August 19, 2015

分析社会学文献リスト/A List of Papers in Analytical Sociology

コメントは後で書きます。

(Edited) Books:

Hedström, Peter, and Richard Swedberg, eds., 1998a, Social mechanisms: An analytical approach to social theory. Cambridge University Press.

Hedström, Peter, 2005, Dissecting the social: On the principles of analytical sociology, Cambridge University Press.

Hedström, Peter, and Peter Bearman, eds., 2009, The Oxford handbook of analytical sociology, Oxford University Press.

Demeulenaere, P. 2011. Analytical sociology and social mechanisms. Cambridge University Press.

Manzo, G. 2014. Analytical sociology: Actions and networks. John Wiley & Sons.


Articles (including book reviews):
Abbott, A. 2007a. “Mechanisms and Relations.” Sociologica.
Abbott, A. 2007b. “Mechanisms and Relations’: a Response to the Comments” Sociologica 2:1–6.
Barbera, F. 2012. “Meso-Level Mechanisms and Micro-Level Foundation.” Sociologica.
Bearman, P. 2012. “On Analytical Sociology.” Sociologica.
Bernardi, F. 2007. “Le Quattro Sociologie E La Stratificazione Sociale.” Sociologica.
Brante, T. 2008. “Explanatory and Non-Explanatory Goals in the Social Sciences: a Reply to Reiss.” Philosophy of the Social Sciences 38(2):271–78.
Bunge, M. 2007. “Dissecting the Social: on the Principles of Analytical Sociologyby Peter Hedstrom:Dissecting the Social: on the Principles of Analytical Sociology.” American journal of sociology 113(1):258–60.
Edling, C. 2012. “Analytical Sociology Is a Research Strategy.” Sociologica.
Edling, C., and J. Rydgren. 2014. “Analytical Sociology: Bringing Culture and Identity Back in.” Sociologica.
Gross, N. 2009. “A Pragmatist Theory of Social Mechanisms.” American sociological review.
Hedström, Peter, and Ylikoski, Petri. 2010, “Causal mechanisms in the social sciences”. Annual Review of Sociology, 36, 49-67.

Little, D. 2012. “Analytical Sociology and the Rest of Sociology.” Sociologica.
Littel, Daniel. 2014. Actor-Centered Sociology and the New Pragmatism. in Zahle, Julie, Collin, Finn (Eds.) Rethinking the Individualism-Holism Debate. Splinger. 
Lizardo, O. 2012. “Analytical Sociology's Superfluous Revolution.” Sociologica.
Manzo, G. 2007. “Comment on Andrew Abbott/2.” Sociologica.
Manzo, G. 2010. “Analytical Sociology and Its Critics.” European Journal of Sociology 51:129–70.
Manzo, G. 2012. “Full and Sketched Micro-Foundations. the Odd Resurgence of a Dubious Distinction.” Sociologica.
Manzo, G. 2013. “Is Rational Choice Theory Still a Rational Choice of Theory? a Response to Opp.” Social Science Information.
Norkus, Z. 2005. “Mechanisms as Miracle Makers? the Rise and Inconsistencies of the ‘Mechanismic Approach’ in Social Science and History.” History and Theory.
Opp, K. D. 2007. “Peter Hedström: Dissecting the Social. on the Principles of Analytical Sociology..” European Sociological Review.
Opp, K. D. 2012. “Can There Be Causal Effects on the Macro Level?.” Sociologica.
Opp, K. D. 2013a. “Rational Choice Theory, the Logic of Explanation, Middle-Range Theories and Analytical Sociology: a Reply to Gianluca Manzo and Petri Ylikoski.” Social Science Information.
Opp, K. D. 2013b. “What Is Analytical Sociology? Strengths and Weaknesses of a New Sociological Research Program.” Social Science Information.
Reed, I. A. 2012. “Analytical Sociology: Appreciation and Ambivalence.” Sociologica.
Reiss, J. 2007. “Do We Need Mechanisms in the Social Sciences?.” Philosophy of the Social Sciences 37(2):163–84.
Santoro, M. 2012. “The Whole and the Parts. or: Is Analytical Sociology Analytical Enough About Sociology, and Itself?.” Sociologica.
Sawyer, R. K. 2007. “Review: Hedstrom, P. (2005). Dissecting the Social: on the Principles of Analytic Sociology. Cambridge, UK: Cambridge University Press.” Philosophy of the Social Sciences 37(2):255–60.
Sewell, W. H. 2012. “The Irreducibility of Cultural Structures.” Sociologica.
Steel, D. 2004. “Social Mechanisms and Causal Inference.” Political Theory 34(1):55–78.

