August 31, 2023

アメリカ社会学ジョブマーケット:公募資料編

今週は滞在している東大社研の共同研究員室に缶詰になって、就活の資料を仕上げてました。ひとまず9月15日までの締切の大学の公募資料に取り組み、今日までに19校出願したところです。出願先は基本アメリカで、それ以外に香港、シンガポール、カナダ、それとオーストラリアが各1校という感じです。

先週から今週にかけて、同期やウィスコンシンの友達にアプリケーションを見てもらい、冗長だったステートメントだいぶりスッキリしました。アメリカだと本格的にジョブマに入る前年に軽く足を入れてみる「ソフトサーチ」をする人も珍しくありませんが、個人的にはソフトでもハードでも最初のアプリケーションを仕上げるのはけっこう大変かつストレスフルなので、一年目からハードにサーチしたほうがいい気がします。あとは周りの同期と一緒にマーケットに入ると、互いにサポートしあえて、そういう意味でもみんなで一緒に6年目に就活みたいなモデルがストレス過多な状況の中でも比較的楽かもしれません。

さて、前回の記事でも触れましたが、アメリカの大学の公募で要求される資料は、各大学によって微妙な差異はありますが、最大公約数的には基本、以下のようなパッケージになっています。

  • Cover letter
  • Research statement
  • Teaching statement
  • Writing sample(s)
  • Diversity statement

基本のパッケージさえできれば、一気に多くの大学に出願できるようになります。もちろん、各大学によってある程度はチューニングが必要です。自分の場合、ベースとなる公募資料を作り、それは分野を特に指定しないオープンサーチの公募に使います。ただ私の本命とするポストは人口学なので、人口学者を雇うと書いてあるところについては、各学部にテイラーされた出願書類を用意しました。これを「人口学バージョン」とするならば、もう一つ作ったのは「ティーチングカレッジバージョン」です。ベースになる公募書類は研究大学を想定して作っているのですが、(あまりフィットは良くないという自覚はありつつも)いくつかリベラルアーツカレッジにも応募しようと思っているので、そういう大学院生がいないようなところについては、大学院生とのコラボみたいなセンテンスを削って、学部生向けにこういう授業をしたいみたいなことを書きます。

今後、自分がもう一つ作る必要のあるバージョンは「計算社会科学バージョン」です。他の社会科学と同様社会学でもビッグデータを使った研究が増えてきています。そういう需要の変化を反映して、大学もcomputational social scienceと銘打った公募を出してきます。自分は正直に言うと、そうした時流に乗った研究をしているわけではないので、あまり勝ち目もないかなとは思うのですが、それでも学会でリクルーターと話す中で、現在進行系でできつつある分野なので、何をしている人がcomputationalで、どういう人だとcomputationalではないのか、採用する側もまだしっかりとした定義を持っていないと感じました。というわけで、少しチャンスがあるかなと思ってトライしてみる予定で、自分の研究の中でどちらかといえばビッグデータっぽい研究をもう少し重めに書いてみる申請書を後で作る必要があります。

公募資料の中で基本パッケージとは言えないものの、偶に要求されるという意味で若干厄介なのはサンプルシラバスです。具体的には、ティーチングメインのリベラルアーツカレッジなどでサンプルシラバスを(多いところでは2つ)要求します。シラバスづくりはなかなか一朝一夕ではできないので、時間を見つけて軽く作り込んでおくといいかもしれません。

今回は、公募資料を作成して始めて、自分が普段考えていなかったことに気付かされたので、少し書いておこうと思います。

研究計画書みたいなものは常日頃取り組んでいる研究と将来像を示せばいいので、シンプルにまとめる難しさを除けばそこまで宙に浮いた感はなく進められるのですが、こういう教育がしたいというteaching statementと、あとはこれはアメリカっぽいですが、自分がいかに大学のダイバーシティに貢献できるかを書くdiversity statementについては、要するに自分にはこういうことがしたいというアジェンダや、哲学みたいなものがあまりないことに気付かされました。

