Slater, David H., 2011, The “New Working class” of urban Japan, in Ishida Hiroshi and David Slater ed, Social Class in Contemporary Japan, London: Routeledge, 139-169.
舞台は武蔵野、そして中学校。テーマはなぜ労働者階級の子どもは底辺高校に進学するのか。
初めてこの論文を読んだのは2012年の8月。駒場の社会学理論演習でウィリスの文化再生産論について発表した時だった。
前年のTAセミナーでウィリスのハマータウンを読んでから、その説明は美しいと思ったし、共感もした。自分自身、少なからずあのようなコミュニティを見ながら思春期を過ごしたことも大きかったと思う。しかし、同時にハマータウンと僕が上京するまで過ごした田舎には大きな違いがあることにも気づいていた。ウィリスがレファレンスにした労働者階級の文化というものを、僕は田舎に見出すことができなかったのだ。
ハマータウンの考えに賛同しつつも、21世紀の日本において、ウィリスが足を踏み入れたようなコミュニティがあるのか、このズレを解消してくれるような文献を探していたときに、Slaterの論文に出会った。論文を掲載した本が駒場の新刊図書のコーナーにおいてあったのはラッキーだった。当時の僕だったら、わざわざ英語文献を検索するなんてことはしなかっただろうからだ。英語に対して抵抗感はあったが、論文のタイトルに惹かれてすぐコピーしたのを覚えている。その流れで、発表にも使った。
一年後、再び論文を読むことになった。今回は自発的に。階層論の論文を読むにつれ、ゴールドソープの合理的選択理論とブルデューの文化資本の対立を知り、なぜ階級間再生産が続くのか、この文脈でまたSlaterを読みたくなった。
彼がフィールドワーク先に選んだのは、武蔵野市内の公立中学校。生徒が特定の出身階層に偏っている訳ではない、東京と言っても西部であることを考えれば、他の地方都市にもあるような中学校だ。生徒は受験を通じて進学校から底辺校にまで進んでいく。Slaterが立てた問いはシンプルで、なぜ労働者階級の子どもは底辺校に進学し、中産階級の子どもは進学校に行くのか、である。
もっとも、日本に階級があるという前提で議論を進めることに対して疑問を持つ人がいることも確かだろう。これに関しては、Slaterは厳密な定義をしていないが、前者をリストラに合う可能性もあるサービス業やマニュアル職、後者を終身雇用のホワイトカラーと想定しているように思われる。同時に、彼らの職業とは別の文脈で、彼は中産階級的な文化、といった言葉を使用する。Slaterの中ではミドルクラスという言葉で親の階層と文化が一致して捉えられると考えられているのかもしれないが、そもそもそういう想定は妥当なのかという議論もあるだろう。しかし、大きな主張としては用語の使用は問題にならない。ここではひとまず便宜的な区分だと考えておこう。
冒頭で労働者階級の母親が子どもには無事高校を卒業して仕事についてくれればよいと言及している。こうした階級間の子どもに対する学歴期待の差を抽象的な次元に落とし込んで再生産を説明しようとしたのがGoldthorpeだが、ブルデュー的な考えをするSlaterの論文では、もう一つ重要な要素、すなわち文化が絡んでくる。
Slaterは階級間の高校進学先の差を説明するのに、学校での集団生活における文化の変化に対応できるかが階級間で異なるという論法をとっている。大雑把に思われるかもしれないが、彼は二つの学校文化を提示している。
第一が道徳的な共同体moral communityという文化だ。これはある集合的な目標に対して生徒が貢献することを求める秩序を指している。さらに、この秩序のもとでの人間関係はウェット、つまり情に満ちたものだという。この秩序では、個人の利害を追求するのではなく、集団の目標に向けて時として遠慮をすることさえも奨励されるのだ。例えば学校の運動会や合唱コンクールといったイベントに対しては、クラス単位で参加することが普通だろう。クラス単位での目標達成に個人が貢献するという秩序は日本の多くの学校に見出されると思われる。(ちなみに、この秩序は日本の多くの中産階級的なコミュニティで見られるものらしく、Slaterによれば選別の過程だけでなく社会に出てからもこの秩序に対応できるかどうかが重要だという。対応できないものが村八分にされるという指摘までなら分かるが、果たして中産階級的なのかは意見が分かれるだろう)
こうした秩序を通じた社会化のプロセスは次第に第二の文化に移り変わっていく。小学校と中学校の前半までは先の秩序なのだが、受験期に入ると偏差値の基づいて個人が選別される能力主義的な文化が表れてくる。これは別に小学校のときに成績が考慮に入れられなかったといっている訳ではない。学校内のコミュニケーションの論理が集団主義的なものから個人主義的なものに転換するのだ。それまで、集合的な目標に対して滅私奉公するのが理想だったとすれば、受験期には良い成績を取ることが学校内で評価される基準になるのだ。
この秩序の変化に対して、中産階級出身の子どもは、難関校の入試を突破するためには学校の教育が不十分で、塾に通うことが必要を感じ受験体制に入る。逆に労働者階級出身の子どもはこの秩序の変化に対応できない。例えば、先生がテストの成績を重視するようになっても、労働者階級出身の子どもは理屈が理解できないという。結果として、中産階級出身で進学校に進んだ子どもが中学時代を振り返るときは、塾と学校のバランスをとっていたという証言がくるが、労働者階級出身で底辺校に進学した子どもは先生との関係をネガティブに捉えていることが述べられている。明言はされていないが、階級間でなぜ対応できるかに違いがあるかは、親の考えが大きいように思われる。
