いまいち論文書く気になれないので日記。
今日はICPSRが企画したデータワークショップに参加。China Multigenerational Panel Data (CMGPD)というやつで、要約すると清王朝時代の中国における戸籍データを用いて、人の移動や世代間の社会移動などの分析をしようというもの。データセットをつくったのはUCLAからHKUSTに移籍したCameron Campbellらしいが、今日は歴史学系の教授一人と、社会学者のXi Songの二人がインストラクターとしてきてくれた。SongはUCLAでMareの指導のもと、多世代社会移動に関する研究で博士号を取っている。今日の話は結構面白く、社会移動研究に人口学的な要素を積極的に入れようという気持ちが伝わってくるものだった。例えば、十世代前の社会に10人の人間がいたとして、階層的に序列付けられているとする。これだけを見れば一世代の分布だが、各人が世代を継承できるかは一様ではない。つまり、子孫をたくさん残す人もいれば、そうでない人もいる。家系が途絶えてしまった場合には、その人の出身階層が次世代に与える影響は無くなる。このように考えると、子孫を大きく残した人の階層の影響力が大きくなると考えられる。さらに、現代では階層が高い人の方が平均的な子ども数は少ない傾向にあるので、資産が集中する傾向にあるかもしれない。みたいな話。時点を長くとればとるほどデータの正確性は損なわれるが、その分人口学的な説明の影響力は大きくなるという印象を持った。
ここまではワークショップの話。そのあとサッカーを見に行ったのでデータの分析パートは途中退出。もちろん、中国人ばかり。Songは関心がかなり近いので話しかけてみようと試みたが、周りに中国の学生が中国語で話しかけていたのでなかなか入りにくかった。帰り際に数分話したが、日本で同類婚のことをやっているであったり、多世代社会移動の話には興味を持っていたという旨を話すとreginal comparisonは重要だからと言ってくれた。まあ、話したけれどそれこそ日本では歴史人口学の人たちがやっているので、、、と思ったが、社会学なら社会移動とすれば意外とできるだろうか。時点を長くとればとるほどデータの正確性は損なわれるが、その分人口学的な説明の影響力は大きくなるという印象を持った。
今日Songに言われたことも考えると、日本を主軸としてやりつつも、それだけだと地域としては弱いというか、階層論、人口学には中国からの研究者が山のように入ってきているので、バリエーションの出し方としては東アジアの地域比較も念頭に入れておくのもひとつなのかなと思った。
July 30, 2016
July 29, 2016
淡々と
ひたすら淡々と毎日が過ぎていく。7時前後に起きて、単語やって、リーディング済まして、朝ごはんの支度をして、9時前には食べ始める。9時40分に家を出て、10時から授業、12時から教室を移動して線形代数、13時に終了して、Newberryに向かってサンドウィッチを食べる。3時から5時にまた授業、終了後、課題をやったり、地熱や修論をやったりで10時を過ぎる。寝るのは12時から1時ごろ。こう見ると、5時以降もっと研究できるんじゃないかと思うが、1日5時間授業受けていればそれなりに疲れるということを(改めて)知った。月曜は外で昼を食べたが、それ以外はお金がないので自炊。なので、3日間一銭も使ってない。明日はミシガン大の友人と会う。
July 25, 2016
1週間
ここ最近のアナーバーは特に暑くて、夜は寝苦しくてかなわない。何しろ、部屋にエアコンがなく通気も悪いため。
だいぶこちらでの生活にも慣れてきた。日本とは手はずの異なることばかりなので、洗濯にしろ料理にしろ、言葉が違うだけでこんなに億劫になるものかと驚いてしまう。自炊に関しては2年ほど無縁だったため、これまで毎日茹でて水に入れるだけのざるそばの恩恵にあずかっている。今日は初めて火を使った。
