットワークの測定とそれに関連するリサーチデザインとデータソースの議論をしている。ネットワーク分析の研究者は社会構造を特定の社会関係のパターンとして考えてきたが、それはまるで社会関係は何によって構成されるかが自明だったかのようであるという。しかし、実際には研究者の間で定義が明確に共有されているとはいえず、いくつかの概念が混在しており、それによってネットワークデータの質の問題も変わってくるという。何をネットワークとするかに関しては二つの問題がある。

    まず、実際に存在する社会関係を測るのか、それとも対象者によって認知されているものを関係と見なして測るのかという問題がある。次に、紐帯の時間的要素に関わる問題がある。一瞬の相互作用まで関係に含めるようなミクロ社会学の考えがある一方で、ある程度の期間持続した紐帯をネットワークとして見なすこともできる。潮流としては後者が多くの研究の関心の的となっているが、こうした定式化された紐帯についてはstatic bias、つまり何を持って紐帯と見なすかについての多様な議論があり、操作的定義をせざるを得ないという限界を抱えている。最後に、紐帯の記述に関心がある場合と異なる集団や個人間の差を反映する尺度としての紐帯に関心がある場合では、評価基準が異なる。前者ではデータの正確性が重要だが、後者では分析手法のエラーに対する頑強性基準が重要になる。

    次に、リサーチデザインの段階になると、分析レベルとして構造的特徴と個人に対する影響、さらにその中間の3種類があると述べられる。そして、これはWhole-networkとego-centricの両アプローチの対比にもつながる。前者では、アクターが認識するものをネットワークとして考えるRealist アプローチと研究者が観察したものをネットワークとして考えるNominalist アプローチの二つがある。さらにネットワークの境界を定める戦略としては組織や集団への所属、アクター間の個人的なつながり、そしてイベントへの参加という三種類がとられる。後者の場合には、研究者の操作的定義のもと、Name Generatorによってアクターの直接の知り合いがあげられる。サンプリングはWhole-network アプローチをとる際にはあまり問題とはならない。そのかわり、あるまとまりを持った全体のネットワーク同士を比較するという試みは少なくなる。ego-centricの場合には、サンプリングが代表性を持つかどうかが問題になる。

    続いて、データソースの問題だが、種類としては大きく分けてサーヴェイをしてデータを集めるか、元々ある記録を利用したアーカイブデータの利用の二つがある。前者がego-centricの場合に持つ論点についてはCampbell (1991)が詳しい。これら以外にも人類学的なフィールドワークやスモールワールドのような実験的な方法でデータが集められることもある。このように測定手法に関しては多様性が見られるが、筆者らは多くの調査はサーヴェイ方式によって集められるとする。これはすなわち、Realist アプローチがとられており、その前提には紐帯が客観的に存在するという考えがあり、そのためデータの信頼性が問題になるという。(ただし、サーヴェイ調査についても対象者の認知的なつながり(affectionなど)を聞くことはあるように思われる)

    このように論じた上で、筆者たちは対象者の正確性、およびName Generatorによってあげられた人物の情報の正確性を担保する試みが紹介される。前者に関しては三つあり、第一に、サーヴェイデータを他の基準と比較する試みとしてBKS研究が紹介される。この研究は質問し調査によって得られたデータを記録や観察から行動履歴を集めたものを比較した上で、その不一致を主張して一種の問題提起を行った。この研究自体はサーヴェイデータへの疑義を呈した訳だが、これに対する検討が行われた結果、人々は起こった出来事にまつわる関係よりも、互酬的な関係などのような、より典型的な関係についての記憶力はすぐれていることが分かっている。第二に、こうした研究結果によって、どれだけ互酬的な関係にあるか探ることでデータの正確性を担保しようとする試みが生まれた。これはデータの裏取りをするのと似ていて、アクターが関係があるといった人物がそのアクターを認識しているかという方法を持って正確性が測られる。大規模なサーヴェイデータではBKSのような行動履歴まで把握できないため、この手法は実用性が高い。最後に、一定期間をおいて再調査をすることで正確性を測る試みもある。後者は信頼性の担保の試みというよりかは、実際にどれくらい一致しているかという結果のみ報告されている。最後に、近年登場してきた中心性などの測定概念が登場するが、これは現在の視点から見ると新鮮味に欠けるので省略する。


Fu, Y. C. 2007. “Contact Diaries: Building Archives of Actual and Comprehensive Personal Networks.” Field Methods 19(2):194–217.

