November 30, 2015

月曜

午前中に洗濯を済ませ、昼に大学へ。電車に乗りながら温泉ワーク。12:30から作業開始し、13:00にリスト化、そのあと数を入力して13:35に終了。14:30まで校正。途中電源が落ちる。こくわでしょうゆうどんHG、おまけでアスパラの天ぷら。帰り道で行方不明になってた自転車を見つけ院生室に戻る。5限の文献を一通り読んで永島と生協へ。授業をやり過ごし院生室に再び。今度は永島の校正を済ませて大学を出る。電車内で再び温泉ワーク。帰宅して夕食(鯖の味噌煮だった)。そのあとすぐ温泉ワークに戻り22:40に終了。メールもして自由時間。さすがにtwitterやらないと時間ができる。

明日の韓国語の用意。さすがに切羽詰まってて夜の勉強会はキャンセルした。やや喫緊の課題で韓国語もできておくに越したことはない状況にあり、そろそろ本腰入れて勉強しないといけないタイミングかもしれない。


メモ:東アジアの労働市場と社会階層 / 太郎丸博編

November 29, 2015

久しぶりに休日

久々に休日らしい1日を過ごした。

起きてから論文を一本読みまとめる。今日は、友達が吉祥寺で用事があるというのでそれに一緒についていく琴にしていたのだが、先方の寝坊により10時集合が13時半の延びることになった。そのため学校に行けなくなったが、結果としては休むことができたので良かったと思っている。2週間後にある理論基礎のまとめ、木曜日と水曜日にも文献のまとめがあり、それをやる必要、あと韓国語の勉強がある。11日にはゼミで報告。

友人の買い物に付き合って、遅めの昼食にガレット。途中で別れて一人コーヒー豆を買ったり、雑貨屋巡りをしたり。7時頃に帰宅し、その足で事務作業。友人の修論の校正を90分程度した後は温泉ワーク、終了後今に至る。途中でBreenの同類婚と世帯格差の論文を読むが、先日読んだRSSMの論文と同じ反実仮想アプローチを使って不平等の趨勢をTheil indexで表現するものだった。(あれにも一長一短あるのだなと先日苦い思いをしたのであまり読む気にはならなかった。ただ、何らかの反実仮想的な方法は修論でも改めてやるとは思う。)

明日から頑張ろう。

November 28, 2015

女性の就業と家族の格差

村上あかね ,2001. “90年代における既婚女性の就業と収入格差.” ソシオロジ 46(2):37–55.

 この時期にしては比較的珍しい社会学者による女性の就業と世帯収入格差の関係について考察した論文。データはSSM1995。分析方針はOppenheimer によっている。夫を職業8分類から作成した4カテゴリ、妻を従業上の地位からフルタイム、パートタイム、自営、無職の4カテゴリに分け、夫婦類型(及び後半は年齢別に)に基づいて妻の収入が世帯の収入格差に及ぼす影響について考察している。

 夫婦類型の分布を示した後(4.1、ちなみに4節はこの小節しかない)、5節からの分析で、(1)夫婦類型別の妻夫の収入中央値と妻の収入比、次に(2)夫婦合算の世帯収入を夫の職業内・職業間で比較している。分析結果は、妻が有職である夫の年収は無職の妻の夫の年収より低い傾向にあることを示している。ただし、妻有職によって前者の世帯のほうが世帯年収は高くなる傾向にある。

 6節ではこれまでの分析を年齢別にみている。分析結果は、夫の職業別に見た時、妻の就業が世帯年収に及ぼす影響は20-30代で大きく、40-50代では小さくなることがわかった。20-30代の中における妻が有職である夫の年収と無職である妻の夫の年収の格差は40-50代よりも小さいということから著者は「全体サンプルにおいて成立している「ダグラス=有沢の法則」が若い世代において弱くなっている傾向」を指摘するが(45)、この解釈は疑問が残る。確かに、ダグラス=有沢法則が年齢を通じて貫徹しているとして、40-50代を基準として20-30代を比べた時、妻が働いていることと夫の収入の関係は弱い。しかし、この傾向は要するに、夫の収入に比べて妻の収入は年齢の効果を受けにくい、つまり、夫の収入は加齢とともに増加していく傾向にあるが、妻の収入にはそうした傾向は見られないということを反映していると考えたほうが自然ではないだろうか。と、考えていくと、ダグラス=有沢法則は年齢のことを考慮していたのだろうかという疑問が生じる。