買い物なり散策を通じてだが、アナーバーは想像していたよりもこじんまりとした町で、それに伴って以下のような点が印象に残った。
まず、治安に関して。アメリカの治安は決して良くないと思っており、夜も出歩くのは避けておこうかと考えていたが、マンチェスターやケルンに比べてもずいぶん治安がいいのではないかと感じてる。その大きな要因は、アナーバーは良くも悪くもミシガン大学の関係者によって成り立っているので、街の同質性が非常に高く、貧困層などもずいぶん少ないのではないかと考えている。夜も、結局週の後半には(部屋にエアコンがないこともあって)遅くまで大学の施設に残るようになってしまったのだが、歩いていても身の危険を感じることはほとんどない(ほとんどだが)。高価なものは手に持たない、暗い道は歩かないなどの最低限の点に気をつければそこまで危険はないかなと思っている。
次に買い物事情。どうやらミシガン大学関係者の住宅は北キャンパスに集中しているらしく、中央キャンパスにはオフキャンパスの住宅はあるものの、こうした事情のためスーパーマーケットらしきものが皆無である。本当に皆無で、生鮮ものがコンビニか薬局くらいにしかない。大型のスーパーには車で行く必要があり、南のMeijerには先日行ってきたが、バス代が往復3ドルかかるので、今度から大学のバスに乗って北キャンパスまで行き、スーパーで買い物しようかと考えている。ちなみに、アナーバー唯一のデパートはBiarwoodらしく、これもバスで20分程度かかる。アップルストアにいってアダプタを購入した。
木金とcausalの課題に追われていて、単語もあまりできず、土曜日には少しいじったが、日曜日には頭痛が走り断念。週替わりから改めて再開したい。自治寮に住んでいるため、個人には一人当たり4時間の仕事(掃除など)が課されている。今日は午前中から午後にかけてその仕事や洗濯を済ませた。そのあと文献を済ませ、寮のミーティングに参加。中国人の留学生が作ってくれた餃子をつまみながら作業を再開し、9時前にAngel hallにいってSASを走らせるがうまくいかない。明日TAに相談する。土曜日は金曜の疲れで11時間半寝てしまい、逆に頭が回らないという事態になる。Angel hallで雑務ばかりしていた。気が散っていたのか、無性に魚が食べたくなり魚を売っているところを探したり、アナーバーで徒歩で行けるスーパーを探していた。Baboというところが徒歩数分の距離にあったが、オーガニック専門で学生にはちょっと手が出せない感じだった。Art fairの余韻を感じつつ、中華料理で夜を済ませ、SASワークに手をつけた。
明日から第2週目ということで、頑張りたい。まず早起き。
だいぶこちらでの生活にも慣れてきた。日本とは手はずの異なることばかりなので、洗濯にしろ料理にしろ、言葉が違うだけでこんなに億劫になるものかと驚いてしまう。自炊に関しては2年ほど無縁だったため、これまで毎日茹でて水に入れるだけのざるそばの恩恵にあずかっている。今日は初めて火を使った。
買い物なり散策を通じてだが、アナーバーは想像していたよりもこじんまりとした町で、それに伴って以下のような点が印象に残った。
まず、治安に関して。アメリカの治安は決して良くないと思っており、夜も出歩くのは避けておこうかと考えていたが、マンチェスターやケルンに比べてもずいぶん治安がいいのではないかと感じてる。その大きな要因は、アナーバーは良くも悪くもミシガン大学の関係者によって成り立っているので、街の同質性が非常に高く、貧困層などもずいぶん少ないのではないかと考えている。夜も、結局週の後半には(部屋にエアコンがないこともあって)遅くまで大学の施設に残るようになってしまったのだが、歩いていても身の危険を感じることはほとんどない(ほとんどだが)。高価なものは手に持たない、暗い道は歩かないなどの最低限の点に気をつければそこまで危険はないかなと思っている。
