May 31, 2022

みきわめ

 今日は来年やろうと思っているプロジェクトで進捗。昨年やったような二次分析の研究会、テーマは子育ての階層差。アドバイザーをお願いしたい先生に恐る恐るメールをしたら、快諾してくれよかったけど、よければ私も分析しますかと言われ、驚いた。忙しいからと配慮のしすぎも良くないんだなと思った。

May 30, 2022

ラディカル社会調査思想

 教習の方はS字カーブに四苦八苦しているが、運転自体は楽しい。

空き時間を利用して、関西にいる研究者の友人や先生方と会っている。なかなか東京にいるだけでは会うことが難しく、コロナがあって数年間会っていない人もちらほらだった(忙しい学期中にも関わらず、お時間とってくださった方々、この場で御礼申し上げます)。

今日も教習が終わってから、一人の先生とお茶しに梅田まで向かっていった。

その先生を一言で形容すると「変」な人である。

変と言っても、性格が奇妙とか、そういうのではなく、研究に対して一癖も二癖もある考えをしていて、なかなか教科書通りな答えに納得しない人である。そして自分でモノを考えている。アメリカのように大きなリタラチャーにいい意味で思考を支配されることもなく、日本のように属人主義的な考え方(〜〜先生がこう言ってるから)にも与しない。その人なりの社会調査の哲学を持っている方で、学会でお会いした時からとてもユニークな人だと思っていた。

4年を経て久々に再会しても、そのユニークさは変わっていなかった。

その先生は、ラディカル社会調査思想ともいうべき、調査に対する非主流な考えをずっと持っていた。一つ目が「パネル調査は必要ない」という思想である。やばい。

ざっくりいうとパネル調査では、人々はその時々の気分に左右された回答をするし、アトリションがある割にお金がかかる。それよりももっとコスパがよい調査手法があるだ。Y先生は、一時点で懐古式の質問をすればいいと考えている。

この考え方に、色々と賛否はあるだろう。高齢者については死亡バイアスがあるだろうし、何より問題になりそうなのは、懐古バイアスである。人は昔起こったことを忘れるし、現状を踏まえて合理化した回答をしがちだ。

正確に昔のことを覚えているかは、正直わからないという。しかし、少なくとも嘘はつけないような調査設計をすることで、こうしたバイアスには部分的に対処しているという。

「嘘のつけない調査設計」とは、いったいどういうものだろうか。この辺りが、やっぱりY先生、一癖あるな〜と思ったところもである。

要するに、一つの質問で嘘をつくと、他の質問でも嘘をつかなくてはいけない設計にしている。そうすることで、調査者はどこで嘘をついているかわかるし、回答者も嘘をつき続ける方が大変なので正直に答えた方がいいと考えるようになるらしい。もっとも、無回答も可能な設計になっているので、答えてくれる人はセレクティブな集団になっているかもしれない。

一度嘘をついたら、他でも嘘をつかないといけなくなる、というのは人の実際の人生がどういうものかを踏まえた、絶妙なトリックだと思った。こうした点を活かすには、それぞれの質問が独立しているように設計するのではなく、相互に関連するような設計をするべきなのだ。ちなみに、そんなテクニックは、社会調査の教科書には、一切載っていない。その先生の経験に裏打ちされた、職人芸なのである。

Y先生のラディカル社会調査思想その②は、「全国無作為抽出の調査はいらない」である。これも、やばい。まあ正確にはパネル調査も、無作為調査も必要なのだが、それよりももっとやるべき調査がある、という考えだと思う。

なぜ全国無作為抽出はいらないのか。端的にいうと、メカニズムがわからないからである。特に社会学者が興味を持つようなアウトカムは、友人関係(ネットワーク)やどういう学校・地域にいるか(コンテクスト)、そういったマクロ(社会全体)とミクロ(個人)の間にある、メゾな要因が重要になる。無作為抽出だと、by designで調査対象者はお互い全く繋がりがない人になるので、そんな調査ではメカニズムがわかりにくい、というものだ。なお、この考え自体は珍しいものではなく、例として分析社会学的なアプローチはそう考える傾向が強いと思う。現実的な落とし所としては、Add Healthのような注目するコンテクスト(この場合は学校)単位で抽出するような全国調査だろう。

そうした文脈で、自分が考えている学校調査の話もした。この夏に12校ほどの高校を訪れてインタビュー調査をしたいと考えているが、将来的には協力的な学校や教育委員会とコラボして、学校全員を対象にしたパネル調査をしたいと考えている。ピア効果を見たいのが、目的の一つである。相変わらず、Y先生も無作為でなくてもいいと考えていて、少し懐かしくもあり、同志ここにありという気持ちにもなった。