具体的にこれをしたみたいなことは簡単に書けても、同期からのコメントでもっとフィロソフィーが必要だと言われて、若干途方に暮れてしまいました。

研究大学の公募で見られるのは研究業績と将来のポテンシャルだと思うのですが、同時にアメリカでは大学というのが(実際はともかくとして理想の上では)社会を多様化させ、社会移動を促す制度であるべきという理解があるので、大学の教員は一研究者であると同時に、教育やその他活動を通じて社会を善くしていく人たるべきという思想があるんだなと思います。

August 21, 2023

アメリカ社会学ジョブマーケット・ASA編

 8月18日から21日までの4日間、フィラデルフィアで開催されたアメリカ社会学会(ASA)に参加してきた。コロナ禍を経て去年初めて参加した時には、そのサイズ感に圧倒されたのだが、就活中の身として参加した今年は、去年とはまた一味違った学会となった。

リクルーターと会って話すと何がいいのか?

アメリカの社会学は、経済学のように学会で最初のスクリーニングがあるわけではないので、就活中でも学会で誰かと会う必要はない。ただ、社会学の公募は9月から10月締切のところが多く、多くの学部がASAが運営するJob Bankのページに、学会前に公募情報を出している。その締切を意識しながら、サーチコミティーの人たちは、公募に出して欲しい人には声をかけてミーティングを設定することもあるし、あるいは逆に就活をしている側から、サーチコミティーの人たちと会えないかとミーティングを設定することがある。

自分は直前まで、リクルーターや公募を出している学部の人と話す必要性がよく理解できなかったのだが、実際に話してみると、「オープンとは書いてあるけど実は計量の人が欲しい」「今こういう授業をしてくれる人を募集しているから、teaching statementで自分が教えたいと思う授業に具体的にこう書くといい」みたいな情報を教えてくれる実利的なメリットはある。

実は会っても意味はない?

とはいっても、別にそういうtipsみたいなことを書いたからと言って、ジョブトークに呼ばれる確率が上がるかというと、そういうわけでもない気がする。オープンだけど実は計量と書いてあっても、別に今から質の人が量にスイッチすることもできないわけだし、こういう授業を教えたいという希望が真剣に考慮されるのは、ティーチングがメインの大学だけなのではないかと思う。このように実利的な情報だけを目当てにするのであれば、リクルーターの人と逐一あって話す必要はないのかもしれない。

自分もメンターから言われたが、この時点で就活の書類を中身を大きく変えることはできない。就活の大部分は、1ヶ月前にある学会の時点では、自分でコントロールできる部分はほとんどない。小手先でどうにかなるものでもないのであれば、別に学会でリクルーターの人と話しても、そこまで大きな違いにはならないだろう。

それでも会う方がいいのかも、しれない

それでも、リクルーター、あるいは公募をしている学部のファカルティと話すことで、名前を覚えてもらえる、cvを見てもらえる、そうやって何かしらポジティブな印象を残すことは、悪いことでもないだろうと思う。メンタル的にも、CVをみて、お世辞でもcompetitiveだよと言われれば、慰め程度にしかならないかもしれないが、全く戦えないわけではないと思えるだろう。というわけで、会ったら会ったで、得るものもあるのだと思った。

個人的にリクルーターや同じ学部にいる人とあって良かったと振り返って思うのは、就活の場面で話されるセリフというか、話し方、スクリプトみたいなものを直接肌で学習できた点だった。就活をしている人間としてのdispositionをつけるというか、ある程度話をスムーズに進めるためには、頭の中にセリフを入れておいた方がいい。例えば、自分が研究している内容を簡単にまとめて紹介して、その後に公募を出している学部に就職したらどういうことができそうかみたいな(流石にそこまでは言わなくてもいいかもしれないが)ことは、会話の中では出てくるので、その場で考えるよりは、ある程度セリフみたいに頭に入れておくことで、緊張せず話せるはずだ。初めて会うファカルティと、1対1で面談しても気まずくない空気を作れる、スモールトーク力を磨くとでも言えばいいのだろうか。