次に買い物事情。どうやらミシガン大学関係者の住宅は北キャンパスに集中しているらしく、中央キャンパスにはオフキャンパスの住宅はあるものの、こうした事情のためスーパーマーケットらしきものが皆無である。本当に皆無で、生鮮ものがコンビニか薬局くらいにしかない。大型のスーパーには車で行く必要があり、南のMeijerには先日行ってきたが、バス代が往復3ドルかかるので、今度から大学のバスに乗って北キャンパスまで行き、スーパーで買い物しようかと考えている。ちなみに、アナーバー唯一のデパートはBiarwoodらしく、これもバスで20分程度かかる。アップルストアにいってアダプタを購入した。
木金とcausalの課題に追われていて、単語もあまりできず、土曜日には少しいじったが、日曜日には頭痛が走り断念。週替わりから改めて再開したい。自治寮に住んでいるため、個人には一人当たり4時間の仕事(掃除など)が課されている。今日は午前中から午後にかけてその仕事や洗濯を済ませた。そのあと文献を済ませ、寮のミーティングに参加。中国人の留学生が作ってくれた餃子をつまみながら作業を再開し、9時前にAngel hallにいってSASを走らせるがうまくいかない。明日TAに相談する。土曜日は金曜の疲れで11時間半寝てしまい、逆に頭が回らないという事態になる。Angel hallで雑務ばかりしていた。気が散っていたのか、無性に魚が食べたくなり魚を売っているところを探したり、アナーバーで徒歩で行けるスーパーを探していた。Baboというところが徒歩数分の距離にあったが、オーガニック専門で学生にはちょっと手が出せない感じだった。Art fairの余韻を感じつつ、中華料理で夜を済ませ、SASワークに手をつけた。
明日から第2週目ということで、頑張りたい。まず早起き。
July 19, 2016
ICPSR2日目
二日目終了。Longitudinalの先生は四半世紀ICPSRで教えているということで頭が下がる。少々厄介なのは、biostatの人だからかもしれないが、SASで実習するということで、SASを触ったことがない学生向けに時間外にレクチャーしてくれた(3日間にわたりどの生徒も参加できるよう6セッション開いてくれる気の入れよう)。出力がHTMLなので綺麗、UIはLEMに似てる印象を持つ。夏休みの4週間をICPSRに使ってくれる先生たちの心意気たるや敬服いたします。
諸々終了後、教材をスキャンしにNewberry近くのAngel Hallにあるcomputer siteに行く。恐らく昔講堂だった部分をぶち抜いて、PCルームに改築されている感じ。スキャンもできたし、学生証なくてもuniquenameでログインできた。そしてArcGISも使えた。
来る前の印象としては、世界のICPSRたるや相当にオーガナイズされているはずだと(2500ドルも払ってるし)思っていたのだが、もちろんGESISのサマースクールなどに比べればコースの種類やそれぞれの授業の20回という厚みは顕著な差として見られるのだが、個々の授業自体は先生ごとに裁量が任されているし(なのでアサインメントなども授業によってばらつく)、なにより受ける方も全員が全員、成績を気にするわけでもないので、すこし気の持ちように余裕がある感じを受ける。よく言えば力みがないのだが、悪く言うと少々緊張感に欠けるかもしれない。後者については、日本で聞いている印象としては、世界最高峰の環境云々ということを想像してしまっていたこともあるが、そういう切羽詰まった感じはない。あと、ミシガン大学の設備に比べれば、ICPSRサマープログラムの施設は建物を間借りしている一時的なものなので、インフラとしては周りの施設の方が高水準だったりする(パソコンの数なり、図書の整備なり)。この季節は学生がいないかと思っていたが割とcomputer siteやキャンパスを見ていると人はいて、大学がICPSR一色という感じでもなく(考えてみればそりゃそうだ)、ミシガン大学全体のスケールの中の、ごく一部分を占めているにすぎないのだなと感じている。まあ、日本にいるとなんでもすごく見えてしまうものなのかもしれない。逆に言うと、そこまで気を張って参加する必要はないかもしれない。ただし、授業料は高い。ICPSRのネームバリューや授業料の高さで気負ってしまいがちだけど、中身はよくある気分やや緩めのサマースクールという感じ。さすがにそういう人はいないと思うけど、やろうと思えば一人が受講してリーディングなどを落とし、もう一人は授業料払わず教室にいても何も不思議がられないだろうなあ。
