January 31, 2020

1月31日

今日はプリンストン東アジア図書館の日本語ライブラリアンの方、および日本研究をしている研究者の人の一緒に夜ご飯。普段あまり話すことのない人文系の人といろいろ情報交換できて、すごく楽しかった。

何気ない会話から、ふらっとプリンストンが甲斐国の宗門人別改帳の史料を数年前に買ったままであることがわかり、人口学者にとって宗門人別改帳というのはちょっとした宝物なので、嬉しい発見になるかもしれない。

これ以外にも、え、そんなの買ってるの?みたいな史料をプリンストンは持ってて、やっぱりお金あるんだなと思った。日本語図書に使える予算も、桁違いみたいだ。今後は、プリンストンの日本研究が発展していけるよう、社会学、人口学の一人としてコミットしていきたいなと思った。

January 30, 2020

1月30日

早いもので1月ももう終わる。昨日は日本の院生仲間と火鍋会があり、おかげで今日は少し二日酔い気味だった。走って、料理をして、オフィスで少しだけきょうだい論文を書いて、ジムで泳いだ。

January 26, 2020

インターセッション

プリンストンに戻ってきて1週間ほど経ちました。しばらく時差ボケで午後8時に寝て午前3時に起きる生活だったのですが、ようやく戻りつつあります。ただ、このスケジュールは集中力が落ちる夜を睡眠にあてられるので、意外と効率的なのではないかと思っています。

しばらく、もうずっと論文を書いてました。ここ数日は落ち着いてきて、久々にストレスが少ない日々です。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、日本よりもプリンストンにいるときのほうが研究には集中できます。もちろん、研究するためのインフラがすでにセットされているという側面はありますが、プリンストンにいると、本当に研究しかすることがないので、余計なことに時間が取られて研究ができない、みたいな歯がゆい思いをすることがほとんどありません。自宅からオフィスまで自転車で10分で、本当にスーッといけちゃいます。人がいないんですよね。ノーストレス。

ストレスなく研究に集中できていると言えば、ウィスコンシンにいた時は、冬がとてつもなく寒かったので、冬になると帰宅の時間を早めたり、買い物の回数を減らして一度にまとめて買うようにしたり、色々と生活に自由が効かなくなります。それはそれで冬の醍醐味と見る向きもあるかもしれませんが、プリンストンというか、東海岸の冬は中西部に比べると大したことはなく、今でも自転車で通学できていますし、防寒具をつければ朝にジョギングもできます。季節によって生活スタイルを変える必要がないというのは、個人的にはありがたいです。

今日はプールに入ろうかと思い、日曜ですがオフィスに行きました(ジムと自宅の間にオフィスがあるので)。午後2時から4時間くらい作業して、ジムに向かったのですが、intersession(学期の間)で午後4時には閉まっており、徒労に終わりました。確かに、キャンパスを歩ってても学部生らしき人の姿はチラホラしかみないので、開ける必要もないのかもしれません。明日からの平日は、intersessionといっても午後8時まで開いているみたいなので、再チャレンジしようと思います。

なんの作業をしていたのかというと、ちょっと授業の課題で書いているペーパーで使うデータの使用にIRBが必要だったので、申請書を書いていました。なにぶん(実は)初めての仕事だったので、何を書けばいいか当惑するところもあり、何かテンプレみたいなものがないかと思い、社会学部のイントラネットのページをちまちまみていたのですが、そこに2008年くらいまでの入試のデータもあり、興味本位で資料をのぞいてみました(口外するなとは書いてないので、ここにさらっと書くくらいはいいでしょう)。その頃までの合格率は9%くらいでした。今はもっと競争が激しくなってるのではないかと思ったのですが、学部のホームページには、6%と書いてあるので、確かに難化しているみたいですね。もっとも、競争率の激化はアメリカの博士課程、少なくとも社会学に関してはどこでもそうだと思います。昔よりも、社会学に応募する人が増えたんですね。それにしても、倍率約20倍というのは、運ゲーに近いものを感じます。