ソーシャルメディアをやっている人でもなく、お互い4年間近況を知らせてなかったので、久しぶりに「今いったい何をしてるんですか」を素朴に聞けた。個人的にはとても楽しい時間だった。

May 23, 2022

研究観

 一時帰国してから、日本の研究仲間とご飯を食べながら話している。さながらパンデミック前に戻ったかのようだった。

今日もそんな日で、友人の研究者と話していて、何がいい研究なのかを評価するのは難しいと言う話になった。普段はあまり話さない内容だったので、少しここにも書いておく。

発端は、英語論文を書くべきなのかという、日本の社会学ではよくある話をしていたところから始まる。日本の社会学では、まだ日本語で論文を書くカルチャーが強い。英語で書こうとしている人も増えているが、いかんせん国内大学では英語で論文を書くトレーニングを受けていないので、実際に書いている人はとても少ない。

そういう話をしていると、なんとなく「英語論文=すごい」であったり、いわゆる「国際誌」に投稿する研究者の方が優れている、みたいな考えになりがちである。人間は希少なものに価値を置く。

アメリカの大学院にいてこんなことを言うのは矛盾しているかもしれないが、個人的には「必ずしも」そうではないと思う。本来は書く言語によって研究の質が決まるわけではないからだ。しかし「必ずしも」という言葉をつけているのは、現実としては日本語の雑誌よりもいわゆる「国際誌(英文雑誌)」に書かれている論文の方が、質が高いものが多いと私は思うからである。

ところで、個人的には「国際誌」というジャンルは言葉としてはあっても、現実にはほぼ意味をなさない呼び方だと思っている。この区分は、日本語論文とそれ以外の論文を対置させたがる日本のアカデミアに顕著な分け方なのではないかと推測している(が他の国のことは詳しくない)。アカデミアにあるのは「アメリカ」や「日本」といった国や地域(を単位とする学会)で括られる雑誌であり、英文雑誌でそうした境界を超えているものはサブフィールドごとの、つまるところ「業界誌」であると思っている。

もう一つ加えると、アメリカの(社会学の)研究観のもとでは、「英文雑誌」という括りも存在しない。英語の雑誌しか読まない彼らにとっては、全てが英語論文に等しいので、そんな区分は意味をなさないからだ。その上で、トップスクールを中心に、アメリカの一般誌(ASR/AJS/SF)+フィールド誌(業界誌、Demographyなど)+一部の地域誌以外のジャーナルは「ジャーナルではない」という研究観も存在する。

こういう考え方は、正直言うと好きではない。その一方で、この考えは研究に一定のクオリティを求める考え方と一緒になっており、アメリカのトップスクールの競争的な環境は自分が好きな部分でもあるので、なかなか一言では表し難い感情を抱いている。

なぜだろうか。自分は色んな研究観があっていいと思っているからであり、アメリカのトップスクール由来の価値観が支配的になる必要は全くないと思うからだ。英語のトップジャーナルを目指す人がいてもいいし、ランキング拘らずコツコツ載せる人がいてもいいし、日本語の雑誌や書籍をメインに書く人がいてもいい。一番やりたい研究に適した媒体がそれぞれあるはずだ。

ただし、現実にはアメリカのトップジャーナルの質は高いし、研究環境も一番競争的なので、彼らから学ぶことも多い。このように質の高い雑誌のオーディエンスは一部の国に偏っているため、そうした雑誌に論文を載せようとするとアメリカのオーディエンスが面白いと思ってくれる問題設定を選ぶことが合理的なアプローチになってくる。

理想論を言えば、アメリカのオーディエンスに媚びた論文を書く必要はないと思っている。あまりに媚びすぎると、アメリカを中心とする既存研究で自明視されてきた考えを自分も内包してしまうからだ。トップジャーナルに載る論文は、既存研究の考え方をいい意味でひっくり返すような新しい貢献が必要になる。そうしたちゃぶ台返しをできるようになるためには、既存研究を批判的に読む必要がある。

アメリカなどでトレーニングを受けても、アメリカのオーディエンスを過度に意識したモノマネのような論文をそうした雑誌に書く必要は全くない。できれば、既存のアメリカの知見を引用しつつ、その議論をちゃぶ台返ししたり、新しい視点を加えるようなオリジナルな研究をする人が日本にも増えてほしい。自分の理想は、日本の社会学部に、アメリカのトップスクールなどでトレーニングを受けた人が半分、日本で博士を取った人がもう半分を占める状況である。そうした環境が実現できれば、日本の大学院で博士をとっても英語でオリジナルな議論をトップジャーナルに掲載できる人が出てくるかもしれない。