諸々終了後、教材をスキャンしにNewberry近くのAngel Hallにあるcomputer siteに行く。恐らく昔講堂だった部分をぶち抜いて、PCルームに改築されている感じ。スキャンもできたし、学生証なくてもuniquenameでログインできた。そしてArcGISも使えた。
来る前の印象としては、世界のICPSRたるや相当にオーガナイズされているはずだと(2500ドルも払ってるし)思っていたのだが、もちろんGESISのサマースクールなどに比べればコースの種類やそれぞれの授業の20回という厚みは顕著な差として見られるのだが、個々の授業自体は先生ごとに裁量が任されているし(なのでアサインメントなども授業によってばらつく)、なにより受ける方も全員が全員、成績を気にするわけでもないので、すこし気の持ちように余裕がある感じを受ける。よく言えば力みがないのだが、悪く言うと少々緊張感に欠けるかもしれない。後者については、日本で聞いている印象としては、世界最高峰の環境云々ということを想像してしまっていたこともあるが、そういう切羽詰まった感じはない。あと、ミシガン大学の設備に比べれば、ICPSRサマープログラムの施設は建物を間借りしている一時的なものなので、インフラとしては周りの施設の方が高水準だったりする(パソコンの数なり、図書の整備なり)。この季節は学生がいないかと思っていたが割とcomputer siteやキャンパスを見ていると人はいて、大学がICPSR一色という感じでもなく(考えてみればそりゃそうだ)、ミシガン大学全体のスケールの中の、ごく一部分を占めているにすぎないのだなと感じている。まあ、日本にいるとなんでもすごく見えてしまうものなのかもしれない。逆に言うと、そこまで気を張って参加する必要はないかもしれない。ただし、授業料は高い。ICPSRのネームバリューや授業料の高さで気負ってしまいがちだけど、中身はよくある気分やや緩めのサマースクールという感じ。さすがにそういう人はいないと思うけど、やろうと思えば一人が受講してリーディングなどを落とし、もう一人は授業料払わず教室にいても何も不思議がられないだろうなあ。
July 18, 2016
ICPSR1日目
初日は午前中にregistrationがあり、授業は午後1時から。午前9時半にISRに向かってregistrationを済ませ、先輩とバスに乗ってMeijerとTsai Groceryに買い出し。後者はアジア食品店で、そばとめんつゆをゲット。だいたい買ったけど、爪切り忘れた。
授業はcausal inferenceに出てみる。先生はミシガン統計学部のBen Hansen教授(+イリノイ大のJake BowersとTA)。potential outcome modelに則った授業で、ついていけるか自信ないけど、M&W一読したし、教養程度にと考える。内容としては実験デザインに始まり、傾向スコア、操作変数、sensitivity analysis、もしかするとRDとかまでやるかもということ(RDはそれ専門のワークショップがあるので兼ね合いがあるっぽい)。初日授業者のバックグラウンドはポリサイが20人以上、社会学は8人。ほか数名。
気候はやはり過ごしやすくて、日差しは午後にかけて強くなるけど湿気がないので不快感はない。授業終了後、ちょっと買い物して、オフィスがあるHelen Newberryで夜のパーティまで待機。
パーティでは寮にいる中国人が別の知り合い(というか道で会った感じの韓国人と中国人)を連れてきていて、流れで座りながら彼らと話す。アリゾナ大学の政治学の人たちらしい。後半からはもう少し回ってみようかと思って、立ち話をしてみる。やはり、中韓の学生で英語がうまいくらいの人の方が話しやすいなというここ数年来の心象をくりかえす。寮に戻り即就寝。