ちなみに、時たま日本からアメリカの大学院にいつか留学しようと、というかできればしたいと、思っている人の話を、噂やツイッターで目にしたりするのですが、そこで第一に言及されるのは、やはりというか、英語です。確かに、日本の人がアメリカの博士課程に出願するときに、英語の成績はネックになっているとは思うのですが、そういう言説には「英語ができれば私は受かる資格があるんだ」というニュアンスを感じます(穿ってますかね?)。

間違っていないとは思うのですが、特に社会学に関しては、最近、日本とアメリカにおけるフレーミングというか、依拠する先行研究に大きな違いがあるという点が、意外とおざなりにされているのではないかと感じます。日本の社会学では日本の社会が前提で、アメリカではアメリカの社会が前提になっている、というのは、すでに気付いているというか、私が日々格闘しているところではあるのですが、今回の気づきはもう少しメタなレベルです。

一言で言うと、日本の社会学には、知的な蓄積が大きいところがあるのかもしれません。最初はヨーロッパやアメリカからの理論の輸入をしてましたし、今でも輸入がメインで輸出をしていないと批判を食らうことはあるわけですが、それでも日本の社会学は独自の発展をしている傾向が、他の国の社会学よりも、強いのではないかという気がします。独自の知的蓄積があることは、それ自体としては大切にすべきものだと思うのですが、日本の大学院で受けるトレーニングは、単に日本社会を前提とした社会学ではなく、日本の社会学の知的伝統に根ざしたトレーニングになるので、もしかすると、すんなりアメリカの社会学のフレームワークを受容するのが難しいのではないだろうか?と感じることが増えました。

「いや、私だって英語の文献読んで引用してますよ」、と言う人の声が聞こえてきそうですが、私が言っているのは、何を引用しているかというカバレッジの違いに加えて、どう引用しているかの蓄積が違うというもので、同じ欧米の文献でも、日本とアメリカの社会学ではどのような研究のトレンドが潮流としてあり、その中でどう文献が読まれているかという、暗黙知みたいなものが違う、というものです。

例えば、アメリカの博士課程を終えた人が、研究者を養成するような学部に就職して、そこで自分が受けたトレーニングをそのまま再現すれば、移植はできるのかもしれませんが、そういった機会が皆無とは言わないまでも、日本ではかなり少ないのではないか、それは良くも悪くも、日本でトレーニングを受けた人による教育がドミナントだからなのではないか、という気がします。たかだか教育の違いじゃないかと思われるかもしれませんが、アメリカの博士課程のステートメントを書くときに、やはりコンテクスト的には、アメリカの文献を基にしたものの中で評価されるので、仮にアメリカの大学院への留学を考えている人にとっては、日本で受けたトレーニングがダイレクトに結びつかないという懸念があります。

そういう意味で、日本から出願する人は、英語の不利に加えて、アメリカ的なフレームで教育を受けていない不利の二つがあるかもしれません。これら二重の不利に加えて、最近は中国への関心も高まっていて、東アジアの中での日本への関心は昔に比べると落ちていると考えられるので、三重苦かもしれません。日本の大学院は、日本で学位をとる人を育てるのが主目的でしょうから、別に海外の大学院の予備校になる必要はない訳ですが、一定数海外での学位を取って戻ってくる人を受け入れるのも大切だと思うので、例えばアメリカの大学でテニュアを取っている先生に夏の間に集中講義をしてもらって、アメリカスタイルの大学院セミナーで鍛えてもらう、というのは一つの手かもしれません(すでに、私のアドバイザーはやっている訳ですが)。

単に、英語ができるできないであれば、話は簡単なのかもしれません。しかし、博士課程への競争率が激しくなる状況では、アメリカの社会学のコンテキストを踏まえたステートメントを書けることは、ますます重要になってくるかもしれません。私も、個人的にはアメリカの社会学でもっと日本を研究してくれる人が増えて欲しいと思っているのですが、現実的に越えるべきハードルは多いなと感じています。