 分析の範囲は超えているが、論文では20-30代で見られた女性内部が今後維持・拡大していく可能性について触れている。この点について引用されている原・盛山(1999)でも言及があったことは忘れていた(一応線は引いていたようだ)。原・盛山(1999)では、女性においては男性以上に(短大・)大卒かどうかによるライフチャンスの格差が大きいとの指摘がある(182-183)。すなわち、男性に比べて女性のほうが学歴による世帯年収の格差が大きい。女性にとっては自分の学歴によってどのような(収入を持つ)夫と結婚するかの確率も変わってくるため、単に個人収入を見るだけでは無職層の高学歴妻の優位を判別できないとする。現在はどうなっているのか、今後の検討が待たれる。

土曜

ほとんど温泉ワークで潰れた悲しい1日。細かいデータの確認だったり、市町村の名前を変えたり。さいわい昔の自治体の名前を新しいものに変更できるための資料が見つかったので良かった。エクセル関数に詳しくなるばかり。日本の自治体の構成は非常に体系化しにくい。最近やたらofficeが重かったので再起動したら軽くなった。
夜に別の友達の修論を見る。

早く自分の研究がしたいんだけど...


今度のカンファレンスに出すネタを考えるが、うまくいくだろうか。早く修論が書きたい。

November 27, 2015

金曜日

最近色々とストレスのたまることがあったので、久しぶりに早く寝たら今日は調子が良かった。

午前に寮の新しい営業の人と面談。今後の方針についてやり取りを交わした。
その足で大学へ行き、3時まで諸々の作業。論文の校正と温泉ワーク。それにインタビュー関係。2時前にsndとこくわがたに行き、きまHGを注文。

三時からのゼミは珍しく3人しかいなかった。発表者も一人だけど予想外に早く終わる。そこで再び研究室に戻り、原稿の校正と友人の修論の校正。

9時前に帰宅して夕食。そのあとまず韓国労働省の統計データについて友人から得たアドバイスもふまえて作業。ひとまず、該当するファイルはすべて落とせたが、hwpなる、韓国ローカルの文書フォーマットのせいで文字化けを起こす。現在その友人に助けを求めている途中。某カンファレンスは日韓の比較で考えていて、このデータは非常に重要。

そのあと、今度は別の共著ワークの作業。論文で知ったmokken scale analysisをstataのパッケージで試してみる。まずまず予想通りの結果。この話を今後どう展開していくかがミソになる。共著者の想像力に頼るばかりか。

November 25, 2015

ゼミで報告

今日は4-5限のゼミで修論の構想も含めて報告。趣旨としてはジェンダー平等と経済的な平等の関係になると思うのだけれど、今回は使ったデータと見たい問いがマッチしていなかった。まだ、この分野には不得手なので、徐々に肌感覚をつかんでいきたい。

修論なので、それなりにストーリーが必要になってくる。計量分析が先にあるのではなく、明らかにしたい問いが先にあって結果としてデータを使っているという流れを忘れないようにしたい。今は、ストーリーの舞台と主役を決めている段階。今週末に、序章(といっても序章は執筆の最後に書き直す箇所になるはず)に手をつけ始めたい。初発の問いはあるが、どこからスタートするかが難点かもしれない。

November 22, 2015

休日

今日は1日家にいることができて精神的に安定していた。

研究についてあることないこと考える日々で、今の自分がどちらかというと経験主義的なバイアスに傾いているというのは否定できず、そのことについて考える。経験主義バイアスとは、要するに事実がデータとして示されなければ強い懐疑を向ける姿勢。この点については反省しているというか、見えるものしか見ないと起こる弊害もあると思う。事実の列挙だけでは命題は提示できないはずで、理論ともいうべき思考の枠組みが必要になる。枠組みの中に配置されてる概念に対しては、観察可能性を前提にする必要はない。そういう理論と経験のバランスを上手く取っている人は、研究者の中でもとても少ないのではないかと思う。