あとは気持ちを切り替えて、就活を有名な先生と簡単に会える機会と考えるといいかもしれない。目の前にいたら恐れ多くて話しかけられないような先生にでも、就活のことで伺いたいことがあるのですが、と言えば、割とサクッとミーティングに応じてくれる。そして、あくまで雇う人-雇われる人という関係性はあるが、「学生」ではなく、将来「同僚」になるかもしれない人として、対等にみて話してもらえる気がする。そういうことを書きながら学会中の面談を振り返ると、あまり就活の話ばかりせずに、もう少し研究内容について話す時間を作ってから就活の話をした方がよかったかもしれない。結局、人を雇う時には研究業績のようなメトリック的な部分も大事だが、決め手は「この人と同僚になっていいと思うか」だと思うので、その点は忘れない方がよい。

ところで、私はどうしたのか

今回は、4月にあったPAA(アメリカ人口学会)でもリーチアウトしてくれた某中西部の州立大の人が公募が出たことを直前にメールしてくれたので、再び話した。脈アリ?なのかもしれないが、ちょっと公募が特殊で、書類上の特殊性に騙されずに出してほしいという念押しをしてくれたので、おそらく自分以外にも複数、リーチアウトしているだろうと思う。他にも、報告したセッションの討論者の人が所属する大学が、計量社会学者を公募していたので、セッション後に時間を作ってもらって話した。オーガナイザーの人が所属する大学も、人口学者を公募しているので話そうかと思ったが、すでにプリンストンにトークに来てもらった時に話したこともあって、流れた。ただ、一応もう一回話そうかなと思う。そのほか、個人的に気になっている大学(UCLA、OSU、HKUST)の人とも話した。合計すると6名くらいになるが、果たしてこれが多いのか少ないのかはわからない。

ネットワーキングあれこれ

とりあえず、初めて会う人と就活というコンテクストで話すのはとても気苦労するので、できることなら事前に知り合いになってた方がストレスは少ないだろうと思った。あとは、直前になってこういう公募が出てるよ、みたいな情報があるので、ネットワークは広く持っておくこと、およびその時に公募を出している学部の先生を紹介してくれるような指導教員やメンターを持つことが肝要だなと思った。

もちろん、そういうコネ目当てで人と知り合うことほど滑稽なこともないので、面倒見の良い先生に指導してもらい、最初は学会などでそういう人と一緒に行動しながら、人を紹介してもらう、そして次はそこで知り合った人の友達や同僚を知る、みたいな感じで少しずつ、オープンマインドな姿勢で人と知り合いことが大切だなと思う。

あとはASAのセクションは必ずセクションごとのレセプションを開催しているので、そこに足を運んで、地道に新しい人と話をすることが大切。学会は旧友と会うところでもあるが、知り合いと話しているばかりだけではなく、自然に生じた新しい人との出会いは大切にした方がいい(旧友と話していたら、その友達や同僚と知り合いになることも多いが)。あるいは、ASAのセクションによっては、学生とファカルティをマッチングするようなメンター・メンティーイベントを企画しているところもあるので、そういうのを利用することも大切だろう。

とはいっても、一番大切なのは、ちゃんと定期的に参加する学会をいくつか持ち、そこで(できる限り口頭報告のセッションで)報告して、司会や討論者、質問してくれた人、同じパネルの報告者と知り合いになることだ。我々はあくまで研究者なので、研究が面白くないと話したいと思ってもらえない。面白い研究をして、その途中経過をしっかり学会で報告すること、そうすれば自然と人は集まってくるだろう。

