August 12, 2011

ナショナリズム


李洋陽 「中国の学校教育と大学生の対日意識」

 ナショナリズムをめぐっては、中国の反日感情の背景が「愛国主義教育」と「メディアの報道」などの他の要素という二つに大きく分けられている。ともに反日感情を喚起するものと考えられるが、日本のメディアが中国の反日デモについて報道し、その背景について分析する際、前者を強調している。中国の反日感情は「日本の首相の靖国参拝の有無にかかわらず、中国内部で長年、極めて意図的、体系的に培われてきた反日の執念の産物なのだ。中国共産党当局は教育と宣伝で日本への嫌悪を一般国民の心に植え付けてきたのである 。」といったように。
 しかし、「中国の学校教育は、はたして『反日教育』という単純な括りで語れるのだろうか 。」社会学者の李洋陽はそう唱える。彼女は、確かに日中両国の間で、日中戦争という「負の遺産」があり、中国人が学校教育を通じて、そうした事実を知ることで日本や日本人に対して否定的な感情を抱くのは仕方ないとする。一方で、中国社会に見られる反日感情の原因を学校教育にのみ求めることを正しくないとする。
 「反日」を「日本や日本人に対してネガティブな印象と感情を持ち、反発的な行動をとること 」と定義した上で、彼女はまず、中国の「愛国主義教育」が1989年の天安門事件を契機にして、国家・国民統合の課題をつきつけられたこと、加えて、世代交代により中国の歴史上における社会主義イデオロギーと共産党の功績の風化を恐れたこと、この二つを背景に成立したと述べる。すなわち、愛国主義教育は「反日」要素よりも、現在の統治体制の正当性に重きを置いたものだった 。
 彼女は次に、北京市内の大学生のもつ対日イメージを分析することで、日本のイメージを悪化させる「戦争イメージ」が学校教育に由来するのかについて考察する。
 社会調査の結果は、「戦争イメージ」の強いグループが対日意識の情報源として利用するのは「学校教育」以外に、「雑誌」「新聞」「テレビ局の日本関連報道」といった「メディア」と周りからの「口コミ」であることが分かった。彼女は「中国の学校教育は情報源の一つとして大学生の対日意識に一定の役割を果たしているものの、対日イメージへの影響は絶対的なものではな」く「戦争イメージ」について「学校教育はそれを生成する情報源の一つに過ぎず、その活性化はむしろ新聞、雑誌、テレビなどのマスコミの日本報道との関連性が高いことが分かった」と結論づけた 。(990字)



石井健一(2008)「中国の愛国心・民族主義と日本・欧米ブランド志向」

 これを受けて、石井健一は中国人のナショナリズム感情を別の側面から分析する。
 まず、中国人のナショナリズム意識には二つの理論が存在する。ひとつは過去の歴史から受けた屈辱と中国的な「面子」の概念が謝罪を求めるとするもので、もうひとつは中国のナショナリズム意識の高揚は、民衆の自発的な反応ではなく、江沢民が共産党政権を正当化するために行った愛国主義教育からの影響が強いとする見方である。石井は社会調査データを用いて、どちらの理論が妥当なのか、すなわち中国人のナショナリズム意識は自発的なのか非自発的なのかについて分析する。
 中国のナショナリズム意識の高揚が反日意識と結びついていることは多くの先行研究が指摘すると述べた上で、石井はまず「愛国心」と「民族中心主義(排外主義)」は弱い相関関係はあるものの、別次元の変数として考えるべきとする。
 日本への嫌悪感、愛国心、民族消費主義を目的変数とした回帰分析の結果、「愛国心」は反日感情を高めるよりも、むしろ愛国心が高い人ほど日本への反日感情は低いという傾向が明らかになる。反日感情と結びついているのは、民族消費主義(外国製品を拒否し、中国製品を重視する)や「民族文化主義」(海外の文化を拒否する)といった排外主義の方であった。2005年の反日デモでは「愛国無罪」がスローガンとして掲げられたが、分析からは愛国心は反日感情を弱めることが分かる 。
 また、愛国主義教育が愛国心に与える影響は疑わしいことが分かった。仮に、愛国主義教育が愛国心の養成に影響を持つとすれば、教育年数の長い人であればあるほど、愛国心が強いという傾向が示されるはずだが、回帰分析の示す結果は教育年数の長い人ほど愛国心は弱いという、全く逆の結果だった 。(個人的にここらへんは怪しい気がするが、筆者注)(721字)

