July 11, 2019

プレリム

最近はずっと人口学プレリムの勉強をしています。弊学にはリーディングリストはないのですが、おおよそ過去の大学院セミナーのシラバスから、こういった文献を読んだ方がいいのではないかというのを作成しています。

Demography and Ecology Preliminary Exam Reading List


PAA歴代会長講演(過去20年分)
Bumpass, Larry L. 1990. ``What's Happening to the Family? Interactions Between Demographic and Institutional Change.'' Demography 27(4):483-498.
Rindfuss, Ronald R. 1991. ``The Young Adult Years: Diversity, Structural Change, and Fertility.'' Demography 28(4):493-512.
van de Walle, Etienne 1992. ``Fertility Transition, Conscious Choice, and Numeracy.'' Demography 29(4):487-502.
Hermalin, Albert I. 1993. ``Fertility and Family Planning Among the Elderly in Taiwan, or Integrating the Demography of Aging into Population Studies.'' Demography 30(4):507-518.
Udry, Richard J 1994. ``The Nature of Gender.'' Demography 31(4):561-573.
Waite, Linda J. 1995. ``Does Marriage Matter?.'' Demography 32(4):483-507.
Massey, Douglas S. 1996. ``The Age of Extremes: Concentrated Affluence and Poverty in the Twenty-First Century.'' Demography 33(4):395-412.
Mason, Karen Oppenheim 1997. ``Explaining Fertility Transitions.'' Demography 34(4):443-454.
Pebley, Anne R. 1998. ``Demography and the Environment.'' Demography 35(4):377-389.
Cherlin, Andrew J. 1999. ``Going to Extremes: Family Structure, Children's Well-Being, and Social Science.'' Demography 36(4):421-428.
Bianchi, Suzanne M 2000. ``Maternal Employment and Time with Children: Dramatic Change or Surprising Continuity?.'' Demography 37(4):401–414.
Thornton, Arland 2001. ``The Developmental Paradigm, Reading History Sideways, and Family Change.'' Demography 38(4):449–465.
Tienda, Marta 2002. ``Demography and the social contract.'' Demography 39(4):587–616.
Morgan, S Philip 2003. ``Is Low Fertility a Twenty-First-Century Demographic Crisis?.'' Demography 40(4):589–603.
McLanahan, Sara 2004. ``Diverging Destinies: How Children Are Faring Under the Second Demographic Transition.'' Demography 41(4):607-627.
Hirschman, Charles 2005. ``Immigration and the American Century.'' Demography 42(4):595-620.
Palloni, Alberto 2006. ``Reproducing Inequalities: Luck, Wallets, and the Enduring Effects of Childhood Health.'' Demography 43(4):587-615.
Entwisle, Barbara. 2007. ``Putting People Into Place.'' Demography 44(4):687-703.
Duncan, Greg J. 2008. ``When to Promote, and When to Avoid, a Population Perspective.'' Demography 45(4):763-784.
Harris, Kathleen Mullan 2010. ``An integrative approach to health.'' Demography 47(1):1-22.
Mare, Robert D. 2011. ``A Multigenerational View of Inequality.'' Demography 48(1):1-23.
Lam, David 2011. ``How the World Survived the Population Bomb: Lessons From 50 Years of Extraordinary Demographic History.'' Demography 48(4):1231-1262.
Lichter, Daniel T. 2013. ``Integration or Fragmentation? Racial Diversity and the American Future.'' Demography 50(2):359-391.
Bachrach, Christine A. 2014. ``Culture and Demography: From Reluctant Bedfellows to Committed Partners.'' Demography 51(1):3-25.
Moffitt, Robert A. 2015. ``The Deserving Poor, the Family, and the U.S. Welfare System.'' Demography 52(3):729-749.
Ruggles, Steven 2015. ``Patriarchy, Power, and Pay: The Transformation of American Families, 1800–2015.'' Demography 52(6):1797-1823.
Seltzer, Judith A. 2019. ``Family Change and Changing Family Demography.'' Demography 56(2):405-426.