Ylikoski, P. K. 2013. “The (Hopefully) Last Stand of the Covering-Law Theory: a Reply to Opp.” Social Science Information.

August 16, 2015

ESAセミナー成果報告



 2015 82日から812日にかけて参加したEuropean Summer Academy (以下,ESA と省略)の成果と課題について報告する.ESAは大きく分けて講義・ワークショップ,専門機関への訪問,学生との交流の三つから成り立っていた.それぞれが相互に関連していることも少なくなかったが,これら三つの側面に分けて成果について報告していきたい.
 まず,講義・ワークショップでは,EU統合の理念やその背景,発展の歴史,政治・行政機構の構成といった概略的な話から始まり,徐々に個々の機関の役割や対外政策から見たアジアとの関係といったあるトピックに絞った詳細な議論に入っていった.概論というのは難しい.このプログラムでは各自のバックグラウンドを欧州研究に絞らなかったため,既に基本的なことを修めている学生にとってはやや容易だったかも知れない.EUのことについて邦語の文献にいくつか触れただけの私にとっては勉強になることも多かったので,個人的に不満はなかった.しかし,プログラムをうまくアレンジして,できるだけ多くの学生が新しい知見を得られるような工夫をしていく必要があるかもしれない.個人的によく覚えているのが,四日目のSabrina Lauer講師による,EUの基本的自由(Fundamental Freedoms of the European Union)の授業だった.この授業では,Treaty on the Functioning of the European Union(TFEU)に規定されている権利のうち,内部市場を機能させるための資本,商品,サービス,人(労働者と企業の設立)という4種類,計5つの自由について,ケーススタディを通じたワークショップが行われた.参加学生が5つのグループに分かれ,実際にあった裁判の事例をもとに,当該ケースがTFEUの規定に抵触しているかどうかを議論した.私が担当したのは資本の自由で,いわゆるフォルクスワーゲン法をめぐる問題だった.この授業は以下のような点で興味深かった.いわゆるヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動することをグローバル化の一つの帰結として捉えるならば,EUという単一の経済圏を作り出すことは,グローバル化を大いに促進するものである.しかしながら,経済統合の結果,各国が定めた国内法との衝突が生じてしまう.ここでは,自由な移動というのは地理空間を通じたものだけではなく,複数の統治機構を跨ぐ営みであることが分かる.私たちは,日々何かが移動した結果しか見ていない.しかし,裁判事例を通じて,複数の統治機構におけるルール同士のコンフリクトをどのように解決していくかという過程の一端を体験することができたのは有意義な経験だった.
 次に,様々な機関・組織への訪問では,EUの主要機関である欧州議会(European Parliament)や欧州委員会(European Commission)のみならず,DAADやフィリピン大使館も訪れ,EUそれ自体に限定しない機会が提供された.EU関連で一つ,それ以外で一つあげるとすると,European Stability Mechanism(ESM)DAADの訪問は印象に残っている.ESMは最後の訪問となったが,プログラムの中では最も「現場感」のある機関だった.Mechanismというのは日本語で言えば「機制」ないし簡単に「しくみ」と表現される言葉だが,これが組織の名前に使われることに驚きを持ったのは私だけではないだろう.メカニズムという言葉は社会科学でも社会現象が発生するプロセスを分析する際に用いられるが,頻繁に用いられるのは生物学である.話を伺うと,まさにEUという組織体を安定させるための「器官」ともいうべき機関だった.ギリシャを危機から救った組織という前評判は冗談ではなく,今後も財政危機に陥る国が出てくれば,ESMが中心となって金融支援を行いEU経済圏の安定に寄与するという展望が持てた.反対に,最後の質疑応答でこうした金融支援の裏側でギリシャ政府に公務員の賃金カットを迫るといった側面が言及され,最初のプレゼン内容では欧州安定に寄与しているポジティブな側面ばかりが強調されているという印象を持った.ものごとの両面ではあるが,この話に限らず,専門家だからといって相手の話ばかりに首肯するのも危うさがある.今回のプラグラムはEUの専門家に話を伺う機会が続いたため,疑問を持ったとしても考えている自分の側が間違っているかもしれないと思いがちだったのには反省している.DAADに関しては,東大側の参加者のスポンサーであったこともあり,どのような動機でこうしたプログラムを支援しているのかが気になっていた.短期的に目に見えるような利益を生み出さない文化外交や国際交流の支援といった政策はどのようにして正当化されるのだろうか.他の国と比較できるだけの知識は持ち合わせてはいないが,話を聞く限りでは支援の規模はかなり大きいように見受けられた.その国の文化に触れれば,その国に対するイメージが向上するという一種の接触仮説のようなものが信じられているのかもしれないという話を周りとしたが,いつか機会があれば,どのようなメカニズムでこうした政策が可能になっているのかに就いて考えてみたい.
