January 27, 2014

だんだん雑になってきたソシャネ論文(19/107)


Prell C., 2012, Social Network Analysis. History, theory and methodology, Sage, London. Chapter 2: 19-52.

 Prellによる社会ネットワーク分析の歴史を概観したもの。教科書の一部なので論文のような議論の形はとっていない。外観といったものの、Prell本人は先行するScott(2000)やFreeman(2004)よりも詳しく紹介していると初めてに述べている。基本的な命題はこれまでと同じで、SNAは単一の直線的な歴史ではなく、複数の領域が合流して今に至っているという解説がなされている。これを読むと、Scottの教科書を読んだ時よりも、英米間の人の移動と数学、社会心理学、人類学、そして社会学の諸分野の交流が連動し、その中で現在のSNAで使われているアイデアの萌芽が生まれていることがよく分かる。たとえば、観察できない文化ではなく人間の紐帯から出発したネットワークを社会構造として分析しようとしてラドクリフ・ブラウンはシカゴとオックスフォード双方でネットワークに関心を持つ研究者に影響を与えているし、社会心理学からはモレノなどがゲシュタルト心理学をウィーンで学んだあとアメリカに移民し、ソシオグラムを生かした研究を始めている。また、フェスティンガーやカートライトがミシガン大学で創刊したHuman Relationsはロンドンにも支部がおかれ、そこでエリザベス・ボットが研究員として勤務していたことも紹介される。この期間を通じてボットはアメリカの文化人類学の知見を学んでいった書かれている。数学にしても、マンチェスター大学のEverettは当初イギリスに生まれ数学を学んだ後UC アーヴァインに移り、方法論的な論文やUCINETの開発をBogarttiと一緒に行った後、再びイギリスに戻っている。また、世界各地から研究者の集結したハーバード大学ではハリソン・ホワイトがネットワーク分析の発展をリードし、ボナチッチやグラノベッター、Wellmanら次代を担うネットワーク研究者を育てたことがよく分かる。


Schweizer, T., M. Schnegg, and S. Berzborn. 1998. “Personal Networks and Social Support in a Multiethnic Community of Southern California.” Social networks 20(1):1–21.

 この論文では、南カルフォルニアのmulti ethnicな集落を対象に個人のパーソナルネットワークにおけるソーシャルサポートが検証されている。分析結果は友人が社交などを通じて比較的小さなサポートしている一方で、家族が重大な問題を相談する役割を持っており、4割以上のつながりは近隣のコミュニティによって成り立っていることなど、既存の調査に概ね沿うものだが、既存の研究と比較すると、エスニシティとkinshipに主張の力点が置かれている。このコミュニティはアングロサクソン系とヒスパニック系が多く居住している地域であり、筆者らは両者のネットワークの比較を行った。すると、ヒスパニック系のネットワークでは家族をサポート源に答える割合が高く、家族は近隣に居住しているが、アングロ系のネットワークにおいては家族も重要なサポート減にはなっているものの、友人もサポート源として大きな割合を占めており、家族は全国に散らばっているなど、違いが見られた。さらに、kinshipとサポート内容に対する対応分析をすると、全体サンプルとヒスパニックサンプルの共起関係は大きく異なることが分かった。質問の形式がsuppose youのように、実際にサポートしたかではなく、仮にサポートがあるとしたらという文脈であるため、これらの関係はエスニシティそれぞれにおける文化的な規範が異なることを示唆すると論文では述べられている。また、アメリカの他の都市の調査に比べて家族をサポート減と答える割合が高く、家族の絆の衰退という論調には批判的となっている。

Plickert, G., R. R. Côté, and B. Wellman. 2007. “It‘s Not Who You Know, It’S How You Know Them: Who Exchanges What with Whom?.” Social networks 29(3):405–29.

 この論文では、互酬的な関係を規定する要因をパーソナルネットワークのデータから分析している。

 先行研究を検討した後、この論文では誰からサポートを得るのか、どのようなサポート資源が互酬的になりやすいのか、他者からのサポートが水からがサポートすることに対して与える影響という観点から、以下の7つを仮説として提示している。

1 人々は同じタイプのサポートを交換する
2 あるタイプのサポート資源を提供すると他のタイプのサポート資源を得る
3 強い紐帯は互酬性を強める
4 友人関係よりも家族(親子)関係の方が互酬的である
5 物理的なアクセスが違い方が互酬性を高める
6 女性の方が互酬的な交換の確率を高める
7 大規模なネットワークの方が互酬的である

 この仮説を検証するために、対象者からネットワーク上の人々へのサポートと個人の属性やネットワークの性格を独立変数、交換関係無し、一方向の関係、互酬的な関係の三つを従属変数とするロジット回帰分析が行われた。また、サポートの種類はemotional, minor, majorの三類種類に設定されている。分析結果は、サポートを対象者が提供している場合に他者からサポートを得る確率が上昇することが分かった。ただし、majorなサポートを与えても帰ってくるのはmajorのみで、minorやemotionalなサポートは必ずしも期待できない。仮説に関しては紐帯の強さや接触の頻度は互酬性を高めるとは言えず、近所に住む人、また親子である以外は紐帯の性格も影響せず、仮説3が否定、仮説4,5は部分的にしか支持されないものになった。仮説6は支持されたものの、仮説7に関しては大規模なネットワークであれば互酬性が高まるということはemotionalのみ支持されている。


Fischer, C. S. 2005. “Bowling Alone: What's the Score?.” Social networks 27(2):155–67.

 この書評では、FisherがPutnamの孤独なボウリングを批評している。統計の恣意的な解釈(例えば、彼の議論の一般的な主張と矛盾するボランティアの増加については検討しているものの、スポーツなど公共的なイベントへの参加が増加していることについては脚注で触れるだけで議論していない、もしくは若年層のボランティア参加が30%増加したことに対してはmodestと言っているのに対して、それ以外では同じ変化を大きなものとして述べている)なども指摘されているが、最も深刻なものとして考えられるのはソーシャルキャピタルという概念そのものへの批判だろう。「キャピタル」という言葉に込めた意味としてPutnamはこのようなネットワークが個人や集団の生産性に影響することを含めているが、これでは容姿などもキャピタルになってしまうし、関係性には生産性に対して府の影響をもたらすものもある。また仮にソーシャルキャピタルが社会的に条件づけられる個人の特徴であるとすれば、社交の能力やカリスマなどあらゆるものがキャピタルになってしまう。さらに、Putnamのように様々な個人的行動(投票や教会への参加など)が個人の社会的コミットメントを反映していると考えると、これらの行動は相関関係にあると考えられるというが、実際にはそのような関係は強く見られない。

 以上のように論じた後で、FisherはPutnamが主張しているような個人の行動の変化はソーシャルキャピタルに関連するのではなく、社会学で以前から用いられてきた概念が有効だとする。すなわち集団行動から個人的な行動への変化は個人主義、さらに公的な利益を追求しない原理主義的な宗教団体などにPutnamがbridging/bondingという区分を当てたことに対しては、公私の二分法が適切なのだ。最後に、ボランティア行動の現象に関しても、ソーシャルキャピタルの衰退という前に、女性就労者数の増加と言う文脈を踏まえツベキであるとする。


 ただし、Putnamは関係が府の影響をもたらすことに対して検討を加えていた。さらに、この書評ではキャピタルが個人の持つ資本として捉えられていたが、それはむしろナン・リンなどの議論に見られるもので、Putnam自身はより社会の構造や規範的なものという意味を込めていたはずだ。

No comments:

Post a Comment