旧帝大の中で比べると、東大は一番女性が少ないけど、その少ない女性の学部選択は、相対的に見ると男性と似ていることがわかった。他の大学、例えば名古屋とかは東大よりも女性比率は高いけど、その女性が文系に多く、理系に少ないので、名古屋大の男性とは学部の分布が大きく異なる。
March 31, 2021
March 27, 2021
#StopAsianHate
プリンストンでも、先日のアトランタでの悲しい事件の犠牲者を弔い、声を上げようと集会が企画されました。アジア系アメリカ人(AA)の政治集会に参加するのは初めてです。一緒に参加した政治的なアクティブな同期の学生も、AAの集会に参加するのは初めてだと言っていました。アメリカだとアジア系は政治的に寡黙な優等生(モデル・マイノリティ)扱いなので、なかなか声をあげにくかったかもしれません。
集会は、最初組織者の教会関係者のスピーチから始まり、犠牲者の名前を読み上げたあと1分間の黙祷、その後アジア系諸団体(プリンストンアジア系学生会など)、アジア系の地方議員、近隣の高校生代表、プリンストン大学の研究者、歴史学者などのスピーチが2時間ほど続きました。最初、果たしてアジア系の集会に人が来るのか、という懸念めいたものがあり、人がいなかったらどうしようと思ったのですが、それは杞憂に終わり、プリンストン の街のサイズを考えると、かなり規模の大きな集会になったように思います。春学期からキャンパスに戻ってきた学部生らしき人の姿もたくさんあり、若い人が多かったです。
このモメンタムを活かして、何かしら変化が起こることを期待したいと思います。大学で言えば、例えばアジア系の歴史に関する授業を増やしたりすることは、一つの案でしょう。ただ、アメリカ高等教育の文脈だと、アジア系はマイノリティと単純に言えない事情もあります。まず基本的には、他のマイノリティに比べると人口よりもシェアはかなり多いです。しかし、分野によってシェアはかなり違います。アジア系はSTEM系に多く在籍していますが、人文系では少なく、なかなか一括りに言えないところがあります。また階層的に見ると、学部生にアジア系は多いけど、シニアになる程、少なくなります。さらに、アジア系内部のエスニシティの多様性、あるいはジェンダーも混ざるとさらに複雑です。アジア系はそれ自体としてかなり多様なのです。
もう一つ気になったのは、ナショナリティです。集会でもアジア系はfastest growing populationだ、というロジックが時折使われています。そう言うことで、アジア系は無視してはいけない人口なんだと、主張するわけです。人口学者としては、こういう人口の政治的利用には敏感になります。
この時には「アジア系」という括り、あるいはAsian and Asian Americansという言葉が使われますが。しかし違う文脈だと、Asianを抜かしてAsian Americans だけ使われることがあります。もちろん、これは複雑な部分を除いた簡潔な表現、としてみることもできますが、厳密には我々は(まだ)アメリカ人ではないので、そのニュアンスは大切な気がしました。そもそもアジア系自体が、メインではない、例外として、他のマイノリティの議論から外されることが多かったからです。はたして、アジア系はどこまでまとまることができるのでしょうか。
March 24, 2021
メモ
労働政策研究報告書 No.208 仕事と子どもの育成をめぐる格差問題
- 子育て女性の間で雇用の格差、学歴間の経済的格差が拡大
- 外国にルーツを持つ子どもの肥満率は日本人の子どもの2.7倍
- その他、母子世帯の貧困解消策など
第2章では指導教員が書いた母学歴でみた子どものウェルビーイングの格差拡大の話があります。翻訳なのでやや分かりづらいところがありますが、アメリカでよく議論される分岐する運命(diverging destinies)のレビューもあり、日本の研究者の方の参考にもなるかと思います
周さんの外国にルーツを持つ子どもの肥満率の話は、母肥満、SES、食生活を投入しても外国ルーツダミーが肥満率に有意に正に関連しているのは興味深い(まだ測定できる変数はあるだろうけど)。個人的にはデータがあれば肥満より出生時の低体重の方が重要なアウトカムかなと思うhttps://jstor.org/stable/2657467?seq=1