 明示はされていないが、この論文は実証主義的な立場をとって個人のパーソナルネットワークを全て完璧に把握する試みとして、Diary Logを用いた調査が紹介されている。ここでDiaryとは日記のような意味ではなく、一定期間のうちに個人が接触した人物の情報と関係を細かく記録したものを指している。筆者はこの手法の利点を打ち出しがちだが、客観的に見てみると、一長一短といった方がよいだろう。確かに、筆者がいうように記録をつけるという作業自体は、観察やサーヴェイ調査よりも回答者にとって親しみやすいものだろう。しかし、一定期間の個人的な接触を全て記録するという作業は非常に根気がいるものである。もちろん、この点を筆者も認めているが、こちらも筆者が認めているDiary調査が広がらなかった要因を考える際に、このような対象者への負担の問題を見逃しては鳴らない。

 調査自体は台湾で行われ、データは54人の対象者に3ヶ月間、挨拶などの最低限のコンタクトも含めたあらゆるコンタクトを記述してもらうことであつめられた。コンタクト総数は10万を超え、平均すると、人々は3ヶ月で1900回のコンタクトをとっていることになるようだ。もちろんこれには同じ人物との複数のコンタクトや一度しかすれ違わなかったような人物も含まれている。その上で、ユニークな知人が一人当たりどれくらいかを算出すると、227人という結果になり、これは既存の先行研究の推定結果に沿うものだという。最後に、コンタクトの認知を従属変数、コンタクトの属性を独立変数とした時の多変量解析も紹介されている。

 読了後、SNA研究のコアにある実証性を重視する学派には三つのドグマともいうべきものが存在することに気がつく。一つは「客観的かつ完璧なネットワークは存在する」というドグマであり、これは「測定手段の改善を通じて完璧なネットワークデータを手にすることができる」というドグマを導く。さらに、人々のコンタクト、接触が社会的紐帯の根本であるという考えもドグマに近い。このような観察可能な紐帯を客観的に全て把握しようとする試みを相対化する必要性を感じた。

 余談になるが、調査協力者はサーヴェイデータ(ただしrepresentativeではない)から20人とその家族や友人34人の合計54人から成り立っている。興味深いのはドロップアウトの少なさと協力者の属性の偏りだ。54人以外にも、筆者は当初8人の協力を得ていた。つまり彼らは途中で調査から脱落したのだが、これは3ヶ月全てのコンタクトを記録するという試みの大変さを鑑みると非常に少ないように思える。信頼関係の構築がうまくいったのだろうが、実際この手の調査でどれくらいのドロップアウトが出るのか知りたくなった。次に、54人の属性には一定の偏りがあり、女性が多く(57%)、若年者が多い(40歳以下が61%)、さらには高学歴者が多い(9割以上が高卒以上の学歴を持つ、ただし、高卒が台湾社会において高学歴なのかは分からない)筆者によれば既存の同様の調査でも女性と高学歴層が多いことが分かっているらしい。直観的にこの偏りは理解できるが、考えられる要因についての説明が欲しかった。調査はボランティアなので、そうした活動に対する理解があるということなのだろうか。


Heath, S., A. Fuller, and B. Johnston. 2009. “Chasing Shadows: Defining Network Boundaries in Qualitative Social Network Analysis.” Qualitative Research 9(5):645–61.


 この論文は、ある調査の過程から生まれた副産物といってもよい。筆者らの研究グループは従来主流だった進路選択 educational decisionに対する個人主義的なアプローチに対して、ネットワークが個人の選択に与える影響についての質的調査を行った。調査では「高等教育に行ける能力や条件を備えていたにもかかわらず進学しなかった」16人がケーススタディの対象として選ばれ、彼らを囲む91人、合計107人の人物に対してインタビュー調査が行われた。

 筆者らの議論の出発点は、質的調査の持つ弱さを強みに変えていることにあるのが興味深い。調査では16人の対象者それぞれにとって進路選択の際に重要だった人物を挙げてもらい、コンタクトをとっている。これは一見すると、データの偏りを生む質的調査の弱点に思えるかもしれない。しかし、筆者らはこの偏りこそネットワークの性質を考える際に重要だと論じる。