August 12, 2023

アメリカ社会学ジョブマーケット・序

 アメリカの大学院生活も6年目を迎えました。今年度で卒業する見込みです。卒業するということは、就活をしなければなりません。正確には、アメリカではまず就活をして、就職先が決まってから博論を仕上げる段階に入るイメージです。次につく仕事がない状態で路頭に迷うことは避けたいですからね。

就職市場のことを、英語では job marketと言います。「就活中なう」のことはon the job marketと言います。したがって私は、現在進行系で on the job marketです。ちなみに、アメリカでは略して on the marketみたいにいうときもありますが、イギリス人の友達に、それって売春婦みたいと言われたので、もしかすると時と場合によっては略さないほうが誤解を招かず、適切かもしれません。

ジョブマの準備を本格的に始めてからまだ1ヶ月程度ですが、すでにstressed outしています。アメリカの博士課程の出願のときに比べても、ストレスは大きい気がします。正確には、大学院出願とは全く別の種類のストレスがあります。

ジョブマ関連のストレスの主要因は、その不透明性です。いつ、どこの大学で、どのポストが募集されるのか、わかりません。もちろん、噂レベルで今年XX大学がYYの公募出すみたいだよみたいな話は回ってきますが、私はすでに自分と相性の良い公募の噂が2つ、結局実現せずに終わりましたので、淡い期待は持たないのが吉だなと思います。これに対して、大学院の出願は、どこに出せるかどうかで悩むことはないので、その意味ではだいぶ精神的に楽な気がします。

ジョブマになくて大学院出願にあるストレスは、切迫感というか、その時その時でやれGREやらねば、やれTOEFL受けねば、やれ推薦状書いてもらわねば、みたいなステップが多いところかもしれません。それは裏を返すと、出願中にまだ自分の手で変えられる部分が大きいことを意味していると思います。これに対して、ジョブマでは、基本的に自分の手で変えられる部分がほぼありません。一般的に、今のアメリカの社会学の就活で必要な出願書類は以下のようになっています。

  • Cover letter(自分という候補者の要約という感じ。自分は書類の中では一番時間かけて作ってます)
  • Research statement(研究計画、今こういう研究してて、これが成果として出てて、これからこれをしたいですみたいな資料)
  • Teaching statement(授業計画、今までどういう授業のTAをして、自分が教えるとなったらこういう授業したいですみたいな資料)
  • Diversity statement(自分がいかに大学や学部の多様性に貢献できるかを書く資料)
  • Writing sample(既刊・未刊を問わず、論文3本が多いが1-2本も珍しくない。単著でも共著でもいいが、できれば単著がよい)
  • CV(履歴書)
  • Recommendation letter(推薦状、基本3通)
  • (Sample Syllabi)リベラルアーツカレッジは必要なこともある

この中で、最も大切なもの(だと自分が考える)は、(推薦状の次、あるいは同じくらいに)CVだろうと思います。CVは博士課程のうちに出した成果のまとめで、今更何かを加えることはできません。推薦状、誰にお願いしようかみたいな焦りも、博論コミティに入っている先生になるため、基本ないはずです。

そういう意味では、ジョブマの結果は、ジョブマが始まる前には、おおよそ決している感もあります。研究計画(research statement)やteaching statement, diversity statementといったstatement系の資料も提出を求められますが、正直、statementで何の差がつくかはわかりません。言い換えると、CV上で出た差を埋めるくらいの一発逆転が他のstatementでできるようには思いません。もちろん、だからといって手を抜いてもいいわけではないのが現実で、正直どれくらい時間をかけてstatementを書けばいいのか、皆目検討がつきません。私が感じるジョブマのもう一つのストレスはこれです。徒労感というか、そこまでサブスタンティブに意味のない(というと怒られるかもしれませんが)書類を書かざる得ないところです。

