October 31, 2014

ハロウィンはいつ、どのようにして日本に定着していったのか(及び若干の社会学的考察)

上京して以来、毎年10月になると思うのは「なんでこんなにハロウィンって消費されるようになったの?」「いつからハロウィンって広まったの?」という点である。そこで、ちょっと調べてみました。

ハロウィンは日本に定着しているのか?

・ネットリサーチから、日本におけるハロウィンの認知度は100%に近いことが報告されている(マイボイスコム 2013)。2005年からの継続調査の間で認知度の大きな変化があるとは言えず、既にこの時点でハロウィンがどのようなイベントかを理解している人が7割、名前だけを聞いたことがある人を含めると(インターネットにアクセスできる)日本国民のほとんどがハロウィンを認知していることになる。


日本におけるハロウィンの定着に関する一般的な説明

 20世紀末にテーマパークによるイベントが開始され、2000年代後半から商戦化することによりハロウィンは人々に認知されるようになったと考えられる。

・1997年から東京ディズニーランドが『ディズニー・ハロウィーン』を開催するようになった影響(妹尾 2013)
・日本最大級のハロウィン・パレードである「カワサキ・ハロウィン」も1997年から開始している(同上)。
・2000年代後半以降の食品産業のハロウィン市場への進出(2006年 江崎グリコ, 2007年 ロッテ, 2008年 森永製菓)(The PAGE 2013)

誰がどのようにハロウィンに参加しているか?

 ハロウィンを消費する傾向にあるのは女性、特に子どもがいる女性の方がハロウィン消費をする傾向にあることが分かる。

・マクロミル調査によれば、ハロウィンは男性よりも女性が消費する傾向にあることが分かる(15-49歳の男女のうち、男性は54%、女性は75%がハロウィンに「興味がある」と回答している)。
・楽天リサーチの調査によれば、子どもを持つ人(女性)はハロウィン消費をする傾向にある(子どもがいる人は約4割、いない人は3割がコスプレや仮装を経験したことがある。ただし、ハロウィンに限定はされていない)。
・ただし、男女別に調査し、年代も広く取っているマクロミル調査では「ハロウィンですること」に対しての回答率が順にパーティ、グッズ購入、お菓子を配る、その次に仮装・コスプレが来ており、どちらかと言えばハロウィン固有の特徴を消費している一方、楽天リサーチの行った子どもを持つ女性を含む調査ではグルメ、テーマパーク、パーティであり、仮装は下位に位置している。これらは、ハロウィンを季節のイベントの一つとして考えており、そこで行うこともクリスマスやひなまつり等の他の行事と似ているかもしれない。ここからは、子どもを持つ人が必ずしもハロウィン特有のイベントを経験するの訳ではないことが示唆される。

考察

 日本におけるハロウィン定着の一般的な説明としてはTDLがパレードを開催したことで認知度が広がり、その流れに乗り菓子会社が商戦化を狙ったことがあげられていると分かった。調べきれなかったが、東急ハンズやロフトのような店舗でもハロウィンの仮装やパーティに関するフェアが始まったのもこれと同じ時期にあると推測できる。

 この一連の流れはクリスマスの日本の定着とは逆であるように思われる。日本クリスマス博物館の年表によれば、戦後には既に、日本においてクリスマスは受容されていたという。その一方で、TDLが開業と同時にパレートを始めたのは1983年であり、バブル契機を背景にこの頃からクリスマスがカップルにとってのイベントになっていったことが言及されている。恐らく、それまでのクリスマスは家で楽しむか、外に出てもクリスマスツリーくらいしか飾っていなかったのではないかと推測するが、90年代になると観光スポットでのイルミネーションが始まるようになり、現在のようにイベント化していったように思われる。つまり、クリスマスは商戦が先にあって、家庭に定着し、その後に大規模なイベントに発展していったことが考えられるが、ハロウィンの場合はイベント化が先にあって、その後に商戦化が始まっている。日本のハロウィンの特徴として仮装の多さが言及されることもあり、日本ではキャンディーや菓子類の消費が10月に極端に増える訳ではないという指摘(妹尾 2013)も踏まえると、日本におけるハロウィンは仮装をした人によるパーティやパレードといった集合的なイベントとしてメディアに露出しやすい点がその特徴であると考えられる。

