January 3, 2013

今やっていること.

古典の講読
年末にM. Weber のプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神,及びE. Drukheimの自殺論を再読した.あとR. K. Mertonの論文をいくつか.
年始にはWeberの客観性論文とDrukheimの宗教生活の原初形態の上巻を読もうとしていたけど,見事発熱して2日潰れたので未だ読んでいない.まだLuhmannの信頼とColemanの社会理論の基礎が残っている.
今日はゼミ論を書いていた.

今個人研究としてやっていることは以下の二つ.

・家族理論
家族社会学は社会学の中でも理論的な蓄積が無い学問で有名?だが,最近になって機能主義から久保田裕之,あとおなじみの上野千鶴子から理論と呼びうるものが提出されている.(他にもいるだろうけど)
久保田の議論は,現状を追認しながら,いかに巧く家族を体系的にとらえるかっていう視点,上野の議論はどちらかというと社会構想に近い.それぞれ魅力的な箇所はある.上野の議論の方が説得力はあるけど,実現性は?という感じ.対して久保田の議論は家族外福祉が貧弱な日本の状況をある程度前提にしてしまっているため,問題解決志向の人には物足りないかも.それでも家族に期待されてきた機能から偶発的に重なりあう集団として従来の標準的な家族を再定位し,オルタナティブとしての家族集団との相対化を測っている点は,家族の多様化論とは一線を画している.あと,上野の議論とは違ってケア以外にも生活の共同と親密性といった圏域を用意しているので,包括的.
なので,久保田の議論にケア論からの反論を加える形でなんとか再構成できないかと考えながら執筆中.ケア論に関しては二人に意見はこうも違うのかってくらい.上野は家族介護は法的な根拠が無いので強制できないとケアの社会学で主張する.(第4章)一方で,久保田は家族法学者の意見を引きながら,民法にある家族法の箇所には私法にも関わらず合意があった上でも法的な決定を優先させる強行規定があるとして,これが家族外福祉の弱い日本においては弱者の生活保障になっていたんだという,結構保守的な意見を言う.両者ともそれぞれの立場でごもっともなことを述べているとは思うのだが,家族介護に関しては上野の言うように強制はできないと考えるのが正しい.いや,正確には経済的な援助を強制させることはできても自身が介護をする義務はないらしい.その点,家族介護を強制できると考えている久保田はややミスリーディング.
それでも,久保田の包括的かつ現状に即した考えは嫌いではないので,無理が無い範囲でケア論との結合を考えている.その際に重要と考えるのは,ケアと親密性のパラドックスの問題.他に論じている人はたくさんいると思うけど,つまり,親密性を理由にして(あなたたち家族なんだから!)介護の強制に国家が介入する,みたいなことはケアに親密性を持ち出している具体例.一方で,親密性を理由にして(私たち家族なんだから!)国家の介入を排除することもまた容易.問題の根本的な背景には,久保田が3つの圏域としてあげる他の生活圏,親密圏とは明らかに異なる次元にケアがあることに起因している.ケアは基本的にケア者と被ケア者(親対子,介護者対被介護者etc)に圧倒的な権力差があることがほとんど.なのでさっきみたいな国家の介入の是非が議論されてしまうんだけど.結局,親密性を理由にしてケアの不均衡問題に取り組むこと自体が難しい.その点に久保田はどれくらい気づいているのか分からないけど,論文ではほとんどその箇所について述べていない.
しかも,親密性を理由に国家の介入を考えると厄介な問題がしょうてしまう.例えば,親が子どもに対してケアをする場合,それは明らかに家族ごとに不均衡な分配をされているはず,親の持っているお金も違うし,かけられる時間も違う.日本ではシングルマザーの圧倒的な不平等の問題があるのでなおさら深刻だろう.こういうケア者と被ケア者の関係に不平等があります,これが不当ですとか考えだすときりがない,早い話家族なんていらないんじゃ?ってなってしまう.なので,その面からも親密性以外の根拠が必要だと思うんですね.

僕が持ち出すのはAdam Swiftという政治哲学者のFamily Valueという概念.これの面白いところはまず権利という次元で家族を論じていること,さらにinterest、利害に基づいた議論をしている.この二つを考えると,家族は廃止してはならないと彼は論じる.この議論を巧くつなげられれば,いいゼミ論がかけそう.



・育児研究
上と問題意識は被るのですが,育児ってとても非合理な行為だと思うのです.特に日本の女性にとっては. 説明は省略するけど,退職するにも育児休業とるにも年功序列で男女差別激しい日本の職場は子育てに非常に不利なようにできている.にもかかわらず,子どもを産みたい人は減らない.減らないことを理由に政府は少子化対策を打ち出すという構図はここ20年くらい続いているのだけれど,個人的にやはり育児も家庭内のこととしてとらえるのではなくて,介護と同じレベルで社会化したほうが良いと思っている.別に子どもは公共財とは考えていないけど,子どもを産むことで女性が社会的に不利になるような社会は絶対に嫌だ,みたいな信念はあって,生みたい人も生まない人も差別されないような社会にするには育児の社会化が必要だろうと思っている.その前提として,僕が考えるようなモデルの例となるような団体を観察してみようかと.そういううぶな動機ですけど,結構,対象が子どもだけあって左右の対立が悲しいくらい出ている問題なので,結構楽しいです.



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