January 14, 2020

「ハード・アカデミズムの時代」再読

再読して気づいたのだが、高山先生が「ハード・アカデミズムの時代」で予想した未来の日本は2020年だった。あの本では、新聞には高校ごとの東大合格者数が載らなくなり、日本の国立大学は半分になり、欧米の大学の予備校になる、と予想した訳だが、現実はそこまで変化していない、しかし確実に変化している。


これらは「最悪のシナリオ」に基づいた予測らしいので、外れるのは織り込み済み、といったところかもしれない。しかし、変化の程度は違っても方向性は予測した通りで、これを20年以上前に書いたのは驚く。予測のズレは、グローバル化の中で変化するとされた制度が、コアな部分では残ってるからだろうか。例えば雇用関係一つとっても、確かに非正規雇用は増えたが、正規雇用は減ってない。日本的雇用のコアな部分は縮小しつつ維持されているというのが、ひとまずの共通理解だろう。制度は意外としぶといのだ。

さて、この本では、これまで蓄積されてきた先行研究に基づき、創造力のある一部の研究者によってなされる研究志向の学術活動を「ハード・アカデミズム」と名付ける一方、教育や啓蒙活動といった新しい知の産出に直接携わらない活動を「ソフト・アカデミズム」と名付け、今後の日本の大学は研究重視のハード・アカデミズム型大学と、教育重視のソフト・アカデミズム型大学に分かれていくと予想している。ハード・アカデミズム型大学では、創造力のある研究を奨励するために、徹底的な業績主義が取り入れられるようになり、優秀な研究者をめぐって海外の大学と競争を繰り広げる必要が出てくると予測する。

確かに、高山先生が予想したように、1990年代に比べると、2010年代の大学はより競争原理を取り入れるようになったと言えるだろう。しかし、運営費交付金が毎年1%削減されるようになって、国立大学の多くは疲弊しているのが多くの研究者の印象ではないだろうか。10年前に就職した人はともかく、今の院生は10年後の日本アカデミアが研究志向の研究者にとってよくなることはない数多くの証拠を持っているはずだ。

しかし、私の所属する社会学分野では、まだ日本で博士号を取ろうと考えている人が多い印象があり、これは直感的には理解しにくい部分がある。もちろん、人は様々な理由で移動したり、移動しなかったりするので、残る人もいれば、海外に出る人も出てくるだろう。しかし、全体としてみれば、留学する人が増えてもいいはずなのに、と思うことがある(これから博士号を取ろうとしている世代は移行期間という感じで、今ほど日本のアカデミアの将来については不透明だったので仕方ない部分はある)。

私も、5年くらい前になるだろうか、アメリカへの大学院留学を考えてたときに、指導教員ではない先生から、日本で修士号を取ってないと日本で就職できないと冷やかされたことを、よく覚えている(これはもちろん、親切な助言である)。しかし、今では日本で就職するためだけに日本の修士の2年間を経るほど、日本の就職市場は魅力的ではないように見える。もちろん、日本で修士をやったことで現在の研究関心ができたので、その意味では日本での修士時代は非常に有意義だった。

実際のところ、いま修士課程ぐらいにいるみなさんは、もう気づいているのではないだろうか、日本の未来のアカデミアが、少なくともこれからよくなることはないだろう、ということを。

もし予言の自己成就の理論が当てはまるとすれば、そろそろ始まるフェーズかもしれません。この場合、予言の自己成就は以下のようなプロセスを辿ります。

  1. まず、上記のように、日本のアカデミアが悪くなると、予想込みで思い込む。これは予想であって構わないです。というか個人の不確かな予想がこの理論の核です。
  2. 次に、個人がその信念に基づき行動します。具体的には、アメリカや他の英語圏で博士号を取るとしましょう。
  3. そうすると、日本よりも海外に就職することが現実的かつ魅力的になり、実際に海外の研究機関で就職するようになります。
  4. こういう人々が一定数に達すると、日本に競争力のある研究者がいなくなり、日本のアカデミアが本当に廃れるという帰結が生じる。