March 22, 2021
甲子園
日本で春の選抜がやっているらしい。甲子園が開催されていると、とたんに日本が懐かしくなる。春も面白いけど、やはり甲子園は夏。エアコンをつけて、部屋で甲子園を見ながらアイスを食べる、そして再放送されるタッチを見る(未来少年コナンだったかもしれない)。母は働いているから夏休みは祖母の家にいることが多かった。
テレビで見ていた甲子園は、高校に入ると学校行事と化した。もちろん母校は甲子園に行けるようなレベルではないのだが、それでも甲子園に行けるのではないかと信じて、全校で応援する。はじめは、なぜ野球だけ全校行事なのか、分からなかったが、次第に「楽しいから」という理由に負けて、その疑問を忘れることになる。最後までなぜ野球だけ応援するのかは、誰も説明できなかった。
野球応援では、普段は制服はないのに「伝統だから」と学ランを着た応援団がいる。これに限らず、夜通し歩いたあと「走る」歩く会や、戦前の軍国主義的歌詞を残す校歌など、母校は伝統の名の元に合理性の入る隙は小さかったように思う。
校歌に関しては定期的に廃止運動が起こる。保守的な高校だったけど、月に1回の全校集会で希望する生徒が全員の前で発言できたのは民主的だった。そこで誰かが校歌廃止を提案する。特に争点となったのは、「列強」や「帝国」などのパワーワードが入る2番だった。でも、いつも維持派が勝つ。まるで現在夫婦別姓の問題で維持派が最終的に活用に。卒業式は保護者も来るからという理由で、軍国主義的な歌詞がある2番は歌わないみたいな折衷案がとられた。これも、旧姓使用を広げる代わりに制度は維持する、という話と、どこか似ている。
March 18, 2021
帰国してみては
たまに将来日本帰るんですか(ひどい時にはいつ日本帰るんですか、なぜ勝手に帰ると決めるのだ)と聞かれると煙に回してしまうけど、50歳になってからやりたいことの一つは日本でしかできないことだから、それができるとわかったら帰るのかもしれない。ヨーロッパに残り続けようとする日本人サッカー選手のインタビューの下の方に、そろそろ帰ってみては、と帰国を勧める謎のヤフコメを見かけるけど、確かになぜそこまでこだわるんだろうというのは疑問としてはわからなくもない、というか、自分もなぜここまでアメリカに残りたいのかはわからない。けど残りたい。
March 15, 2021
ヌヨォーク日帰り旅行
コロナ禍で2回目の日帰り旅行。考えると、この一年でプリンストンと水戸以外にいたのは、東京の3日間、成田の1日間、そしてNYCの2日間しかありません。
サマータイムに入った関係か、普段と時刻が異なり、日曜であることも重なって始発が9時過ぎで今回は特に時間が限られていました。そのため、事前に以下のような計画を練って出発しました。
09:19 Princeton St -> 10:43 Penn St -> 11:15 Moma -> 12:35 Uniqlo -> 13:25 Wokuni pickup -> 先輩とお茶 -> 16:30 Kinokuniya -> 17:40 Muji -> 19:03 Penn St -> 20:19 Princeton St
お分かりいただけると思いますが、私にとってNYCはリトルトーキョーです。日々プリンストンで日本要素ゼロの日々を送っているので、数ヶ月に一度、帰国気分を味わうために遠出をします。
このように念密に計画を練っていたのですが(地下鉄は感染リスクを考え乗らず、全て徒歩)、Princeton StからPrinceton Junctionまでの電車が遅れ、すんでのところでPenn St行きの電車を逃しました。40分後にくる次の電車に乗ったので、いきなり計画が頓挫する展開。結果的には、Momaにいる時間を短くして、45分ほどの滞在でさっさと済ませることで妥協しました(Momaまではタクった)。
ちなみに電車を待っていたところ、中年にみえる女性に電車の行き先とホームが正しいかを聞かれたのですが、なんでも人生で初めて電車に乗るとのことでした。私には少し考えにくいのですが、アメリカには一度も電車に乗らずに人生を過ごす人もいるのかもしれません。
