July 17, 2021

頼まれ仕事をどう考えるか

 最近、○善から事典出すのが流行っているのか、院生の私にもいくつか項執筆のオファーが来ました。多くの研究者がいるにもかかわらず、私のようなものに声をかけてくださることに恐縮しつつ、判断に迷うことがあります。

こういったことを公に書くのもアカデミアの慣習的にどうなのか分からないことがありますが、他に判断に迷う人がいればと思い、少し書いておくことにします。

オファーは二つ頂きました。一つは所属する学会関連だったので受けたましたが、もう一つは推薦してくださった先生を含め、事典の編集者と面識がなく、要項を読んでも自分が執筆にベストな人間ではないと思ったのでお断りしました。

この手の依頼原稿をどう対応するか、判断が難しいのは以下のような理由によります。

  • 院生にくる時点で有名な先生には種々の理由で断られてきたのではないかと察するので、断るのも申し訳ない。
  • どれくらい業績になるのかが分からない。多分直接的にそれで仕事を得られるということはない。さらに自分のような日本アカデミアをしばらく考えていない人間には皆無な気がする。しかし同時に「いつか日本に帰った時に」という言葉がチラつき若干迷う。
  • 自分が執筆するにベストだと判断できない場合は断ると書いたが、そのことを編者はあまり気にしていない節がある。要するに、ある程度詳しければ誰が書いてもいいのでは、という態度を感じることがある。
  • そもそもその事典がどういう読者に届くのか分からない。
時間は有限で、まだ自分は自信を持って示せる代表作を出せてるとは思えていません、そういう中で頼まれ仕事をする積極的な理由があまり見出せていません。一方で、つながりは大事だっていうし、色々分からないため、ケースバイケースで判断しています。

真剣に悩む類のものではないのかもしれませんが、安定したポジションを持たない若手にとっては、著名な先生から依頼された仕事を受けないことによって生じるデメリットがあるのではないかと、感じる人も少なくないのではないでしょうか。

ちなみに、同じ頼まれ仕事でも、査読などの依頼は積極的に受けるようにしてます。それは、優れた研究成果を出すために不可欠なプロセスであり、自分もその恩恵を受けているからです。書評は微妙な事例ですが、お世話になっている学会からオファーがあったときは受けました。

自分の研究に資するのか、新しいネットワーク作り、これまでお世話になった人や学会への義理、あるいはアカデミアや一般に対する公共心、時間の制約と合わせてこれらを考えながら判断していくのでしょうが、自分の中で一貫したポリシーを持つことはなかなか容易ではありません。

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