July 7, 2019

Moving back

マディソンに戻ってきました。金曜の午後に到着して、今回初めて時差ボケらしい時差ボケを感じてます。とはいっても特に予定もないので、早く眠ることができて、むしろ有難いと思っているところです。ただ、いつまでも午後5時くらいに寝ていてもそのうち支障が生じるので、徐々に9時ごろに眠くなるように、少しずつ寝るタイミングをずらしています。

金曜と土曜は家にこもって部屋の整理や料理をしていたのですが、今日は久しぶりにオフィスに向かいました。特に何も変わっていないわけですが、何人かの同僚が新しいオフィスに移動したので、彼らが使っていたデスクに他の同僚が移っていました。私の学部は、学年やその年のfundingのポジションによってあてがわれるオフィスが変わるので、だいたい1-2年おきに部屋を移動するようです。最初の1年は、特にTAや人口学研究所のトレイニーになっていない人は新入生用の部屋になり、彼らは2年生になるとTA/RA 用の部屋に移ります。私は人口学研究所に所属しているので、それ用の部屋をもらっていますが、3年生になると、人口学研究所が持っているもう一つの共同オフィスに移る予定です(そちらは4階で窓がないので、本当は今の7階のオフィスがいいのですが、このオフィスは1ー2年生が優先されます)。

久しぶりにオフィスに行ってみて、またマディソンに帰ってから数日たってみて、やはりここは過ごしやすいところだなと感じています。一時帰国の際は平日は東京にいて、ホステルに泊まりつつ、東大の院生室や社人研のスペースを借りながら過ごしていたのですが、ストレスが全く違います。これがなぜなのか、自分でもよくわかりません。確かに、東京は地下鉄が混み合ってるし、院生室は綺麗とは言い難いし、気候もジメジメとしていますし、人も親切とは言えません(そして、そうした環境の中で自分もマディソンにいた時よりも人を気にかけないというか、「冷たく」なってしまいます)。その一方で、マディソンは東京のような人混みには遭遇せず、オフィスは綺麗で緑も近く、暑いものの湿度はなくカラッとしていてとても過ごしやすく、親切な人が多いです。

しかし、昔は私もそうした東京の環境の中で研究していたので、一時帰国の際になぜここまでストレスを感じたのか、よくわかりません。少なくとも、冬の帰国の際にはこうしたストレスは感じず、むしろ久しぶりの日本をいたく楽しんでいました。

もしかすると、この感覚は今後忘れてしまうものかもしれないので、少し慎重に書いてみようと思うのですが、こうしたストレスは、私の生活の軸がマディソンに移ってしまったことから、生じているのかもしれません。

例えば言語。アメリカに来た最初は、英語で自分の研究やセミナーの感想を話すのには苦労したのですが、最近は慣れたというか、苦労はしていると思うのですが、理解されないこともないので、ちゃんと相手に理解してもらおうと思いながら考えて話せています。

これに対して、一時帰国中に研究の話をしようとした時に、日本語で説明するのに苦しみました。考えてみれば当たり前で、もう1年近く研究で使う言語は英語なので、英語で理解してきた言語を、日本語に翻訳するのには時間とストレスがかかるのです。勉強会のレジュメも、いちいち英語の文章を日本語にするのが苦しかったので、英語のままにしました。日本にいた時は疑問に思わなかったのですが、英語の文章を日本語に訳す作業というのは、英語をアウトプットに見据えた時には非効率になってしまいます(ベースが英語の研究になった時点で、関連する研究も日本語よりも英語で理解した方が、接続がしやすいのです)。もちろん、母国語は英語なので、頭の中では日本語を使っているし、アウトラインを作る際には日本語で書くとうまくいくこともあるのですが、全てを日本語に翻訳する必要はない気がします。