 最後に学生との交流では,例年通りゲント大学日本学科の学生との交流の他,今回はほとんど全ての時間を梨花女子大学のPhDの学生とともに過ごした.博士課程の学生ということもあり,広く国際関係や開発に関する知識を持ち合わせているように思われた.特に,何人かの学生はEUの対外政策とアジアとの関係というプログラムの趣旨と一致する内容について研究しており,彼女たちにとってはこのプログラムは非常に魅力的に映っていたようである.余談になるが,プログラム終了後,フランクフルトに残った東大側の学生一名,梨花側の学生一名と一緒に話していた時に,梨花大学ではEU研究プログラムが用意されているということを知った.そういう専攻があるため,彼女のようなEUについて研究する学生がいて,こうしたプログラムに参加している.反対に,東大側の学生と何度か話に上がったのが,東大にはEUについて研究する学科などはないということだった.DESKも欧州研究プログラムを用意しているが,私見では本専攻があった上での副専攻に近いのではないかという印象を持っている.本専攻はあくまで地域文化や国際関係論といった分野ごとにあり,今後欧州研究を志す人材を確保するためには,学科単位の再編成が必要なのかもしれないと感じた(梨花側もDESKと同じような仕組みなのかもしれず,もしそうだとするとこの点は誤りということになる).法学政治学研究科の学生から聞いた話では,そもそもEUのようなコンフリクトが生じないような地域は政治学の対象となりにくく,それがアジアの大学であればなお利害が薄いので教員や授業も少ないとのことだった.社会科学の領域も○○国の政治・経済・社会といったように国単位で編成されていることも影響しているのかもしれないが,このような話を聞いてアジアの大学でEUについて研究することの意義を何に見出し,どのように組織化していくのかについて考えさせられた.後述するように,私自身は今回のプログラムを通じてEU統合の社会的な基盤,つまり域内に居住する人々の統合への意識や人の移動の社会的な帰結などに関心を持った.社会調査データを用いて分析することは,データを申請する場今からでもできるが,その際にどのような背景的な知識が必要で,そもそも日本にそうした専門家はいるのかといった点を考えると,問題はさらに難しくなるかもしれない.
 以上が体系的ではないがこのプログラムに参加したことで私が持ち帰った成果である.普段訪れることのできない機関を訪問したり,会うことができないような人と知り合いになれる機会自体も非常に貴重なものとなったが,プログラムの趣旨に引きつけた成果報告は以上になる.
 最後に,課題と今後の展望について若干頁を割きたい.まず,課題に関しては以下の二点が上げられる.はじめに,やはり知識は持っておくことに越したことはないという点だ.今回は特に事前にリーディングが指定されることはなかったが,プログラムが始まる前にあらかじめ予習をしておけば,よりクリティカルに講義を聴き,質問できたかもしれない.疑問が浮かばず,浮かんでも考えている等の自分に誤解があるというのは,知識の裏付けがない怠惰によるものである.この点は深く反省し,来学期以降機会があれば積極的に欧州研究の授業を履修したい.次に,一点目と関連するが,プログラムにおいて自分の役割をはっきりと見出せなかったことである.必ずしも欧州の専門家ではなく,かといって将来的に外交官になる道も考えておらず,さらにいえば前期課程の学生のような「これから」欧州について専門的に研究するような可能性も低い.少なからず自分のような人間が,授業でどのように貢献し,プログラムを経験することが自分の将来とどのように結びつくのかについて,最後まで不透明なままだった.今回は法律や政策的な側面が強く,自分が関心を抱く社会的な側面についての講義が少なかったこともあるかもしれないが,この点は日本に帰国した後も課題として残る点である.
 展望について二点述べる.まず,このプログラムの展望について.今回のプログラムのこれまでと異なる点をあげるとすれば,夏に開催時期が変更されたこと,梨花女子大学との共同参加という形になったこと,そして学部の前期課程の学生が入ったことの三点である.重要なのは二点目と三点目だろう.梨花女子大学との共同参加については概ねポジティブな展望を持っている.梨花側は留学生が半分近くを占めていたこともあり,生徒のバックグラウンドに多様性が担保できた点は評価できる.東大側の参加者だけでは休憩時間も日本語しか使わなかったと予想されるが,梨花の学生も参加したことで必然的に英語を使用する機会が増えるのもプログラムの趣旨としてはよかったと思う.一方で,学部前期課程の学生が参加することについては意見が分かれるかもしれない.参加者の中には前期の学生が院生と話すことでいい刺激をもらう(逆もしかり)ことができたと述べているものもいたが,私はプログラムの趣旨と適切な参加者を照らし合わせている.ESAは専門家を要請するためのプログラムなのだろうか,それとも広い意味での国際理解を深めるためのプログラムなのだろうか.ESA (EFA)が今後どのような方針をとるかによってマジョリティとなる参加者も変わってくるかもしれない.個人的には,ESA が今回のようなプログラムを続けるのであれば,比較的英語で議論する能力のある前期課程の学生や,後期課程の学生で国際関係論などを専攻する学生を選抜する形の方がよいと考えている.