そのためには、英文雑誌を一括りにせず、自分はどの雑誌をターゲットにするのか(トップジャーナルなのかフィールド誌なのか、アメリカの雑誌なのかそれ以外の国の雑誌なのか)を明確に考え、大学院のトレーニングに落とし込んでいく必要があると思う。

May 16, 2022

読書

昨日今日と上間陽子さんの「裸足で逃げる」「海をあげる」を読んでいた。暴力、離婚、貧困は幼い頃の自分の周りにもあった。風俗と借金はなかった、そして基地も。アメリカで遺伝子検査をして、自分の遺伝子の25%が沖縄オリジンと知ってから、気になっている。多分父方の祖父がそちらの出身だと思う。

基本的に自分は、自分のオリジンをうまく言語化したいと思って研究している、そういう意味では利己的と言えば利己的かもしれない。自分を理解することを通じて、自分が育った日本を理解する、あるいはアメリカと比較する、そういうことをしている。ただ最近は、もう少し自分だけじゃなく社会的にも重要なテーマもやろうとしている(進路選択のジェンダー差とか)。

 もしアメリカで日本社会論の授業を持つことがあれば、1回は沖縄に当てたいと思う。そして自分はアメリカに残ってそういう役回り(社会学や人口学の視点から日本社会の説明をする)を担わなくてはいけないと思う。

May 8, 2022

ゲスト講義

 日本の大学からゲスト講義の依頼をいただきました、ありがたいことです。

大学院の英語文献の購読のゼミで、僕の書いた論文を扱ってくださるということで快諾しました。せっかくなので某トップ二誌からリジェクトされた後、某誌で改稿中の論文を扱おうと思います。

プリンストンで似たような授業を受けて、とても参考になった記憶があるので。査読プロセスの追体験をしてもらえればと思います。

May 6, 2022

博士課程4年目の振り返り

 プリンストンは春学期が終わりつつあります。私も残り1週間で色々ラップアップして、来週金曜の便で日本に帰ります。1ヶ月ほどいるのですが、半分以上は神戸に滞在して免許合宿をしてたりするので、関西方面でお時間ある方がいたらお茶に誘ってください。


タイミング的にちょうどいいので、アメリカ4年目を振り返っておきたいと思います。4年目と言いつつ、プリンストンでフルに対面の1年を過ごすのはこれが初めてでした(1年目はマディソン、2年目は春学期の後半からパンデミック、去年はずっとオンライン)。入団してすぐトレードされたけど、ずっと怪我がちでようやく初めてフルシーズン完走できた野球選手みたいな気分です。


一言でいえば、4年目は楽しく、日本時代も含めて大学院に入ってから1番充実してました。時間的にも、体力的にも余裕があって、自分のしたい研究を毎日できています。そしてとても忙しいです。個人的には二つのターニングポイントがありました。それらに触れながら、4年目を振り返ってみます。


一つ目は自分が尊敬する教授からアドバイスを定期的にもらえるようになったことです。彼は、私の専門にする社会階層研究では存命中の人物では紛れもなく世界でトップの研究者で、昔から尊敬してました。実は学部生だった頃に、相関に進んで今はなきAIKOMを使って彼が当時在籍していたミシガン大学に交換留学にいき、そこで1年指導を受けてレターを書いてもらって学部卒でアメリカへ…みたいな野望を抱いていた時期があったのですが、高山ゼミに入ってからみるみる成績が落ち、なくなく?文学部社会学専修に進んだ経緯があります。奇遇なことに、そうして日本の大学院に入り渡米が遅れたこともあって私は指導教員の移籍と合わせてプリンストンに移れましたし、彼もミシガンからプリンストンに移り、今は一緒に研究することができています。


もともと挨拶程度はする感じだったのですが、明らかに自分は彼からすると同僚の指導学生といった扱いで、さらにいうと彼は私の指導教員の指導教員でもあるので、あくまで指導教員を通じて話す仲に過ぎませんでした。自分にとっては偉大すぎる研究者であることもあって、個人的に話す機会をなかなか見つけられずにいました。転機があったのは、彼がリードして今年から社会階層研究のセミナーを開いてくれてからでした。院生がアーリーステージの研究を報告するゼミのような場で、何度も参加するようになると、彼を前にしても自分の言いたいことを緊張せずに言えるようになりました。