ソ連時代のプロパガンダ広告、グラフの使い方・スペースの切り取り方が印象的。data viz的にはこれが適切かと言われると微妙かもしれないが、インパクトある学会報告ポスターのアイデアにはなりそう。 |
昼食はうおくにのチラシ丼を食べました。久しぶりに生魚を食べることができて感動(アメリカの田舎の数少ない欠点の一つ:生魚を食べる機会が本当に少ない)。
紀伊國屋近くの公園で、東大時代のサークルの先輩とお茶。某国際機関に転職されて、充実された生活を送っているようでした。外だと小寒くなってきたので、二人で紀伊國屋に入って途中まで一緒にぶらぶら。個人的には極主夫道が英訳されて棚の一列を占めているのにウケました。ヤクザx主夫はこれはこれで日本的で、意外とアメリカではウケるのかもしれません。ちなみに、日本では今エヴァンゲリオンが公開され大反響だと思いますが、不思議なことにアメリカではエヴァはあまりウケてません。どちらかというとガンダムなどのロボット系のアニメの一ジャンルになっているような雰囲気です。2階の実質アニメイトコーナーには漫画やフィギュアなどが所狭しと並んでいるのですが、エヴァ関係のものは英訳されたカット集など数冊です。
その後いくつか文房具と小説を購入してMujiへ。紀伊國屋の後に来ると、だいぶ安く感じます。ノートなんて、B5サイズは1ドル以下で驚きです。食事・着るもの・文房具は日式がまだまだしっくりきます。細かい食器、掃除用具、靴下など購入して電車まで時間があったので、サンライズマートに行きました。この辺りは日系のお店が集中していて買い物には便利です。食材に関してはプリンストンにも車で10分くらいの距離にある韓国系スーパーでほぼ事足りるのですが、日系スーパーはやはり痒いところに手が届きます(信州味噌、米麹、ネストビールなど)。これでますます日本食が捗ります。最近、キッチンの日本化が顕著です。
常磐線文学?
知人に紹介してもらった若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」を紀伊國屋で買って、早速読んでみました。個人の内面をあれだけ炙り出して、最後の方は現実と区別がつかなくなってくるところ、それが東北弁と標準語の対比もあって力強く出ていて、とても面白かったです。
この本だと本人の主観を表現するときの東北弁と、それを客観的に描写する標準語の対比が非常にうまく組み込まれていて、こんな方言の生かし方もあるのかと勉強になりました。
最近読んだ本だと、柳美里さんの「JR上野駅公園口」も福島出身の主人公が方言を使っていましたが、外の世界とのつながりが重視されてる「JR上野駅公園口」に対して、若竹さんの作品はひたすら内面に焦点が当てられてて、それが本人の主観を表現した東北弁と、客観的描写の標準語の対比を強く感じた理由なのかもしれません。また、若竹さんの小説の東北弁は、福島よりももっと北で、さらに標準語との対比がより際立った気がします。別に対比する必要はないと思いますが、天皇、オリンピック、格差といった大きな背景の中で生きる個人を描いた「JR上野駅公園口」と、ひたすら個人の内面を描いた「おらおらでひとりいぐも」では、読後感が全然違います。
東北文学、あるいは常磐線文学、みたいなジャンルはないと思いますが、両作品に共通する、常磐線に乗って最初に降りた上野駅から上京が始まる場面などは象徴的で、北関東・東北出身者にとっての上野から始まる地方からの離脱、そこから年月が経ち家族と別れると、地縁がない都会では孤独が待っている、といったモチーフは、作品の背景として非常に似ていると感じました。
こんなことを考えるのは、私自身も上野駅から始まる上京の物語を経験した一人だからということもあるのでしょうが、残念ながら常磐線は上野終点ではなくなってしまったので、最近上京される方には、上野駅に着いたときの、海底トンネルにいるような不気味さ、地下から地上に登っていくまでに感じる期待と不安、こうした感情はあまりもたれないかもしれません。
March 2, 2021
大学院進学のパラドックス