高校進学時点でかなりの機会格差に条件づけられてしまうため、ここから「逆転」することは困難なように思われる。公立教育が中心の地域の場合、公立中学からどの高校に進学するかが決定的に重要になってくるのは言うまでもない。進学プロセスの分岐点ともいうべきタイミングで、階級間でなぜ異なる行動が見られるのかを説明した点でこの論文は評価できるだろう。
しかし、文化の変化で分岐を説明するのは危険に思われる。例えば、階級間で中学入学時点で学力差が既についていたと考えるのは可能だろう。また、秩序を編成する論理となっている文化を媒介項にしつつも、その対応が階級間で異なるというのは、階級決定論に誤解される危険性もある。例えば、労働者階級の出身なのに進学校に進んだ子どもの例などを用いて、より詳細な分析をすることが求められるだろう。
とはいえ、この論文はこれまで階層間による異なる社会化のプロセスの研究に乏しかった日本の教育社会学の中では評価されるべきだろう。これとは別だが、自分自身これに近い環境で育ってきたので、この説明は的を得ていると強く感じる。
例えば、小中学校の学級委員のような役職に就く子どもは、やはり集団の利益を考えて滅私奉公をしているように見えた。もちろんミーハーな気持ちもあったかもしれないが、責任感は小さくなかっただろう。それを常に傍目で見ていた自分はあまり居心地が良くなかった(なぜなら、そういう子どもの方が人気があるから)。そういう子は成績もとるのだが受験結果としては進学校とはいえないところに進むことが多かった。これは、個人主義的な文化への転換に対応できなかったようにも見えるのだ。もっとも、親の出身階層など分かるのは一部の子どもに限られていたので、何ともいえない。塾の経営者の子どもが不良になったケースもあるので、階級間という議論には慎重にならざるを得ない。しかし、学校文化の変化に対応できるかできないかは重要だと思われる。
自分はSlaterの区分であれば労働者階級の出身になると思うが、受験の流れには乗っていけた。中学校に入って最初のテストで芳しくない成績をとってしまい、親に自転車で15分くらい行ったところにある月3000円の塾を薦められた。お金に余裕は無かったので、親としては3千円で子どもを塾に行かせることができる安心感を得たかったのかもしれない。確かに、塾に入って以降、成績は上がったが、本人(つまり僕)としてはそれは塾に行ったからではなく、最初のテストはたまたま悪かっただけという認識でいた。それを何度いっても母は「塾に行ったからだ」と言い張ったので、子どもながらに塾というのは親を安心させるためにあるものなのだと感じていた。
なので、特別月謝の高い塾に行くことは親の安心感をこれ以上向上させることにはならないし、僕も高い塾に行くせいでお小遣いを減らされるのも嫌だったので、その塾に通い続けることにした。塾の先生とも相性は良かったので、新しいコミュニティができた感じだった。できたばかりの小さな塾で、偏差値40-45の子が55の高校に入りたくて、もしくは単に友達が通っているからという理由で来ている人ばかりだった。第一志望の高校に合格したときには、うちの塾で初めてだと驚かれたくらいのところだったのだが、僕としては変に競争主義にならない環境を気に入っていたので、母の指摘が必ずしも外れているとは思わない。
僕には母同士が姉妹のいとこがいるが、その叔母もうちの母と同じような境遇だった。彼女は運動神経がよくて、学級委員もできた、典型的な人気者だった。小学校の成績も良くて最初は僕より期待されていたのだが、中学校に入るとヤンキーグループに入ってしまい、受験もなんとなく過ごして結局短大を卒業して現在はサービス業についている。いとこの方がまじめで成績も良かったのに、受験の結果は大きく違うことに、僕は度々いとこに「もったいないよ」と言っていた。
どこで差がついたのかと考えると、やはり親の教育方針だったように思う。恥ずかしながら、両家には方針と言えるほどの考えも無かったのだが、小さいながらも大きく違うのは、うちの母は学をつけることの大切さを知っていたのだった。二人姉妹そろって離婚を経験し、互いに家も近いので祖母も交えて、子ども二人、計五人でよくご飯を食べていた(祖父は交通事故で母が14歳のときに亡くなっている。遺族年金は微々たるもので、うちの家計の寂しさはこういうところにも起因する)。その後、二人とも再婚した。再婚のタイミングは姉、つまりうちの母親の方が早かったが、回顧すると母は一度リストラにあった義父にDVめいたことをされていたし、僕が12歳のときに乳がんにかかるなど、うちの家庭が決して順調だった訳ではない。(エクスキューズとしては、現在は夫婦仲良く、がんも再発せず、おまけに弟もできて仲良く過ごしている。息子は浪人したものの、東大に通っている。)
母は僕の進路に介入しない代わりに(自由にやれと何度も言われた、これは今では本当に感謝している)、「借金をするな」と「警察の世話になるな」及び「学はつけろ」と言っていた記憶がある。正確には自分から積極的に学をつけろとは言わなかったものの、東大を志望してからもできる限り支援はすると言ってくれたので、本人としてはそうした子どもの意欲には肯定的だったように思う。
最後の方は随分と自分語りが多くなってしまったが、こうした思いを喚起させてくれる論文も悪くないではないか(
了