 このように考えていくと、ハロウィンの認知度は高いとしても、それが日本的に消費されるのは、集合的なイベントが可能になる都市や学校に限られる可能性がある。私自身、上京するまでは今のようにハロウィンが消費されているとは認識していなかった。東京に来て最初の年に,こんなに人は仮装をするものかと驚いた節がある。恐らく、クリスマスは今でこそカップルがイルミネーションやディナーを楽しんで云々というイベントの側面をもっていると考えられるが、あくまで家で過ごすというのが大きいのに対して、ハロウィンは友人や職場の同僚と一緒に楽しむ集合的なイベントなのかもしれない。

 実際、日経新聞によればハロウィンのコスチューム関連の売上高はクリスマスのそれを上回るとされていることからも、ハロウィンが仮装をして街に飛び出すという側面をもっていることが分かる。また、市場規模としてはバレンタインを上回るという試算もある。クリスマスやバレンタインと比べて季節柄、寒くない時期のイベントである点も、外に出て楽しむことを可能にしている要因の一つであろう。

 ハロウィンの客単価は仮装のための衣装の購入の影響で高く、今後も商戦化は加熱していくことだろう。市場戦略としての課題は、いかに食品会社がハロウィンをクリスマスやバレンタイン並みに消費されるイベントにしていくかという点にあるように思われる。推測になるが、この二者のイベントに比べてハロウィンは都会で、人口が密集する地区において中心的に消費される都市型の文化なのではないだろうか。その意味で、ハロウィンは全国的に消費されているとはいいがたく,イベントの性格も考えると今後も都市部の若年層を中心に消費されていくだけに留まるかもしれない。ただし、今渋谷の交差点あたりで仮装をしている若年層が子どもを持った時にどのような行動をとるかは気になる。

 興味深い点は、ハロウィンが消費が冷え込む中で客単価がここまで高いイベントとして定着した点にある。仮に消費の中心が若年層であるとすれば、経済不況の影響はこの年齢層に強く効いているはずであり、なお不思議に写る。階層研究では、近年若者の高級文化(クラシックや美術館)の消費が減少しているという指摘があり、その要因にはバブル期と比べた時に経済不況が影響しているとされている。仮に、若年層がハロウィンを消費しているとすれば、その客単価の大きさは驚く。消費が冷え込む中で何故ある層はハロウィンを消費するのかと考えると、社会学的には面白いかもしれない。自分が消費しなくとも、子どもが消費する、恋人がいる(この二つはクリスマスやバレンタインにも見られるだろう)、友達に誘われて、などのような個人が持つ社会関係から文化が消費されるようになっているとすれば、文化消費の議論に何か言えるかもしれないと思った。



レファレンス

マイボイスコム, 2013, 「ハロウィンのアンケート調査」(https://www.myvoice.co.jp/biz/surveys/18418/index.html)
妹尾康志, 2013, 「ハロウィンによる消費の増大効果はどの程度?」,三菱UFJリサーチ&コンサルティングシンクタンクレポート (http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/search_now/sn131010)
マクロミル, 2014, 「ハロウィンに関する意識調査 2014」 (http://www.macromill.com/r_data/20141016halloween/20141016halloween.pdf)
楽天リサーチ,2013,「コスプレおよびハロウィンに関するインターネット調査」(http://research.rakuten.co.jp/report/20131002/)
日本経済新聞,「ハロウィーン市場、バレンタイン超えた? 商戦が活況」2014年10月17日 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ16HCS_W4A011C1TI0000/

日本クリスマス博物館 http://www.christmasmuseum.jp/ChristmasHistoryJapan.html

October 7, 2014

方針

2016年3月1日から追記しています。

TOEFLは6-7月まで、GREは9-10月までに済ませて、出願に入ります。
-Statement of Purpose
-Recommendation Letters
-Transcript
-GRE
-TOEFL
必要なのは以上です。頑張ります。
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2014年10月8日


ここ数日あまり体調が優れなかった。疲れは眠れなさから来ていたが、日中は集中力の欠如だったり倦怠感が大きかった。気分的に鬱っぽくなることもあって、上手く精神をコントロールできてなかった時間も多かった。反省している。

昔から、何か一つのことに集中してしまうと、他に手が回らなくなる人間で、今もバイトの案件を一つ抱え、加えて定期的に別のバイトにも顔を出さないといけないのだが,連絡をしていなかった。また、違うバイトの謝金が振り込まれておらず,その対処もしないといけないのだが、どうもやる気にならない。留学に関する話も棚に上げていた。