また、英語で日本のことを知らない人に私の研究について話すのには苦労するわけですが、その苦労にも慣れたので今はルーティンのように感じています。これに対して、アメリカ的な研究の文脈に照らしてRQを作っているので、その内容について説明する際に、アメリカの研究背景も日本語で説明しなくてはいけないのですが、これが非常に大変でした。アメリカの研究背景を日本の人に伝えても、ああそうなんだ、的な反応で終わってしまうことも、徒労感に拍車をかけます。私としては、「ああそうなんだ」ではなくて「なぜそうなんだ」と突っ込んで欲しいのですが(疑問を呈されることで、自分が当たり前だと思っていた前提に気づくので)。逆の場合、つまり日本の文脈をアメリカの人に伝える時には、彼らは基本的にアメリカを前提に問いを考えているので、流石にそもそもなぜ日本をみるの?とは聞かれませんが、なぜ日本ではそれが当たり前なのかはよく突っ込まれます。例えば、日本では従業上の地位という雇用形態と労働時間などがごっちゃになったものが一つの概念として用いられますが、それに対して欧米の文脈に慣れた人はなんでそんな指標を使うんだ?と突っ込むわけです。同じような突っ込みを、日本の人に話してももらえないので、話しただけで終わるのが徒労感につながります。日本の研究者は日本を前提に検討しているという点ではアメリカと差がないかもしれませんが、どうも日本で研究している人たちは、他の社会の事例に対して「みんな違ってみんないい」言い換えると他の社会には興味がないような気がします。アメリカの社会学では、日本の社会に興味がなくとも、ちゃんと論理的に日本の事例が既存研究にもたらすインプリケーションを説明すれば、それは面白い事例だねと評価してくれる傾向にある気がするのですが、そういった他の社会の事例を自分たちの理論的な知見に重ね合わせることに、日本をもっぱら研究する社会学者は慣れていないのかもしれません。

これ以外でも、マディソンにいた時の「当たり前」が東京にいた時の「当たり前」ではないことが多々あり、そのアジャストにストレスを感じたのかもしれないと、今は思っています。それは人間関係だったり、時間の使い方だったり、上でも言及した研究へのアプローチなど様々なのですが、こうした小さなストレスが積み重なった結果、東京にいた時はちょっと調子を崩していた気がします。最初の3週間くらいは旅行者気分でいられるのですが、徐々にマディソンにいた時の感覚と東京で生活することのズレを認識し始め、そのズレに苦しみながら後半を過ごしていました。今回の一時帰国の反省は、あまり長く滞在しないこと(多分3-4週間がベスト)、および滞在している時は「アメリカでできた研究ができるとは思わないこと」が大切なのかなと思います。マディソンのオフィスで当たり前のようにできていた作業が、日本に戻ると思い通り進まないのです。それがなぜかを、自分でも論理立てて説明することは難しいのですが、上記に挙げたような小さなストレスの蓄積がその背景にある気がします。

ポジティブに考えれば、マディソンで、今の環境で研究できることに感謝したいですし、今おかれている環境で精一杯頑張ろうと、私を押し出してくれた一時帰国だったとも言えます。

July 3, 2019

体重

一時帰国中に予想通り食べ過ぎたので、アメリカに戻ったら体重を戻さなくてはいけない。体重を戻したいのは、痩せたいというより、今着てる服を着れなくなるのは勿体無いから。日本でいつ「痩せる」が望ましさを含むようになったのか知らないが、アメリカでは体重は人種化されているので体重について語るのにはセンシティブでなくてはいけない。人口学の大学院セミナーでも、BMIをアウトカムにする公衆衛生の論文は批判理論を知る人には常に批判されていた。自分も最初はなぜこんなに批判されるのかわからなかったが、今はわかる。社会学では対象とする現象が社会的に構築されることを強調するが、日本よりもアメリカの方が、日常的にそうした構築されたものの構築性が前面に出てくる。人種という概念自体が構築されたものと考えることもできるが、個人的には人種という概念の上に無数の構築物があり、アメリカでは人種は社会的なアイデンティティだと思う。恐らく社会科学の中でも社会学はこうした分析に用いる変数の背後にある我々の暗黙の想定にクリティカルになれる機会を提供してくれる学問だと思う。そのため、そういう批判的視点を提供する批判理論の研究は大切。社会学の計量アプローチができることの一つは、こうした理論を踏まえた数量化(quantification)にある。