どうやら昨年に引き続き、中国の大学から50人とも100人ともわからない数の学生が大挙してICPSRに参加しているらしい。そして学部生。寮にいる中国人の学生も皆いい人なのだけど、彼らは特に政治学や社会学の応用的な手法を学びたいというモチベーションで来ているというわけではなく、おそらく数あるアメリカーのサマースクールのうちの一つとして統計を学びに来ているくらいの感覚なのかもしれない。そして、(自分がいうのもアレだけど)英語もこれからという感じなので、彼らのようなバックグラウンドの人が大量に来るようになると、ICPSRの性格も変わってくるかもしれない。自分としては、学部生と大学院生が混在して参加できる形態は悪くないと思うし、現にGESISなどには学部生として参加していたので何も言えないが、あくまで院生中心のプログラムに、一部学部生が混じるくらいがちょうどいいと思うので、構成比の変化は何かしらのインパクトをもたらすかもしれない。杞憂であればいいけれど。
授業はcausal inferenceに出てみる。先生はミシガン統計学部のBen Hansen教授(+イリノイ大のJake BowersとTA)。potential outcome modelに則った授業で、ついていけるか自信ないけど、M&W一読したし、教養程度にと考える。内容としては実験デザインに始まり、傾向スコア、操作変数、sensitivity analysis、もしかするとRDとかまでやるかもということ(RDはそれ専門のワークショップがあるので兼ね合いがあるっぽい)。初日授業者のバックグラウンドはポリサイが20人以上、社会学は8人。ほか数名。
気候はやはり過ごしやすくて、日差しは午後にかけて強くなるけど湿気がないので不快感はない。授業終了後、ちょっと買い物して、オフィスがあるHelen Newberryで夜のパーティまで待機。
パーティでは寮にいる中国人が別の知り合い(というか道で会った感じの韓国人と中国人)を連れてきていて、流れで座りながら彼らと話す。アリゾナ大学の政治学の人たちらしい。後半からはもう少し回ってみようかと思って、立ち話をしてみる。やはり、中韓の学生で英語がうまいくらいの人の方が話しやすいなというここ数年来の心象をくりかえす。寮に戻り即就寝。
どうやら昨年に引き続き、中国の大学から50人とも100人ともわからない数の学生が大挙してICPSRに参加しているらしい。そして学部生。寮にいる中国人の学生も皆いい人なのだけど、彼らは特に政治学や社会学の応用的な手法を学びたいというモチベーションで来ているというわけではなく、おそらく数あるアメリカーのサマースクールのうちの一つとして統計を学びに来ているくらいの感覚なのかもしれない。そして、(自分がいうのもアレだけど)英語もこれからという感じなので、彼らのようなバックグラウンドの人が大量に来るようになると、ICPSRの性格も変わってくるかもしれない。自分としては、学部生と大学院生が混在して参加できる形態は悪くないと思うし、現にGESISなどには学部生として参加していたので何も言えないが、あくまで院生中心のプログラムに、一部学部生が混じるくらいがちょうどいいと思うので、構成比の変化は何かしらのインパクトをもたらすかもしれない。杞憂であればいいけれど。
短信
17日午前5時半に起床、6時半に駅に着きバスに乗る。8時半に成田空港に到着して、チェックイン。10時40分に出発。11時間ちょっとのフライトで、ダラスに到着。現地時間11時頃に出発し、2時半過ぎにデトロイト空港に到着。機内ではズートピアをみたり、GREの単語をやったり。