直接の契機としては、大学院の出願が間近に迫ってきたことがある。自分の進路について、考えざるを得なくなった。本来、今取り組んでいる卒論も,進路が決まった上で提出されるものなので、優先順位の混同が激しい。ちょっとまずいことに(?)今年は院試に出す人が去年にも増して多いらしい。ライバルは多い、年の功で抜けられるほど甘い試験ではない。危機感が募る日々が余計焦りを生む。歯車が上手く回っているとはいい難かった。

一つ言い訳をすると、帰国してから、日本の環境に十分適応していたと思っていたが、やはり難しい部分はあった。イギリスでの日々で出会った研究は刺激のあるものばかりで、自分の社会学観を大きく変えてくれた。それ自体は感謝しているし、そこで得た問題意識から、自分なりに何か還元をするとともに考えを深められないかと思い、言語研を始めた。余談になるが、言語研を諦めざる得なかったのは、日程調整の難しさよりも、自分がやりたいような議論は、日本的な教育とは上手くフィットしないのではないかという、諦めに近い感情を覚えたことに起因する。まず、英語を読もうとしない。次に、分からない議論になると、とたんに外在的になる。自分の知らない世界が怖いのだろうか。問題は、語学力の問題ではなく、分からないものを分からないなりに理解するプロセスに対する評価だ。私自身、うまく伝えられなかったことがあったかもしれないが、最初の趣旨説明の時点から、これについては言及していたはずなので、考えられるとすれば、それなりに知識を得ると、分からないものに対して分かる範囲の知識で知ったように見せかけてしまうことが影響しているのかもしれない。これに限らず、私が帰国して接する人たちに対して感じるのは、”すでに”エキスパートであるがごとく知識を得ている点だ。特定の分野に専門的になるのは大いに結構であるし,必要であると思う。数年前に「卒論でその分野に一番詳しくなり、修論で世界で一番詳しくなり、博論で本当に新しいことを主張しろ」という格言(?)があると聞いたが、これに従えば,鉄は「若い」うちに打った方がいい。しかし、同時に、いささか専門的になりすぎやしていないかと思ってしまう。もちろんこれは人それぞれだろうが、仮に研究生活が修士課程からスタートするならば、最初の1-2年はその学問の基礎を修得する期間のはずである。仮に、学部の時に既にそれを学んでいるということで、より専門分化した分野を修めているのであれば、comprehensiveな知識を得る機会を失っているリスクを同時に考慮しなければならない。ともあれ、これは人の好みだと思うのでこれ以上突っ込まない。

社会学は一つの名前で形容されるには豊富すぎてそこから溢れるばかりの分野に恵まれている。そこで、広く理解するのを諦めて、深く学ぶことも一つの道だろうと思うし、広いものを広いものとして理解することもありだろう。なぜこのようなことを考えるかというと、やはりイギリスでの経験が大きい。昔の自分が何を考えていたかは分からないが、少なくとも院に行く前に他の国の社会学に触れることができたのは幸運だったと思っている。視野も広がった。しかし、その代償として、広い興味関心の中で自分の問題をどのように設定するかの部分で手間取っていた(現在もいる)。特に、家族という分野をやっていれば、確実に、海外の研究者が一生の間に一度も引用しないような学者の学説を踏まえたりしなければならないことがままある。私自身は日本社会の家族だけに通じる固有の論理も説明として必要だと思うし,その一方で現代的な課題になればなるほど,比較の観点から共通のフレームで分析することも必要だろうと思う。しかし、仮に日本社会をテーマにして海外で学位を取得しようとするのであれば、恐らく日本の研究も海外の研究も同じように深く学ばなければならないだろう。偏見かもしれないが、日本で日本の研究をしていれば、海外の研究に対するレビューはそこまで強調されない。日本の読者を想定せずに海外で日本のことを研究していれば、日本の研究を全て網羅する必要はない。しかし、日本の読者と海外の読者両方を想定するときには、どちらの文脈にも対応した文献をカバーしなくてはならないだろう。

言い訳の中にさらに言い訳を込めてしまったが、自分の分野がそのようなドメスティックさを持っており、かつイギリスで得たことと卒業研究で焦点を当てる場所の擦り合わせが必要で、その作業を帰国して数ヶ月で仕上げるには気苦労が多かった。最近になって,ようやく自分の中で位置づけをおぼろげながら見つけることができている.ただ、かかった時間は短くなかった。本来、この時間は海外の大学院の出願準備に当てるべきだった。あっというまに3ヶ月が過ぎてしまったというのが率直な感想だ。