データ同士の連関は理論なしでも確認できる。だけど、なぜ関連があるのか、そのブラックボックスを明らかにしようとすると、データだけでは埋めきれない思考の枠組みが必要になる。自分にはそういう理論みたいなものが足りないなと思うことはあり、なぜを問うことに臆病になっている節は否めず。データから理論を生んだり、データだけで議論を完結させようとするものもあるけれど、なかなか与することはできない。あまり上手く言えないけれど。計量データからでもいろんなことが言えるような気がするんですが、そこだけに絞ってしまうと、現状は結局のところ回帰分析することになりそうで。

November 19, 2015

コツ

色々コツをつかむ。薄々自分でも感じ取ってはいたけど、見ない部分を見ないときちんと突っ込まれる。最近忙しい日々が続いていたけど、そんな中でも研究と仕事を分けるコツを何となく理解する。明日は色々事務仕事終えて研究にシフトしていきたい。通常科学側の人間でありながら、常に前提を疑い続けることの知的態度を身に付けたいなと思った。英語の授業も、コツをつかむことがあった。事実と形容。

夜は蔦屋書店で友達とだべる。楽しい時間だった。

November 8, 2015

帰京

 昨日は生みの父親の母の墓参り(墓探し)、5年近く連絡が途絶えていたのだけど、7月に亡くなったという母の一言にかられて、母方の祖母のわずかな記憶を頼りに、共同墓地と複数の寺を一つずつ巡っていき、2時間ばかりかけてようやく見つけることができた。墓の前でひとしきり泣いてすっきりした。
 諸事情で私の苗字は生みの父親のものなのだけど、死んだ祖母の苗字はそれとは違っていた。自分のイエは離別と死別がごちゃごちゃになってて、とてもじゃないけど家系図なんてかけたもんじゃないと改めて。
 今日は雰囲気がらっと変わって母方のいとこの結婚式。幼い頃、私の母と叔母が働きに出ている事情もあり、母方の祖母と一緒にきょうだいのように過ごしていた。高校を過ぎてからあちらが引っ越して会う頻度は減っていたけど、今日久しぶりに顔を見ることができた。
 結婚の際に姓を変えるとか、式で両家のなんたらとか、素朴に捉えて中に入っていくことはできないけど、それらはひとまず棚に上げて、一個人としては彼女の新しい人生がうまくいくよう願うばかり。なにより、祖母が孫の結婚式を見られてよかったなと思った。そういう事情でこちらもひとしきり泣く始末。
 この二日間の出来事は、東京に出るまでの人生に、今の視点から意味を見出すためには必要だった。自分の中でしこりみたいに残っていたものの一部がほぐれた感じ。基本的に、大学に来るまでに経験していたことと、大学に入ってからの周りの環境はギャップばかりで、その間を埋める作業はこれからも必要。
 大学に来て最初の頃は、周りの環境が真っ当なものに見え、大学に入るまでの自分の経験に一種の恥ずかしさを感じていたけど、今はまあそれも一つの生き方だし、自分はその両方の間に位置する境遇で、それを背負って生きていこうと思うようになった。こう言えるようになるまで結構時間かかるんですよね。
 そういう境界にいるのは、基本的にあまり居心地がいいものではないというか、例えば今日なんかも周りから東大に通ってて凄いねえとかいう、田舎あるあるを久しぶりにかませられたりした。多かれ少なかれ複数のカテゴリの間に位置する人なら経験することだろうとは思うけど。
 そういうのをネタにできる力もないので、ひたすら、あ、はい、ありがとうございます、そうですね、親に感謝してます、はい、頑張ります、ありがとうございました...って言いながら右から左に聞き流すことしかできない。しかし、1日スーツで非常に疲れた。卒業式以来で、今年度初。スーツを着ることがマストな職業には就けない。。。

November 7, 2015

帰省中

現在帰省中。今日は7月に亡くなった生みの父親の母(僕から見るとおばあちゃん)の墓参りに行ってきた。もう音信途絶えて5年くらいで、どこに墓があるかもわからず、母方のおばあちゃんがかすかに覚えてたのを頼りに、2時間くらいかけてようやく見つけることができた。一通り泣いて、すっきりした。小学校に入るまでは、ほんとよく面倒見てもらってたので、死に目に会えなかったのが寂しかった。こういうことが続きます。

雰囲気ガラッと変わって、明日はいとこの結婚式。子供の頃は、きょうだいのように一緒にいたので、こちらも感慨ひとしお。ただし、研究会と被っているため、披露宴の途中でタクシー捕まえて帰京する予定。