友人と話してて、一橋の田中拓道先生のホームページに、「大学院進学のリスク」について書いてあることに気づきました。https://www.soc.hit-u.ac.jp/~takujit/graduate_school.html
なかなか業界全体で大学院進学、特に博士課程進学にリスクがありますよ、とはいえないところもあるので、こうやって研究室を持つ先生が個人として発信してくださるのは、進学を考える人にとっても助けになると思います(田中先生は政治学領域を念頭に書かれていますが、現状は社会学でも多かれ少なかれ同じだと思います)。
このページを見て、先日博士課程に進学しようか考えている人の相談を受けたことを思い出しました。私は今まで進学しようと決めた人の話を聞くことはありましたが、考え中の人の相談は初めてだった気がします。
私は基本的に、進学しようと決めた人には精一杯のアドバイスをしようという立場でいます。一方で、まだ決めかねている人にはメリット・デメリット双方を踏まえて話をしなくてはいけません。昔の自分であれば、アメリカの博士留学にはメリットが大きいと思っていたので、おそらくメリットの方を強調したでしょう。しかし、最近のアメリカの社会学博士課程は、卒業してからの競争が激しくなるばかりなのに、入学するのがますます難しくなってきている雰囲気があります。そういう状況を見て、正直進学したいと決めた人以外には何も言えないのが、現時点での私の考えです。
これと関連して、先日アメリカの院生がつぶやいてて本当にそうだなと思ったのは、「将来やりたいことが博士号がなければできない場合は進学するべきだが、そうじゃない場合は進学せずに目標を実現する方策を考えた方がいい」というものです。文脈としては、アメリカの社会学では(例として)racial justiceやcriminal justiceの実現に貢献したくて博士課程に入ってくる人も多いという事情があります。そして、そういったことはnon-profitの領域に入っても十分できることです。自分のやりたいことが、博士号がなければ、あるいは博士課程でのトレーニングがなければできないことなのか、きちんと考えてから出願すべきなのは、確かにそうだろうと思います。
少し矛盾することを言うようですが、博士課程中に本人のやりたいことは頻繁に変わります。さらに言えば、本人の関心を変えることが博士課程プログラムの肝でもあります。昔、メンターの先生の一人(DGS、大学院プログラムディレクター)が「博士課程に入った学生の研究関心を変えられなかったらそのプログラムは失敗だ」といってたのはよく覚えています。やりたいことが決まっている人が多い一方で、博士課程も教育制度の一つであるわけなので、学生のやりたいことが入る前後で変わらなければ、そのプログラムは学生を教育できたことにならないのです。実際、入学前から関心が変わる人はごまんといますし、理念としてはそうあるべきでしょう。
このように、大学院教育の一応の建前(理想)としては「大枠の関心を決めて入ってくれればよくて、最初の2年で頭の中をシェイクした後にテーマを決めてくれればいいよ」なのですが、にしては入学するまでの基準が厳しくなりすぎてるきらいがあり、なんとなくこれがやりたい、ではとても入学できるものではなくなっているのも事実です。実際、選抜する側も、将来のポテンシャルに加えて、現場でどれくらいその学生がクリティカルにものを考え、それを実証できるかを重視している気がします。
やりたいことが決まってないと進学を勧められないのに、入ってからはやりたいことを変えることが推奨される。この二つの側面を強調しすぎると、なんだかパラドクスが生じているように見えます。実際には、選抜する側は「いいバランス」を求めていて、狭すぎる関心の学生は逆に取りづらいのではないかと思っています。矛盾しているように見えてしまうのは、やはり入学のハードルが高くなっているからなのではないかなと考えていますが、隣の芝は赤く見えるもので、アメリカ国内のエリート大学を出てもプレドクが必須になっているような経済学に比べれば、まだ入るまでに3年、みたいな状況ではありませんが、そういう状況に近づきつつある気がします。