最初は、ここを離れるつもりで勉強していた。しかし、修士までいた方がいいと勧めてくださる先生や、自分自身まだ専門的にも,英語の能力的にも早いのではないかという思うようになっていた時期があった。周りに同じ志を持つものがいれば違ったのかもしれないが、それは願望で終わってしまった。ただ、このまま出願を諦めたくもない。その狭間で悩む時間が多く、逃げるように卒論を書いていた。

ただ、院試の出願が近づいてくるにつれ、段々と目が覚めてきた。理想と現実を照らし合わせ、自分が取れる選択肢としてリーズナブルなものを考えていた。良い知らせか悪い知らせか分からないが、今年の院試の出願者は先述の通り多いらしい。余裕ぶって足を滑らすなんてことがあったら元も子もない。しかし、一度決めたことを曲げることもしたくない。人間は1か0で片付けられる存在ではなく、いつも右往左往を繰り返しながら道をたどっていく。この考えた過程はあまり気持ちのいいものではない。実は、同じような経験をイギリスに行く前にもしていた。当時の私は所属している学生団体を続けるか、やめて留学をするかで悩んでいた。結局私は団体を続け、かつイギリスに行ったのだが、なぜ続けたのか、なぜアメリカではなくイギリスにしたのか、理由付けをあまり覚えていない。今回も、あまり気持ちのよくない、似たような経験をした。ただし、今回は自分の現時点の結論をまとめておこうと思う。

現時点でアメリカの大学院に出願すること
メリット:早い年齢のうちから留学できる
デメリット:日本の修士を経ないためにつながりをつくれないまま渡ることになる。出願に対する金銭的、時間的コストが大きい
※現時点の能力では、コストに見合う成果を残せない可能性が高い

現時点でイギリスの大学院に出願すること
メリット:同上、加えてアメリカよりもコストが低い
デメリット:つながりがつくれないことに加えて、受かったとしても、奨学金がもらえるかどうかは不透明。

現時点で日本の大学院に出願すること
メリット:合格する可能性は選択肢の中で最も高い、海外大学院出願の準備期間が延びる
デメリット:修士を経ることによる時間的コスト
※予想していたよりも競争が激しそう


以上のように考えた上で、将来的に(1-2年後)アメリカの大学院に出願することのメリットは準備期間が取れることで、デメリットは年齢的な問題だけであると考えた。さらに、日本の大学院に籍を置くこともできる。

ただし、今年は競争が激しく、日本の大学院も合格するとは限らない。そこで、イギリス(とオランダ)の院は出願することにする。

想定される事態としては、

①日本の大学院に合格 and イギリスの大学院にも合格
→前者に入学し、後者はdeferする(1+3なら後者へ)。次年度にアメリカの大学院に出願し、合格すればそちらへ、不合格であれば奨学金を見つけた上でイギリスに行く。

②日本の大学院に合格 but イギリスの大学院に不合格
→前者に入学し、次年度にアメリカとイギリスの大学院に出願する。

③日本の大学院に不合格 but イギリスの大学院に合格
→1+3でない場合は奨学金を集めて進学する(しかない)。

もちろん、④全ておじゃんになる可能性も否定できないが、そうならないように頑張るしかない。

結局のところ、イギリスの大学院に出願し、1+3で受かれば万々歳、MScだったらdefer、不合格でも次年度再チャレンジすることができる(上にGREなどを受ける必要がない)。したがって、アメリカの大学院はいったんペンディングとして、日本とイギリスの院に出願することにする。卒論の負荷も考えるとあまり手を出しすぎない方がいいと判断した。イギリスの大学院に出願するのは、帰国する前にマンチェスターの友人たちに(戻ってくると)ほら吹いたのが尾を引いているとも言える。。。まあ、最低でも合格して姿勢だけでも示せれば。

以上。

October 5, 2014

休日

京論壇の報告会に参加してきた.例年より,日本人参加者の英語力は高かったかもしれない.毎年、北京大生の方が英語力、議論力共に優れている傾向にあるのだが,もう彼らの発表を見てもあまり驚かない.それでも,英語のプレゼンでも上手い人は何人かいて、やはり彼らの発表には目がいく(ところで、どうせプレゼンの勉強会をするなら英語の方がいいのではないだろうか.経験上、英語のプレゼンで得た知恵は日本語にも応用できるし,一石二鳥だろう).