チケットが完売していたのでシャトルバスを5時発のを予約したのだが、先人のアドバイス通り早いバスにも乗ることができ、4時半にアナーバーに到着。寮には5時過ぎに到着したが、その時には寮のミーティングがはじまっており、途中から参加する。学生でないメンバーを寮に入れる際には、寮メンバーの承認が必要らしく、その議論や、8月に外に出てしまうhouse managerの代わりを誰がやるかなど、非常に民主的な自治寮だなという印象。終了後、一通り寮の説明を受け、眠くなったので近くの7-elevenでシャンプーを買ってシャワーを浴び(お湯の出し方がわからなかったので寒い)、そのまま就寝。
18日は6時半に起床。時差ぼけは解消。朝食にシリアルとバナナ、それとコーヒー。まだ火の使い方がわからない。そのあと単語をやって、1日の予定を確認。これからregistration。
July 15, 2016
帰省(長いのであとで編集します)
6月末にAASで報告したあと結構ドタバタしてました。
7月になって大小の勉強会で報告3回(1日の経済社会学研究会、2日のパネル研究会、13日の階層研究会)、ゼミの報告が2回(8日、13日)、社研のPhDセミナー(7日)、3日のSSMの関東地区研究会、9日の課題公募の二次分析研究会で報告して、14日の修論セミナー。足したら9つもレジュメやら何やら作ってました。その間に、4日に気分転換に友人とイメージフォーラムで『シリア・モナムール』鑑賞をしたりもした。ドキュメンタリーだけどシリア内戦の悲惨さと並行して詩情的な男女の対話が重なっているのが独創的だった。他には、マンチェスター時代の友人が日本にフィールドワークに来るということで、12日に午前6時半に羽田というアクロバティックなことしたり、ちなみに翌日は天ぷら食べに行った。あとは、駒場時代のゼミの先生の紫綬褒章受賞記念パーティなど。共著者のミーティングを水曜にして、どうやら論文に必要な分析が帰国までにできている必要が出てきた(汗)。ASSも一人でやるので結構重荷である。
火曜日(12日)はお世話になっている松尾先生と会食。今日のこくわの大将と合わせて、向こうでの足しにと励ましてもらったので恐縮。30日の計量研は楽しかった。海外の印の人がきれくれたこともあり、興味深く、モチベーションあがったかも。
社研のセミナーでは、主張がindirectだというので、要するに変数の効果見て解釈してるだけじゃんというコメントをもらった。確かになあ、もっと直接的に観察できればなと思った。とはいえ、社会調査には社会調査でおおよその推論は許容しながらトレンドだったりもっと広いこと見ている気もする。ただ、重要なのは発想なのはその通りだと思って、興味その議論からこういう仮説はどうだみたいなのが結構ポンポン出てきて楽しかった。全部は検討できないけど、仮説思考の人が集まって議論すると結構分野外でも発展的に話せることがわかった。もちろん、配偶者選択に関して厳密な仮説検証は結構大変。
この間に、5日あたりに出身階層の影響力という点にこだわろうと決め、短大の記述含め修論を書き、幾つかは報告した。あと、連携と離反の東アジアが朝日の吉岡さんに書評されて嬉しかった。
SSM研究会では(以下twitterメモベタ貼り)、二次会で言われたことを踏まえると、問題設定を(1)現実社会で問題となっていることから出発するか(2)先行研究で理論的に重要とされていることから始めるかに大別すると、自分含め周りの友人は(2)を重視するけど、もしかするとベテランの先生は(1)に比重を置いている人が多いのかなと思った。
互いに両立するしどちらも大事だと思うけど、例えば自分の分析の結果を解釈するときに、それはひょとすると都市と地方の格差に関係しているんじゃないのかという点は、同意するしより現実的に理解できる説明のような気がするけど、リファーしている先行研究からは導きがたい主張ではある。
可能性としてはそういうのから出発して日本の事例から抽象度の高い理論に持ってくことはできるかもしれないけど、(いいか悪いかは別として)自分含め周りのスタンスとしては欧米の知見がまずあり、理論的に含意されることが日本ではどうなっているのかというラインからスタートすることが多い。