ちなみに、このロジックには「日本の学位では海外に就職できない」という大前提がありますが、これは日本の博士号が他の国の博士号に比べて水準が低い研究でも取れる、ことを意味しません。日本の社会学における博士論文の水準は、むしろ他の国の大学が求める水準よりも高いといっていいでしょうが、日本の社会学では英語で論文を書くことへのインセンティブが非常に小さいので英語で論文を書かない傾向が強い上に、あくまでこれら日本で書かれた論文は日本語圏(=日本)の社会学でしか評価されないのです。したがって、日本語で論文を書いている限り、海外で就職するチャンスはほぼありません。

もちろん、こうした予言の自己成就がなくとも、問答無用で日本のアカデミアが廃れていくかもしれません。むしろ、現在の状況を見てても、日本から「流出」する人がいてもいなくても、日本の研究環境が良くなる見通しはないというのが、正直なところではないでしょうか。少なくとも、将来の日本では、今よりは研究重視のポジションは減り、教育重視のポジションが多数になる気がします(正確には、契約上は研究もできるが、時間や資源の制約から、事実上それが無理なポジションが増える)。

ただ一部で研究できるポジションは残るはずです。ある程度業績があれば就職はできると思うので、日本に残るのは間違っているわけではないかもしれません。しかし、研究したい場合は違う可能性も追える選択肢を取っておくべきな気がします。この論理で行くと、本当に海外で就職した方がいいのは、予想込みで日本の研究トラックに就職できるか微妙なカットオフラインの人たち(含む私)な気がしますが、そのあたりの人がどう考えているのかは、予想が難しいです。

多分これが起きれば変わるんじゃないかというのは、人事評価で英語査読付き(+一定の水準を持った雑誌に限る)をメインにすることです。これが実現すれば、ドラスティックに変わります、多分。仮にそうなると、私はこれまで10本の査読付き、ないし招待論文を書いてきましたが、一気に業績が2本に減ることになります。やばいですね。韓国はそういった評価らしいですが。経済学では、すでに英語論文を重視した評価だと思いますが、社会学にはどうでしょうかねえ。翻訳できない何かに対して価値を見出す人は反対すると思います(し、私も、社会学の性格上、その価値は認めますが)。

心理学は文学部の中にあっても完全にノルムが違うし、結構(ポスドクなどで)留学行くみたいなので、経済学モデルよりも心理学モデルの方が、社会学の目指す人材育成かもしれません。ただ心理学が日本で研究してる人でもトップジャーナル載せてる人はそれなりにいるのは、多分研究している内容にあまり国境がないんでしょうけど、社会学というのは、アメリカなら基本アメリカの社会が前提で、日本事例はアメリカ社会を前提とした理論にcontributeしなくては評価されないのに加えて、日本では「日本社会の社会学」が重視されていて、二重の意味で国境をまたぐことが難しいんでしょう。これは、私が日々格闘している分断です。

だいぶ話がそれましたが、「ハード・アカデミズムの時代」の前半部分の先生の留学経験、実際に海外の大学院に入ってみてハッと気づくこともあり、これから(トップ校の博士課程プログラムに)留学しようと考えている人たちには半分脅迫めいた、しかし半分非常に正確な経験を教えてくれる気がします。

例えば、本を読む限り、イェールの歴史学部は同じコーホート間でも結構競争意識が強かった気がしますが、社会学(特にウィスコンシン)では、もう少し学生間の連帯は強い気がします。博士課程の時として冷酷な競争主義は、創造性のある研究を生み出す一つの対価なのかもしれませんが、博士課程がストレスフルなのは周知の事実です(私もストレスがすごいからか、白髪が目に見えて増えましたし、最近はぬいぐるみをよく集めてます)。博士課程の院生のメンタルヘルスは簡単に悪化するので、最近のアメリカの大学ではこうしたことを防ぐための、公式・非公式の様々なメカニズムが導入されている気がします。

PhD life is so stressful that I’ve got this...