もう一つのストレスは、自分が出せる公募の少なさです。アメリカのジョブマーケットは、基本的にASA(アメリカ社会学会)のjob bankというところにポストされます。毎日、新しい公募があるかを見ているのですが、自分が出せそうな公募は、正味4分の1くらいです。自分が出せるのはassistant professorないしpostdocのポジションですが、前者の場合、公募の種類は大きく分けてオープンサーチ(どの研究テーマの人でもOK, Open to All Specialty Areas)か、特定のトピック・手法を専門にしている人の二つがあります。前者のようなサーチは少なく、あってもUCバークリーみたいな手に届かなさそうなトップスクールか、ティーチングメインの大学だったりします。

多くの大学は、今年はこういう分野の人を採用したい、という方針があり、それを公募の際に書いておきます。それは恐らくアメリカの社会学のトレンドを反映していると思うのですが、ASA job bankで見ている限り、公募で言及される多いテーマ(=人気のテーマ)は順に(1)race、(2)climate、(3)computational science、それともともと多いですがhealthとcriminal justice(後者はraceとの関係がかなり近い)あたりです。トピックで要約してしまうと、「ビッグデータを使ってハリケーン・カトリーナが白人と黒人の健康格差に与える影響」みたいなことを研究していると、体験では出せる公募の数が3倍くらいに増える気がします(笑)。一応、人口学者を公募している大学も3つくらいあって、現実的にはそのあたりで勝負できるのかなと思うのですが、他のポストは自分と相性が良くても、競争が激しいところが多いので(例:計量社会学)、いまいち自分でもいい勝負できるかも?とは思えないのが実際です。

今までとうとうとアメリカのジョブマの愚痴?を書いてきましたが、それでも日本のジョブマよりもいいと思えるところはあって(例:大学が求める提出資料が基本統一されている、締切はASA後の9-10月に集中)、日本で就活をしていたら、ストレスを抱えていたかもしれません。

ジョブマが終わるまでに、このブログにアメリカの社会学ジョブマ事情をまとめてみたいと思います。

もやもや

 絶賛就活中です(正確には、就活に必要な書類を仕上げている段階)。アメリカのジョブマ事情は色々複雑で、社会学については日本語で読めるものも少ないと思うので、後でまとめておこうと思います。ちなみに僕はアメリカメインの就活をしています。

さて、今日は違う話。午前中に、アメリカの社会学博士課程に出したいという人の話を聞いていました。この夏で3人目でして、最近は留学しようとする人が増えているのかもしれません。

別にこちらが指定するまでもなく、昔書いた大学院留学のあれこれのブログ記事を読んできてくれて恐縮なのですが、流石に5年前のブログでこう書かれていましたか、といわれても、ちょっと今もそう考えているかは自信がありません。でも意外と、5年前も今も、似たようなことを考えています。少し変わったかなと思う点を上げるとすれば、今はもうすんなり、シカゴの社会科学マスターとかに入ってそこでいい成績とるのが、日本の大学院でそういうパイプラインがないことを考えると、現実的かつ簡単な策なのかなと思います。

学部からストレートは社会学でも徐々に難しくなっている印象はあって、この傾向はアメリカの学部を出ていない人は尚更なので、日本あるいは海外で修士2年に、アメリカで6―8年博士課程にいると、あっという間に30歳を超えてしまいますので、割に合わないと考える人がいるのも首肯できます。

もう一つ変わったかもしれないなと思うのは、別にアメリカの大学院だけが選択肢ではないだろうというところかもしれません。特に日本だけのキャリアを考えるのであれば、東大とかに(ぬるっと)入って、きちんと査読付き論文をコンスタントに出していれば、そこまで苦労はしないと思います(実際に日本での就活を経験してませんのでなんとも言えませんが、僕の周りは割と順調に就職しています、場所を選ばなければ)。日本なら修士2年、博士3年で卒業することも十分に可能なので、わざわざアメリカのトップスクールを目指すリスクを負う必要もないのかもしれないと思います。

割と似たようなモヤモヤ感は少し違いますが、2年前にも思っていました

https://on-sociology.blogspot.com/2021/09/blog-post_27.html