京論壇に参加した北京大生の何人かはストレートで卒業後アメリカのPhDに進学することもままあるので、彼らと議論できるというのは,自分たちもアメリカの大学院に行けることに対して近からず遠からずというところだと思う.専門的な知識は同年代の人よりも豊富にあると思うし,別にまだ知識が足りないからという理由で外に出ることをためらう必要はないかもしれない.結局,その人自身によるところが大きいと思うが,専門バカになる前に,できるだけ早く外に出て行きたいものだ.

京論壇は不思議なところで,周りの多くは社会人になってそれぞれ充実した生活を送っているようだが,自分には彼らに語るような新しい経験もない,ひたすら勉強しているだけである.それでも、居心地が悪くないのは,やはり長い間、彼らと苦楽を共にしてきたからだろう.それに,自分がやりたいことは彼らがやっていることとは断絶していると思うので,違う畑のことだと思っているのかもしれない.とはいえ,分野が違えど,先に進んでいる人は煌やかに見えるものである.自分も亀のように遅くとも、世の中の少なくない人に覚えてもらえるような成果を残したいものだ、ラーメンを食べている間はそんなこと考える由もないが、井の頭線に乗っていると、前期課程当時の勉強に熱心だった自分を思い返しながら,そう思う.自分は今どこにいるのだろうか。

ところで,私が畏敬する数少ない先輩の方が,以下のようなことをつぶやいていた.曰く,最近先生や先輩のような人と接していないため、受け身に回ることが多いというのだ.私は以下のように解釈した.すなわち,日頃接するのが同輩や後輩ばかりになると自分の考えを批判してくれるような人がおらず,自分の知識に対して傲慢になってしまい,相手と接する時も受け身になりがちになってしまうと.私の周りには、いわゆるメンターになってくれるような人がいない。そもそも一部の企業に見られるようには制度化されていないので、それも仕方ないのだが,個人的には自身の進捗に定期的にコメントをしてくれる人が欲しい.勉強会なんて皆無だった二年前はkwmrさんに随分相談した記憶があるが,今ではそんな人もおらず,半分先輩面をしてしまっている(幸い、違う人がその役をやってくれて,自分はあまり頼られないのでこれ幸せ、だが).ここでの先輩後輩というのは比喩で,中身はその分野に詳しい人、そうではない人という括りである.

人間はどこか頼られることに快感を覚え,「後輩が質問してくれるのが刺激になっている」などと考えてしまうのだが,普通に考えれば自分より詳しい人に欠点を指摘してもらった方がよほど効率が良さそうである.また,先輩ぶるのはそれ自体としては悪くないと思うが,それは嘘が見破られるという条件付きである(だいたいどの人間も知ったかぶりでやり過ごしている).また,その人自身が指導を受けていれば,より反省的にメンタリングに取り組めるだろう.まあ、そういう独り言であった.

October 1, 2014

新学期

たまには日常のことも。

今日は都民の日、ということで小金井市にある江戸東京たてもの園に行ってきた。この博物館はその名の通り移築された近代日本建築を展示しているが、都立小金井公園の中に位置している。建物も屋外に展示されており、野外博物館といったところ。

通常の展示に加えてスタジオジブリとコラボした企画展もやっており、親子連れでにぎわっていた(embedしてみたけど、大きい(-ω-人))。

これは千と千尋の神隠しの舞台になった油屋を2メートルくらいのジオラマにしたもの。多くは建物に中心をおいたセル画、原画の展示だったが、これ以外にもメイとサツキの家やアルプスの少女ハイジの家が立体模型として展示されていた。


小雨の中、野外へ繰り出し常設展を見る。個人的には、港区に建築された三井総領家10代当主の三井八郎右衞門の自邸に見応えを感じた。基本的に和風の建築で本郷の近くにある岩崎邸に比べればスケールも小さい気がしたが、明治40年代当時のものと思われる洋風のキッチンや畳部屋にイスと机を配置した会議室めいたものは見てて興味深かった。他には、建築家デ・ラランデの自邸(寄付当時はカルピス創業者のものだったらしい)ではカフェが設置されていて結構贅沢なつくりになっていておすすめ。

その後、大学へ向かい授業に出席しようとするものの予想外の休講。学部生室でちまちま論文印刷しながら合間に本を返すなどした。帰宅すると東大に来る交換留学生とちらほら対面して少しばかり話した。USTEPでくる学生は英語で授業が履修できるようになっているので、彼らは日本語を学ぶ必要がない。寮母さんはひたすら日本語で話す人なので、仕事が増えるかも...