 この調査はある個人から出発して彼らの周りのネットワークを把握する点でego-centricだと言えるが、サーヴェイ調査において操作化されたパーソナルネットワークとは大きくデータの性格が異なる。筆者らは後者をフォーマル・アプローチと呼んで自らの調査を一種の亜流と見なしている。彼らの集めたネットワークデータは操作化されて得られたthe networkではなく、広いネットワークの一部でしかないthe achieved networkなのだ。そのため、対象者が紹介した彼らの進路選択に影響を与えた人々は何らかのフィルタリングを介している。このフィリタリングはフォーマル・アプローチでは問題にされない関与者の欠如が問題化している点で示唆的なのだ。人々はどのように影響ある他者を定義してネットワークに入れているのか、もしくは排除しているのか、これが彼らの問題関心だ。

 調査は以下のように行われた。まず、対象となった16人に対して調査の目的を話し、彼らの教育や雇用における経験を語ってもらい、その際に誰が彼らに影響を与えたかを話してもらう。この時に、影響についての明確な定義はしないため、彼らは自分なりにその言葉を解釈して語りが進められた。そして、調査はこの中で登場してきた人物を紹介してもらい、彼らにも教育や雇用の遍歴を尋ねるとともに、対象者にどのような影響を与えたかも調べられた。筆者らによれば、この16人による選別の段階において最も重要なフィリタリングが起こっているという。筆者らはこれを三種類に分けている。まず、対象者らの何らかの想定が選別の基準になっていることがあった。例えば、調査がローカルなネットワークを調べるものだと思っていた対象者らは地域を越えたつながりを持つ人物を紹介せずにいようとした。次に、対象者がある候補者が参加を断ると判断した時の説明でも選別が見られる。それは、対象者がある候補者に対して調査に興味を持たないだろうと判断を下して調査者に薦めない場合や、対象者自身が候補者に対してネガティブな感情を持っていることを理由に薦めない場合がある。最後は逆に参加を承諾すると判断した時の説明における選別だ。対象者は様々な理由を付けて、候補者が調査に協力するだろうと説明しながら彼らを紹介する。このように、候補者の紹介の際に対象者がする選別は、彼らの進路選択に影響があったからというよりはむしろ、調査に協力的かどうかによっている。また、影響がないと見なされた人物は薦められない。さらに、より複雑な理由から薦められないと思われる場合がある。ある対象者は当初、調査に興味がないという理由で彼の兄弟を紹介するのをためらっていたが、尋ねるうちに「調査に関わらせたくない」と述べたという。筆者らは実際にはこのような選別は誰にでもありふれたものに鳴っていると推測するが、多くの場合、明らかにされないまま調査データから漏れていくとしている。

 筆者らが問題にするのは、こうした大きな影響を与えたと考えられるのにも関わらず、調査に表れてこなかったMissing Membersだ。これは対象者が薦めなかった場合と、薦められた候補者が断った場合の二通りがある。一般に、個人に対する他者の影響は、一時点の選択に限らず、過去を含めたライフコース全体に渡る場合も考えなくてはならない。このように考えると、親や兄弟、また旧友が少なからず影響を与えていることが考えられるが、過去に影響を与えた家族や友人たちとのつながりが様々な理由で途切れている場合は彼らを紹介することができない。筆者たちは対象者が紹介した人物からなるthe achieved networkだけではなく、こうしたMissing Membersからなるthe shadow networkも彼らの進路選択に重要な影響を与えていると主張する。


 彼らはBousserainを引用する。すなわちSNAのアプローチには「ネットワーク同士はdensity、size、さらにはcompositionという点から比較でき、それはさながら蝶の収集家が彼らの好む種の色や羽の幅、斑点の数を比較できると考えているのと同じである」という前提がある。蝶をpin downするように、ネットワークにはある一つの静的な状態があるとする見方を筆者らは拒否する。しかし、これは質的ネットワーク分析(QSNA)が唯一の手法だといっている訳ではない。筆者らはQSNAがネットワークの選別の過程で生まれるフィルタリングを通じたインクルージョンとエクスクルージョンの過程を明らかにする可能性を評価しているのだ。

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