October 5, 2014

休日

京論壇の報告会に参加してきた.例年より,日本人参加者の英語力は高かったかもしれない.毎年、北京大生の方が英語力、議論力共に優れている傾向にあるのだが,もう彼らの発表を見てもあまり驚かない.それでも,英語のプレゼンでも上手い人は何人かいて、やはり彼らの発表には目がいく(ところで、どうせプレゼンの勉強会をするなら英語の方がいいのではないだろうか.経験上、英語のプレゼンで得た知恵は日本語にも応用できるし,一石二鳥だろう).

京論壇に参加した北京大生の何人かはストレートで卒業後アメリカのPhDに進学することもままあるので、彼らと議論できるというのは,自分たちもアメリカの大学院に行けることに対して近からず遠からずというところだと思う.専門的な知識は同年代の人よりも豊富にあると思うし,別にまだ知識が足りないからという理由で外に出ることをためらう必要はないかもしれない.結局,その人自身によるところが大きいと思うが,専門バカになる前に,できるだけ早く外に出て行きたいものだ.

京論壇は不思議なところで,周りの多くは社会人になってそれぞれ充実した生活を送っているようだが,自分には彼らに語るような新しい経験もない,ひたすら勉強しているだけである.それでも、居心地が悪くないのは,やはり長い間、彼らと苦楽を共にしてきたからだろう.それに,自分がやりたいことは彼らがやっていることとは断絶していると思うので,違う畑のことだと思っているのかもしれない.とはいえ,分野が違えど,先に進んでいる人は煌やかに見えるものである.自分も亀のように遅くとも、世の中の少なくない人に覚えてもらえるような成果を残したいものだ、ラーメンを食べている間はそんなこと考える由もないが、井の頭線に乗っていると、前期課程当時の勉強に熱心だった自分を思い返しながら,そう思う.自分は今どこにいるのだろうか。

ところで,私が畏敬する数少ない先輩の方が,以下のようなことをつぶやいていた.曰く,最近先生や先輩のような人と接していないため、受け身に回ることが多いというのだ.私は以下のように解釈した.すなわち,日頃接するのが同輩や後輩ばかりになると自分の考えを批判してくれるような人がおらず,自分の知識に対して傲慢になってしまい,相手と接する時も受け身になりがちになってしまうと.私の周りには、いわゆるメンターになってくれるような人がいない。そもそも一部の企業に見られるようには制度化されていないので、それも仕方ないのだが,個人的には自身の進捗に定期的にコメントをしてくれる人が欲しい.勉強会なんて皆無だった二年前はkwmrさんに随分相談した記憶があるが,今ではそんな人もおらず,半分先輩面をしてしまっている(幸い、違う人がその役をやってくれて,自分はあまり頼られないのでこれ幸せ、だが).ここでの先輩後輩というのは比喩で,中身はその分野に詳しい人、そうではない人という括りである.

人間はどこか頼られることに快感を覚え,「後輩が質問してくれるのが刺激になっている」などと考えてしまうのだが,普通に考えれば自分より詳しい人に欠点を指摘してもらった方がよほど効率が良さそうである.また,先輩ぶるのはそれ自体としては悪くないと思うが,それは嘘が見破られるという条件付きである(だいたいどの人間も知ったかぶりでやり過ごしている).また,その人自身が指導を受けていれば,より反省的にメンタリングに取り組めるだろう.まあ、そういう独り言であった.

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