その中で、理論的に導かれることをローカルな文脈に置き直して再構成する程度の修正はある(し自分もそうして推論する)けど、やはりまず理論的命題があって、その上で我々が一次的に理解できるような説明が加わるというイメージでいる。なので、自分はそうした一次的な説明から出発することはしない。
その理論の前提には雑駁に言えば開放性だったり格差の連鎖だったりがあるのかもしれないけど、その先行研究をリファーしている限りは妥当な説明のように思える。計量分析にも現実世界のリアリティに近い説明を好む人もいれば、理論から出発する人もいるだろうというくらいのこと。
さっきの話の続きなんですが、そういうすでにある欧米の理論から出発してそれを部分的に修正するような進め方だと、日本のローカルな特徴が前面に出た説明はできないなという気もしている。例えばBrintonの人的資本形成システムの議論とか。
先進諸国のうちの1つとして日本を検討して、理論を修正するというやり方だと、なかなか「なぜ日本なの?」に答えられない。よほど理論に対してインパクトのあるテストとかじゃない限り(身近な例だとRaymo & Iwasawa 2005とか)あと、海外の研究者からはなかなか引用されにくそう。逆に欧米の知見から始まるスタンスだとBrintonのような説明はなかなか受容しがたい(日本にほとんど固有とも言っていいような説明なので)。ここ数日の研究会などの議論を聞いているとそういう点について考えました。本当にどちらも必要なスタンスで、先行する理論が適用できる範囲(レバレッジ)を徐々に修正しつつ広げていくというのも大事だし、日本は日本として地域研究のように説明するのも必要だし。ただし、非常に均質的な集団(日本の社会学界やRC28とか)だと前者のような説明が好かれるかなという印象。
どちらも必要だけど、一方で実践としてはよく問答として(日本の学会とかで)「A理論が妥当するか日本で検討してみました」「ふむふむそうね」となりそうな一方、少し分野が離れると「なんで日本だけなの?」みたいに聞かれるという話。(最初の話とやや離れてしまった。)日本の社会学者しかいない均質的な集団だと日本だけの説明でも十分満足されそうな気もしてきた。一方で日本のXを事例としてAとBの関係を根本から問い直すみたいな研究もあるかもしれない。
まあ、いろいろ勉強は必要、Association modelとかforce of attractionとか。
7月になって大小の勉強会で報告3回(1日の経済社会学研究会、2日のパネル研究会、13日の階層研究会)、ゼミの報告が2回(8日、13日)、社研のPhDセミナー(7日)、3日のSSMの関東地区研究会、9日の課題公募の二次分析研究会で報告して、14日の修論セミナー。足したら9つもレジュメやら何やら作ってました。その間に、4日に気分転換に友人とイメージフォーラムで『シリア・モナムール』鑑賞をしたりもした。ドキュメンタリーだけどシリア内戦の悲惨さと並行して詩情的な男女の対話が重なっているのが独創的だった。他には、マンチェスター時代の友人が日本にフィールドワークに来るということで、12日に午前6時半に羽田というアクロバティックなことしたり、ちなみに翌日は天ぷら食べに行った。あとは、駒場時代のゼミの先生の紫綬褒章受賞記念パーティなど。共著者のミーティングを水曜にして、どうやら論文に必要な分析が帰国までにできている必要が出てきた(汗)。ASSも一人でやるので結構重荷である。
火曜日(12日)はお世話になっている松尾先生と会食。今日のこくわの大将と合わせて、向こうでの足しにと励ましてもらったので恐縮。30日の計量研は楽しかった。海外の印の人がきれくれたこともあり、興味深く、モチベーションあがったかも。
社研のセミナーでは、主張がindirectだというので、要するに変数の効果見て解釈してるだけじゃんというコメントをもらった。確かになあ、もっと直接的に観察できればなと思った。とはいえ、社会調査には社会調査でおおよその推論は許容しながらトレンドだったりもっと広いこと見ている気もする。ただ、重要なのは発想なのはその通りだと思って、興味その議論からこういう仮説はどうだみたいなのが結構ポンポン出てきて楽しかった。全部は検討できないけど、仮説思考の人が集まって議論すると結構分野外でも発展的に話せることがわかった。もちろん、配偶者選択に関して厳密な仮説検証は結構大変。