 最後に,プログラムを履修した自分の展望について.私の研究関心は人々の行為や相互作用の結果として蓄積される秩序が,広く社会の成立や維持に与えるプロセスを明らかにすることである.特に,世代間の不平等の連鎖や人の移動といった側面が社会の統合に対してどのような影響を持つかに関心がある.こうした意味で,欧州連合という巨大な「実験」は非常に魅力的な研究対象になる.講義を聴いて,今まさにEUという超国家機構がつくられている時代に私たちが生きていることを痛感した.一つ一つの条約が今後のEUにとっての礎になっていく過程をリアルタイムで観察できるのは,刺激に満ちている.今後どうなるかが,良い意味でも悪い意味でも不透明な「分からなさ」の一端を明らかにできる作業に関われるとすれば幸せなことかもしれない.先程述べたように,私の専門を生かせば,EuroBarometerや各国の社会調査データを用いて,人々の統合に関する意識や労働者の移動がEUに与える影響についての分析ができるかもしれない.実際,EUもこうした趣旨のプログラムに巨額の資金を援助している(例えば,EUの経済変動や社会的凝集性に関する研究プロジェクトEqualSoc: http://www.equalsoc.org/2).今後,このような研究に携われる機会があれば積極的にチャレンジしていきたいと考えている.そのためにも,少しずつEUに関する知識も増やしていきたい.今回のプログラムは,今後の自分の研究関心にも少なからず影響を与える刺激的な機会となった.このプログラムをアレンジしてくれた諸機関に感謝の意を記したい.