ふと浪人時代に通っていた予備校に久しぶりに寄ってみたのですが、自分がいた頃とは様変わりしていました。原因は数年前に河合塾が進出したから。母校の浪人生は駿優から河合に流れていったようです。
前年度の合格者を一覧にしていた正面玄関には何も貼っておらず、予備校部分は3階部分に縮小。夏のこの時期には現役生も混じって満員になっていた2階の夏季講習用の大教室は空っぽ。同じ階には予備校が新しく始めた幼児教育の教室から、未就学児に何かを復唱する先生の声。当時の講師陣は誰一人いなくなり、事務に唯一、昔から知っているベテランの方がまだおられました。
僕は浪人時代にしっかり勉強する習慣が身に付けられたことが、大学での学びにもつながっていると思っているので、12年前と建物は変わっていないのに人がすっかりいなくなった風景を見て、寂しく感じました。
数学の猿渡先生はとても厳しかったのですが、授業が終わると温かい人でした。これも数年前に亡くなったことをどこかで伝え聞きました。英語の古田先生は高校卒業したての受講生にポスト構造主義の話をしながら入試問題の解説をする、ユーモア溢れる先生でした。
英作文が大の苦手だった自分が、毎日のように英語で論文を書いたり、人の書いた論文を査読しているのは、当時は想像もつかなかっただろうと思います。