 これら二つの論文からは、中国のナショナリズム意識には愛国心と排外主義の二つがあり、両者は区別されるべきであること、さらに、愛国主義教育が反日感情を喚起しないという点については、石井が反日感情と結びついているのは排外主義の方であり、愛国心と反日感情の結びつきは弱いという言い方で、李が、北京の大学生にとって、愛国主義教育を伴う学校教育が、日本のイメージを悪化させている「戦争イメージ」を喚起させる絶対の要素ではないという言い方で述べている。そして、反日感情を強めているのは、メディア報道であり、そのメディア報道の内容は、小泉首相の靖国神社訪問であったり、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定教科書として採択されたことだったりすることが分かる。




笠原十九司「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」

 ここまでで分かることは、中国のナショナリズム意識を考えるときに、中国の愛国主義的教育に目を向けるだけではなく、日中間の歴史認識をめぐる日本政府の政治的な態度とそれを報じるメディアの存在を考慮することの方が重要な点である。前者について、歴史学の立場から言及したのが、笠原十九司編の「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」である。
 この本は2010年に公表された「日中共同歴史研究」の成果の重要性を扱ったものだが、笠原は冒頭で、この共同研究によって提出された報告書が、日中間の「歴史事実の認知」の前提として活用されることの必要を説いている。
 戦後日本の歴史政策は侵略や植民地支配の犠牲になったアジア諸国・国民との歴史認識問題をめぐる反発と対立を深めてきたが、ASEANが台頭してくると共に、戦争被害国との和解を果たさなければ、経済的なレベルでの信頼は得られないとする危機感を抱いた。これを一つのきっかけにして、侵略戦争と植民地支配に対する謝罪と反省を述べた「村山談話」が表明された。しかし、「お国のため」に出征した戦没者を侵略者として断罪することは「戦死者をむち打つ行為」だという心情的な論理を用いて、旧軍人・遺族などが侵略戦争反対の国会決議を阻止するための反対運動を展開した結果、国会決議は骨抜きのものとなった。
 こうして、村山政権後の自民党は「村山談話」という戦争に対する反省と謝罪を述べた声明を引き継ぐ一方で、東京裁判を否定し、南京大虐殺や従軍慰安婦問題は無かったとする歴史政策を進める正当性を得た。笠原はこれが対外的には戦争に対する反省を述べる一方で、国内では日本の戦争を侵略戦争としない歴史政策をすすめる「ダブルスタンダード」になっているとする。
 笠原にしてみると、このダブルスタンダードは日本の侵略戦争を美化し、植民地支配を肯定的に描いた「新しい歴史教科書」(扶桑社)が採択されたことに対して中韓でデモが起こっても、日本のメディアに「原因は中国の愛国主義的教育にある」とし、直接の契機が、小泉首相の靖国訪問や教科書問題にあるという省察を欠かせたという。日中共同歴史研究が広く国民に知らされることの必要は、こうした日中間の歴史認識の摩擦や齟齬を個人レベルで解決するためにあるとする。(934字)

参考文献
石井健一(2008)「中国の愛国心・民族主義と日本・欧米ブランド志向」石井健一編『グローバル化における中国のメディアと産業』 pp.? 明石書店
李洋陽 (2008) 「中国の学校教育と大学生の対日意識」 石井健一編 『グローバル化における中国のメディアと産業』 pp.? 明石書店
笠原十九司編 (2010) 「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」勉誠出版

No comments:

Post a Comment