この間に、5日あたりに出身階層の影響力という点にこだわろうと決め、短大の記述含め修論を書き、幾つかは報告した。あと、連携と離反の東アジアが朝日の吉岡さんに書評されて嬉しかった。
SSM研究会では(以下twitterメモベタ貼り)、二次会で言われたことを踏まえると、問題設定を(1)現実社会で問題となっていることから出発するか(2)先行研究で理論的に重要とされていることから始めるかに大別すると、自分含め周りの友人は(2)を重視するけど、もしかするとベテランの先生は(1)に比重を置いている人が多いのかなと思った。
互いに両立するしどちらも大事だと思うけど、例えば自分の分析の結果を解釈するときに、それはひょとすると都市と地方の格差に関係しているんじゃないのかという点は、同意するしより現実的に理解できる説明のような気がするけど、リファーしている先行研究からは導きがたい主張ではある。
可能性としてはそういうのから出発して日本の事例から抽象度の高い理論に持ってくことはできるかもしれないけど、(いいか悪いかは別として)自分含め周りのスタンスとしては欧米の知見がまずあり、理論的に含意されることが日本ではどうなっているのかというラインからスタートすることが多い。
その中で、理論的に導かれることをローカルな文脈に置き直して再構成する程度の修正はある(し自分もそうして推論する)けど、やはりまず理論的命題があって、その上で我々が一次的に理解できるような説明が加わるというイメージでいる。なので、自分はそうした一次的な説明から出発することはしない。
その理論の前提には雑駁に言えば開放性だったり格差の連鎖だったりがあるのかもしれないけど、その先行研究をリファーしている限りは妥当な説明のように思える。計量分析にも現実世界のリアリティに近い説明を好む人もいれば、理論から出発する人もいるだろうというくらいのこと。
さっきの話の続きなんですが、そういうすでにある欧米の理論から出発してそれを部分的に修正するような進め方だと、日本のローカルな特徴が前面に出た説明はできないなという気もしている。例えばBrintonの人的資本形成システムの議論とか。
先進諸国のうちの1つとして日本を検討して、理論を修正するというやり方だと、なかなか「なぜ日本なの?」に答えられない。よほど理論に対してインパクトのあるテストとかじゃない限り(身近な例だとRaymo & Iwasawa 2005とか)あと、海外の研究者からはなかなか引用されにくそう。逆に欧米の知見から始まるスタンスだとBrintonのような説明はなかなか受容しがたい(日本にほとんど固有とも言っていいような説明なので)。ここ数日の研究会などの議論を聞いているとそういう点について考えました。本当にどちらも必要なスタンスで、先行する理論が適用できる範囲(レバレッジ)を徐々に修正しつつ広げていくというのも大事だし、日本は日本として地域研究のように説明するのも必要だし。ただし、非常に均質的な集団(日本の社会学界やRC28とか)だと前者のような説明が好かれるかなという印象。
どちらも必要だけど、一方で実践としてはよく問答として(日本の学会とかで)「A理論が妥当するか日本で検討してみました」「ふむふむそうね」となりそうな一方、少し分野が離れると「なんで日本だけなの?」みたいに聞かれるという話。(最初の話とやや離れてしまった。)日本の社会学者しかいない均質的な集団だと日本だけの説明でも十分満足されそうな気もしてきた。一方で日本のXを事例としてAとBの関係を根本から問い直すみたいな研究もあるかもしれない。
まあ、いろいろ勉強は必要、Association modelとかforce of attractionとか。