1ヶ月ほど前にウィスコンシンの時から秘めていたアイデアを具体的な形にして報告したところ(このアイデアを発表しようと思ったのも、指導教員を同じ同僚の研究に触発されたからだったので、やはり面と向かって自分の考えを話す機会は大切だなと思いました)、思いの外、高い評価をもらえて、彼がそのアイデアを違う集団(アジア系アメリカ人)に応用したらいいといってくれてから、指導教員も交えて3人で共同研究がスタートしました。そこから数日の頻度で分析した結果をメールで共有すると、基本的には短文で「引き続き頑張れ」みたいな返信で終わるのですが、たまに少し長めに彼の考えを共有してくれたり、セミナーの後に話したり、4月にあった学会の前後で車で一緒に移動することになった時には彼の研究に対する考え方の一端に触れることができて、本当に学ぶことが多かったです。バッググラウンド的にも自分のロールモデルと言えるところが多く、彼と1対1で気さくに話せる仲になれたのは、今学期1番の出来事でした。


彼の具体的な教えの一つは、アーリーステージの研究を同僚に報告して、そこから率直なフィードバックをもらうというものでした。その方が軌道修正が簡単だからです。そんなの当たり前じゃないかという感じもしますが、やはり人前で発表するとなると、人はoverprepareしてしまいます。自分が駒場・本郷で経験したのは「完璧」なものを見せるカルチャーだったので、なかなか「中途半端(英語では生焼け half-bakedといったり)」なアイデアを報告するというのは勇気が必要でした。社会階層セミナーは発表する側もコメントする側も敷居は低く、かつ率直に議論できるように、アーリーステージの研究をみんながどこかで共有して、できるだけ定期的に参加することを勧めていて、彼なりにそういう場所をデザインしたいのだなという意図が見えました。


この教えを体で学んだところもあり、今学期は指導教員と定期的に話す機会をかなり増やしました。これはスタンフォードにいる社会学の友人からのアドバイス(彼女は毎週指導教員と1時間面談しているようで、流石に自分はそこまではまだできていないのですが)にも影響されています。できたものを見せるだけならメッセージでもいいのですが、アイデアを話すのはやはり対面がいいです。そうやって研究の早い段階からシニアの教員のお墨付きをもらえると、これは面白い、重要だという言葉が後押しになってその後の研究にもポジティブなフィードバックがある気がしています。そうやってひたすらアイデアだけが増えて全く実になっていないのですが、2年後に卒業するまでにはどうにか目処をつけたいと思っています。


上と少し似ていますが、もう一つのターニングポイントは自分の研究が間違っていないという「承認」をもらえたことでした。大きなものは二つ。一つは人口学のトップジャーナルに投稿した論文がR&Rをもらったことです。英語では初めての単著で自分が一番好きな論文でもあります。2020年から2021年の半ばまで社会学のトップジャーナルに立て続けにリジェクトされて自信を失くしかけていたのですが、自分が一番好きなジャーナルの一つから朗報をもらって、とてもラッキーでした。最初は信じられなかったのですが、コメントをよく読み、改稿について考えるうちにこれは現実なんだと思うようになりました。不思議なもので、今までの辛かったリバイズの経験とは打って変わって、改稿のアイデアはどんどん出てくるし、何より机に向かう時間、ずっと集中できていました。このジャーナルに載せると、冗談じゃなく自分の人生がいい方向に変わるので、そういうハラハラ感というか、未来を自分の手で変えようとしている感覚が、そういうハイテンションな5日間を呼んだのかもしれません。とても貴重で、かつ楽しい時間でした。


もう一つは先日書きましたが、プリンストンのcompetitive fellowshipをもらえたことです。これはどちらかというと自分の業績というよりは指導教員とメンターの先生が強いレターを書いてくれたからだと思うのですが、2019年にプリンストンに来てからどうしても「よそから来た誰か」というラベリングを自分が拭えなかったので、大学院から認めてもらえたのは安心しました。


研究は孤独で、ストレスがかかるのが常なのですが、同僚から励まされたり、こういった承認をもらえたことで、乱高下はありつつもメンタルの方も比較的調子がよかった一年でした。とはいえ、メンタルを安定させないといけないのは自分の昔からの課題でもあります。


研究についても色々アップデートはあるのですが、やってることが多過ぎて一つにまとめるのはまたの機会があればにしたいと思います。